記念に足型の抜け殻をもらった。
さわると石膏が手について白くなるので、制服が汚れないように紙袋へしまう。
松葉杖で両手が塞がっているので手首に袋を引っかけたのだが、杖先が地面につくたびに大きく揺れてしまって擦れて壊れるのではないかとひやひやした。
あまりにも袋の中ばかり覗き込んでいたので、横から伸びてきた手が袋をかっさらっい「こんなの何に使うんだよ」と呆れた声をあげながら持ってくれた。
「デコるんです、JKですから」
「あっそ」
乙女心の機微に無頓着な夏目をからかってやろうと偏見を持ってイメージした女子高生像をさらに強調して言ってみたのだが、なまじ本気にしていそうな答えが返ってきて仕掛けたこちらが絶句した。
いくら女子高生と無縁な夏目でも、これが嘘だってことくらいわかるよね?
真意を探ろうと顔を覗き込んでみたがいつも通りのポーカーフェイスがあるだけだ。
(ま、いっか)
夏目が女子高生という生き物を変な方向に理解したとして、今はそんなのどうでもよくなっていた。
夏目が肩に担いでいる義足を見あげ、青灰色の夕闇を反射するボディににやにやする。
角からでてきた老婆が神輿のように担がれた足を見て「ぎゃっ」と悲鳴をあげたがそれすらもなんとなく誇らしくて。
足が二本あったら老婆の周りをスキップしていたかもしれない。
せっかく完成した義足だが、今日は夏目が大学に持っていってプログラムの微調整をするんだとか。
残念な気もしたが、マリはダンスを踊るとき以外義足をつけるつもりはなかったので別段困らない。
どうせ元通りに動かないのなら、片足での生き方を模索するほうが潔い気がして好きなのだ。
だから――義足は、夏目の腕の中でしか使わない。
あの中でだけは、両足があった頃よりも自由に動けるから。
夏目と別れ車椅子で帰宅する道すがら、この前までテナント募集をしていた店舗が新規オープンしていた。
ショーウィンドウにはカラフルな靴がディスプレイされている。
(靴屋になったんだ、ここ)
今までだったら自分に無縁な店がまた増えたと不機嫌になるところだったが、今日のマリは少しだけ上機嫌だ。
コンバースのスニーカーにニューバランス、夏にはどう考えても不向きなぼてっとしたフォルムのブーツ、あっクロスストラップのサンダルはラムネ色で結構好きかも。
そこでふと、エナメル地のハイヒールが意識の端でちらついた。
あんなピンヒールは……置いていないな。
ダンス用の靴は専門店にしかないのかもしれない。
ちりりん、とドアベルの音がした。
店の中から前方不注意のまま男性が一人飛びだしてきて、ショーウィンドウ前に車椅子で陣取っていたマリとぶつかった。
マリの膝の上に身投げするような格好になった男性が「うわ、すみません」と慌てた様子で手をついて上体を持ちあげた。
マリはと言えば男性が手をついた場所を凝視していた。
本来であれば女子高生のありがたい左太股があるはずの位置。
しかし男性が触れているのは近代工学の髄を集めた衝撃吸収クッションだ。
(ばれたっ……)
足がないくせに靴屋を眺めていたことが急に恥ずかしくなった。
逃げたい気持ちだったが男性が膝のあたりでまごついているのでそれも叶わない。
混乱する頭で何か言い訳をしなければと必死に思考を巡らせていたとき、
「あれ、マリちゃん? こんなところで会うなんて奇遇だね」
聞き覚えのある声がして膝から顔をあげる。
至近距離にあった顔は見知った顔だった。
「タカヒロさん?」
柔和な笑みを見せた男性はマリがいつも通っている美容室のスタイリストだった。
車椅子でも嫌な顔一つせず、他の客と同じように扱ってくれる。
足がないことを知っている人でよかったと思う反面、美容師特有のきらきらしたオーラに居心地の悪さを覚える。
「あの、近い」
「おっと、ごめんごめん」
ぱっと離れたタカヒロがマリの前にしゃがみ込んだ。
「マリちゃんも買い物?」
胸に抱きしめていた紙袋を見ながらタカヒロが訊いた。
まさか中に入っているのが足型の抜け殻だとは思うまい。
説明するのも恥ずかしかったので「そんなところです」と合わせると、タカヒロが「僕もだよ」と応じて手に持っていたビニール袋を掲げた。
「仕事用のスニーカーを買いに来たんだ。マリちゃんはサンダルかな。この色好きでしょ?」
ショーウィンドウに飾られていたラムネ色のサンダルを指差したのでびっくりして息が止まった。
なんでばれたのか。
美容師はこういう機微に聡くて苦手だ。
「違いますよ。靴は安いスニーカーでいいんです。どうせ半分捨てるんだから」
かわいげない言い方をしたが相手は客商売百戦錬磨の美容師だ。
笑顔を崩さずビニール袋の中に手を突っ込んで、
「そうだ、そんなマリちゃんにいいものあげるよ。手だして」
促されるまま差しだすとマリの手のひらに何かが落ちた。
カラフルな靴紐だった。
「おまけでもらったんだけど僕は使わないからさ。これなら二本あっても別の靴に使えるし、何よりその白いスニーカーがかわいくなる」
タカヒロが指差した先にはマリの無機質なスニーカーがある。
ここ最近は松葉杖使用の厳命を王様より拝していたのでスニーカーを使っていた。
「ね?」
「でも悪い」
と言うマリの手を外側から握り込んでタカヒロが靴紐を握らせた。
「お礼はまた美容室で指名してくれればいいからさ。靴紐に負けないくらいかわいくするよ」
「……じゃあ、いただきます」
ここで断るのも失礼な気がした。
靴紐を受け取るとタカヒロが満面の笑みを向けてきて、もう許容量オーバーだった。
赤くなった顔をごまかすようにお礼を述べると最大速度で逃げ帰る。
帰宅後、ベッドから見える位置に足型の抜け殻と靴紐を飾った。
学習机のランドセル置き場だ。
中学に入ってからは大理石っぽい見た目のローテーブルを買ってもらったのでしばらく使っていなかった。
小学校で時が止まったままの学習机には『卒業おめでとう』と書いてある学級新聞と『三年生のみんなへ』と題された保健だよりが張られたままだ。
ここ何年も視界に入らなかった保健だよりを見ながら、ああそうか、と急に腑に落ちた。
夏目はどこかあの保健医と似ているのだ。
マリを特別扱いしないどころか、ちゃんと邪険に扱ってくれる緩さ加減が。
自然体でいてもいいのだと思える、あの縛りのないスタジオは心地いい。
あの空間では誰もが自由で、誰もがちょっとおかしくて、だから誰も何も気にしないのだ。
今日はちょっとだけいい日だった気がする、と布団に身体を投げだしてごろごろと転がりながら、時折り視界に入る抜け殻たちを眺めた。
ふと思いついて寝返りを打ち、枕元に置いてある本棚からノートとシャープペンシル、分厚くて一生使う予定のなかった英和辞書とCDを一枚引っ張りだす。
CDは映画の名曲サウンドトラック。
中から歌詞カードを取りだして数ページめくると英語で書かれたページがでてきた。
シャルウィダンスのあの曲だ。
昔お婆ちゃんに買ってもらったCDだったが不親切にも日本語訳が書いておらず、意味が理解できなかったので本棚の肥やしになっていた。
慣れない英和辞書をぱらぱらとめくり、冒頭から翻訳を試みる。
インターネットで検索すれば一発で出るのだろうが、夏目がすんなりと英語で歌ったのが気に食わなかったので。
「ええっと……わたしたち、は、自己紹介を、した、ばかり。あなたのことを、知らない……ちがう、よく、知らない、だ。……だけど、音楽、始まった、ら……かな? ……何かが、引き寄せた、あなたのそばに……」
そのうちにだんだんと瞼が重くなっていき、一つ深い呼吸を満足げに吐いたときには、ほどよい気だるさの中で眠りについていた。
さわると石膏が手について白くなるので、制服が汚れないように紙袋へしまう。
松葉杖で両手が塞がっているので手首に袋を引っかけたのだが、杖先が地面につくたびに大きく揺れてしまって擦れて壊れるのではないかとひやひやした。
あまりにも袋の中ばかり覗き込んでいたので、横から伸びてきた手が袋をかっさらっい「こんなの何に使うんだよ」と呆れた声をあげながら持ってくれた。
「デコるんです、JKですから」
「あっそ」
乙女心の機微に無頓着な夏目をからかってやろうと偏見を持ってイメージした女子高生像をさらに強調して言ってみたのだが、なまじ本気にしていそうな答えが返ってきて仕掛けたこちらが絶句した。
いくら女子高生と無縁な夏目でも、これが嘘だってことくらいわかるよね?
真意を探ろうと顔を覗き込んでみたがいつも通りのポーカーフェイスがあるだけだ。
(ま、いっか)
夏目が女子高生という生き物を変な方向に理解したとして、今はそんなのどうでもよくなっていた。
夏目が肩に担いでいる義足を見あげ、青灰色の夕闇を反射するボディににやにやする。
角からでてきた老婆が神輿のように担がれた足を見て「ぎゃっ」と悲鳴をあげたがそれすらもなんとなく誇らしくて。
足が二本あったら老婆の周りをスキップしていたかもしれない。
せっかく完成した義足だが、今日は夏目が大学に持っていってプログラムの微調整をするんだとか。
残念な気もしたが、マリはダンスを踊るとき以外義足をつけるつもりはなかったので別段困らない。
どうせ元通りに動かないのなら、片足での生き方を模索するほうが潔い気がして好きなのだ。
だから――義足は、夏目の腕の中でしか使わない。
あの中でだけは、両足があった頃よりも自由に動けるから。
夏目と別れ車椅子で帰宅する道すがら、この前までテナント募集をしていた店舗が新規オープンしていた。
ショーウィンドウにはカラフルな靴がディスプレイされている。
(靴屋になったんだ、ここ)
今までだったら自分に無縁な店がまた増えたと不機嫌になるところだったが、今日のマリは少しだけ上機嫌だ。
コンバースのスニーカーにニューバランス、夏にはどう考えても不向きなぼてっとしたフォルムのブーツ、あっクロスストラップのサンダルはラムネ色で結構好きかも。
そこでふと、エナメル地のハイヒールが意識の端でちらついた。
あんなピンヒールは……置いていないな。
ダンス用の靴は専門店にしかないのかもしれない。
ちりりん、とドアベルの音がした。
店の中から前方不注意のまま男性が一人飛びだしてきて、ショーウィンドウ前に車椅子で陣取っていたマリとぶつかった。
マリの膝の上に身投げするような格好になった男性が「うわ、すみません」と慌てた様子で手をついて上体を持ちあげた。
マリはと言えば男性が手をついた場所を凝視していた。
本来であれば女子高生のありがたい左太股があるはずの位置。
しかし男性が触れているのは近代工学の髄を集めた衝撃吸収クッションだ。
(ばれたっ……)
足がないくせに靴屋を眺めていたことが急に恥ずかしくなった。
逃げたい気持ちだったが男性が膝のあたりでまごついているのでそれも叶わない。
混乱する頭で何か言い訳をしなければと必死に思考を巡らせていたとき、
「あれ、マリちゃん? こんなところで会うなんて奇遇だね」
聞き覚えのある声がして膝から顔をあげる。
至近距離にあった顔は見知った顔だった。
「タカヒロさん?」
柔和な笑みを見せた男性はマリがいつも通っている美容室のスタイリストだった。
車椅子でも嫌な顔一つせず、他の客と同じように扱ってくれる。
足がないことを知っている人でよかったと思う反面、美容師特有のきらきらしたオーラに居心地の悪さを覚える。
「あの、近い」
「おっと、ごめんごめん」
ぱっと離れたタカヒロがマリの前にしゃがみ込んだ。
「マリちゃんも買い物?」
胸に抱きしめていた紙袋を見ながらタカヒロが訊いた。
まさか中に入っているのが足型の抜け殻だとは思うまい。
説明するのも恥ずかしかったので「そんなところです」と合わせると、タカヒロが「僕もだよ」と応じて手に持っていたビニール袋を掲げた。
「仕事用のスニーカーを買いに来たんだ。マリちゃんはサンダルかな。この色好きでしょ?」
ショーウィンドウに飾られていたラムネ色のサンダルを指差したのでびっくりして息が止まった。
なんでばれたのか。
美容師はこういう機微に聡くて苦手だ。
「違いますよ。靴は安いスニーカーでいいんです。どうせ半分捨てるんだから」
かわいげない言い方をしたが相手は客商売百戦錬磨の美容師だ。
笑顔を崩さずビニール袋の中に手を突っ込んで、
「そうだ、そんなマリちゃんにいいものあげるよ。手だして」
促されるまま差しだすとマリの手のひらに何かが落ちた。
カラフルな靴紐だった。
「おまけでもらったんだけど僕は使わないからさ。これなら二本あっても別の靴に使えるし、何よりその白いスニーカーがかわいくなる」
タカヒロが指差した先にはマリの無機質なスニーカーがある。
ここ最近は松葉杖使用の厳命を王様より拝していたのでスニーカーを使っていた。
「ね?」
「でも悪い」
と言うマリの手を外側から握り込んでタカヒロが靴紐を握らせた。
「お礼はまた美容室で指名してくれればいいからさ。靴紐に負けないくらいかわいくするよ」
「……じゃあ、いただきます」
ここで断るのも失礼な気がした。
靴紐を受け取るとタカヒロが満面の笑みを向けてきて、もう許容量オーバーだった。
赤くなった顔をごまかすようにお礼を述べると最大速度で逃げ帰る。
帰宅後、ベッドから見える位置に足型の抜け殻と靴紐を飾った。
学習机のランドセル置き場だ。
中学に入ってからは大理石っぽい見た目のローテーブルを買ってもらったのでしばらく使っていなかった。
小学校で時が止まったままの学習机には『卒業おめでとう』と書いてある学級新聞と『三年生のみんなへ』と題された保健だよりが張られたままだ。
ここ何年も視界に入らなかった保健だよりを見ながら、ああそうか、と急に腑に落ちた。
夏目はどこかあの保健医と似ているのだ。
マリを特別扱いしないどころか、ちゃんと邪険に扱ってくれる緩さ加減が。
自然体でいてもいいのだと思える、あの縛りのないスタジオは心地いい。
あの空間では誰もが自由で、誰もがちょっとおかしくて、だから誰も何も気にしないのだ。
今日はちょっとだけいい日だった気がする、と布団に身体を投げだしてごろごろと転がりながら、時折り視界に入る抜け殻たちを眺めた。
ふと思いついて寝返りを打ち、枕元に置いてある本棚からノートとシャープペンシル、分厚くて一生使う予定のなかった英和辞書とCDを一枚引っ張りだす。
CDは映画の名曲サウンドトラック。
中から歌詞カードを取りだして数ページめくると英語で書かれたページがでてきた。
シャルウィダンスのあの曲だ。
昔お婆ちゃんに買ってもらったCDだったが不親切にも日本語訳が書いておらず、意味が理解できなかったので本棚の肥やしになっていた。
慣れない英和辞書をぱらぱらとめくり、冒頭から翻訳を試みる。
インターネットで検索すれば一発で出るのだろうが、夏目がすんなりと英語で歌ったのが気に食わなかったので。
「ええっと……わたしたち、は、自己紹介を、した、ばかり。あなたのことを、知らない……ちがう、よく、知らない、だ。……だけど、音楽、始まった、ら……かな? ……何かが、引き寄せた、あなたのそばに……」
そのうちにだんだんと瞼が重くなっていき、一つ深い呼吸を満足げに吐いたときには、ほどよい気だるさの中で眠りについていた。