(掴まれた腕が痛いです…。別に連れて行かれるのはいいのですが、もうちょっと丁寧に扱ってくれてもいいのではないでしょうか…。まあ攫われてる身でそんなこと言えないですよね。)

攫われた王女、アイはチラリと自分を攫った青年を見上げる。
そして小さく息をついて前を見る。いつのまにか歩いていた場所は王城周辺の森から薄暗い裏道へと場所は移っていた。
あ、また曲がった、とは思うものの、もう最初の時点で道を覚えようとするのは諦めた。どうしたって無理だ。こんなに街には路地があったものなのか。護衛をたくさんつけた状態でしか街に来たことのないアイにとっては驚きだった。

(同い年くらいなのでしょうか?でも見かけによらず結構強いんですよね…。)

なにしろさっき、青年は軽々とアイを持ち上げて城の四階にあるアイの部屋から飛び降りたのだ。
それに今引っ張られている腕だって相当痛い。


「……っ!」


急に引っ張られていた手が離れ、バランスを崩してアイは座り込んだ。見ればいつのまにか歩いていた裏路地から打ちっぱなしコンクリートの廃ビルにいた。だだっ広い部屋には何もなくて、あちこち壊れているので隙間風がひどい。


「……なんですか?」


じっと見つめたまま動かない鈍い茶色の瞳に、アイは慎重に問う。

「何が目的ですか?血が欲しいんですか?」
「そんなもん欲しくない。それ。」

彼はめんどくさそうに声を発して、アイの胸元にかけられたペンダントを指す。

「…え」
「それ、めっちゃ高そうじゃん。ちょーだい。」
「……売るんですか?」
「うん。そりゃそうでしょ?それ売ったら、最低でも1ヶ月は遊び放題だろうな。」

しかしそのペンダントは代々王家に伝わる大切なもの。
渡すわけにはいかない。

「これは…お母さまからもらったもので…っ!!」
「んだよめんどくせーな。んじゃ消えてもらうけど、だいじょぶそ?」
「えっ…。」
「どうする?ここで渡して逃げるのか、渡さずに殺されるか。」
「……。」


アイはしばらく俯いて躊躇った後、ペンダントにゆっくりと手をかけた。

チャリ。

彼の手にペンダントが乗る。

「さんきゅ。んじゃ、逃げてどーぞ〜」

ひらりと手を振って彼は歩き出した。

(これで助かった…。けど。)

「……ま、待って!!」
「あ?」
「…私っ、帰りたくないんですっ!!あんなところ、一生帰りたくなんかないんです!だから、だから…っ!」
「だから世話してくれって?無理無理。」
「お願いですからっ!!」

再び歩き出そうとする彼の足に必死で手を伸ばし、しがみつく。

(何をしてでも絶対、あんなところには帰りたくない。)

「…あのさぁ、お姫様が俺みたいな平民の足にしがみつくって、どうなのよ。」
「連れてってください!いいって言うまで離さないので!」
「……はぁ、めんどくさっ。切り落とすけど、大丈夫?」

ごそごそとポケットに手を掴んで探る。
しかしアイは表情を崩さないまま言う。

「切り落とすって言ったって、そんな道具持ってないはずですよ。」

先ほど衛兵相手に闘おうとしてポケットに手を入れ、刃物を出そうとして「あ…忘れた。」と呟いていた。結局素手で全員倒していたが。

「……チッ、聞こえてたのかよ。そうだよ、持ってない。けど」

ガコンッ

「……っ!?」

アイの掴んだ脚が思い切り振り上げられた。
その勢いでアイの手は解け、また地面に叩きつけられる。

「大丈夫?」

優しくそう言うとアイの襟首を掴み、銃を構える。
金属の無機質な冷たい気配に本能が危険を察知する。

「……っ!?」

(死んじゃうんでしょうか。でもここで撤回したらまた城に戻るだけ。そんなの嫌です。絶対諦めません。)

刺激はしないように息を潜めて黙り込む。けれど目はしっかりとした意志を物語っていた。


「…ま、いーや。」

やる気なさげに発せられる声と共に、気がつけばアイは頬に平手打ちをされていた。口の中に今まで感じたことのないような味が広がる。

ドサッ


彼の手が離れ、アイは地面に落とされた。

「じゃあね。」
「待って…っ!!」


痛みでうまく声が出ないなか必死で声を絞り出し、去ろうとした彼の背中にぶつける。

(ここで倒れてたら明らかに危ない。攫われたにしてもこの人にとりあえずはついていかないと…!!)

「んだよしつけーな。まだやられたいのかよ。」
「……っ、帰りたく、ないんです!!」
「……はぁ〜、もう、分かったよ…。一応、無駄な血は流さない主義だし…。」
「えっ…!!」

途端にアイの金糸雀色の目がパッと輝く。まっすぐな瞳を向けられて居心地が悪くなったらしい。彼はすっ、と目を逸らす。


「ん…。ちょ、ちょっと待ってて。」


(なんなんだあの子は。
自分を攫った男に普通帰りたくないから面倒見ろなんて言うか?
つい暴力のぼの字も受けたことないような王女様にこれ以上やったら死んじゃいそうだなと思って許可しちゃったが…。)

悶々としながらアイを攫った青年、ソウスケは部屋を探し回る。

(んー、どこにあったけな…。あ、あった。)

お目当てのダンボールを手にくるりと方向転換をする。

アイはきちんと姿勢良く座って待っていて、明るいグレーの長い髪の毛はよく手入れがされていて床に綺麗に流れている。

(なんか、溢れ出る王族の上品さがやばい…)

でも小さくて痩せ型だからか、どこかあどけなく、ちょこんとしていて小動物のようにも見える。

アイはソウスケに気づき、こてんと首を傾げた。

「なんですか?それ。」
「クローゼット。」
「えっ…?」

その訝しげな言葉にソウスケは焦る。

(え?もしかしてクローゼット知らない感じ?あ、使用人が全部用意してくれるとか、そーゆーやつ!?)

ちなみに言うと、『そ、それが…?』と言ったアイの小さな呟きはソウスケには聞こえていない。

「あー、えっと、タンス?」
(って言えばわかるのか?)
「えーっと…あー、そ、それがですか…?」
「う、うん。えーと、確か下の方に…」

なんとか伝わったらしいことに安堵したソウスケは(クローゼットでもタンスでも同じ意味だとは思うのだが。アイはただダンボールをそう呼んでることにびっくりしてただけである。)ぐちゃぐちゃしたダンボールの中身をかき回し、青緑がかった黒の短パンを引っ張り出す。

「はい。これ。確か女物だから。」
「ありがとうございます。」

と、言ったはもののアイはソウスケの一言に引っかかる。数秒思考停止した後、ようやく頭が働きだす。

「……え?え、なんで持ってるんですか…!?」

何を言っているのか最初わからなかったソウスケだが、ドン引きしたトーンのアイからよくよく考えたら確かに正直キモいことに気づいた。

「い、いや、姉ちゃんがいたんだよ。それ姉ちゃんが着てたやつだから。」
「あー……。そういう…?」
「あれー、上がない。あー、返り血が落ちなくて捨てたんだっけ?….まあいっか。ごめん俺のだけど我慢して。」
「は、はい。」

しかしアイは服を受け取ったまま動かない。どうしたらいいのか分からないようにキョロキョロしている。

「ん?あ、あー……そうか、着替える場所ねーのか。……行くぞ。」
「はい!」

歩き出すソウスケにアイはとことことついていく。

「あー、そうだ俺、ソウスケ。お前は?」
「アイです!」
「ん。俺のこと呼び捨てでいいよ。敬語もいらない。」
「え、でも私、敬語以外で話したことなくて…。」
「マジで…?」


あまりに予想外の言葉に思わずソウスケの足が止まる。
そこにまさか止まるとは思ってなかったアイがぶつかる。

「うひゃっ…」

しかし気づいていないのか驚きすぎてそんなこと構ってられないのか、ソウスケはそのまま話し続ける。

「え、え?ほんとに言ってる?マジで?王族ってそんな厳しいの?友達とかは?兄弟も敬語なの?」
「は、はい…。」
「……そうなのか。じゃ、じゃあそのままでいいよ。……行こ。」
「はい。」
「ありがと。部屋貸してくれて。」
「いいって〜。ってか、あれが噂の王女様?めっちゃ可愛いいね〜!」

オレンジ色のライトがついている温かな色の店内。
カウンターに腰掛け、ソウスケは店の店主、ユウと話していた。
さすが情報屋なだけあって、アイの正体は知っているようだ。千草色の髪を緩くお団子に結びながら、アイの去って行った方を見やる。
ちなみに今、アイはユウの部屋で着替えている。

「噂になってるのか?」
「うん。君が盗んできちゃったから総がかりで探してるんだよ〜。」
「俺はただ、このペンダントが欲しかっただけなのに…。」
「いやペンダントだけ取ってくりゃよかったじゃん。」
「…取り方わかんなかったんだよペンダントの…。」
「えぇ〜…。」
「……。」

バツが悪そうに目を逸らす。
ユウはため息をついてペンダントを眺める。

「あ、売る?」
「ああ。」

ユウの顔があっという間に商売人の顔へと変化する。
クイっと紅茶のカップを傾けて飲み干すと、ソウスケからペンダントを受け取る。

ピンク色のモルガナイトがはめられたペンダントの鎖を持ち、少し光に当てて見つめると、ユウは奥に引っ込んでいった。

少ししてユウは、アタッシュケースを持ってカウンターに戻ってきた。

「はい。お代。」
「ん。……なんか、安くね?」
「なに〜?なんか文句あんの?もう買わないよ?」
「あ、嘘ですすいません文句ないです。」

ユウは間違いなく怒らせたらやばそうだ。つくづくソウスケは思う。今のは冗談にしろ。

(冗談…だと信じてるが…。)

「……今度は、大切にしてあげなよ…?」
「なんで。」
「……そっか。なんでもないよ。」

そう言うとユウは深緑色の目を伏せた。2人の間に気まずいような、沈黙が流れる。

そこにトタトタと階段を駆け降りてくる音がして、アイが入ってきた。大きいパーカーとショートパンツ姿だ。

「終わりました〜!」
「お〜雰囲気変わるねぇ〜!ってかめっちゃパーカーダボダボじゃん。」
「…手出てないじゃん。袖まくれば?」
「っあ、いや、あの…。えっと、日光アレルギーでして…?」
「今日光出てないけど。」
「…いやでもあの、いつも外に肌出してないので落ち着かないと言うか…。」
「あーそう言うことなら私のアームカバーあげるよ。そのままじゃ危ないし。上の部屋の、タンスの上から2番目の引き出しに入ってるから取っていいよ〜。」
「あ、ありがとうございます!」

パタパタとアイが階段を駆け上がっていく。
それを見送るとユウは新しく紅茶をカップに注ぐ。ソウスケにいる?と目で問うけども緩く首を振る。ソウスケは紅茶が飲めないのだ。ちなみにユウは知っててわざと聞いている。
そしてガラスのジャグボトルからデトックスウォーターを注ぎ、ソウスケの前に置く。

「ってかあのパーカーソウスケのじゃん。見覚えあるよ?」
「それしかなかったんだよ。」
「え〜何彼シャツ憧れちゃった感じ〜?ソウスケやってんね〜…。」
「いやいや。悪いけど全然興味ないから。」
「うっわつまんない男〜!」
「興味あったらあったで引いてるだろおい。」
「まーね〜」
「なんなんだよ。」
「え、別に〜?」
「あ、あの…」

いつの間にか戻ってきていたアイは、仲良さげに話す2人の間に入りにくそうにしつつ、遠慮がちに声をかけた。

「ん?なんだ?」」
「この服って、どうしたらいいですか?」

そう言って見るからに艶やかなシルクのネグリジェを持ち上げてみせる。アイがもともと着てた服だ。

「あー。いる?」
「いらないです。」
「即答すぎでしょ」
「え、じゃあ売っていい?こいつに。」
「どうぞどうぞ〜」
「はいはいわかったよ…ってかこいつとか言うなソウスケ!」
「さーせん」
「もう…。うわ、こりゃまただいぶいい生地だねぇ〜。」

ネグリジェをあちこち触って検品しながらまたしも奥に引っ込んでいった。


「ユウさんがお姉さんなんですか?」
「んなわけねーだろ。嫌なんだけどあいつが姉とか。」
「ん〜?誰がこいつの姉ちゃんだって〜?ないない。そんなわけ!私はねぇ〜…?」

封筒をソウスケに手渡しながら、意味深な表情を浮かべてチラリとソウスケに目線を向ける。

「…私、ソウスケの彼女なんだよね。」

ことん、と首を傾けてニヤリとしてアイを見る。

「は?」
「えぇーー!?!?そそそそそそうなんですか!?」
「いや、違うから。全くもって違うから。」

心底呆れた様子でソウスケは否定する。焦った様子もないので弁解とかでもなさそうだ。
即バラされてしまったユウはつまらなそうな様子でバラしたソウスケをジト目で睨む。

「あーあバラしちゃった〜。うーんそうだよー。ただの友達。……友達?んー、仲間?かな…?」
「ま、そんなもんだろ。」
「へぇ〜…。そうなんですね。」

にしても、とユウはつぶやく。
同時に頬杖をついて、アイをじーっと見る。

「な、なんですか…?」
「…アイちゃんって、『お姫様!』って感じしないよね〜。」
「そうですか?」
「うん。なんかこう…偉そうじゃないっていうか、ねぇ…。…わかる?」

うまくいえないけど、とユウはソウスケに同意を求める。

「ああ。」
「あ、そうだ、ジュースあるよ!飲む?」
「いいんですか…?」。か
「うんもちろん!サービスね!あ、ソウスケの分はないからね〜。」
「はいはい。」

氷水の張られた大きなガラスの器から缶ジュースを引っ張り出し、慣れた手つきでサッと水を拭き取りアイに渡す。

しかしアイは戸惑ったように缶ジュースを眺め、持ったままでいる。

「えっとこれ…どうやって、開けるんですか…?」
「えっ!?マジで言ってる!?缶開けたことないの!?」
「はい…。」

申し訳なさげに肩をすくめる。
そんなアイに後ろからソウスケが手を伸ばす。

「ここ、持って。…そう。んで倒して…戻して…。」
「はい…。わっ、開きました!!面白いですね…!」
「そうか?」

訝しげなソウスケには目もくれず、キラキラとした目で缶を見つめ、こくんと一口ジュースを飲む。

「美味しいですっ!」
「よかったな。」

あまりのアイの無邪気さに、ソウスケが少し口元を緩める。と言っても長い付き合いのユウにしかわからない程度だ。
そんな2人をニヤニヤしながらユウは見つめていた。

「あ、そうだ。はい。」
「…湿布、ですか?」
「…さっき平手打ちしちゃったから。」

その小さな声も聞き逃さないのがユウだ。

「はぁ!?ありえないんだけど!?」
「いや、まだ手加減したし…。」
「はい。そうですよね。ありがとうございます。」

ぼそぼそと言い訳がましく反論をするソウスケ。それを無意識にアイがフォローする。

「ソウスケは元が強いから加減したって言ったって…。痛かったでしょ〜?大丈夫?」
「はい。大丈夫です。……えーっと、で、すみませんこれはどうやって貼るんですか…?」
「いっやまじかよ…。」
「貸して〜アイちゃん。貼ってあげる!」

こんなやつにやらせるかと言うかのように手を伸ばしかけたソウスケの手を追い越してユウが湿布を奪い取る。
ペリ、とフィルムを剥がしてアイの白い肌に貼る。

「ひゃ、つ、冷たいです…。」
「ふふふ。はい、できたよ。」
「ありがとうございます!」
「わぁ〜かわいいねぇ〜!!」
「わ、なんですかユウさん!」

とびっきりのアイの笑顔にノックオンされたユウがわしゃわしゃとアイの髪を掻き回しそのままぎゅーっと抱き締める。

「あれ、て言うか靴は?」
「私寝てるとこを攫われたので…。」

ユウがじろり、と音がしそうなくらい思いっきりソウスケを睨む。ほんと何してんだよ、と言う意を込めて。

「……俺これ以外靴持ってない。」
「はぁ〜…。でもなー私もこれしか持ってないんだよ。どーしようかね…あ、市場でも行ってくればどう?」
「あーそーするか。ちょうど腹も減ってきたとこだし。」
「市場…っ!」

キラっ、とアイの目が輝く。ワクワクとした表情でソウスケを見つめる。
ソウスケはそんなアイを一瞥すると立ち上がってドアの方に歩き始めた。

「行くぞ、アイ。」
「はいっ!」
「いってらっしゃ〜い。」

トタトタ、とアイが小走りでソウスケを追いかけていくのを見て、ユウはふう、と息を吐く。

「……ソウスケ、大丈夫かなぁ。」
「らっしゃいらっしゃーい!」
「そこのお兄さん、新しい剣はいかが?いいのが入ったんだよ!」

たくさんの人。飛び交う話し声。
カラフルな出店の天幕。あちこちに吊り下げられたライト。キラキラと光る装飾品。いろんな食べ物の匂い。
ひしめき合う店々、楽しげに人の足音を響かせる石畳、肉の焼ける音、得意の楽器を演奏する人。
裏の世界の人にしかわからないとある入り口から入っていった場所に広がる華やかな場所。それがこの市場だ。

「ここが、市場ですか…っ!」

見たことない世界にアイはワクワクを隠しきれないようだった。
目をキラキラさせてあちこちに目をやり、置いていかれそうになって小走りでソウスケについていくのを繰り返している。

「あぁ。そうだ。ここならなんでも売ってる。」

その時前からガタイがよく、いかにもイカつい顔をした男性の集団がやってきた。体も声も大きいので思わずアイはひゅ、と少し息を呑む。

「ここは俺みたいなやつの溜まり場だから。そんなオドオドしなくていいよ。」
「は、はい。」

見ればたまたまさっきの人が怖そうだっただけで普通にソウスケのような青年も、女性もいる。

(この人達みんな普通に暮らしてるだけに見えるのに、ソウスケと同じってことはみなさん "裏 " の人なんですよね…。びっくりです。)


「あれってソウスケさんじゃない…?」
「え、声かけてみる?」
「えっ、ちょ、ちょっと待って!」
「あの〜すみません!ソウスケさんですか…?」
「ん?そうだけど。」

話しかけてきたのは若い女性2人。

「えっ、やばっ!ほんとだった!あの、今度頼みたいことがあって…。」
「あーいーよ。依頼内容と報酬が見合ってれば。」
「はい!あのですね…〜〜〜。」
「〜〜〜」
「ん。りょーかい。今週末までに終わらせとくわ。」
「さすが早い…っ!!よろしくお願いします!!」
「はいはーい。」

なんと噂を聞きつけた人の仕事の依頼らしい。何の仕事かはわからない、というか明らかに怖いのでアイは聞かないでおいた。

「あ、ソースケー!たまにはウチで食べていけよー!最近全然来てくれねーじゃねーか!」

と、店先に看板を出しに来た店主らしき男性。

「わりーな今日は連れがいるから飲めねーんだよ。」
「あっら〜やだ〜!年中極寒のソウスケにもついに春が…!」
「キモい話し方すんな…。」
「酷い…っ!!」
「じゃなー」
「今度絶対来いよな…。」
「わかったわかった。」
「よし!言質とったかんな!絶対来いよ!じゃーな!」

そう言うと嬉しそうに店主は店に入ってった。様子から察するによくここで飲むらしい。


「おっ、ソウスケじゃん。おかえり〜。」
「ああ。ただいま。」

向かいから歩いてきた若い女性がひらりと手を振ってソウスケに話しかけてきた。
長い紫がかった髪は高い位置でポニーテールにされていて軽やかに揺れている。

「ちょっとしばらく顔見ないと思ったらまた身長伸びてない?もーやーねこれだから育ち盛りは!」
「どこのばあちゃんだよ」
「はぁ!?この見目麗しい乙女をばあちゃん呼ばわりとはいい根性だねぇ…。ちょっと表出ようかソウスケ?久々にヤる?」
「あーさーせんなんでもないすー。」
「もー全く。今度ウチに買いに来てよね!って、え、何その子彼女?」
「ちげーよ。」
「あ、こ、こんにちは…。」

興味津々な目で頭のてっぺんから爪先まで検品されるかのように見られる。

(アメジストみたいで綺麗な目だなぁ。)


「あっ、もしかしてこの子が噂の王女ちゃん?えーっ、可愛い〜!!」
「え…あ、ありがとございます…。」
「私ちょっとあっちの方で、アクセサリーショップやってるの。アヤメって言います!よかったら今度来てね!割引してあげる!」
「わーったからもういいだろ。そんながっつくなアイがビビってる。」
「えーソウスケのケチ〜過保護〜」
「なんと言われようが別にいい。」
「あ、アヤメ!ちょっと〜!遅いと思ったらこんなとこで道草食って!」
「わっ、ごめんごめん!そうだ待ち合わせしてたんだった忘れてた!じゃーねーソウスケと王女ちゃん!」
「は、はい!さようなら!」
「じゃーな…。」

ソウスケはげっそりした顔でアヤメを見送る。
(嵐みたいな人です…。でも快活で明るくて素敵な人です!ソウスケもうんざりしたような顔をしてはいますがきっと嫌いではないんでしょう。とっても仲良さげですし!)

アイは市場の様子と同時にソウスケ観察にも勤しんでいた。

「よっ!ソウスケ、久しぶりだなぁ!」

ソウスケの後ろから明るい栗色の髪の毛の男子が飛びついてきた。そのままソウスケの肩に金色の腕輪がついた腕を回した。

「おー!久しぶりゲンタ!元気してたか?」
「あったりめーだろ〜?お前こそ王女様をさらっちまうとは、派手なことしてるなぁ。」
「まーな。」
「おわっ、ソウスケじゃん!王女の件噂になってるぞ〜?マジお前やってんな〜!」

と、ゲンタの隣にいた銀髪の男子が話しかけてくる。ターコイズのアクセサリーをつけていて、ちょっとおしゃれでインテリチックだ。

(なんか見るからに頭良さそうです…っ!!)

と言う感想はなんだかアホっぽい。

「はは。そうだ、研究は順調?」
「ああ!もう少しで頼まれてたものができそうだ。」
「ん。さんきゅ。相変わらず早いな。さすがカイト。」
「どーも〜」

(どんな怖いのを頼んでるんでしょう…。怪しい薬…?やばい武器!?でもそれこそ怖すぎて聞けないです…。)

「ソウスケ、なんか買うのか?」

会話が終わるのを待ち構えていたかのようにゲンタがソウスケにまた飛びつく。

(なんだか大型犬みたいです…。)

まあ事実耳と尻尾が見えそうではある。

「靴が欲しいんだ。」
「あぁ〜。ボロ靴だもんな。」
「せめて年季が入ってると言え。」

ゲンタをベリベリと引き剥がしながら呆れ顔でカイトを睨む。

(友達と一緒だとこんな感じなんですね…!ちょっと新鮮です!と言ってもそんなに会ってから経ってないですけど。)

「俺もちょうど欲しかったんだよ!一緒に行こうぜ!」
「ああ。」
「俺は…いらないけどついていくわ。」
「はいはい。…あ、ちょっと待ってて。」
「…っえ、あ、は、はい…。」

考え事をしてたためあまり話を聞いていなかったアイは反応が遅れ、気がついたらソウスケ達は行ってしまっていた。

「……ど、どうしましょう。行ってしまいました…!」

ウロウロキョロキョロ。初めての場所に置いていかれるなんて恐怖でしかない。

「あれ、嬢ちゃん1人?」

しばらく道の端に座り込んでいると、不意に後ろから声をかけられた。顔を上げてみるとガラの悪そうな男性が2人。

「わ、私ですか?」
「そーそー。」
「あーいや、友達が買い物行っちゃったんで…待ってるところです。」
「え〜?置いて行かれちゃったの?可哀想〜!」
「寂しいよね〜?」
「まぁ…不安ではありますけど大丈夫です!」

こう言う奴らに絡まれるのが不安って話ではないのか。アイはちょっと抜けている。

「…ふーん。じゃ、俺らとなんか食いに行こうぜ。」
「俺今結構持ってるから奢ったげるよ?今日の仕事上手いこといったからさ!」
「え、いや、でも…。」
「あー連れのこと?大丈夫大丈夫!許してくれるよ!置いて行った方が悪いし!」
「そうそう!ちょっとだけだから、すぐ戻れば大丈夫っしょ!」
「…でも、私は待ってたいです…。」

その言葉に男2人は目配せをする。

「本当に?」
「どーしても?」
「はい…。」

チッ、と小さく舌打ちをして、にこりと笑顔を向ける。

「じゃあ無理矢理連れて行くしかないね〜。王女なら高く売れるだろうから…」
「ほんとはこんなこと、したくないんだけど、な?」
「っ…!!」

(社交パーティーなどで媚を売られてる時の笑顔と同じくらい怖いです…!)

「ね?今なら楽しく連れて行ってあげるから、ね?」
「いいえ、私は待っていたいんです!」

それでもアイは目を逸らさずじっと強い意志で男達を睨む。
怖くて体が震えそうになるのを下唇を噛み込んで耐える。

「はぁ…めんど。まーいーや。このまま連れて行きゃあいいんだしね〜。」
「い、いやっ!やめてくださ、…っ!?」

服を掴み上げられる。

(首が絞まる…っ!!それにこのままじゃ連れてかれてしまいます!)

「あれ〜?お前ら誰だよ?」
「え、ソウスケ…!?」

王道少女漫画さながらの完璧なタイミングでの登場。しかし少女漫画と違うところといえば助けに入ったヒーローであるはずのソウスケもゾッとするような笑顔を浮かべてることだろう。目も完璧にヤル気でいる。

「放せよ。そいつ。」
「……。」

ぱっとアイを放す。アイは落とされてそのまま崩れ落ちる。

「ひゅはっ、はっ…はっ…ケホッケホッ。」

急に気管に空気が入ってきて咳き込む。

「はぁ…ったりーな…。ちょっとこれ、持ってろ。」

小さく舌打ちするとそう言ってアイに靴を放り投げた。

「…ちょっと向こうで話そうや。な?」
「い、いや…」
「お前らに拒否権あると思ってんの?」

そう言うがいなや2人を掴んで路地に引きずって行く。
路地に入った瞬間ドン、と不穏な音が聞こえる。
不安げな顔でそっちを見てアイは待っていた。

「ふぅ…。」
「あ、ありがとうございます…っ!」
「…ったく、気をつけなよ。お前弱いんだから。あー靴、それでいい?」
「はい。ありがとうございます!」

そう言ってアイは両手に大事に抱えていた靴を見下ろす。ボディは服と同じように青緑がかった黒で、底の部分が淡い暗めの赤になっている。

靴紐の結び方がわからず、紐を掴んだまま止まる。スニーカーなんて履いた事ないのだ。

「はぁ…お嬢様すぎだろ。…ま、王女様だもんな〜。はい貸して。」
「うぅ…ごめんなさい。ありがとうございます…。」
「はいはい。」

結んでもらった靴紐をじっと見つめたままアイは動かない。

「…?どーした?」
「…有名、なんですね。」
「え、俺?」
「はい…。」

ソウスケはんー、と、うー、と、あーの間くらいのよくわからない唸り声を出してカリカリと人差し指で頭を掻く。

「まぁ、一応…?なんか仕事こなしてくうちにちょっと広まっちゃっただけだよ。」
「色んな人に話しかけられてましたし…。」
「あーうん。割と顔は広い、のかな?わかんない。」
「すごいですね…。」
「…そうかな。悪名高いだけだよ。」
「でも、私を助けてくれたじゃないですか!」

そんなわけない!とでも言うかのようなアイをチラリと見て、はぁ、と息を吐いて俯き、膝の間に頭を埋める。

「君にとっては、そうかもね。でも国にとっちゃ大切な王女を奪われたんだし、普段の仕事だって裏の汚い仕事ばかりしてる。相当な数の人に恨まれてるよ。」
「……。」
「まぁ、ダークヒーローはそういうもんだから。」
「ダーク、ヒーロー…。」
「そ。恨みを買うのが仕事。」
「な、なんで…。」
「なんで?…んー、なんでだろうね。血筋、かなぁ。俺の家族はそーゆー奴ばっかだよ。君が何で王女なの?って言うようなもんだよ。」
「…でも、私にとっては、ヒーローですっ!」
「…やめてよ。それ俺にとっては嫌なこと。」

ため息混じりに吐かれた言葉に、アイは何も言えなくなる。ごめんなさい、という小さな小さな声を、呼吸と同時に少しもらす。重たい空気が、2人の間に流れた。
「あ〜腹減った。なんか食いたいな。」

重たい空気を嫌ったのか果たしてただただお腹が空いただけなのか、ソウスケが唐突に言う。

「…ここなら、色んなものがありそうですよね。」
「あ、あれうまそう。」
「ん?どれですか?」
「あれあれ。あのムキムキのおじさんが売ってるとこ。」

スッ、と立ち上がり歩き始めたソウスケについていく。

「中華まんはいかが〜?出来立てほかほか!あったかくて美味しいよ〜!今なら安く、できるかも…?さー見てって見てって〜!」

見た目通りの威勢のいいハリのある声で宣伝をしている。

「すいません、中華まん一つ。」

するとソウスケは隣からものすごい視線を感じた。
ギギギ、と若干目を動かすと、じーっとソウスケを見つめる金糸雀色の目。私も欲しい…っ!と言うアイの訴えだ。

「…やっぱりふたつ。」

ソウスケは押しに弱いらしい。

「あいよっ!ふたつね!小、中、大あるけど、どれがいい?」
「俺は大で…」
「私も、おっきいのがいいですっ!」
「大丈夫?かなりおっきいよ?嬢ちゃんほっそいし、食べきれねーんじゃねーか?」
「私見かけによらず結構食べるんですっ!大丈夫ですっ!」

前に誰かに驚かれたことがあるのかなんなのか、ちょっと気にしてるらしかった。

「そ、そうか!いっぱい食べるのはいいことだ!じゃあ嬢ちゃん可愛いから、嬢ちゃんの分は半額にしてあげよう!」
「え〜っ!ありがとうございます!」
「俺の分は…?」
「んー、お前は…。チャレンジ、してみるか?安くなるかもしれないゲームに。」
「なんだそれ。」
「ちょーっと待ってろー?」

そう言うと店主は屋台の後ろの方から木箱を一つ持ってきた。

「俺は腕っぷしには自信があるんだ。俺と腕相撲をして、勝ったら2人分無料にしてやろう。ただし、負けたら4個分の料金を払ってもらう。さあ、どうする?」
「…いいね。やろうじゃないか。俺も自信あるんだよね。」
「よしっ、じゃあろう!」

2人とも立膝をついて肘を木箱につけ、お互い手をがっしりと掴む。

「じゃ、じゃあ行きますよ…?よーい…スタートっ!」

ふんっ、とお互い思いっきり力を込める。店主は顔を真っ赤にしているが、ソウスケは冷静沈着な顔。かと言って余裕綽々と言うわけではなさそうだ。真剣に勝負はしている。

「すごいっ!頑張ってください!互角ですよ!!」
「……っ、がああぁぁっ!!」

最後のひと吼えと共にソウスケが店主の手の甲を木箱に思いっきり叩きつける。

「やったあ!ソウスケの勝ちです!」
「くそっ…!お前強いなぁー!!」
「まーね。」
「いやぁ、十数年ぶりに負けてしまった…。じゃあ約束通り、中華まん大二つ、くれたやるよ。はい、これがにいちゃんので、こっちは嬢ちゃんの分な。」
「ども」
「ありがとうございますっ!」
「また買いに来てくれよ!」
「はいはーい。」

もわもわと温かい湯気をあげている中華まんを持って、2人は店を離れた。

「よっしゃー無料中華まん!ただより美味いものはないっ!」
「美味しそうです…っ!」

肉まんがかなり大きいと言うのは本当で、アイの両手には収まらない。アイの顔くらいある。

待ちきれない様子のアイは早歩きでソウスケと広場まで行き、ベンチに腰掛ける。

食べていいですか…っ!?と、期待のこもった目でソウスケを見やり、どうぞと呆れ混じりに返す。
待ってましたとばかりに思いっきり肉まんにかぶりつく。


「…っ!!美味しいですっ!!」
「だな。当たりだったわこれは。」
「面白い方でしたね〜!」
「めっちゃ力強かったわ…。」

アイはまたパクッと肉まんを頬張り、へにゃ、と表情を思いっきり緩める。

「嬉しそうだな。」
「…私、攫われてから全部のことが初めてで、ワクワクしっぱなしです!こう言う服も、こんな場所も、食べ物も、人も、全部全部、初めてなんです…っ!!」
「…そっか。」
「まあ、最初はどうなるかと思いましたけど!」

寝てたらいきなり攫われたんですもん、と笑い半分のジト目でソウスケを見る。

「…ごめんごめん。寝てたから取りやすいかなと思ったんだよ。手頃な位置にある宝石がそれくらいだったし。」
「いきなり窓突き破ってくるし…」
「…一番慣れてるんだよ。」
「衛兵さんたちみんな倒しちゃうし。」
「…でも、殺してはいない。」
「なんてすごいことやってて、めっちゃ強いのにペンダントの外し方分かんなくて私ごと攫っちゃうし。」
「…それは想定外だった。」

ぼそぼそと弁解をするソウスケにふふ、と笑って星空を見上げる。

「ここは何もかもがめちゃくちゃです…!でも、私、お城での窮屈なマナーに縛られた食事なんかより、こっちの方が好きです…っ!」
「そりゃよかったね。美味しいものと巡り会えて。」
「……はい。そうですね!」

そう言うとアイは、いつの間にそんな食べていたのか、最後の一口を放り込んだ。
「…あ〜、今日の闘技場での相手、誰だっけ…?」

ソウスケも残っていた4分の1くらいを一気に口に突っ込む。もぐもぐしながらぼーっと空を見て言った。

「闘技場、ですか…?」
「うん。なんか、戦いたい奴が集まって戦うとこ〜。」
「へぇ…。」
「って、げ、VIPじゃん…。」
「びっぷ?ってなんですか?」
「闘技場の中でも特に強い7人。今日やるのはそいつらのうちの1人らしい…。」
「えっ、それってやばくないですか…!?」
「んー…。まぁ、相手が誰であっても戦うは戦うからな。」
「そうなんですか…。」

ソウスケのなんらかの強い意志を感じて、アイはそれ以上追求するのをやめる。

「……そんなこと言って。お姉さん、悲しみますよ?」
「…っ!?」
「ひゃあっ!!」

いつの間にそんなところにいたのか、2人とも一切気配を感じていなかった。
そこには眉をわざとらしく下げて薄く笑う男がいた。革靴にスーツ、黒髪センター分けと言った高級そうな出たち、やたらと整った顔も相俟って、恐ろしく不気味な笑いだ。

「…誰だよ、お前。」
「私ですか?今日の君の対戦相手、闘技場VIPのサトルです。」
「何しに来たんだよ。」
「ひどいなぁそんなにツンツンしないでよ。ただ君とお話ししに来ただけだよ〜。」

にこやかな笑みを浮かべるサトルを思い切り睨みつける。

「そうだ、せっかくソウスケ君と戦うんだ。お姉さんにもご挨拶したいな。生前お好きだった花はあるかな?……お姉さんの、ミヨリさんの。」
「…っ、おま…っ!!」
「ソウスケ!!!!」

サトルの口からその名前が出てきたことに信じられないと言った様子で目を見開くと、ソウスケは唐突に崩れ落ちた。

「ソウスケっ!!ソウスケってば!!」
「大丈夫かい?少し休むといい。じゃあ私は失礼するよ。」

そう言って歩き始めようとするサトルにアイはソウスケを抱えたまま精一杯の声量で叫ぶ。

「…っ、あなた一体なんなんですかっ…!?なんで、ソウスケのお姉さんのことなんてっ、」
「ちょっと小耳に挟んだだけさ?対戦相手の情報は的確に入手しておかないと。」
「……!?」
「まあお嬢ちゃんには分かんないだろうね。"こっちの世界"の話だから。ね、王女様?」
「!?どうして!」
「ああそうだ、彼、対戦までに回復するといいねぇ…。」
「ちょ、ちょっと…っ!!」

アイの言葉に振り向くことなく、サトルはこつりこつりと石畳に革靴を鳴らして歩き去る。

「……なんなんでしょう。」

あまりの不気味さに身震いするも、目の前に倒れているソウスケを見てハッとなる。

「そうだ、ソウスケ。とりあえずベンチに…。」

しかし毎日鍛えまくってるソウスケを箱入りお嬢様が運ぶのは安易ではない。

「…ぅう〜……ゃぁつ!!」

謎の叫びを発しながらなんとかベンチに寝かせることに成功。

「はぁ…。疲れました。」

ふぅ、と一息ついて、ソウスケの頭を膝に乗せる。
変な汗をかいて苦しそうに寝ているソウスケを見て、またため息をひとつ。

「ほんと、なんなんでしょうね…。」
「あっ、お、お兄ちゃん大丈夫?」
「ちょっと、サヤカ、待ちなさい!」

小さな女の子だ。慌てて呼び止めた女性はお母さんだろう。
まあ止めるのも無理はない。デカすぎるパーカーのフードをすっぽりかぶってベンチで俯いて座っていたら怪しいだろう。

(顔見えて、万が一バレちゃったらと思ってたんですが…。小さな女の子を怖がらせてしまうのはよくないです。)

「ねぇ、大丈夫?」

呼び止めたお母さんと何かもにょもにょと話した後、パタパタとサヤカが走ってくる。お母さんはどこかに行ってしまった。

覗き込んでくるサヤカを見て、フードを取る。

「うん。ちょっと体調悪くなっちゃっただけだから大丈夫だよ。」
「そう…?」
「うん。」

安心させようとしてアイはふわりと笑う。
そのキラキラとした笑顔に、サヤカはぽけーっとしてしまう。

「お姉ちゃんって、お姫様みたいに綺麗でかわいいね…っ!!」

海のように青く澄んだ目を輝かせて、憧れの目でアイを見る。
もちろんアイはぎくりとする。

「そ、そうかな…。ありがとう…」

苦笑いである。

「あの、お水買ってきたから、よかったらどうぞ。」

そう言っていつの間にか戻ってきていたサヤカのお母さんはお水のペットボトルをアイに差し出した。

「あっ、ありがとうございます!」
「いえいえ、いいのよ。…じゃあ、申し訳ないんだけどこのあと約束があるので行かせていただくわね。お大事になさって。」
「はい、すみませんわざわざ!ありがとうございました!」
「ばいばいお姉ちゃん!」
「さようなら!」

ぶんぶんと大きく腕を振るサヤカにくすりと笑ってお上品に手を振りかえす。この仕草にお貴族様みたいね、とサヤカの母が思ったのは無理もない。

「……ん…」
「ソウスケ?起きましたか?」

ソウスケは瞼を薄く開けて瞬きした。

「…ごめん。重いよなすぐ起きる。」
「いえ、いいですよゆっくりで。」
「ん…悪い。」

さすがにすぐ起き上がるのも難しいようで、ぐ、とゆっくり頭を上げる。
「お水、どうぞ。いただいたんです。」
「あぁ。助かる。」

ソウスケはペットボトルを受け取るとキャップを外して一気に半分ほどを流し込む。

「……どうしました?大丈夫ですか?」
「………嫌なことを、思い出して。」

まだ少し青白い顔で、ほんの少しだけ開いた唇の隙間からそう薄く呟いた。
すると、昔の話なんだけど、と言って、ソウスケは話し始めた。
「…っは、っは、」
「待てやこのクソガキぃっ!!」

王城の下街をジグザグとひたすら駆け回る。大人の足の間をすり抜け、時には屋台の台の下も潜り抜けてひたすら逃げる。手には見張りに立っていた衛兵のポケットに入ってた鍵。今回の仕事の依頼内容だ。

(やばいな…どうしよう。他の奴らも来てだんだん人数が増えてる。巻けそうにない…)

「ソウスケっ!」

聞き慣れな声が上から降ってきて走りながら見上げるとボブの女の子のシルエット。立ち並ぶ店の上をソウスケと並行して走っている。
しかしその身のこなしの軽やかさはソウスケより圧倒的だ。

夜空をバックに駆けるそのシルエットは、ソウスケの姉、ミヨリだ。


「姉ちゃん!」
「あ、ソウスケ前見て!」

慌てて前を見ると大きな荷馬車が道を横切っていた。慌てて下に潜り込み、轢かれないように急いですり抜ける。その動きは危なっかしく、ミヨリのように華麗にスライディングしていくなんてのとは全く違う。

「おい小僧!止まれっつってんだろ!」
「どうしよう姉ちゃん!逃げれそうにない!」

走って走って、何度も躓きながら必死で逃げ回りながらミヨリを見上げてくるソウスケを見て、ミヨリは今日はそろそろもういいか、と思った。

「ソウスケ。パス!」

ひょい、とジャンプをして地面に降り立ち、そのまま走り出してソウスケの前を一瞬で走り抜ける。そのタイミングに合わせて鍵を差し出す。

「ナイス。」

小さくソウスケにそう発すると駆けて行き、壁を登って上に行く。そして走り出し、地面に降りたり上がったりを繰り返すうちに、ミヨリはいつの間にか見つけられなくなっていた。

一方ソウスケは任務の遂行義務がなくなったのでサッと裏路地入り、市場への秘密通路に入っていった。


********


「も〜ソウスケは私がいないとダメね〜!」
「うん…。」
「はぁ〜。もうそんな、落ち込まないの!」

地べたにあぐらをかき、項垂れてるソウスケを見てミヨリ眉を下げて笑う。ぐしゃぐしゃとソウスケの髪の毛をかき回す。

「ほら、明日は特訓の日でしょ!早く寝な!」
「うん。」


********


「姉ちゃーん。怪我したぁ〜…。」
「もーそのくらい慣れなさいよ!はいこの先ソウスケの苦手な壁登りっ!」
「う、うん…。」


********




いつも姉に甘えてばかりだった自分。

頼り切っていたくせして、姉に興味を持とうとしていなかった自分。

そんな自分に、罰が当たったんだと思う。




********

「遅いなぁ〜姉ちゃん。」

ある日の夜中。俺はなかなか帰ってこない姉ちゃんを待っていた。
ダ、ダダ、と、重たい足音。振り向くと入り口には姉ちゃんが。けど、明らかに様子がおかしい。

「姉ちゃん…?どうしたの…姉ちゃん!?」

腹部に手を当て、苦しそうに顔を歪めながらよたよたとソウスケの元に歩いてくる。
地面に垂れた血は引きずられた足の形跡をなぞるようにして擦り付けられていた。

「姉ちゃんっ!?姉ちゃんっ!!」
「…ソウスケ、ごめ、んっ…。」

限界が来たのだろう。いや、ここまで歩いて来れた方が奇跡だ。がくりと姉ちゃんが崩れ落ちた。
慌てて駆け寄って見ると腹部が斬られている。ダメだもう、助からない。

「ごめんね…私が、弱かったから…。やられちゃったよ…。」

弱々しい声で眉を下げて笑った。なんで、この期に及んでこの人はあくまで俺に謝るんだろう。俺を安心させるために笑うんだろう。

「姉ちゃんは弱くなんかない…っ!!」
「……ソウスケ。聞いて?」

真剣な声に、思わず唾を飲み込んだ。

「前に、さ。「大切な人はいつもいるもの」って…言ってた、でしょ…?…あれ…よく考えてみて…っ。」

姉ちゃんはゲホッ、ゲホッと、咳をした。その拍子に吐血し、腹部からも血がさらに流れ出る。

「喋らないで!傷口が開く!」
「…ごめんね。…でも、これだけは言わせて…。」
「…なに…?」

姉ちゃんは傷口を刺激しないように、ゆっくりと深呼吸をした。
そして小さな声を少しでも多く空気に乗せるかのように大事に大事に、言葉を言い始める。

「ソウスケは、優し、すぎるよ。…君には多分…ダークヒーローは続けられない…。だから…昼の、世界で…。元気に生きて…。」
「で、でも俺は…っ!」
「優しいソウスケには…明るくて、あたたかい、昼の方が似合うよ…。今からでも…遅くない…。」
「俺は…。」
「ソウスケに、安全な世界へ行ってほしい…その優しさを、仇と取られない世界で、生きてほしい…。それが、私の…姉ちゃんの、願い、だから。」

姉ちゃんは、そう言って薄く微笑み、小さな小さな声で、ありがとう、と呟くと、…そのまま、旅立った。


********

 ごめん姉ちゃん。無理だよ。
 今更、昼の世界で生きていけない。これ以外にできること、知らないんだよ。俺には昼の世界で生きる術が、ないんだよ。ダークヒーローを諦めたくない。姉ちゃんのこともあるから、余計に…っ!


一晩中考えても、いや、何ヶ月考えても、俺に昼の世界に戻るなんて選択肢は出て来なかった。


───もっと、強くならないと。

 それから俺は、毎日必死に鍛錬するようになった。この世界で生きる価値を得るために。


でも、そのうちに気がついた。俺は、何も知らなかったことに。
辛くても苦しくても、恨みを思い出して続けようとするたび、ハッとなる。俺の記憶の中にいる姉は、あまりに少ない。

「もっと姉ちゃんを知ればよかった…。」

 大切な人と言っても、俺は姉ちゃんの誕生日さえ知らなかった。身長も、好きな食べ物も、そして…好きな花も。

 大切な人は、いついなくなるか分からない。
だから人一倍、大切にしないといけない。
いつでもいるなんて、そんな甘えた考えだった自分を、本当に恨んだ。

 今も姉ちゃんは、俺の心を蝕んでいる。




 「……そんなことが、あったんですね。」

ソウスケが話し終えるとしばらく2人とも黙っていたが、やがてアイが口火を切った。

「俺には向いてないらしい。でも、俺にはこれしかないんだよ…。」

どうしたらよかったんだろうな…、と息を吐くように呟いた。

「……今日の相手、どうしよ。」
「私も手伝います!」
「え?」

途方に暮れたように言うソウスケを見て、アイはあっけからんと言う。

「1人だと怖いかもしれません。でも、2人ならきっと大丈夫です!」
「………。」
「やってみましょう!ね!」
「いや、でも、手伝うっつったってお前戦えないだろ。」
「…うーん…。…あ、応援できます!頑張れーって!」

あまりにも単純すぎるアイにソウスケは思わず少し吹き出した。

「…まぁ、賭けてみるか。俺が折れるくらいのしつこさはあるからな。」
「し、しつこいって!そんなことないですよ!」

ムキになって否定するもの、ソウスケはからりと笑って立ち上がった。

「…さぁ、行くぞ…!」
「はいっ!!」

********

「き、緊張しますね…!」

市場の一番奥にある、闘技場にて。
この国の裏社会のメインである場所だ。
スタイルとしては円形闘技場で、沢山の部屋があり、あちこちで日々戦いが行われている。

VIPの戦いなだけありすでに観客が沢山入っている。基本観客はおしゃべりだったり賭け事だったりの目的なことが多いが。

アイはキョロキョロと客席や会場運営に走り回るスタッフを見渡し、ソワソワしながらソウスケに言う。

「え?なんで?闘うの、俺だよ?」

ソウスケはもうステージに上がっている。アイはギリギリまでここにいるつもりらしい。

「…そうですけど、でも、私もパワー送らなきゃなので!」
「はいはいそーですか。」

苦笑してはいるが、硬かった表情がほんの少し緩んだことにアイは気が付いていた。

そうこうしてるうちに会場のアナウンスが入る。

〈闘技がそろそろ始まります…!本日のメンバーは…ソウスケ VS サトル!〉

観客の歓声と共に相手である男、サトルが入る。
闘うというのに先ほどと変わらない革靴にスーツ姿。相変わらずにこやかな笑みを浮かべてゆったりと歩いてくる。

〈何度も聞いていらっしゃるとは思いますがカンペに絶対言えと書いてあるのでしゃーなしで言います!【闘技場のルール:殺人は不可。相手がギブアップまたは戦闘不可になった場合に勝負がつきます。武器の使用はなんでも可。闘技は基本ステージ上にて行ってください。観客の方は銃弾などが飛んでくる可能性もございますのでご注意ください。】はーほんと長いですよねぇ。〉

なんだかしっかりとアナウンス口調で明るく解説してる割にはやる気がなさげな感じである。会場の人もうんざりした口調のアナウンスに笑っている。いつものことなのだろう。

〈はーいそれではルールを守ればなんでもオッケー!レディー…ファイト!〉

掛け声がかかるがサトルは動かない。
ソウスケもサトルを警戒して、じっと睨むだけだ。

────これですでに、サトルの計画にソウスケは嵌まってしまった。

…こいつ、どうする気なんだ。

さすがにさっきの事がある手前、ソウスケは慎重になっていた。
あくまでサトルの出方を伺う。先行になるとダメな気がする。

『もう元気になったんですね?よかったです。ところで結局教えていただけませんでしたが、お姉さんのお好みのお花はなんだったんですかね?』

「……っ!?」

いや、違う。
なにも聞こえてない。こいつはなにも喋っていない(●●●●●●●●●●●●●)。だって口が一切動いてない。腹話術?そんな訳。

「ソウスケっ?どうしたんですか!?」

アイの声。アイには聞こえてないらしい。つまり観客にも。俺だけ?いや、俺にも聞こえていない。

『教えていただけないんですか…。それじゃあ違うことにいたしましょう。お姉さんの亡くなられた時のお気持ちは?』

目だ。こいつの、目だ。
この目が俺を追い詰めようとして、話しかけてきてるんだ。

…そうわかったところで逸らそうとしてもなぜか目を逸せない。なんでだ…?

『だんまりですか…あ、混乱してましたけど、そろそろ気づいた頃ですかね?まぁある種のテレパシーですよね〜。…これなら、私のことは知ろうとしなくたって知れますね〜?あ、好きな食べ物ですか?うーんババロアですかねぇ。』

んなこと聞いてねぇ。黙れ。黙れ黙れ黙れ!

衝動のままにソウスケは駆け出し、サトルに殴りかかる。しかし軽やかにそれは避けられる。何度も何度も当てようとしても、全て躱されてしまう。

『なんで当たんないんでしょうね〜いつもは強いのに?気づいてますか?精神のコントロールが効いてないから、動きが雑で予備動作も大きい。今のあなたなんて誰でも倒せちゃいます。まるでミヨリさんに頼り切っていた頃のあなたそっくりですね。』

煽られてるのはわかってる。
それに乗ってしまってる自分もわかってる。
けど…っ!!
どうしても姉ちゃんのことは、歯止めが効かなくなるんだ…っ!

脂汗をかいて、ソウスケは思わず膝から落ちた。
ダメだ。ここでまた倒れたら、負けだ。
ソウスケは遠のく意識を必死で手繰り寄せた。


********

────ソウスケが乱雑にサトルを殴り始めた頃。

(あれ…?なんか、ソウスケが変です。いつもはもっとこう、相手を見て的確に急所に入れていくスタイルで無駄がないのに、無駄まみれと言うか…。)

アイはソウスケのペアとしてステージ横の座席で観戦していたが、ソウスケの異変に気がついていた。

感情のままに動いているソウスケは周りが見えていないらしい。

(大丈夫、でしょうか…。)

「あっ…」

ソウスケが、膝をついた。
何かを考える前にアイは走り出していた。

(何か声をかける…?いや、なにも私には言えません。ソウスケなら…ソウスケならきっと、)

「ソウスケっ!!目、覚ましてくださーーーーい!!」

バチーン!!

思いっきり叫ぶと同時にアイはソウスケにビンタした。
生まれて初めてのビンタである。

「……っ!?あ、アイ!?」
「起きてください!」
「……ありがと。」

(あ、目が戻りました…っ!)

どことなくぼやっとしていた目がキリリと鋭く戻る。

「あれ。調子が戻った感じかな?」

今度は紛れもない、サトルの声である。
ソウスケはいつも通りの機敏な動きでサトルに突っ込み、目にも留まらぬ速さで後ろへ回り込む。サトルは精神戦メインなので基礎的な戦闘力はあまり強くないらしい。ソウスケよりも遥かに動きが鈍い。
ソウスケはそのままサトルの後ろから高くジャンプし、サトルに強烈な踵落としを入れた。

「……っ!!」

あまりの痛みに目を見開き、そのままサトルは崩れ落ちた。

〈…っあ、さ、サトルさん戦闘不可!ソウスケの勝ち!!〉

シン、と静まり返っていた観客が、アナウンスの声で我に帰る。VIPを倒した、と言う偉業を成し遂げたソウスケに、会場に大きな歓声が響いた。


「ソウスケっ!おめでとうございます!」
「やったな。」

アイはソウスケの元に駆けて行きハイタッチをする。

「あ、これ湿布です!」
「ありがと。」
「お揃いですねっ!」

ふふふ、と笑ってそう言った。
ソウスケは自分がやった罪悪感から微妙な顔をしているが。