夏目慧。二十一歳。
理工学部生命医工学科所属の大学生。
趣味、女の足を作ること。
言葉少ない夏目のかわりに槙島が説明する内容をまとめてみるとこういうことらしい。
〝女の足を作ること〟に関してだけは夏目からさらなる補足があり、大学でコンピューター制御の義足を研究していて、その被験者を探しているとのことだった。
「大学生は否が応でも研究しないといけないもんなの」とは夏目の言である。
あのダンス教室は夏目の祖母が経営していたもので、祖母が亡くなるまでは夏目もダンスをしていたらしい(まったくもって想像ができない)。
その縁もあり、研究テーマを決めるときに社交ダンスができる義足にしたんだとか。
「ちなみに俺はアマチュアの競技ダンス選手だよう。これでもチャンピオン。すごいでしょ?」とは槙島の言。
確かに槙島はきらきらしていてい王子様感があるのでこちらは納得だった。
槙島もかつては夏目ダンススクールに通っていたらしく、そのときの腐れ縁で夏目の世話をしているらしい。
目を離すと死んでいそうだからと言っていたが、なるほど、生命力はかなり乏しい気がしないでもない。
ダンス教室を訪ねたのは昼時だというのに、夏目の買い物袋には炭酸水とサプリのみ。
食べていたアイスもソーダ味一本。
もしこれを昼食として買ってきたのなら食事という概念が完全に欠如している。
(義足、かあ……)
あれから一週間が経ったが、はらわたの深いところで何かがしこりのように重くのしかかっていた。
〝どうせ夏休みでしょ? 暇ならつきあってよ〟
夏目の声が未だに意識の片隅に貼りついて、呪いのように反芻されている。
「ねえ、そうちゃん先生」
「加賀先生、せめて宗一郎先生って呼んでくれないかなぁ」
部屋の隅でかたかたとカルテを記入していた宗一郎が苦虫を噛みつぶしたような声をあげた。
彼のこの緩さ加減が気に入っているのだが、こんな調子だからいつまで経ってもマリに義足を使わせられないのである。
本人は気づいていないかもしれないが。
今日は一週間ぶりのリハビリの日で、宗一郎は午前の外来が終わってリハビリ室でカルテを片づけていた。
本来リハビリ室でやるようなことではないのだが、マリが来ているときはこうして様子を見るついでに作業をしている。
相変わらずの過保護っぷりだ。
ゴムボールを短くなったほうの足で押しつぶしながら、
「義足でさ、ダンスって踊れるものかね」
ぼんやり、ほとんど独り言のような口調で訊いた。
かたかた……かた。
それまで断続的に響いていたタイピングの音がやんで、宗一郎がこちらを振り返った。
アマガエルのように目を見開いている。
「マリちゃん、義足使ってくれるの!?」
「使わない」
間髪入れずに答えると「なんだぁ」と落胆を一切隠さずに肩を落としてため息をついた。
「基本的には難しいと思うけど、ダンスってヒップホップ?」
「違う。社交ダンス」
正しくは競技ダンスだと直されたが知るか。
「義足の種類は?」
「大腿義足」
義足にはいくつか種類があるが、マリのように膝より上、股関節より下での切断では〝大腿義足〟と呼ばれるものを装着する。
膝関節のかわりに膝継手というものが太股と人口ふくらはぎの間に挿入されていて、それが曲がったり伸びたりすることで歩行を可能にしている。
「なら難しいんじゃないかなぁ。マリちゃんみたいな大腿義足の場合、膝の関節は意識的に操作できないからね。地面を押した刺激でかくっと折れて、振り子のように前に振ることでシャキーンとまっすぐになる。これの連続で歩いてるだけで、曲げたい、伸ばしたいという命令は一切受けつけないから」
「ふーん」
生返事を返しながら、なんとなくあの日見せられた義足を思いだしていた。
夏目が差しだした義足は試作品の一つであって、実際マリが使うのはもっと無骨な機械っぽいやつらしい。
金属の足には夏目がプログラミングしたデータが搭載されていて、歩いているのか走っているのか、はたまた後退しているのかを感知して膝の動きを制御するらしい。
だとすると、もしかしたら簡単なステップくらいは踏めるのかもしれないが。
「マリちゃーん。次こっちね」
と遠くのほうで理学療法士が呼んだので立ちあがった。
「はあい」
と生返事をしつつ、ぐるりと周囲を眺めやる。
やはりマリのフィールドはこのリハビリ室であってダンスホールではない。
もしかしたらコンピューター制御で多少見られるくらいの踊りはできるのかもしれないが、それだって〝義足の割によく頑張ったね〟程度のものだろう。
そんな同情詰め込みパックみたいな視線を好き好んで受ける必要はない。
(帰りに寄って、ちゃんと断ろう)
連絡先でも訊いておけばよかったと後悔しながら(しかしすぐに切れる縁で電話番号を知られるのも嫌だ)、残りのリハビリを憂鬱に過ごした。