「アレはどこまでも追ってくる。決して逃げられない運命(さだめ)なの。でも、あなたならきっと――」

 そういい遺して息を引き取った母の体には、獣につけられたような噛み跡や引っ掻き傷が無数に残されていた。
 そして私は天涯孤独の身になった――。

「これより婚姻の儀を執り行う」

 私は今、白無垢に身を包み花嫁になろうとしている。
 広間には狩衣に造面姿の男たちがずらりと並び、厳粛に淡々と事を進めていく。

「こちらを一息で飲まれよ」

 男の一人に朱の杯を差し出された。
 赤黒い液体が揺蕩っている。とても美味しそうには思えない。
 恐る恐る一口含むと、口内に広がる鉄の味。まるで生き血のように生臭い。
 思わず吐き出しそうになるのをぐっと堪え、なんとか飲みきった。

「これをもって清水(きよみず)沙夜を犬神家当主、犬神朔人(いぬがみさくと)贄嫁(にえよめ)とする――」

 その瞬間、私は「犬神沙夜」となった。
 これから先のことを考えると不安で、たまらず体が震える。
 いたたまれず目を泳がすと、隣に座っていた青年と目があった。
 漆黒の髪。狼のような鋭い深紅の瞳に射貫かれれば体が動かなくなる。
 同じ人間とは思えないほど、恐ろしくも美しい人だった。

「お前はもう俺から逃れることはできない――俺だけの花嫁だ」

 この日、私は犬神朔人の贄嫁になった――。