「……で、何も言えずひとりで帰ったと」
ラーメンを啜っていた慶之がため息をつく。
「まあな。あれ以来侑馬とも亮平とも連絡取ってないし」
八月三十日。
今日はいよいよ慶之が高専の寮に戻る日だ。
慶之は浜松駅発の高速バスで帰るというので、俺は駅まで見送りに来ている。
何でも高速バスなら新幹線の半額程度で沼津まで行けるらしい。
時間はかかるが、交通費を親に出してもらっている手前、新幹線で行き来するのは申し訳ないとのことだった。
バスが出るまでの時間つぶしも兼ねて、俺たちは駅近くのラーメン屋に来ている。
うまくて安い人気店で、特に学割ラーメンはこの店の代名詞になっている。
店は無機質な高層ビルが連なったオフィス街の一角に黄色い看板を掲げていて、ここに来るたび『すり鉢の底』という言葉を思い浮かべてしまう。
スープを飲み終わった慶之は、箸を置き「ごちそうさん」と手を合わせた。
「マコが焦るのもわかるんだけどさ。中学出てからもう一年半だもんな」
以前にも慶之と同じような話をした。
五年制の高専に通う慶之は別として、俺達は来年受験生になる。
侑馬とリリイはきっと浜松を出て遠くの大学に行く。
亮平はもしかしたら地元の医大に入るかもしれないけれど、どこか遠くに行く可能性も高い。
そうしたらきっと今とは変わってしまう。
普段いる場所が離れても、慶之のようにちょくちょく帰省してきて、休み中ずっと一緒に遊んでいるような仲ならいい。
でも、今の俺たちは……。
「亮平も侑馬も空気読めるし、壊すタイプじゃないからな。放っといたらずっとこのまま、あっという間に卒業だよ」
「ゆーてまだ一年以上はあるわけじゃん。焦って動くより、まずは状況見て計画立てよーぜ。現状とあるべき姿を見定めて、ゴールから逆算する訳よ」
「前から思ってたけど、慶之って現実的なものの考え方するよな。建設的っていうかさ」
「んー。エンジニアだからかもな。ものづくりに計画は必要不可欠なのよ。適当に思いつきで作ってったらどこに行き着くかわかんないわけ。しかも後戻りなんてできないし」
「なるほどな。……エンジニアのお兄さん、妹さんも何とかしてくださいよ」
妹ちゃんの行動は、慶之の語るエンジニア像とは対極的だ。
「つってもな。祐希はエンジニアじゃなくて芸術家なんだよ。直感的っていうか、その場そのとき自分の奥底から湧き出てきたものを大事にするっていうかさ」
「思いつきでかき回されて今大変なことになってるんですよ」
登校日の後、俺は何度か慶之と通話したし、直接会って話もした。
慶之は、妹ちゃんが夜な夜なゴスロリで出かけることも知っていたし、俺たちにちょっかいを出していることも勘づいてはいたらしい。
しかし兄妹とはいえ別個の人間、自分がどうこう言ったところで妹に聞き入れる義務はないから、と静観していたそうだ。
ド正論ではある。
でも気持ちの上では少し受け入れがたくもある。
「んー。多分なんだけどさ、アイツにもアイツなりの完成図みたいのがあるんだわ。芸術家も完成形ってのは頭の中に持ってんだよ。ただそれが抽象的っつーか観念的で、そこに至る道筋もあやふやで、何なら作ってる最中の発想次第で他の道に行っちゃっても、それはそれで芸術的みたいな?」
「妹ちゃんも思いつきだけで動いてるわけじゃなくて、あの子なりの目的とか目標があるってこと? ……わかんなくはない、かな」
妹ちゃんの言動は予想がつかない。
しかしそれはただの思いつきではなく、何か目的を持っているような気がする。
根拠はないけれど。
「やっぱマコトにはそのへんわかるんだろーな。前から思ってたけど、マコトも芸術家だわ」
「俺が? ないない。絵も描かないし音楽やったりもしないし。それこそ妹ちゃんの目的とかサッパリわかんないし。……慶之は想像ついたりしない?」
「さっぱり」
両手を広げる慶之。
「は? お兄ちゃんだろ? ストーカーだろ? 妹のこと知らないでどうすんだよ!」
「おまえ俺のこと嫌いなの?」
「……」
「そこは『愛してるぜ』って言えよ!」
慶之の叫びに店内の耳目が集まる。
「あ、すみませーん。何でもないでーす……」
ペコペコと頭を下げながらカバンを取り、俺たちはそそくさと店を逃げ出した。外に出た後、慶之にローキックを入れるのだけは忘れなかった。
まだ暦の上では八月だというのに、空気はもう秋を感じさせるものになっている。
空からは小雨がぱらつき、風が吹くと肌寒さまで覚える。
もう夏は終わった。
空がそう宣告しているようだった。
バスまでまだ時間があるということで、俺と慶之はモール街に向かった。
モール街というのは浜松駅近く、千歳町にある繁華街だ。
表通りには飲食店やファッションのショップが並び、一歩入った裏路地にはバーやスナックなんかの飲み屋が並んでいる。
その一角にあるモデルガン・ショップが俺たちのお目当てだ。
モデルガンだけでなく、エアガン、ガスガン、電動ガンと各種とり揃えているし、ガスマスクや迷彩服等ミリタリー・グッズ、手錠や警棒などの警察グッズ、しまいには十手や手裏剣、鉄扇や印籠なんかの時代劇グッズなんかまで揃えていて、時間や金がいくらあっても足りない店なのである。
今抱えている悩みも忘れて騒いでいるうちに、バスの出発時刻ぎりぎりになり、俺たちは駅前のバスターミナルまで傘も差さずに全力ダッシュする羽目になった。
何とかギリギリ乗車した慶之を見送り、俺はひとり帰途についた。
今日は小雨ということもあり、自転車ではなく電車で駅まで来ている。
浜松駅からほど近い新浜松駅。
そこから北へと伸びる遠州鉄道だ。
JR東海道線は市内を横切り、西は豊橋や名古屋、東は静岡や東京と他の街へと繋がっている。
いわば他所行きの電車だ。
対して遠鉄は市内を南北に伸びていて、普段のお出かけに使う電車というイメージが強い。
JRに比べると小さく赤い電車が走っていて、地元では赤電と呼ばれている。
俺も昔は毎日赤電に乗って通学していた。
浜松国立大学附属の小中学校は校区が広く、電車やバスでの通学が当たり前だったのだ。
夏休みとはいえ今日は平日。
しかも真っ昼間ときて車内はガラガラだった。
だけど久しぶりに車窓からの景色が見たかったので、ドアの脇に立つことにする。
アナウンスとベルの後、電車が発車する。
窓についた水滴が線になって後方に流れていく。
しばらくは下手に動かない方がいい、か。
慶之には以前にも似たようなことを言われた。
下手をすると今以上に悪くなるかもしれないから無理するな、と。
慶之の言う通りかもしれない。
今の状況はあのときより悪くなっている。
俺が下手に動いたせいというのも、慶之の言葉通りだ。
だけどもう少しでうまくいきそうだったんだ。
亮平も侑馬も、お互い避けてはいたけれど嫌ってはいなかった。
相手の出方次第ではもう少し歩み寄ってもいいくらいには思っていたはずだ。
俺はその気持ちを汲み、代わりに伝えただけ。
……というのは、自分勝手な考え方だろうか。
新浜松駅を出てからしばらく、赤電は高架の上を走る。
ビルが疎らになっていき、遠くまで見渡せるようになっていく。
電車通学だった中学生のときは毎日のように眺めていた風景だ。
どうしてもあの頃のことを思い出してしまう。
……いや、俺は今日、敢えてあの頃のことを思い出すために赤電に乗ったのかもしれない。
小雨を言い訳にして、本当はあの頃を振り返るために。
『夜練事件』。
中学三年生だったあの頃、亮平と侑馬は意見と立場の食い違いから敵対関係にあった。
俺は両方にいい顔をして、対立をなかったことにして、何とかことを荒立てずに済ませようとして、そして破綻した。
認めたくはない。
認めたくはないけれど……今は、あの頃に似ている。
ラーメンを啜っていた慶之がため息をつく。
「まあな。あれ以来侑馬とも亮平とも連絡取ってないし」
八月三十日。
今日はいよいよ慶之が高専の寮に戻る日だ。
慶之は浜松駅発の高速バスで帰るというので、俺は駅まで見送りに来ている。
何でも高速バスなら新幹線の半額程度で沼津まで行けるらしい。
時間はかかるが、交通費を親に出してもらっている手前、新幹線で行き来するのは申し訳ないとのことだった。
バスが出るまでの時間つぶしも兼ねて、俺たちは駅近くのラーメン屋に来ている。
うまくて安い人気店で、特に学割ラーメンはこの店の代名詞になっている。
店は無機質な高層ビルが連なったオフィス街の一角に黄色い看板を掲げていて、ここに来るたび『すり鉢の底』という言葉を思い浮かべてしまう。
スープを飲み終わった慶之は、箸を置き「ごちそうさん」と手を合わせた。
「マコが焦るのもわかるんだけどさ。中学出てからもう一年半だもんな」
以前にも慶之と同じような話をした。
五年制の高専に通う慶之は別として、俺達は来年受験生になる。
侑馬とリリイはきっと浜松を出て遠くの大学に行く。
亮平はもしかしたら地元の医大に入るかもしれないけれど、どこか遠くに行く可能性も高い。
そうしたらきっと今とは変わってしまう。
普段いる場所が離れても、慶之のようにちょくちょく帰省してきて、休み中ずっと一緒に遊んでいるような仲ならいい。
でも、今の俺たちは……。
「亮平も侑馬も空気読めるし、壊すタイプじゃないからな。放っといたらずっとこのまま、あっという間に卒業だよ」
「ゆーてまだ一年以上はあるわけじゃん。焦って動くより、まずは状況見て計画立てよーぜ。現状とあるべき姿を見定めて、ゴールから逆算する訳よ」
「前から思ってたけど、慶之って現実的なものの考え方するよな。建設的っていうかさ」
「んー。エンジニアだからかもな。ものづくりに計画は必要不可欠なのよ。適当に思いつきで作ってったらどこに行き着くかわかんないわけ。しかも後戻りなんてできないし」
「なるほどな。……エンジニアのお兄さん、妹さんも何とかしてくださいよ」
妹ちゃんの行動は、慶之の語るエンジニア像とは対極的だ。
「つってもな。祐希はエンジニアじゃなくて芸術家なんだよ。直感的っていうか、その場そのとき自分の奥底から湧き出てきたものを大事にするっていうかさ」
「思いつきでかき回されて今大変なことになってるんですよ」
登校日の後、俺は何度か慶之と通話したし、直接会って話もした。
慶之は、妹ちゃんが夜な夜なゴスロリで出かけることも知っていたし、俺たちにちょっかいを出していることも勘づいてはいたらしい。
しかし兄妹とはいえ別個の人間、自分がどうこう言ったところで妹に聞き入れる義務はないから、と静観していたそうだ。
ド正論ではある。
でも気持ちの上では少し受け入れがたくもある。
「んー。多分なんだけどさ、アイツにもアイツなりの完成図みたいのがあるんだわ。芸術家も完成形ってのは頭の中に持ってんだよ。ただそれが抽象的っつーか観念的で、そこに至る道筋もあやふやで、何なら作ってる最中の発想次第で他の道に行っちゃっても、それはそれで芸術的みたいな?」
「妹ちゃんも思いつきだけで動いてるわけじゃなくて、あの子なりの目的とか目標があるってこと? ……わかんなくはない、かな」
妹ちゃんの言動は予想がつかない。
しかしそれはただの思いつきではなく、何か目的を持っているような気がする。
根拠はないけれど。
「やっぱマコトにはそのへんわかるんだろーな。前から思ってたけど、マコトも芸術家だわ」
「俺が? ないない。絵も描かないし音楽やったりもしないし。それこそ妹ちゃんの目的とかサッパリわかんないし。……慶之は想像ついたりしない?」
「さっぱり」
両手を広げる慶之。
「は? お兄ちゃんだろ? ストーカーだろ? 妹のこと知らないでどうすんだよ!」
「おまえ俺のこと嫌いなの?」
「……」
「そこは『愛してるぜ』って言えよ!」
慶之の叫びに店内の耳目が集まる。
「あ、すみませーん。何でもないでーす……」
ペコペコと頭を下げながらカバンを取り、俺たちはそそくさと店を逃げ出した。外に出た後、慶之にローキックを入れるのだけは忘れなかった。
まだ暦の上では八月だというのに、空気はもう秋を感じさせるものになっている。
空からは小雨がぱらつき、風が吹くと肌寒さまで覚える。
もう夏は終わった。
空がそう宣告しているようだった。
バスまでまだ時間があるということで、俺と慶之はモール街に向かった。
モール街というのは浜松駅近く、千歳町にある繁華街だ。
表通りには飲食店やファッションのショップが並び、一歩入った裏路地にはバーやスナックなんかの飲み屋が並んでいる。
その一角にあるモデルガン・ショップが俺たちのお目当てだ。
モデルガンだけでなく、エアガン、ガスガン、電動ガンと各種とり揃えているし、ガスマスクや迷彩服等ミリタリー・グッズ、手錠や警棒などの警察グッズ、しまいには十手や手裏剣、鉄扇や印籠なんかの時代劇グッズなんかまで揃えていて、時間や金がいくらあっても足りない店なのである。
今抱えている悩みも忘れて騒いでいるうちに、バスの出発時刻ぎりぎりになり、俺たちは駅前のバスターミナルまで傘も差さずに全力ダッシュする羽目になった。
何とかギリギリ乗車した慶之を見送り、俺はひとり帰途についた。
今日は小雨ということもあり、自転車ではなく電車で駅まで来ている。
浜松駅からほど近い新浜松駅。
そこから北へと伸びる遠州鉄道だ。
JR東海道線は市内を横切り、西は豊橋や名古屋、東は静岡や東京と他の街へと繋がっている。
いわば他所行きの電車だ。
対して遠鉄は市内を南北に伸びていて、普段のお出かけに使う電車というイメージが強い。
JRに比べると小さく赤い電車が走っていて、地元では赤電と呼ばれている。
俺も昔は毎日赤電に乗って通学していた。
浜松国立大学附属の小中学校は校区が広く、電車やバスでの通学が当たり前だったのだ。
夏休みとはいえ今日は平日。
しかも真っ昼間ときて車内はガラガラだった。
だけど久しぶりに車窓からの景色が見たかったので、ドアの脇に立つことにする。
アナウンスとベルの後、電車が発車する。
窓についた水滴が線になって後方に流れていく。
しばらくは下手に動かない方がいい、か。
慶之には以前にも似たようなことを言われた。
下手をすると今以上に悪くなるかもしれないから無理するな、と。
慶之の言う通りかもしれない。
今の状況はあのときより悪くなっている。
俺が下手に動いたせいというのも、慶之の言葉通りだ。
だけどもう少しでうまくいきそうだったんだ。
亮平も侑馬も、お互い避けてはいたけれど嫌ってはいなかった。
相手の出方次第ではもう少し歩み寄ってもいいくらいには思っていたはずだ。
俺はその気持ちを汲み、代わりに伝えただけ。
……というのは、自分勝手な考え方だろうか。
新浜松駅を出てからしばらく、赤電は高架の上を走る。
ビルが疎らになっていき、遠くまで見渡せるようになっていく。
電車通学だった中学生のときは毎日のように眺めていた風景だ。
どうしてもあの頃のことを思い出してしまう。
……いや、俺は今日、敢えてあの頃のことを思い出すために赤電に乗ったのかもしれない。
小雨を言い訳にして、本当はあの頃を振り返るために。
『夜練事件』。
中学三年生だったあの頃、亮平と侑馬は意見と立場の食い違いから敵対関係にあった。
俺は両方にいい顔をして、対立をなかったことにして、何とかことを荒立てずに済ませようとして、そして破綻した。
認めたくはない。
認めたくはないけれど……今は、あの頃に似ている。