お嬢さんは精神に重篤なダメージを抱えているようですね。

 精神科医が憐れむような、敬虔な信徒のような、とにかく胡散臭い口調で母親にそう告げるのを、よく飽きないなあと思いながら隣でぼーっと聞いていた。

 いつまでも義足を使わないでいたら小児科の偉い先生が勝手に精神科医を紹介してきて、月に一度通わされていた時期がある。
 精神科医は気のないマリを見てさらに慈悲深い表情になって、きっとそのうち義足も受け入れられるようになりますよ、気長に治療していきましょうねなんて優しく微笑む。
 母親はというとマイペースな人なので、この子はファーストシューズを履くのもイヤイヤしていたんですよ、と医師の真意をわかっているのか怪しい様子でのらりくらりと躱していた。

 そして診察が終わるといつも病院のカフェテラスに立ち寄って、大きすぎるパフェを二人でわけあいっこして帰る。
 カウンセリングの話は一切しなかった。

 だが世間の人はどうしても型にはめたいらしく、義足をつけろと学校でも強要されてしばらく授業にも参加させてもらえず、スクールカウンセラーの部屋へ押し込められていた。
 クラス会では何度も議題として取りあげられ、障害があってもみんなは仲間ですとか、固い絆がクラスにはあるとか、差別のない社会をとか綺麗な言葉を並べ立てる教師がどうにも好きになれなくて、気づけば保健室登校になっていた。

 みんな言葉の末尾には必ず〝マリさんのためなのよ〟という言葉がついたけれど、当人にしてみれば精神科医や教師のどの言葉よりも、母親とわけあう一杯のパフェのほうがよほど自分のためになっている気がした。

「代理ミュンヒハウゼン症候群」
「え?」

 当時雑談のつもりで話していたら、いつも気怠そうな保健医が、気怠そうな態度でそんな言葉を教えてくれた。

「普通は親が子にやるんだけど、健康な子どもをわざと傷つけたり病気にしたりして、健気に看病する親になりきることで世間から同情や注目、はたまた賞賛を得ようとする精神疾患。アナタハヨクヤッテイルワ~ショウガイニコンナニリカイガアルナンテスバラシ~」
「ぷっ、何それ」
「校長と教頭の真似。似てるだろ」
「似てる~」

 この保健医と出会って、誰かを〝かわいそう〟という位置に押し込めて庇護することで自分のアイデンティティを得ようとする人種がいることを学んだ。

 そう話す保健医はというと一切遠慮のない人で、特別扱いもしないで、むしろマリに荷物持ちなんかもさせて、電動車椅子助かるわーとていたらくに笑っていたのを覚えている。