車椅子禁止令がでているので慣れない松葉杖でひょこひょことついていくが、背の高い後ろ姿は一度もこちらを振り返らない。
 むかっときてスピードをあげて隣に並ぶと、本当に目が開いているのかと疑わしくなるほど糸目になっている。
 容赦なく照りつける太陽光は夏目の色素の薄い目とすこぶる相性が悪いようだ。
 紙袋を手首にひっさげふらふらと歩いている。

「ねえ夏目さん。もう疲れちゃったんだけど」
「体力」

 たった一言でばっさりと切り捨てられ口がへの字にひん曲がる。
 わかってるよそんなことは。
 甘えてみたらどうなるのかなってちょっとだけ気になっただけじゃんか。
 けち。

 構ってくれと言うつもりはないけれど、もう少しコミュニケーションを取ってくれても罰はあたらないだろうに。
 この三日間、会話もなく退屈なトレーニングをさせられていた恨みがぐんぐん募る。
 しかし隣を歩く夏目は日なたぼっこ中の猫のように伸びやかなあくびをかましており、それが余計に腹立たしかった。

「ねえ、どこ行くの」
「行けばわかる」

 王様態度で言い放つと、やはりこちらを振り向きもしないで空中で何かを計算するような仕草。
 マリのことなんてアウトオブ眼中。
 夏目の頭は今も工房に取り残されたままだ。
 ふつふつと怒りが湧きあがり一発殴ってやろうかと思ったが、両手は松葉杖で塞がっている。

 いや、ちがう。
 怒っているのは、たぶんそんなことではなくて。

 ダンスを教えてくれるんだと、思っていたから。

 あれから毎日、つまらない筋トレばかり。
 しかも夏目はそれを一切見ることがない。
 何をしているんだか知らないがずっと工房に引きこもっている。

〝俺は嘘にしない〟

 あの日、夢を見てしまった自分が馬鹿らしくなった。
 きっと本心では夏目もダンスなんて無理だと思っていて、だから筋トレで時間稼ぎをしているんだ。
 〝研究はしました〟という名目を作るためだけに納涼祭にでて、ぎこちなく右往左往してはい終了。
 あの台詞は足を売るための単なるセールストークだったのに、愚かなマリはまんまと騙された。
 宗一郎は無理だと言っていたのだから、そっちを信じておけばよかったのに。

「……もう歩けない」

 途端に全てがどうでもよくなって、電柱に背中を預けるとずるずる滑ってしゃがみ込んだ。
 灼熱のアスファルトがじゅっとマリの地肌を焼いたがそれすらもどうでもよくて。
 白かった肌がだんだんと赤く火照っていくさまを黙って見おろす。

「だから体力つけろつってんだろ。我が儘言わずに歩け」
「無理。もうほんと無理。夏目さん一人で行きなよ」
「来いって言ったら来るんだよ」
「やだ」
「立て」

 夏目がマリの腕を掴み立ちあがらせようとするが、後ろに体重を預けて必死に抵抗する。
 こんがらがった頭が夏の熱気でさらにオーバーヒートして、もう何がなんだかわからない。

「やだったらっ」

 自分史上一番大きな声で吐き捨てると、気づけば目頭がアスファルトよりも熱くなっている。
 透明な液体がぱらぱらと落ちて、灰白色の地面に染みを作った。

 勝手に一人で期待して、盛りあがって、こんなくだらないことで泣くなんて馬鹿みたいだ。
 もうさっさと夏目がどこかに消えてくれないかなと、地面の染みを睨みながら神に祈るような気持ちだった。

 頭上からため息が降ってきたのはそんなときで、びくんと身体が跳ねあがる。
 ああ、完全に見限られた。

「……お前、あの曲好きなの?」
「え?」

 唐突に話題が変わったので面食らって言葉に詰まる。
 しばらく無言でいると夏目がいらいらした口調で「うちに来た日、流れてただろ」とつけ足した。

「あ」

 ようやくどの曲のことを指しているのか思い至り、少し考えてから「嫌いじゃない」と曖昧に答える。
 考えたこともなかったが、つられるくらいの愛着はあるので。

「そうか」

 これで夏目はいなくなる。
 ほっとしながらも、何故だか心臓の深いところがずぅんと重くなったときだった。

「あの曲は」

 言いながら夏目がマリの両脇に手を差し込んで、まるで猫を持ちあげるみたいにみょーんと抱きあげた。

「ちょっ……」
「口うるさい女が王様と踊るときの曲で」

 夏目と向かい合うような格好で左足の甲の上に立たされる。
 地面に落ちている松葉杖を拾いあげ右腕にひっさげると、夏目の肩を掴むように指示をして、

「なにするのっ」
基本の足型(ベーシツク・ルーティン)
「べー……?」
「俺が動くから覚えて」

 瞬間、夏目はマリを左足に乗せたまま動きだした。
 マリの体重なんて一切無視して、背中から羽根が生えたようにふわりと動く。
 途中で回転しながら、跳ねながら、道を突き進む。

「な、にこれっ……夏目、さんっ」
足型構成(アマルガメーシヨン)はフォワード・ロック、ナチュラル・スピン・ターン、プログレッシブ・シャッセ挟んでフォワード・ロック、ナチュラル・ターンの繰り返し」
「そんなこと言われてもわからないっ」
「ダンス、踊りたかったんだろ」

 何、それ。

 夏目の言葉にどきりとした。
 マリの気持ちが見透かされている。

「だ、だからって足の上に乗せてぶん回すのは違うでしょっ」

 跳ねる鼓動をごまかすように憎まれ口を叩くが、夏目は一切表情を変えずに眠そうな目で進行方向を見ている。
 脇道から現れた女性がぎょっとした顔で踊り続けるマリたちを見ていた。
 恥ずかしさで顔から火がでそう……だったけれど。

「あは、あはは、すごいねえ夏目さん。羽根が生えてるみたいだよ、空飛んじゃいそうだよ」
「馬鹿言ってないで覚えろよ」

 変人も変人。
 不機嫌そうに目を細めて機敏に動く夏目の姿は、端から見れば相当に異様だろう。

 それでも、道行く人全員が足を止めて見ていた。
 おそらくマリも、夏目の上に乗っていなければあの群衆の一角で足を止めていたことだろう。
 それくらい、夏目の踊っている姿は美しかったのだ。

 この異様な景色が王宮のダンスホールに見えてしまうくらい。
 思わず見とれてしまう、身に纏う圧倒的な世界観。

(もしかして、夏目さんってものすごいダンサーだったんじゃ)

 とくとくと跳ねる心臓のリズムに心地よさを覚えていたとき、耳元から下手をすれば聞き漏らしてしまいそうなほどの小さい歌声が聞こえてきて拍動と重なった。
 喉のあたりで少しごろつく、耳心地のいい重低音が意識の深いところを揺らして木霊する。

「On the clear understanding, That this kind of thing can happen. Shall we dance? Shall we dance? shall we dance?……」