「マリちゃん、義足を試してみないかい?」
「義足、ですか」
白い壁に覆われた四角い空間で、主治医の加賀宗一郎がにこやかに微笑んだ。
皺一つない清潔な白衣を身に纏う宗一郎はまだまだ若い。
だがマリの手術からずっと担当している人なので、たぶんマリ自身よりもマリのことに詳しい。
そんな宗一郎が小首をかしげて「もう高校生だし、かわいい義足でスカートを穿いて、お洒落とかしてみたいんじゃないかなあ」と顔色を窺うように訊いた。
マリは壁の向こうからくぐもって響く蝉の声をぼんやりと聞きながら、深く考えもせずに「スカートってすーすーして寒いですよね」
がっくりと肩を落とした宗一郎が机に向き直った。
簡素な机には五色ボールペンが一本だけ入ったペン立てとデスクトップパソコンが一台置かれている。
軽妙なタイプ音が静かな診察室に短く響いて、開かれていたマリの電子カルテに一言刻まれた。
〝義足、相変わらず拒否〟
「拒否じゃありません」
ついむっとして声をあげると宗一郎がにんまりと笑って、
「拒否じゃないなら、どうしてずっと首を縦に振ってくれないんだい? もう手術から十年も経つんだよ」
とわざとらしく小首をかしげた。
(やられたっ……)
あえてカルテ画面を見せられていたことに今さら気づいたがあとの祭りだ。
「……車椅子のほうが楽ですから。電動だし」
「そんなんじゃ、ぶよぶよのマシュマロみたいになっちゃうよ」
「リ、リハビリはしてるってば」
横目に宗一郎がマリのほうを見る。
どきりとした。
心の中を見透かされているような視線だったから。
もぞもぞと車椅子の上で居住まいを正すと膝かけを引き寄せて足を隠した。
私服を考えるのが面倒くさいというなんとも横着な理由だけで制服を選んだのだが、今朝の自分はなんと愚かだったのだろうと少し後悔した。
マリの高校はスカート丈が他の学校に比べてかなり短く、クラスメイトはそれを喜んでいるらしいがマリにとってはいい迷惑だ。
とはいえ、もっと長くたって膝かけが必須アイテムなことに変わりはないが。
十年前、目の前にいる柔和な医師から骨肉腫と告げられた。
骨肉腫は簡単に言えば骨のガンである。
十代の子どもが多くなる病気だが、マリが発症したのは五歳のとき。
珍しいと言われたがまったく以て嬉しくない。
あのとき、宗一郎は医者になって間もなくて、小児科の医師として胸を躍らせていたであろう時期で、そんなさなかに五歳のマリに対して宣告をしなければならなかったのはきっとすごく酷だったことだろう――と、自分の感情よりも宗一郎の心痛のほうに気が行ってしまう。
それくらい、小さいマリには事の重大さが理解できていなかった。
ようやく大変なことになったと気づいたのは左足を切断する前日である。
次の日の手術に備えて宗一郎が病室を訪ねたあと、病院から脱走したのを覚えている。
痛みに疼く足で、とにかく遠くへ逃げなければと無我夢中で歩いた。
結局、不自由な足では街を抜けることすらできなくて、大冒険は幕を閉じた。
そういえば、あの冒険もちょうど今日みたいな夏の始まりだった。
あの夏以来、マリはずっと車椅子を使っている。
膝かけでなくなってしまった左足を隠しながら。
「はは、冗談だよ。マリちゃんはどちらかというとムキムキだよね。リハビリのしすぎ」
無理しちゃあいけないよ、と言いながら宗一郎はパソコンに向かった。
マリは黙って、その動く指を目で追いかける。
かたかたかた……、かちかち。
リズミカルなタイプ音。
思わず右足が反応して、不慣れなリズムを追いかけた。
「義足、ですか」
白い壁に覆われた四角い空間で、主治医の加賀宗一郎がにこやかに微笑んだ。
皺一つない清潔な白衣を身に纏う宗一郎はまだまだ若い。
だがマリの手術からずっと担当している人なので、たぶんマリ自身よりもマリのことに詳しい。
そんな宗一郎が小首をかしげて「もう高校生だし、かわいい義足でスカートを穿いて、お洒落とかしてみたいんじゃないかなあ」と顔色を窺うように訊いた。
マリは壁の向こうからくぐもって響く蝉の声をぼんやりと聞きながら、深く考えもせずに「スカートってすーすーして寒いですよね」
がっくりと肩を落とした宗一郎が机に向き直った。
簡素な机には五色ボールペンが一本だけ入ったペン立てとデスクトップパソコンが一台置かれている。
軽妙なタイプ音が静かな診察室に短く響いて、開かれていたマリの電子カルテに一言刻まれた。
〝義足、相変わらず拒否〟
「拒否じゃありません」
ついむっとして声をあげると宗一郎がにんまりと笑って、
「拒否じゃないなら、どうしてずっと首を縦に振ってくれないんだい? もう手術から十年も経つんだよ」
とわざとらしく小首をかしげた。
(やられたっ……)
あえてカルテ画面を見せられていたことに今さら気づいたがあとの祭りだ。
「……車椅子のほうが楽ですから。電動だし」
「そんなんじゃ、ぶよぶよのマシュマロみたいになっちゃうよ」
「リ、リハビリはしてるってば」
横目に宗一郎がマリのほうを見る。
どきりとした。
心の中を見透かされているような視線だったから。
もぞもぞと車椅子の上で居住まいを正すと膝かけを引き寄せて足を隠した。
私服を考えるのが面倒くさいというなんとも横着な理由だけで制服を選んだのだが、今朝の自分はなんと愚かだったのだろうと少し後悔した。
マリの高校はスカート丈が他の学校に比べてかなり短く、クラスメイトはそれを喜んでいるらしいがマリにとってはいい迷惑だ。
とはいえ、もっと長くたって膝かけが必須アイテムなことに変わりはないが。
十年前、目の前にいる柔和な医師から骨肉腫と告げられた。
骨肉腫は簡単に言えば骨のガンである。
十代の子どもが多くなる病気だが、マリが発症したのは五歳のとき。
珍しいと言われたがまったく以て嬉しくない。
あのとき、宗一郎は医者になって間もなくて、小児科の医師として胸を躍らせていたであろう時期で、そんなさなかに五歳のマリに対して宣告をしなければならなかったのはきっとすごく酷だったことだろう――と、自分の感情よりも宗一郎の心痛のほうに気が行ってしまう。
それくらい、小さいマリには事の重大さが理解できていなかった。
ようやく大変なことになったと気づいたのは左足を切断する前日である。
次の日の手術に備えて宗一郎が病室を訪ねたあと、病院から脱走したのを覚えている。
痛みに疼く足で、とにかく遠くへ逃げなければと無我夢中で歩いた。
結局、不自由な足では街を抜けることすらできなくて、大冒険は幕を閉じた。
そういえば、あの冒険もちょうど今日みたいな夏の始まりだった。
あの夏以来、マリはずっと車椅子を使っている。
膝かけでなくなってしまった左足を隠しながら。
「はは、冗談だよ。マリちゃんはどちらかというとムキムキだよね。リハビリのしすぎ」
無理しちゃあいけないよ、と言いながら宗一郎はパソコンに向かった。
マリは黙って、その動く指を目で追いかける。
かたかたかた……、かちかち。
リズミカルなタイプ音。
思わず右足が反応して、不慣れなリズムを追いかけた。