それにしてもなんて大きな図書館だろう。
階にして五階、ここではどこへ行っても多くの本が尽きることはない。各階のフロアやコーナーにはソファーやカフェなんかも用意されていて休むこともできる。
「あれ?ここはなんだろう」
五階まで上がり進んだところで立ち入り禁止区域の場所を見つけ立ち止まる。関係者以外の立ち入りが認められてないのか、向こう側とこちらを隔てる境界には結界が張り巡らされていて向こう側はよく見えない。
これ以上は進めそうにない。
「どうやらここで行き止まりのようね」
諦めて引き返そうとするとアヅチが向こう側へ飛び込んでしまいビックリしてしまう。
ーーしぐれ!入れそうだよ
アヅチはためらうことなくスーッと結界の中に入れば向こう側から声をかけた。
「すごい、鬼火は通れるのね!」
ーーしぐれも来なよ!
「私?でもいけるかな…」
ーー大丈夫!この結界は妖にのみ有効だから人間のしぐれなら効かない。
半信半疑ではあるがアヅチがそう言うなら。
でもここって関係者以外は入っちゃいけないとこなんじゃ…
ーーしぐれ、こっちに術家の本が置いてある。
「え!!ホントに⁈」
アヅチはユラユラと近くの本棚まで行けばそう教えてくれる。やっとお目当ての本が見つかったのに結界の向こうだなんて。
でもここを潜れば本が見られる。
もう入ってしまおうか。
いやだめだ、もし勝手に入ったことがバレたりでもしたら。頭では天使と悪魔が互いにぶつかり合っていた。
ーーおいでよ、バレなきゃ大丈夫。それにグプスだってよくここ入るよ。
「グプス君が⁉」
彼がここに入るってことは関係者って言うのは彼のこと?でなければこの結界は通れないはずだし。
ーーしぐれ、術家のこと知りたいんでしょ?
「うう…な、なら少しだけ」
少しだけなら入っても大丈夫よね?
見つかりそうになったら早く出ればいい。
覚悟を決めてゆっくりと恐る恐る体を結界に通してみる。するとスーッと体は結界に吸い込まれるようにして向こう側へと抜けていく。
「あれ、なんか案外簡単に通り抜けちゃったけど、、」
ーー妖ならそうもいかないよ。でもしぐれは特別だから結界も平気なんだね。
「特別?どんなふうに?」
ーー少なくとも普通の人間とは違って、君からは優しい神気を感じるよ。
神気?あ、それって、、、
私は裾をまくると腕に巻き付く彼の存在を確認する。
小さな体でとぐろを巻いてスヤスヤと眠りこける彼こそが四神の一つを司る青龍。
今はこの姿だが昨日までは人の姿だった。
ーーそいつは神獣??神聖な聖地でしか生きられない彼らがこんなとこにいるだなんて…
「私の眷属よ。契約して加護を受けてるから私は邪気に侵されることはないけど。でも彼には代償が大きいのかもね」
ーーそれはそうだよ!だって今の彼、凄い弱体化してる。
「え!弱体化??」
アヅチは青龍の近くにやってくると心配そうに彼の様子を観察し始めた。
ーーふ~む、、ここは妖都だから邪気も強くて大変なんだって。今は眠ることしかできないって言ってるよ。
「アヅチ、青龍さんとお話できるの?」
ーーうん、意思疎通がはかれるよ。暫くは起きられない、しぐれ守れない!って凄い悔しそうにしてる。
「そうなんだ…」
青龍さん…やっぱり無理してたんだ。
昨日は宿に着いた途端に少し休みますとだけ言って青龍に戻っちゃったから。ずっと起きずに不思議だとは思っていたけど、まさか弱体化してただなんて。
ーーしぐれ、彼は何も気にするなって言ってるよ。
「え、」
ーーもう少しで回復できる。だからそんな悲しい顔しないでって。
「青龍さん…」
うう…ごめんね。
回復したらたくさんお話しようね!!
だから今は気にせずにいっぱい休んで。
ーー後、回復したらそのケチな石ころはドブに流すってさ。
「え」
ーー何でもさっきの女が言っていたことを相当怒ってるみたいで…え?なになに?
「ん?どうしたの?」
ーー…あの鬼は八つ裂きにするって変に張り切ってるよ。
「へ、へえ…」
あれ?意外と青龍さん元気??
弱体化で眠っているって言ってたから心配していたけど。
何故だろう…妙に話の内容しか頭に入ってこない。
それにケチな石ころってこのネックレスのこと??
回復したら白夜様に何するつもりなのか、、、これは心配だ…
「あれ?談話室?」
部屋はさっきまでと違って少し薄暗い。
アヅチに案内されるがまま奥へと進めば、そこは図書室というよりかは談話室に近く、ソファーや机が配置されモダンな造りをした部屋が広がっていた。
ーーしぐれ、こっち!
アヅチが示した棚へと近づけばそのうちの一冊を手に取る。
「…術家と仙狐の歴史」
表紙に書かれた題名を声に出して読めば謎に緊張感が走った。意を決して恐る恐るページを開こうとする…が?
「あれ?」
ーーどうしたの?
「ページが…開けない」
「こ~ら」
「!!」
突然、後ろからは声がすると後ろ向きの私の背後には影がかかった。
「それは君のような子が触っていいものじゃないよ」
声の主は硬直したまま動けないでいる私に声をかけると、後ろから腕を伸ばし瞬時に本を奪い取ってしまう。
「あ、」
本を奪われ声を漏らすも、ふと我に返った私が慌てて後ろを振り向けば、そこにいたのは片手を棚についてこちらを見下ろす一人の男性。銀色の長い髪に金色の瞳が怪しく光る、片目には眼帯をつけたとても美しい容姿をしていた。
「…術家と仙狐の歴史ねえ~」
手に持つ本をチラリと見れば男性がポツリと呟いた。
私はどうしたらいいのか分からず見つめることしかできない。ふと目が会えば男性はニンマリと笑ってこちらを見つめる。
「こんな古い本、もう誰も見ないものとばかり思っていたけど。どうやらそれも思い違いだったようだね」
男性はそう言い本を元ある棚に戻した。
「あ、あの、、」
「ん~?」
「も、申し訳ございません!」
私がバッと頭を下げれば男性は目を丸くした。
「許可なく黙ってここに入ってしまって。どんな罰でもうけますので!!」
きっとこの人は、ここの管理者として見回りにきた人に違いない。運悪く見つかってしまっては、もう素直に謝るしかないなと私は覚悟を決めて必死に謝った。
「はは、別にここへ入ったことについては怒ってないから。頭をあげなよ」
笑い声が聞こえ、顔を上げれば思っていた反応とは違い、男性は怒ることもなく笑っていたので驚いてしまう。
「…怒らないのですか?」
「怒る?別に素直に謝ってくれたんだし。それに、僕は君のような可愛いレディーには怒らない主義なの♡」
目を細めて言う言葉は妙に色気がある。
顔がいいから尚のこと反応に困ってしまう。
口説いているつもりなのか女性慣れしてるのか分からないが、こういう言葉は白夜様で間に合ってるので正直やめてほしい。まあ怒られないだけ自分は運が良かったのだろう。
「ここさ、君も知っていると思うけど関係者以外は入れない場所なの」
「はい…」
「でも万が一にも妖が入った時の保険にかけていてね。ここにある本は全部、関係者以外開くことはできない仕組みになってるんだ」
え、、、
なら私がここに入れたとしても、ここにある本は絶対に見られないということ?
だから本をめくろうとしても開かなかったのか。
それを聞いて酷く落ち込んでしまう。
「ふふ、何か知りたいことでもあったかい?」
男性はそんな落胆する私にクスリと笑った。
「いえ…、別に何も」
私はフルフルと頭を横に振った。
ここに来れば何か知れると思ったが、やはりそう簡単にいくはずもないのか。
また一からやり直しだ。
「でも変だな~、ここは普通の妖ならまず通れない。ましてやあの鬼神君や王家の者でもない限りは通れないはずなのに」
「!!」
「さてここでクエスチョン!一体、君は何者なのかな?」
男性は興味深そうにこちらへと目を向ければ私の姿を舐めるように観察してくる。
不味い…
私が人間であることは絶対にバレてはいけない。
「え、えっと…私は」
どうしよう!
焦ってしまい、どう誤魔化したらいいのか分からない。
こんな時、白夜様がいてくれたら、、あ。
「あ、あの!実は私、白夜様と知り合いなんです!」
「鬼神君と?」
男性は私から白夜様の名前が出ると驚いていた。
「はい、さっきまで一緒に居たんですがはぐれてしまって。仕方なく一人で探索してたらここに迷い込んでしまったんです」
噓は言ってない。
探索してたのは事実であって、迷い込んだのはある意味アヅチの存在が大きかったから。
まあ白夜様と、っていうのは嘘になるが。
「鬼火に純白晶のネックレス。なるほど、確かに君からは何か強い妖力の気配がする」
男性は私の肩で静置するアヅチに目を向け、次にネックレスへと目を向けた。
「そのネックレス、随分と強い力が込められているね。あの鬼神君が作ったものなのかな?それにしても強力だ。…実に興味深い」
男性はネックレスを見つめ目を細めれば、コツコツとこちらに向かって歩いてくる。
私は嫌な予感がして一歩ずつ男性から距離を取る。
相手は妖、何かされても自分では勝ち目がない。
ゆっくりと後ろに下がるも直ぐ後ろは棚。
運悪く行き止まりを喰らえば目の前には男性が立ちはだかる。
怖い…。
金色の瞳が私を見下ろせば体が縮こまってしまう。
私はネックレスをグッと握りしめた。
「ねえ、」
「…」
「そのネックレス、外してみてくれないかな?」
唐突にそんなことを言われ内心焦ってしまう。
反応に困り男性を見れば、その顔は笑ったままで。
視線は未だ自分の手に握るネックレスへと釘付けのようだ。
「えっと…」
今ここで素直に外せば、自分が人間であることがバレてしまう。結界の中に入って来たということは、彼もそんじゃそこらの妖とは何かが違うのだろう。
漂う気配も美しい容姿も他とは格段に違う。
一体何者なのか。
「君さ、本当に鬼神君の知り合いってだけなのかい?」
「え?」
暫くして口を開いた彼はそんな質問をしてくる。
私は質問に戸惑い男性を見ていれば彼の目の色が変わった。そうしてゆっくりと私の首元に顔を近づければ、次の瞬間にはスンっと匂いを嗅ぎだす。
「おっと、」
突然の行為にビックリしてしまい慌てて彼の胸を力いっぱい押し返せば案外すんなりと離れてくれた。
「いや~ごめんごめん。どうにも甘い匂いがしたもんだからつい、、」
「甘い匂い?」
少し苦しそうにして鼻をすする姿を不思議になってみつめる。甘い匂いだなんて言われても、何か香水をつけてきた覚えはない。
自分の体を確認するよう匂いを嗅いでみるも、彼の言う甘い匂いなんてものは一切しなかった。
「あ~くさい。意識してたら余計に鼻につく匂いだ」
「私には何も感じませんが」
「うそ~そんなベッタリ彼の匂いくっつけといて、当の本人はそれに気づいていないとか、、。それ、そこらの妖からしたら致死量レベルにやばいよ」
「え、そんなにですか?」
「それは言わばマーキング、強く寵愛されてる証拠だ。妖がそうやって匂いをつける行為は、周りにそれが誰のものであるかを知らしめるためさ」
白夜様が私にそんなことを?
でも確かに言われてみれば…僅かながらも妖から視線を感じる時があった。とは言え、そこまで頻度は多くなかったから気にしていなかったが。
彼らも見てきたところで何かしてくる訳でもなかった。
「…でもさ~、本当に鬼神君は君を寵愛しているのかな」
男性はどこか確信をついたかのような顔でニヤリと笑っていた。今の顔は実に不気味で、できることなら早く逃げ出したいとさえ思ってしまう。
「君から鬼神君の匂いがしてるって意味では、君は鬼神君のお気に入り。妖の寵愛ほど相手に攻撃できる恐ろしい武器はない。そう考えれば、鬼神君が君を大人しくここまで野放しにするとは到底思えないはずなのに」
「…」
話しながら移動する彼を黙ってみつめる。
結界の中は私達の他には誰もおらず、下の階にいる妖達の声すら届かない。
私の中では緊張感が走った。
「僕、見ちゃったんだよね~。彼が他の女とイチャついてる姿を」
「!!」
「それもついさっきのことだよ。華街通りに入って行く後ろ姿を見かけたんだけど、あの通りって色恋沙汰による問題が頻発しやすいからさ~」
私はその話にビックリして目を見開く。
白夜様が他の女性とそんな場所に??
そう言われればさっき出会った彼女の姿が頭をちらつく。
「まあチラリと見えただけだから何とも言えないとこあるけど。でも特徴的なあの白髪に妖力の気配からして、まず鬼神君でなければおかしい。綺麗な女の子と腕を組みながら楽しそうに歩いてたっけ?」
「そんな…」
彼から言われる内容に言葉が出てこない。
本当に…本当なの?
だとしたら、さっきまで彼女が言っていたことは全てが事実だということ。
「噓、噓よそんな…だって、、」
「自分はこんなに愛されてるから浮気なんて有り得ないって?はは、随分とお優しい思考回路だね……でもね、忘れちゃだめだ。彼が鬼頭白夜であることを」
「!!」
彼は追い打ちをかけるようにどんどんと話を切り出す。
「鬼神の生まれ変わりであると称される彼が、誰か一人のためだけに何かを犠牲にするだなんて。そんな甘い考えで彼が君の心に寄り添っているだなんて本気で思ってる?」
その問いに啞然としたまま声が出ない。
彼の言葉が痛く体に突き刺さる。
「彼は自分以外の他者に何の期待も持たない。常に冷酷非道で孤高に佇む。それこそが妖共が認めた彼の居場所であって、これから先もそれが変わることはない。現に愛されてると君が信じた結果がこれだ。今だって彼は他の女と一緒にいる」
「やめて…」
「ふふ。さっきも言ったけど」
彼は優雅な足取りで目の前へとやってくれば、再び視線をネックレスへと向ける。
「そのネックレス、何か強力な力が籠っているね。きっと君がここまで無事に辿り着けたのは、その匂いも存在も全ては公の場に分からないよう鬼神君が細工したものとみた」
匂いに存在って、、、じゃあこの人、まさか最初から私を…。
思わず顔を上げればバチリと合わさる視線。
その目は美しく、どこか怪しげに細くなる。
「ふふ、その様子、どうやら気づいたみたいだね。そうさ、僕は最初から君の正体には気づいていた。ネックレスで身を守っていたとはいえ、僕にとっては全てがお見通しだ」
獲物を狙うかのような目付き。
ぺろりと舌なめずりをする姿に、カタカタと体が震えれば、自分の身の危険を察知する。
「鬼頭家に嫁入りした娘の噂は聞いていたけど。でも正直、唯我独尊・完全無欠の鬼神君相手じゃ、もって一か月だと思っていたのに。時雨ちゃん、君はそんな僕らの期待を大きく裏切った」
「…あ!」
こっちが抵抗するまもなく、彼は私が握るネックレスへと手を伸ばせば、それを奪い取ってしまう。
「あはは!!やっぱりね!見なよ時雨ちゃん、君の正体がこの瞳にバッチリ映ってるよ~」
「か、返して!!」
慌ててネックレスを取り返そうにも背が高いせいで手が届かない。
必死に手を伸ばすそんな私を彼は面白そうに観察している。
「これで分かったろ?所詮は君もこうして姿がバレたとこで、鬼神君がやって来ることはないって」
「ッ」
「寵愛まで受けてんのに変だね~。あ、もしかして新しい彼女との時間の方が楽しくて君はもう要らなかったりして」
「やめて…」
私が何も言えずにいれば、彼は笑い出した。
「あはは、いいね~。その絶望で染まった時の顔、実にゾクゾクする。まあでもそろそろ頃合いかな」
いつの間に取り出したのか、見れば彼の手には一枚の呪符があった。
私はもの凄く嫌な予感がした。
「君にとっては幸せなままでいたかっただろうけど。その幸せを最初に裏切ったのは他ならぬ彼自身だ。なら君がここにいる必要はもうないと思うんだけど…どうかな?」
「何を言って…」
「僕もね、こんなこと本当はしたくないんだよ?でも君を思えばこそ、君にはまだまだ僕を楽しませて欲しいんだ」
「!!」
ーーリン!!
聞いたことある音が辺りへと響き渡る。
そうして襲い掛かるのは強い眠気への作用。
「な、何を…」
「やあ、時雨さん、この間ぶりだね」
目を閉じる前、視界に映ったのはあの日、森で助けてくれた男性。
「約束通り、君を迎えに来たよ。今はいい子だからこのままお眠り」
ふわりと頭を撫でられれば眠気は驚異に達する。
それでも最後に考えるのは、やはり愛おしいあなたへの存在。
「白夜様…」
発したはずの言葉は音を成さず、私は深い闇へと飲み込まれていった。
「ようこそ藤の宮へ」
光は鈴の音とともに静かに消えれば辺りには再び静寂だけが戻った。
少女のいなくなった空間で、男はこらえきれない笑みでひとしきりに笑えば手に持つネックレスをみつめた。
「あはは、こりゃ傑作。まさかこんな簡単に零れ落ちるだなんて。…それで?次は何して遊ぼうか」
本来の薄暗さを取り戻した部屋の中で、男は耳にかかるタッセルピアスをゆらりと揺らせば向こう側に控える者へと振り向いた。さっきまではいなかったこの場所には一人の影が姿を現す。
「ふふ、にしても君も酷だよね~。あの子が鬼神君を思う気持ちに蓋をするだなんて。ま、とはいえ約束は約束だ。お望み通り、君らのお姫様は元の世界に戻してあげたんだ。文句の付けようないだろう?」
「ええ、お見事でしたよ。流石は仙狐の血といいますか、あの術も我らが使うには少々骨が折れる代物であるからして、力の根源を支える上では貴方の存在が必要不可欠でしたからね」
青年は両腕を後ろで組み合わせればニコリと笑った。
感情の読めないその笑みは不気味ながらも何処か洗礼されていた。
「気に入ってくれたかい?でも、ちょっと扱いが荒くはないかい?ただでさえ術家とのいざこざが終わったばかりなんだ。王家が絡めば逃れようもない。上手く弁明しに行く僕の気持ちも汲み取って貰いたいよ」
男は不満げな顔をすれば声を漏らす。
「おや、それはすまなかったね。なにぶんこっちの世界には疎いんだ」
青年は笑った姿勢を崩さぬままそんな男をみつめた。
「胡散臭い笑み。力のためなら神でさえも手駒にとる君らにはホント質が悪くで敵わないよ。ま、その人間に最初に惑わされたのは僕自身ではあるけど、、」
男はやれやれと首を横に振れば溜息をついた。
これ以上余計なことを言うつもりはないらしい。
「四柱、邪気への耐性はもってあと数年。これを機に両国に亀裂を招くのだけは避けたいところ、、君達にできるかい?」
「問題ないよ、全ては順調に進んでいる。このままいけば、じきにあの子の封印も解けるだろう。鬼神の記憶も再生される」
「記憶ね~。ふふ、そうなれば隠世は今まで通りにはいかなくなる。最悪の場合、妖はみんな妖魔に変貌するだろう」
そうなれば僕も死ぬのかな~などと吞気に語る姿を青年は遠目越しにみつめた。
所詮は隠世、妖も術師の力なくして生きることは難易。
人間側も最近では何かと勢力を拡大している。
面白半分に結界領域を見つけた者たちが誤って踏み込む隙を与えないかが心配ではあった。
「妖魔は人間さえ喰らえば結界からも出ることが容易。所詮は妖の為に造られたバリア、化け物相手に効くはずもない」
そうなった時、現世は更なる恐怖へと追い込まれる。
妖が人間を滅ぼす未来。
もう一度、あの時の記憶を蘇らせるわけにはいかない。
現世側が恐れているのはまさにこれに尽きた。
「僕が力を貸せるうちはいいけど僕だって妖だ。いつ君を裏切るかもしれない相手に、そう易々と気を抜きすぎやしないかい?」
「はは、心配してくれてるの?それは実に喜ばしいね~。でも安心して、君に僕は倒せないよ」
「…ほお」
「なんだってするさ、あの子を、それに現世を守るためならね」
そう言えば、青年は静かにスーッと消え始めていく。
「それじゃ、後のことは任せたよ。くれぐれも…ね?」
「はいはい、主君のおおせのままに。…これだから人間は嫌いだ」
「ふふ、じゃあね、狐野」
青年はいたずらな笑みで笑えば消えていなくなり、部屋には狐野だけが一人取り残された。
狐野はもう一度、自身の手に持つネックレスを見つめればニヤリと笑った。
「さ~て、鬼神君はどうでるだろうか。これはまた一悶着ありそうだな~」
●○○
変な女、それがその子に抱いた第一印象だった。
ある日の朝、周りに人がいないのを確認すれば、読みかけの本を手にそっと屋敷を抜け出した。
生まれた時から置かれた自分の立ち位置とそれに準ずる相応しい居場所はまるでここであるとでも言うように。
ただ仕切られた部屋の中、一人静かに過ごす日々だけが続いた。
親はいるだろうが碌に会ったことはない。
物心ついた時から母親はおらず、狭い座敷牢の中、半ば軟禁生活を強いられてきた。
四方の格子をびっしりと覆う複数の呪符。
施錠された頑丈な扉とかかる鍵。
成長するにつれて覚える違和感も、特別な血を宿すという自分の存在は、限られた日だけを除いて安易に外へ出ることが許されなかった。
誰も助けてくれる者もいない。
それでも時間通りにやって来る使用人。
嫌に畏まり、恐縮な態度で媚びへつらう態度には格子内から見ていて実に恐怖を覚えた。言うこと全てにことを進める姿に、自分が偉い立場にあることを知った。
気味が悪くて仕方なかった。
それらが向ける自分への眼差しにいつの日か諦めを覚えた。何が正解かも分からず、気づいた時にはもうどうでもよくなっていたのだ。
でもそんな時、僕は本に出会った。
厳重な監視下の元で日々勉学に励む中、ある一人の使用人が暇つぶしに持って来た本を手に取れば今までにない感情に心揺さぶられた。
外の世界を初めて知ったその日から、ひっきりなしに本を読み漁る日々が続いた。
知識も教養も本であらかた理解することができる。
元々、地頭は良い方で一回見れば大抵のことが習得できた。
そうして辿り着いた封鬼という存在。
言わずもがなその正体を確かめるかのごとく、伝手を渡っては人を利用し情報をかき集めた。
そうして外の世界を知れば知るほど、自分の存在に終始点を打つかのように屋敷を抜け出せば都でも有名な図書館へと入り浸った。
「いい加減にしなさいよ!!」
いつものように本を選び、涼しい木の上で昼寝をしていれば聞こえてきたのは怒鳴り声。
チラリと目をやればなにやら揉め事の真っ最中。
喧嘩なんて初めて見たがこれが俗に言う不快感という感情だろうか。
せっかくの昼寝を妨害されれば自然と機嫌も悪くなるようで、追い払うかのように冷たい視線で女を睨めば子供呼ばわりされる始末。
「ありがとう…」
そうお礼を言う彼女はどこかホッとした様子だった。
「別に…昼寝の邪魔だっただけだから」
お礼を言われたのは生まれて初めてのことだったため内心驚いてしまう。
それから彼女とは図書館まで行くこととなったが、他人と話すことなんて普段しない自分には特に話すこともなかった。そんな中、不慣れではありつつも、必死に自分へと話を振る彼女の姿が少し印象的だった。
変な女。
でもまあ、、悪くはないのかも。
ーーグプス、グプス!!大変だよ~~!!
ボーっとさっきまでの出来事を考える僕の元へアヅチが勢いよく駆け込む。
「何?そんなに慌てて。っていうか彼女はどうしたの?僕もう結構待ってたんだけど」
焦ったようにグプスの元へとやって来たアヅチとは反面、随分と長い間ここにいたのか何処か待ちくたびれた様子のグプスはテレパシーを送ればアヅチの感情を読み取る。
ーーそれが時雨がいなくなっちゃったんだ!!
「いない?ずっと一緒だったんでしょ?」
アヅチの言葉にグプスはピクリと眉を動かした。
ーーそれが…急に光が現れて、時雨ごと何処かに攫っちゃったんだ!アイツの仕業だよ!!
「…アイツ?」
アヅチは真っ赤な色でメラメラと怒ったように灯ればさっきまでの出来事を話した。
「…ふ~ん、で、消えたと」
全てを聞き終えたグプスは何処かめんどくさそうに顔を歪めた。はあと溜息をもらせば「行くよ」と図書館を後に外に出る。
ーーグプス、時雨は人間なんだ!!鬼頭家の花嫁なんだよ!!
ずんずんと黙ったまま歩くグプスをアヅチは後ろから追いかけた。
ーー彼女は鬼神の、鬼頭白夜の花嫁なんだ
「うん、知ってる。何となくだけどそんな感じはしてたし」
ーーだったら直ぐにでも鬼頭家に知らせないと!時雨が攫われたって!
「…え、それ僕がやるの?」
げんなりとした顔でグプスは盛大に顔を歪ませればアヅチを見つめた。厄介ごとには関わりたくないのか心底迷惑そうだ。
ーーグプスの他に誰がいるの⁈時雨が攫われたんだよ?グプスは時雨と会えなくなっちゃってもいいの??
「会えないもなにも。僕、鬼頭家の連中は嫌いなんだ」
そもそも僕が助ける義理ないし…と渋る様子の彼にアヅチはパチパチと火花を飛ばした。
ーーまたそんなこと言って。鬼頭家が嫌いなことと時雨は関係ないだろ!それとも何?君は自分の尊厳の為なら友達の一人も守れない…
「ああもう、分かった分かった!言えばいいんだろう⁈…全くなんでこうなるかな」
グプスは声を張り上げれば、今日一番の大きな溜息をついた。これはまた面倒くさいことになったなと、急かすアヅチに続いて通りの中を進んでいった。
なんてことないただの仕事だった。
「お、お許しください!!」
俺の目の前では首を垂れて顔を真っ青にさせる男が一人。社長席にドカリと腰を下して机上に足を乗っければ、白けた顔でソイツを静観した。
先ほどから体をブルブル震わせては、上質なカーペットの上に頭をこれでもかと押し付けている姿が滑稽だった。
あれから宿を出て何時間経っただろうか。
夜遅く、愛する彼女とも虚しく宿を出れば人の賑わう繫華街へと足を進めた。
面倒くさいことになった。
まさか滞在期間を狙ってくるなんて思いもしなかったのだ。
「ではこれで」
持ってきた仕事も大詰め。
残り僅かとなったものを速攻で片付ければ、見送りに来ようとする者たちを差し置きさっさとその場を後にする。
「うっし、やっと終わったぞ時雨!」
外に出れば夜明けまでまだ少し時間がある。
繫華街であるこの場所では夜間中の活動が最も高かった。
大勢の妖達が酒や女だと賑わいも見せるも耳障りでしかない。俺の存在に色めき合う女達が店に連れ込もうと近づいて来るのを遠目越しに感じた。
明け方になれば幾分か静けさも取り戻すだろうが、早く時雨に会いたい欲しかない自分には関係のない話だ。
「今頃、アイツは寝てるだろうな…早く帰らねーと」
会いたい一心で足を速めれれば通りを進んだ。
これで起きた時、隣で俺が寝ていたら彼女はどんな反応をするだろう。あの顔はとても可愛いらしいから、ついいじめたくなってしまう。
そんないたずら心を抱えれば自然と頬が緩んだ。
「白夜様!!会いたかったですわ!!」
「!!」
突然、俺の目の前に駆け込んできた女に急いでいた足を止める。
「あ?誰だテメェ」
邪魔されたことで不機嫌そうに女を見れば、向こうは顔をこれでもかと喜々にしていた。
「まあ誰だなんて!も~酷いですわ白夜様♡暫く会わないうちに彼女である私の存在を忘れてしまうだなんて」
「はあ⁈」
何、彼女?
知らねー…つーか誰だよコイツ。
全く知らねぇ女だし、俺には時雨がいる。
時雨を差し置いて彼女なんて作った覚えねぇぞ??
俺は女の話に何がなんだが訳が分からず思考を停止させた。
「まさかここでお会いできるだなんて。嬉しいですわぁ~ずっと会えなくて寂しかったんですのよ?」
女はうっとりとした我が物顔で近づけば、俺の腕へ自身の腕を巻き付けてくる。
俺は思わずゾッとした。
「知らねぇ…つーか、マジで誰だよお前。俺はお前のような彼女を作った覚えねぇぞ」
やや乱暴にその腕を振り解けば女から距離をとる。
触られた部分からは甘くキツイ香水の匂いが立ち込めれば鼻が曲がりそうになった。
「え~もう白夜様ったら。ひと月ほど前にお屋敷でお会いして結婚の誓いまでたてましたのに。それがひと月ぶりに会う婚約者への言葉ですかぁ?」
「婚約者だあ~⁈」
俺は思わず変な声が出てしまう。
何を勘違いしてんだコイツ。
そんな話は今まで一度も…いや、、待て。
思えば鬼頭家には婚約者候補の女が未だ後を絶たない。
こっちは既に時雨を現世から貰い受け婚約者として、ゆくゆくは夫婦としての誓いを立てたが公の場には公表できていない。
それは妖家に人間の娘を貰い受ける理由に当主の代替わりが関係するためとあってか、世間に公言するにあたっては俺が鬼頭家の次期当主となったことへの確定申告を優先させる必要があった。
だが自分はまだ当主じゃない。
なら鬼頭家の婚約者の座は空席のまま。
そう勘違いしている民や良家のやからが大勢いるのだろう。この時期になってまで毎日のように娘を孫と連れてくる者がいるのだ。
自分としては、大切な時雨の身を守り晒すわけにはいかないと適当に送り返していたというのに。
「白夜様ぁ??」
女は黙りこくる俺を不思議そうに見ている。
「(この女…まさかあの、、)」
上目遣い越しに俺をみつめる女の顔を俺は覚えていた。
全てを理解した俺はある一つの考えを思いつく。
「あ~悪ぃ悪ぃ、、ちょっと忙しくてさ。…で?ここでは何をしてるんだ?」
笑いたくもない顔を無理に動かして、印象をよくさせるために笑顔を貼り付ける。
「お父様にお願いしてね、繫華街に遊びに出ていたの。ほら、私って可愛いから一人で出歩くと直ぐに殿方に絡まれちゃって。お父様がなかなか家から出してくれなかったんだけど、でも白夜様が一緒なら安心ですわ♡」
女は何を勘違いしたのか再び腕を絡めてくる。
「そうだわ!ねえ白夜様、これから一緒にデートしましょう?ここで会えたのも婚約者ゆえのご縁だと思っていますの。私、実は欲しいものがあって~」
わざとらしく甘い口調で話す彼女をニコニコと見つめた。
「ふ。…いいぜ、行こうかデート」
「え~ホント⁈」
「ああ、俺も仕事のせいか中々会えなくて寂しかったし。埋め合わせって意味ではいい機会かもな」
そう言えば女は顔をパーッと明るくさせて体を更に俺へと密着させる。大きな谷間の胸を見せているつもりだろうが全くもって靡かない。
「あ、でも一つだけ頼みがあんだけど」
「んん?なぁにぃ~」
「お前の親父に会わせてくんね?」
「え?お父様に?」
女はその問いかけに目を丸くした。
「暫く会えてねぇし。挨拶ぐらいしとかなきゃと思ってな。…これから世話になるわけだし」
俺が言えば女は納得したのか嬉しそうに頷いた。
「ふふ、そうね。いずれは私も鬼頭家に嫁ぐわけだし。いいわ!でもデートが先ね♡」
グイグイと腕を引っ張っられれば、俺はおっえっと心の中で舌を出した。
賑やかな繫華街には明かりが灯れば酔っ払い客が宴会を開く。本来なら寝静まる時間さえここでは関係ない。
女はあれからあーでもないこーでもないと自身の世間話から最近会った異性の話など、自分にとっては心底どうでもいい色気話に花を咲かせていた。
正直クソほどどうでもいい内容ばかりで、興味すらそそられない無意味なマシンガントーク相手にはいい加減骨が折れそうだった。
これがアイツ相手だったら永遠に聞いていられただろうに。彼女とならどんな話にだって耳を傾けていられる。
ああ、きっと今頃は夢の中だろうか。
帰ったら真っ先に頭を撫でながらその寝顔を拝み、久方ぶりに布団に入って一緒に寝て…
「…様、白夜様!」
「!!…あ?」
ボーっと考えていたせいか呼ばれているのに気がつかなかった。
「も~、さっきからずっと呼んでいますのに!」
女は不機嫌になったのか、むくれた顔でプイッとそっぽを向いてしまう。早速面倒くせーご機嫌とりか。
「せっかくのデートですのよ?婚約者が隣にいると言いますのに、よそ見なんてあんまりですわ」
俺はそんな腕に自身の腕を絡めてくる女をチラリと見やる。
「悪ぃ、ちょっとばかり仕事の考えごとをしていたんだ」
「私より仕事の方が大事だと仰りたいの??白夜様は私が嫌いなのね!!」
女はヒステリックに声を荒げれば俺へと迫ってくる。
まさかここまで拗らせてやがるとは。
こういう女は嫌いだ。気が済まないと声を荒げて起伏を激しくさせれば何でも許されると思っているあたり、心の中には自然と苛立ちが募っていく。
「はあ、悪かったって。もう仕事のことは考えねぇから大目にみてくれ」
「白夜様は私のこと好き?」
「おー好き好きー」
適当に返せば女はそれを本音と受け取ったのか機嫌がなおっていく。
「んで?一体俺達はどこに向かってんの?」
先ほどから随分と奥の店までやってきたが、ここらは繫華街でも治安が悪い。
多くの飲み屋やクラブ店が建ち並べばガラの悪い連中にも遭遇するスポット。
仕事で立ち寄ることは過去に何度かあった。
一度酔っ払いに絡まれてタコ殴りにしてやったこともあったが、この俺に殺されないだけ有難いと思え。
「それはついてからのお楽しみ♡」
グイグイと腕を引っ張られれば、やがて連れて来られたのは一軒のクラブ店。バウンサーは俺の存在にぎょっとするも顔パスですんなりと通してくれる。
そうしてガヤガヤと賑わう通りを抜ければVIPルームへと通される。
「こんな場所にクラブがあったとはな。よく来るのか?」
「最近ある友達に紹介されて通い始めた場所なの。お父様が夜は私を家から出したがらないせいで満足に遊びにも行けないって、友達に相談したらここを教えてくれたの。せっかくだから飲みましょ?」
女はやって来た黒服ボーイに声をかけ注文すれば、ボーイはそそくさと退室する。
「あ~悪ぃけど。俺は酒が飲めねータイプだ」
「ふふ、大丈夫。そう言うと思ってお酒の代わりにシャンパンを用意したから♡」
暫くして戻ってきたボーイからグラスとシャンパンを受け取れば、女はグラスを差し出してくる。俺はグラスのシャンパンをみつめ、互いのグラス同士で乾杯をする。
「ここは24時間営業で客も絶えることないわ。飲んで遊びたくなったら下に行くこともできるし。でも今日は私と居てね♡」
「へぇ~。ちなみにここをお前に紹介した友達って、以前ウチに事業案持ち込んできたとこの娘?」
「え、すごいわ!よく分かったわね」
「はは、やっぱりな」
なるほどな、、、これでピースは揃ったわけだ。
俺はありったけの笑みで微笑めば次にかかる獲物を待ち構えた。