「占ってあげるわ」

 夜中のコンビニでいきなり声をかけられた。

 七月。試験休み。高校二年の夏。友だちの家に泊まって深夜。
 何となく来たコンビニ。友だちを待って立ち読みしていたとき。
 スポーツ雑誌から顔を上げると、隣には黒尽くめの女の子が立っていた。

 髪飾りも、巻いた髪も、服も、タイツも、靴までも、上から下まで真っ黒で、コンビニの外から夜が入ってきたみたいだった。

 彼女の顔は、この世のものとは思えなかった。

 褒めているわけでも貶しているわけでもない。ではないけれど、その両方だった。

 真っ白な肌に赤紫の口紅、真っ赤な目、重そうなマスカラに細く尖った眉毛。パーツそれぞれは悪い意味でこの世のものでない印象を与えてきた。

 この服ゴスロリ? 目はカラコン? 化粧ガンギメだけどお肌は平気? 意外と若い? 十代?
 いや問題は年齢じゃなくて。
 ゴスロリって初めてみた。
 こういう人って東京にいるんじゃないの? 原宿とか? ここ浜松《はままつ》だぞ? 何でこんな地方都市の住宅地に?

 頭ではそんな疑問がつらつらと浮かんでは消えていった。その一方で、気持ちの部分ではたった一言がずっと心から離れずにいた。

 『美しい』。

 そんな大げさな言葉を思い浮かべたのは、生まれて初めてだった。

「お代は結構よ」

 黒尽くめの占い師が懐からカードの束を取り出す。トランプというには少し大きい。
 占いに使うということは、タロット・カードだろうか。実物を見たことがないのではっきりとはわからない。

「いや、占いとか俺はいいです。信じてないし」

 この占い師は確かに『美しい』。しかし、だからといって関わり合いにはなりたくない。

「でもあなた、これから大変な目に遭うわよ?」

 いや、大変な目には今もう遭っている。

「どうした、マコト」

 そのとき、反対側から声がかかった。

 声の主、(きた)亮平(りょうへい)は怪訝な顔で俺を見ていた。
 手にはレジ袋を提げている。買い物を終えたらしい。

 亮平はスポーツマンだ。顔立ちも精悍だし、髪型も短髪をハードでマットにつんつん逆立てているし、タンクトップから覗く肩には、テニスで鍛えた筋肉がしっかりついている。

 だがヘタレだ。

「えーと、お取り込み中でした?」

 俺の前に立っている黒尽くめの女の子に気づいたのだろう、亮平は慌てて手を振りこの場を離れようとする。

「まあ待てよ! せっかくだから占ってもらおうぜ!」
 逃げようとする亮平の肩に手を回し、占い師の前に突き出す。亮平はもがきながら小声で「離せバカ!」と訴えているが、そんな泣き言は聞かなかったことにする。

「ええ。でもね、一つ注意して欲しいの。私は占い師ではなく……魔術師よ」

 自称・魔術師は手元のタロット・カードをササッと切り、山の下から一枚を取り出した。
 魔術師がカードを(あらた)める。

「なるほど、難儀ねえ」

 そして魔術師は「上下の向きを変えないで」と注意しながらタロット・カードを亮平に差し出した。
 おっかなびっくり手を伸ばしてカードを手にとる亮平。

「……ん? 『THE LOVERS』?」

 亮平の手にしたカードを覗き込む。
 左右に立つ裸の男女の頭上で、羽の生えた天使が両手を広げていた。
 天使の更に上には『Ⅵ』とローマ数字が、そして男女の足元には文字が書かれている。

 亮平が読み上げるとき一瞬首を傾げたのも無理はない。
 亮平はカードを上下逆さまに持っている。

「『恋人たち』の逆位置よ」

「逆位置……?」

「あなたが受けた印象そのままの意味よ」
 魔術師は薄く笑って亮平の顔を覗き込んだ。

「思い当たる節があるのでしょう?」

「そんなもんあるわけ、」

「恋と愛の違いを考えてみなさい。その先に答えがあるわ」

「恋と、愛……?」

 亮平はそうつぶやき、手に持ったカードを見つめた。
 一方の魔術師は、私には全てわかっていると言わんばかりの顔で、真っ直ぐ亮平の顔を見据えている。

 『恋人たち』……。
 亮平、彼女と何かあったのか?

 それに恋と愛の違いって何だ。
 何か思い当たるところでもあるのか?

「次はあなたの番」
 と、魔術師の女の子は再びタロットを切り出した。

 カードが擦れる滑らかな音。
 魔術師の手の中でタロット・カードが生きているように蠢く。

「あら、あなたも大変ね」

 魔術師は手にとったカードを回し、俺に渡してきた。

 手にとってみるとタロット・カードは(つや)やかで、絵柄も文字も神秘的で、この物体そのものに何か言いようのない力が宿っているように思えた。

 カードには塔が描かれている。
 塔には雷が落ち、炎が上がっていた。
 そして塔からは二人の人物が落下している。
 カード上部にはローマ数字で『ⅩⅥ』、下部には『THE TOWER』の文字。

 それら全てが上下逆に描かれている。
 俺に渡されたカードもまた、逆さまになっていた。

「『塔』の逆位置。意味はあなたが見たまま、感じたままよ」

 見たままって……。
 崩壊する塔から良いイメージなんて湧きようもない。

「あの、お客さま」
 背後からの声に振り返ると、鮮やかな赤い制服を着た店員さんが立っていた。

「店内で立ち止まっていられますと、他のお客さまのご迷惑になりまして」

 店員さんは、丁寧すぎるくらいの丁寧さでそう注意をしてきた。

 見渡せば、商品棚の端から数人がこちらを覗いている。

 と、チャイムの音が鳴った。
 自動ドアが開いたのか。

 そのチャイムを皮切りに、辺りに音が戻ってくる。頭上では店内放送が大学の名前を連呼している。
 レジからは「ありやとやんしたー」という若い店員さんの声と、フライヤーがじゅわじゅわと何かを揚げる音。

 そしてふと気づく。
 いつの間にか、黒尽くめの姿がない。

「迷惑かけてすみません!」

 店員さんに謝り、小走りで出入り口に向かう。

 さっきのチャイム。
 店員さんの挨拶。
 恐らく魔術師はどさくさ紛れに出ていった。

 自動ドアが開くと、むんとした熱気に包まれる。
 コンビニの真っ白な光が溢れ出した駐車場に人の姿はない。

 車道に出て左右を見る。
 いない。

 あの魔術師は全身真っ黒だった。
 少し離れたら見えなくなってもおかしくない。

 でも、俺には彼女が歩いて立ち去ったところが想像できなかった。
 闇に消えていったんじゃないか。
 そう、夏の夜に溶けるように……。

「おい、マコト!」

 いきなりの大声に「ひ」と変な声をあげてしまった、

「いきなり店出るなよ。万引きとか疑われるぞ」

 亮平は呆れ声で苦言を呈し、それから俺と同じく辺りを見回した。

「で、さっきの黒いのは?」

「それがさ、俺の目の前でスッと消えたんだよ。闇に包まれるようにさ。で、消えた後で風が吹いてな、耳元で『亮平くん、見ぃつけた』って声がして……」

「おいふざけんな!」
 と叫び、辺りを見回す亮平。

「……ったく。適当なこと言いやがって。おまえ俺のこと嫌いなの?」

「まさか。愛してるぜ」

「そりゃどうも」

 亮平は抑揚のない声で返した。
 いつものやりとり、いつものご挨拶だ。

 すぐそこの公園から聞こえる虫の声だけが耳に届く。
 ここの公園は昔から俺たちの遊び場だった。四つの池があることから四ツ池公園(よついけこうえん)という名前がついている、浜松市内でも有数の大きな公園だ。

 見上げれば空には明るい月が丸く浮かび、夜空は月灯かりで仄かに白味を帯びていて、車道脇の鬱蒼とした公園の樹々の影はざわざわと揺れている。

 涼しくはない。
 でも、夏の夜は気持ちいい。
 自由になれる。

 しかし背中には一抹の不安がこびりついている。
 尻ポケットに硬いカードの感触。
 さっき魔術師から受けとってしまったタロット・カードだ。

 タロットに描かれた崩れる『塔』。
 その不吉な予感が、俺の中にあった漠然とした不安と結びつき、背中にこびりついている。

 それはきっと亮平もだ。
 『恋人たち』。
 恋と愛の違い。
 亮平もきっと、拭えない何かを抱えている。

 七月。
 試験休みの深夜。
 もうすぐ夏休みが始まる。
 高校に入って二度目の夏休みが。

 きっと無駄にテンションが高く、ダラダラと意味もなく、無闇やたら楽しい夏になる。
 でも……俺達は、背中に剥がせない不安を貼り付けたままその夏を過ごすのかもしれない。