赤毛のアンみたいだな、というのが第一印象だった。
赤の入ったアッシュというより、アッシュの入った赤というほうが近い気がする。
長さはあまり変えていないのだが、パーマもかけたので若干毛先があがって鎖骨のあたりがくすぐったい。
眉上の短い前髪が気になっていじりながら、防音扉の前で深呼吸。
(なんか言うかな……)
もともと赤っぽい黒髪だったが、それが染料のおかげでくすみのない色になっている。
確かに普段よりかは幾分か……かわいい、気がする。
意を決してスタジオの扉をあけると、西部劇のようにくるくると埃が回転しながらフロアを横断していった。
吹きつけるけぶたい熱風に息が詰まる。
外から見た時点でフロアに夏目がいないことは知っていた。
半開きになっているマッドサイエンティスト工房に狙いを定め、土間の縁に車椅子を寄せると四つん這いで這いあがる。
玄関にはマリ用の松葉杖が用意されているので、それを使ってフロアを縦断。
クリーニング袋が邪魔だった。
「夏目さーん。ドレス持ってきたんだけど」
ドアに向かって声をかけるも返答はない。
しかし薄明かりが漏れているので中にいることは明白だった。
マリは遠慮なく扉をあけて、
「ぎゃっ」
久しぶりに心底びっくりしたような声がでた。
夏目は作業台に突っ伏して寝息を立てていた――マリの左足を抱きかかえたまま。
納涼祭が終わったあと、夏目がデータを解析すると言って回収していったマリの足は、今や夏目の抱き枕になっている。
鈍色の足に額を預けてすうすうと眠りこける姿はどう見ても猟奇的だ。
「おーい、起きろっ。気持ち悪いぞ、夏目慧っ」
顔の近くで手を振るが死人のように反応がない。
マリの起こした風圧で長い睫毛が揺れていた。
こうしてみると顔立ちはどちらかといえば女顔で、鼻筋が嫌みかというくらい通っている。
普段は眉間の皺が台無しにしているが、悔しいことに脱力している顔は作り物と見まごうほどだ。
(睫毛、埃乗っちゃいそう)
夏目は数百年前に忘れ去られた埃まみれの陶磁器人形で、独りぼっちが恋しくて仲間を作ろうとしている……というなんちゃってアダムとイヴのストーリーが浮かんでしまい、何気なく至近距離で顔を覗き込んだときだった。
灰色の瞳がふっと開いて、虚ろに彷徨いながらマリを映した。
どきっとして飛び退こうとしたのだが、寝起きとは思えない俊敏さでマリの手首を掴んで引き寄せる。
まだ視点のはっきりしない瞳が、わずかに熱を持ってくゆりと揺らいだ。
「みゆき……?」
「え?」
夏目の口から飛びだした知らない名前に訊き返すと、朧気だった灰色の瞳が珍しく見開かれた。
しかしすぐに首がかくんと直角に折れ曲がり、夏目の額がマリの顎をごりっと削った。
「痛っ。ちょっと夏目さん。起きるならちゃんと起きてってば」
「あと十秒で起きる」
「ゆったな? 十、九、八」
「お前、慈悲はないのか」
「ない」
うなだれた夏目はいつにも増して生気がなく具合が悪そうだったが、それとこれとは話が別である。
こっちはさっさとドレスを返して帰りたいし、顎を削った謝罪も欲しい。
「七、六、五」
と、カウントしながら肩を揺すった振動で、夏目の下敷きになっていたものがばさばさと落下した。
「あーもうっ。ちょっとは片づけなよ」
片手を掴まれているのでわずかにしか屈めず、めいっぱい腕を伸ばして落ちたものをたぐり寄せる。
一冊の雑誌だった。
とあるページで不自然に膨れあがっていたので指先を使って該当箇所を開くと、処方箋薬局の名前が印字された薬袋が挟まっていた。
水色のプラスチックシートにオレンジ色の薬が封じ込められていて半分ほどがなくなっている。
見覚えのある薬だった。
マリが幻肢痛に悩まされていた頃、痛みの軽減に処方されていた抗うつ薬。
なんでそんなものがここに?――と思ったところで、袋が挟まっていたページに視線が移った。
社交ダンスを踊る男女の白黒写真がでかでかと掲載されていて、大きな見出しが躍っている。
『市川深雪(十六)、交通事故で下腿切断。選手生命、断たれる』
(市川って、納涼祭であの記者が言っていた……?)
白黒写真に写っていたのは一人の少女だった。
社交ダンス最大の見せ場であるピクチャーポーズ、スロー・アウェイ・オーバー・スウェイを決めている。
マリもクイックステップに組み込んだものだ。
足を後方に引きながら肩甲骨あたりでかくっと折れるその姿勢は、マリがやると息が止まるし足がぷるぷると震えてしまうのだが、写真の少女は美しく決めるどころか余裕綽々とばかりにうっとりとした笑みまで浮かべている。
眉上で切りそろえた前髪のせいでどこか幼い印象があるが、射貫くような瞳がそれを相殺していて色っぽさもあった。
しかし何よりマリが気になったのは彼女が着ているドレスだ。
色がないので形でしか判断できないが、納涼祭でマリが借りた、今手に持っているドレスだった。
そして。
そして――。
そして、その向かいには。
仰け反る少女を伏し目がちに見つめる夏目がいた。
まるで壊れやすい宝物を扱うように少女のことを腕に抱き、熱っぽい視線を向けている。
愛しすぎて片時も目が離せないと、瞳がものを言うように。
いつの間にかカウントも忘れて記事を見つめていた。
つまみあげるすんでのところで夏目が先に拾いあげ、猫じゃらしにつられるようにマリも顔をあげた。
作業台に備えつけられた引き出しの中に雑誌を放り込んで義足をマリに押しつけると、
「お前なんて髪型してんだよ。……顔洗ってくる」
大きなあくびをしながらマッドサイエンティスト工房をでていく夏目を振り返れなかった。
遠くのほうでドアが開いて閉まる音がしても、まだ閉ざされた引き出しに釘つけになっている。
〝下腿切断か。条件的にはありっちゃありだな〟
出会ったときに言われた夏目の言葉が今になって引っかかった。
条件とは何だったのか。
それはつまり、市川深雪と同じ下腿切断だったってこと――?
赤の入ったアッシュというより、アッシュの入った赤というほうが近い気がする。
長さはあまり変えていないのだが、パーマもかけたので若干毛先があがって鎖骨のあたりがくすぐったい。
眉上の短い前髪が気になっていじりながら、防音扉の前で深呼吸。
(なんか言うかな……)
もともと赤っぽい黒髪だったが、それが染料のおかげでくすみのない色になっている。
確かに普段よりかは幾分か……かわいい、気がする。
意を決してスタジオの扉をあけると、西部劇のようにくるくると埃が回転しながらフロアを横断していった。
吹きつけるけぶたい熱風に息が詰まる。
外から見た時点でフロアに夏目がいないことは知っていた。
半開きになっているマッドサイエンティスト工房に狙いを定め、土間の縁に車椅子を寄せると四つん這いで這いあがる。
玄関にはマリ用の松葉杖が用意されているので、それを使ってフロアを縦断。
クリーニング袋が邪魔だった。
「夏目さーん。ドレス持ってきたんだけど」
ドアに向かって声をかけるも返答はない。
しかし薄明かりが漏れているので中にいることは明白だった。
マリは遠慮なく扉をあけて、
「ぎゃっ」
久しぶりに心底びっくりしたような声がでた。
夏目は作業台に突っ伏して寝息を立てていた――マリの左足を抱きかかえたまま。
納涼祭が終わったあと、夏目がデータを解析すると言って回収していったマリの足は、今や夏目の抱き枕になっている。
鈍色の足に額を預けてすうすうと眠りこける姿はどう見ても猟奇的だ。
「おーい、起きろっ。気持ち悪いぞ、夏目慧っ」
顔の近くで手を振るが死人のように反応がない。
マリの起こした風圧で長い睫毛が揺れていた。
こうしてみると顔立ちはどちらかといえば女顔で、鼻筋が嫌みかというくらい通っている。
普段は眉間の皺が台無しにしているが、悔しいことに脱力している顔は作り物と見まごうほどだ。
(睫毛、埃乗っちゃいそう)
夏目は数百年前に忘れ去られた埃まみれの陶磁器人形で、独りぼっちが恋しくて仲間を作ろうとしている……というなんちゃってアダムとイヴのストーリーが浮かんでしまい、何気なく至近距離で顔を覗き込んだときだった。
灰色の瞳がふっと開いて、虚ろに彷徨いながらマリを映した。
どきっとして飛び退こうとしたのだが、寝起きとは思えない俊敏さでマリの手首を掴んで引き寄せる。
まだ視点のはっきりしない瞳が、わずかに熱を持ってくゆりと揺らいだ。
「みゆき……?」
「え?」
夏目の口から飛びだした知らない名前に訊き返すと、朧気だった灰色の瞳が珍しく見開かれた。
しかしすぐに首がかくんと直角に折れ曲がり、夏目の額がマリの顎をごりっと削った。
「痛っ。ちょっと夏目さん。起きるならちゃんと起きてってば」
「あと十秒で起きる」
「ゆったな? 十、九、八」
「お前、慈悲はないのか」
「ない」
うなだれた夏目はいつにも増して生気がなく具合が悪そうだったが、それとこれとは話が別である。
こっちはさっさとドレスを返して帰りたいし、顎を削った謝罪も欲しい。
「七、六、五」
と、カウントしながら肩を揺すった振動で、夏目の下敷きになっていたものがばさばさと落下した。
「あーもうっ。ちょっとは片づけなよ」
片手を掴まれているのでわずかにしか屈めず、めいっぱい腕を伸ばして落ちたものをたぐり寄せる。
一冊の雑誌だった。
とあるページで不自然に膨れあがっていたので指先を使って該当箇所を開くと、処方箋薬局の名前が印字された薬袋が挟まっていた。
水色のプラスチックシートにオレンジ色の薬が封じ込められていて半分ほどがなくなっている。
見覚えのある薬だった。
マリが幻肢痛に悩まされていた頃、痛みの軽減に処方されていた抗うつ薬。
なんでそんなものがここに?――と思ったところで、袋が挟まっていたページに視線が移った。
社交ダンスを踊る男女の白黒写真がでかでかと掲載されていて、大きな見出しが躍っている。
『市川深雪(十六)、交通事故で下腿切断。選手生命、断たれる』
(市川って、納涼祭であの記者が言っていた……?)
白黒写真に写っていたのは一人の少女だった。
社交ダンス最大の見せ場であるピクチャーポーズ、スロー・アウェイ・オーバー・スウェイを決めている。
マリもクイックステップに組み込んだものだ。
足を後方に引きながら肩甲骨あたりでかくっと折れるその姿勢は、マリがやると息が止まるし足がぷるぷると震えてしまうのだが、写真の少女は美しく決めるどころか余裕綽々とばかりにうっとりとした笑みまで浮かべている。
眉上で切りそろえた前髪のせいでどこか幼い印象があるが、射貫くような瞳がそれを相殺していて色っぽさもあった。
しかし何よりマリが気になったのは彼女が着ているドレスだ。
色がないので形でしか判断できないが、納涼祭でマリが借りた、今手に持っているドレスだった。
そして。
そして――。
そして、その向かいには。
仰け反る少女を伏し目がちに見つめる夏目がいた。
まるで壊れやすい宝物を扱うように少女のことを腕に抱き、熱っぽい視線を向けている。
愛しすぎて片時も目が離せないと、瞳がものを言うように。
いつの間にかカウントも忘れて記事を見つめていた。
つまみあげるすんでのところで夏目が先に拾いあげ、猫じゃらしにつられるようにマリも顔をあげた。
作業台に備えつけられた引き出しの中に雑誌を放り込んで義足をマリに押しつけると、
「お前なんて髪型してんだよ。……顔洗ってくる」
大きなあくびをしながらマッドサイエンティスト工房をでていく夏目を振り返れなかった。
遠くのほうでドアが開いて閉まる音がしても、まだ閉ざされた引き出しに釘つけになっている。
〝下腿切断か。条件的にはありっちゃありだな〟
出会ったときに言われた夏目の言葉が今になって引っかかった。
条件とは何だったのか。
それはつまり、市川深雪と同じ下腿切断だったってこと――?