木曜日だというのに人でごった返した街中は先ほど一瞬だけ降った夕立のせいで蒸した熱気が立ち込めている。
湿気でうねる癖っ毛の持ち主、月島マリは恨めしげに濃灰色に濡れたアスファルトを睨んで毛先をいじりながら電動車椅子を走らせていた。
別にただ買い物につきあうだけなので張り切る理由はないのだが、タカヒロが口にしたデートという単語が尾を引いている。
しかも相手は美容師であり、うねうね髪で会いに行ったら引かれるどころか嘲笑されてしまうのではというネガティブ思考が余計に気おくれさせていた。
待ち合わせに指定されたカフェにつくと「ねえ、あの人」という女の人の声が聞こえ、何気なく声の主が指差したほうをみて固まった。
ガードパイプの端に浅く腰掛けスマートフォンをいじっているタカヒロがいて、その周囲を女の人が遠巻きに囲っている。
インディゴブルーのサマーニットに黒いワイドパンツという当たり障りのない服装をしていたが、そこに美容師の占有スキルであるヘアセットを合わせた結果かなり見栄えがよくなっていた。
一方のマリはいつも通りの制服姿に車椅子。
気おくれしていた心が完全に後方へと吹き飛んでいく。
「あ、マリちゃん。こっちっこっち」
逃げようとした心がばれたのか向こうから声をかけられてしまい、周囲にいた女の人が「何あれ車椅子?」とくすくす笑う。
しかしタカヒロは女性陣の防壁をものともせずに駆けてきて、
「うん、やっぱりその髪型似合ってる。すごくかわいいよ」
恥ずかしげもなく言い切って「行こっか」と車椅子の背後に回った。
「これ電動だよ?」
「ここは人も多いし僕が押すよ。人の少ないところについたらモーターに頼ろう」
妹も足が悪いというだけあってさすがになれた様子で車椅子を操った。
こういうところは夏目や槙島と明らかに違う。
唯我独尊で我関せずな夏目と、優しい王子様ではあるがどことなくチャラい槙島。
それに慣れきってしまったマリはなんだかむず痒さを覚えてしまう。
最近できたショッピングビルに入るとタカヒロの目の色が変わった。
張り切ってマリを連れまわし、あっちも見たい、こっちのセレクトショップはセンスがいいと右往左往し始める。
「このスカートかわいいね。マキシ丈だから足も隠れる」
「でもプリーツだと車椅子に座ったときに形が崩れるよ? 長すぎると車輪に巻き込まれるかもしれないし」
「じゃあこっちのワンピースは?」
「てろてろのサテン生地だと車椅子の座面からずり落ちちゃうかも」
「あーなるほどそういうリスクもあるのかあ。じゃあこっちのシャツワンピは?」
「パフスリーブがかわいいけど、腕回りが結構タイトじゃないかな。狭いところだと両腕で車輪を操作するから、腕は動きやすいほうがいいと思うよ」
「そんなこと考えたこともなかった。いやあマリちゃんに来てもらってよかったよ」
こんな感じの応酬が続いたあと、だんだんと要領を得てきたタカヒロはいちいち訊かないでも選べるようになっていた。
よってマリは店の入り口に車椅子を止めてせわしなく動くタカヒロを目で追う作業に徹する。
優しい彼は中まで押していくと言い張ったが、邪魔をしたくなかったのでマリが断った。
しばらくは申し訳なさそうにちらちらとこちらを見ていたが、そのうち買い物に夢中になってそれもなくなった。
(よっぽど妹さんが好きなんだろうな。もはやシスコンの域)
そうは思いつつも嬉しそうにプレゼントを選ぶ姿に悪い気はせず、微笑ましくてくすくす笑っていると、
「ねえマリちゃん! このAラインワンピースはどう?」
ハンガーにかかっている一枚のワンピースを掲げて振り向いた。
ミントグリーンのワンピースは夏らしい麻素材で、冷房の風でふわふわと揺れるほど軽やかだ。
腰に締めたサッシュリボンがアクセントになっていてデザインも女の子らしい。
丈も車椅子で邪魔にならない膝下で、腕回りも緩すぎずきつすぎず。
「いいと思う。デザインもかわいいし」
「ならよかった。じゃあ着てみてよ」
「あーうん……って、え?」
一瞬聞き流しかけたがこちらに向かって来るタカヒロの笑顔で意味を飲みこむと余計に目が点になる。
「わたしが試着しても意味ないよっ」
「何言ってんの。これはマリちゃんへのプレゼントなんだから」
「何それ聞いてないっ」
こういうとき車椅子というのは不便で、タカヒロに一方的に搬送されて更衣室までたどり着くと、ワンピースを押しつけられて個室に押し込まれた。
「ほらほら、早く」
更衣室の中には小さな丸椅子が用意されていた。
普通は狭くなるのでこんなものは置かないだろうし、マリのためにわざわざ用意してもらったのだろう。
ここまでしてもらって着ないでいるのも失礼な気がしてきた。
諦めてスカートのファスナーに手をかけ脱ぎ捨てると、ごとっという布にあるまじき音を立てて床に落ちた。
「大丈夫?」とカーテン越しに声がかかり「なんでもないっ」と返答してスカートを持ちあげる。
ポケットにカッターナイフが入ったままだった。
こういうのって銃刀法違反とやらに引っかかるのでは。
慌てて鞄に押し込みなかったことにして着替えを済ませる。
用意されたサイズはぴったりで、ちょうどいいスカート丈がマリの断端も綺麗に隠していた。
「着れた?」
「うん……」
姿見に映る自分を凝視していると、背後のカーテンが開いてタカヒロが顔を覗かせた。
髪を切ったときのように鏡越しに視線を合わせて「うん、やっぱりその髪色によく似合ってるね。すごくかわいい」とにこにこ笑う。
かわいいという単語に面食らって首をすぼめ、しかし気になってもう一度鏡を覗き込んだ。
確かにかわいかった。
少し派手めな赤毛をミントグリーンが落ち着かせていて、ふわりと広がるスカートのおかげで一本しかない足にあまり視線が流れない。
ダンスのときとは違う昂揚感に思わず自分でも「かわいい」とぽろり。
「よし、じゃあこれ買ってあげる」
「え?」
「すいませーん。このまま着ていきたいのでタグ切ってもらえませんか?」
「はーい、今はさみお持ちしますねぇ」
マリの知らないところで勝手に話が進んでいく。
「わ、悪いからいいってば」
「こういうときに遠慮するほうが失礼なんだよ? それとも僕ってそんなに頼りない?」
「そういうわけじゃ」
「なら大人の財力に甘えて欲しいな。それでも断るっていう非道な行いをするなら、僕だって何するかわかんないよ?」
ちっちっちと指を左右に振って悪ぶった顔をするタカヒロがすごく似合わなくて、思わずぷっと吹きだした。
「え? 何?」
「なんでも。じゃあ……ありがたく」
「そうこなくっちゃね。じゃあお会計してくるからちょっと待ってて」
タカヒロが立ち去ってから改めて鏡に映る自分を見た。
赤毛のアンがちょっとおめかしをしたみたいな、デートらしい雰囲気になった。
というか、もしかして制服以外に服を持っていない子だと思われたのでは……。
悲しい理由が思い至ったがぶんぶんと頭を振って弾き飛ばした。
今は厚意に甘えよう。
「あ、そうだ。このあともう一か所行きたいんだけどいいかな?」
「いいですよ。まだ三時過ぎだし」
「ありがとう。じゃあこっちだよ」
ビルをでて大通りを進む。
ここも人が多いのでタカヒロが車椅子を押してくれた。
そこでふと、先ほどのお店で妹へのプレゼントを買っていないことに気づいた。
気に入ったのがなかったのかな?
単純にそう思って、だから別の店に行くのだとこのときは楽観的に考えていた。
湿気でうねる癖っ毛の持ち主、月島マリは恨めしげに濃灰色に濡れたアスファルトを睨んで毛先をいじりながら電動車椅子を走らせていた。
別にただ買い物につきあうだけなので張り切る理由はないのだが、タカヒロが口にしたデートという単語が尾を引いている。
しかも相手は美容師であり、うねうね髪で会いに行ったら引かれるどころか嘲笑されてしまうのではというネガティブ思考が余計に気おくれさせていた。
待ち合わせに指定されたカフェにつくと「ねえ、あの人」という女の人の声が聞こえ、何気なく声の主が指差したほうをみて固まった。
ガードパイプの端に浅く腰掛けスマートフォンをいじっているタカヒロがいて、その周囲を女の人が遠巻きに囲っている。
インディゴブルーのサマーニットに黒いワイドパンツという当たり障りのない服装をしていたが、そこに美容師の占有スキルであるヘアセットを合わせた結果かなり見栄えがよくなっていた。
一方のマリはいつも通りの制服姿に車椅子。
気おくれしていた心が完全に後方へと吹き飛んでいく。
「あ、マリちゃん。こっちっこっち」
逃げようとした心がばれたのか向こうから声をかけられてしまい、周囲にいた女の人が「何あれ車椅子?」とくすくす笑う。
しかしタカヒロは女性陣の防壁をものともせずに駆けてきて、
「うん、やっぱりその髪型似合ってる。すごくかわいいよ」
恥ずかしげもなく言い切って「行こっか」と車椅子の背後に回った。
「これ電動だよ?」
「ここは人も多いし僕が押すよ。人の少ないところについたらモーターに頼ろう」
妹も足が悪いというだけあってさすがになれた様子で車椅子を操った。
こういうところは夏目や槙島と明らかに違う。
唯我独尊で我関せずな夏目と、優しい王子様ではあるがどことなくチャラい槙島。
それに慣れきってしまったマリはなんだかむず痒さを覚えてしまう。
最近できたショッピングビルに入るとタカヒロの目の色が変わった。
張り切ってマリを連れまわし、あっちも見たい、こっちのセレクトショップはセンスがいいと右往左往し始める。
「このスカートかわいいね。マキシ丈だから足も隠れる」
「でもプリーツだと車椅子に座ったときに形が崩れるよ? 長すぎると車輪に巻き込まれるかもしれないし」
「じゃあこっちのワンピースは?」
「てろてろのサテン生地だと車椅子の座面からずり落ちちゃうかも」
「あーなるほどそういうリスクもあるのかあ。じゃあこっちのシャツワンピは?」
「パフスリーブがかわいいけど、腕回りが結構タイトじゃないかな。狭いところだと両腕で車輪を操作するから、腕は動きやすいほうがいいと思うよ」
「そんなこと考えたこともなかった。いやあマリちゃんに来てもらってよかったよ」
こんな感じの応酬が続いたあと、だんだんと要領を得てきたタカヒロはいちいち訊かないでも選べるようになっていた。
よってマリは店の入り口に車椅子を止めてせわしなく動くタカヒロを目で追う作業に徹する。
優しい彼は中まで押していくと言い張ったが、邪魔をしたくなかったのでマリが断った。
しばらくは申し訳なさそうにちらちらとこちらを見ていたが、そのうち買い物に夢中になってそれもなくなった。
(よっぽど妹さんが好きなんだろうな。もはやシスコンの域)
そうは思いつつも嬉しそうにプレゼントを選ぶ姿に悪い気はせず、微笑ましくてくすくす笑っていると、
「ねえマリちゃん! このAラインワンピースはどう?」
ハンガーにかかっている一枚のワンピースを掲げて振り向いた。
ミントグリーンのワンピースは夏らしい麻素材で、冷房の風でふわふわと揺れるほど軽やかだ。
腰に締めたサッシュリボンがアクセントになっていてデザインも女の子らしい。
丈も車椅子で邪魔にならない膝下で、腕回りも緩すぎずきつすぎず。
「いいと思う。デザインもかわいいし」
「ならよかった。じゃあ着てみてよ」
「あーうん……って、え?」
一瞬聞き流しかけたがこちらに向かって来るタカヒロの笑顔で意味を飲みこむと余計に目が点になる。
「わたしが試着しても意味ないよっ」
「何言ってんの。これはマリちゃんへのプレゼントなんだから」
「何それ聞いてないっ」
こういうとき車椅子というのは不便で、タカヒロに一方的に搬送されて更衣室までたどり着くと、ワンピースを押しつけられて個室に押し込まれた。
「ほらほら、早く」
更衣室の中には小さな丸椅子が用意されていた。
普通は狭くなるのでこんなものは置かないだろうし、マリのためにわざわざ用意してもらったのだろう。
ここまでしてもらって着ないでいるのも失礼な気がしてきた。
諦めてスカートのファスナーに手をかけ脱ぎ捨てると、ごとっという布にあるまじき音を立てて床に落ちた。
「大丈夫?」とカーテン越しに声がかかり「なんでもないっ」と返答してスカートを持ちあげる。
ポケットにカッターナイフが入ったままだった。
こういうのって銃刀法違反とやらに引っかかるのでは。
慌てて鞄に押し込みなかったことにして着替えを済ませる。
用意されたサイズはぴったりで、ちょうどいいスカート丈がマリの断端も綺麗に隠していた。
「着れた?」
「うん……」
姿見に映る自分を凝視していると、背後のカーテンが開いてタカヒロが顔を覗かせた。
髪を切ったときのように鏡越しに視線を合わせて「うん、やっぱりその髪色によく似合ってるね。すごくかわいい」とにこにこ笑う。
かわいいという単語に面食らって首をすぼめ、しかし気になってもう一度鏡を覗き込んだ。
確かにかわいかった。
少し派手めな赤毛をミントグリーンが落ち着かせていて、ふわりと広がるスカートのおかげで一本しかない足にあまり視線が流れない。
ダンスのときとは違う昂揚感に思わず自分でも「かわいい」とぽろり。
「よし、じゃあこれ買ってあげる」
「え?」
「すいませーん。このまま着ていきたいのでタグ切ってもらえませんか?」
「はーい、今はさみお持ちしますねぇ」
マリの知らないところで勝手に話が進んでいく。
「わ、悪いからいいってば」
「こういうときに遠慮するほうが失礼なんだよ? それとも僕ってそんなに頼りない?」
「そういうわけじゃ」
「なら大人の財力に甘えて欲しいな。それでも断るっていう非道な行いをするなら、僕だって何するかわかんないよ?」
ちっちっちと指を左右に振って悪ぶった顔をするタカヒロがすごく似合わなくて、思わずぷっと吹きだした。
「え? 何?」
「なんでも。じゃあ……ありがたく」
「そうこなくっちゃね。じゃあお会計してくるからちょっと待ってて」
タカヒロが立ち去ってから改めて鏡に映る自分を見た。
赤毛のアンがちょっとおめかしをしたみたいな、デートらしい雰囲気になった。
というか、もしかして制服以外に服を持っていない子だと思われたのでは……。
悲しい理由が思い至ったがぶんぶんと頭を振って弾き飛ばした。
今は厚意に甘えよう。
「あ、そうだ。このあともう一か所行きたいんだけどいいかな?」
「いいですよ。まだ三時過ぎだし」
「ありがとう。じゃあこっちだよ」
ビルをでて大通りを進む。
ここも人が多いのでタカヒロが車椅子を押してくれた。
そこでふと、先ほどのお店で妹へのプレゼントを買っていないことに気づいた。
気に入ったのがなかったのかな?
単純にそう思って、だから別の店に行くのだとこのときは楽観的に考えていた。