ミーンは親を説得し、スーとハロルに同行することとなった。弟子入りのときもそうだったが、ミーンの両親は彼女のやりたいことを第一に考えてくれる理解のある人たちだった。決して子供に対して無関心な親であるというわけではない。それは、ミーンと一緒に彼女の家に出向いた際、ハロルが確認している。二人とも誠実でやさしい人だと、会話を聞いているだけで充分に伝わって来た。

 旅立ちの日までは、引き続きスーの家で住み込みながら虚構術を学ぶこととなった。実技はてんで駄目だが座学は相当できる。ハロルは姉弟子として教えてやろうと隣で勉強していたが、まったくなにもわからず、ミーンに呆れられてしまった。

「どうしてこれがわからないのに、あんなに凄い虚構術が使えるの?」

 言われてみればまったくわからない。ハロルにとって都合の良いことだったので考えたことすらなかったが、確かに理不尽である。自分は天才だからという理由では、一つも二つも足りなかった。

 スーの家に(ほろ)馬車に乗って兵士が現れたのは二日後の朝だった。
 馬車の御者としてやって来たのは、意外にも『虚構士は好かん』と言っていたあの青髪の女剣士だった。

「ナガー・プリッドだ。ナガーでいい」

 短く自己紹介をして、座席に乗るように促した。
 だがミーンが乗ろうとしたとき、ナガーの手がそれを阻んだ。手ではミーンを止めながら、視線はスーを刺している。

「レフォスト殿、舐めているのか?」
「いいえ。まったく。彼女も虚構士ですから」
「こんな幼子を——」
「守り切る自信がありませんか?」

 スーの言葉は時々誰の言葉よりも鋭利になる。普段のやわらかな物腰からは想像できないほどに。一刀のもとに伏されたナガーは、短く息を吐くとミーンの手を引いて車内の座席に案内した。

「ありがとう! わたしはミーン。よろしくね!」
「あ、ああ」

 顔に氷を張り付けたような彼女だったが、ミーンの輝きに少し溶かされてしまったようで、恥ずかしそうに視線を泳がせていた。

 続いてハロルとスーが乗り込むと、ナガーは御者《ぎょしゃ》台《だい》に腰を下ろし、手綱を引いた。

 カラカラカラと木の車輪が回る。

「ミーン。尻が痛くなったら言えよ」
「痛くなったらどうするの?」
「膝の上に座れ。オレがクッションになってやるよ」

 ミーンはパッと顔を輝かせてサッと立ち上がり、ハロルの膝の上にお尻を乗せる。

「待て待て待て! 痛くなってからだ。こんな序盤から座られたらオレだって尻が痛くなっちまうぜ!」

 言われてミーンはすごすごと席に戻った。

「お話は自由にしていていいですが、あまり騒がしくしてはいけませんよ」

 馬車はそれからしばらくはなにごともなく進み続けた。行く道は、森林の隙間を踏み固めたような道であり、レンガなどの舗装もないところだったが、人々の通行が多いためか雑草の類は少なく、馬が足を取られる場面などもなかった。
 スーは揺れる馬車の中で立ち上がり、御者台に足を掛けた。

「よっと」

 馬を操るナガーの隣に座った。

「なんの用だ」
「いくつか気になることがありまして。質問よろしいですか?」
「答えられる範囲ならばな」

 ハロルは二人のやり取りに口を挟まなかったが、耳を傾けてはいた。視線はと言うと、ナガーのタイツに包まれたむちむちとした尻に注がれている。

「ナガーは虚構士がお嫌いなのでしょう? どうしてこの度我々の護衛を引き受けてくださったのですか?」
「お前たちに頼まれたのならば断わっていただろう。王の命令とあらば従わざるを得ない」
「なるほど。それはつまり、やはり虚構士がお嫌いなのは変わらないと言うことですね」
「その通りだ」

 冷たく言い放たれるも、スーは笑みを深める。

「そんな確認をするなど、随分自虐的なのだな。レフォスト殿は」
「スーでいいですよ。変わりましょう」

 スーは両手を出した。手綱を貰い受けるつもりだろう。

「構うな。これも私の仕事だ」
「いえ。あなたの仕事は護衛です。我々を守ってくれるその力を、別の所に使うなどもったいない」
「今一度言うが、私は虚構士が嫌いだ。信用もしていない。この意味がわかるか?」
「ええ。もしも僕が進路を勝手に変えたなら、首を刎ねれば良いのです」

 ——ガタッ。

 ハロルは立ち上がり、二人の間に顔を出していた。

「おや、聞いていたのですか」
「物騒なこと言うなよ、師匠」
「ですが、それもナガーの役目。そうですよね?」

 再度スーは両手を出す。ナガーはその手に手綱を渡しながら、呆れた顔で息を吐いた。

「そうだが……どうしてそう思った?」
「簡単なこと。アシオン王は、虚構士の存在を良く思っていません。未知を恐れる臆病者ですからね。我々のことも御疑いだ。今回の事件も僕たちの仕業だと思っておいででしょう。おかしな動きをしたら即断即決で殺せる兵が良い。そう言うことではないですか?」
「その通りだ。だがもう一つ、私が宛がわれた理由がある」

 スーは視線で先を促す。

「私が女だからだ」
「なにか関係が?」
「白々しいことを言うのだな。わかるだろう。面白くないのだ。女が男の兵士より強いと言うのが。今回の調査は、もしも虚構士絡みで戦わなければならないとなれば、命を落とす危険性もある」
「王はあなたに死んで欲しいのですね」
「師匠!」

 ハロルは堪らず声を上げた。眉を吊り上げているハロルに、スーは笑顔のまま片眉を上げて、肩を竦めた。

「ははっ。僕としたことが弟子の前で不躾な質問でしたね」
「いや、お前の言う通りだろうから、構わん」
「ならば、我々は似た者同士ですね」
「は?」

 ナガーはキョトンとした。

「強い兵が死んでしまっては戦のときに不利になると言うのに、それよりもなによりも王は強い女と言う未知を怖がっておいでです。自分の想像外の生き物が、本当に苦手なようだ」

 眼鏡の奥の瞳はますます笑みを深める。底が知れない。

「しかしながら、ナガーは違いますよね。臆病さゆえに、虚構士を嫌いになったわけではなさそうです。お聞かせ願えませんか。どうしてそこまで嫌うのか」

 ナガーは俯いて、なにかを考えているようだった。
 と、そこで不意に馬の挙動が変わる。スーは手綱を引いて馬を止め、ペダルを踏んで幌馬車を止めた。
 ハロルが馬車の横から身を乗り出して先を見ると、そこには三人の大人が立っていた。

「金を置いて行け。そうすれば見逃してやる」

 男たちはそれぞれに剣を構えている。追剥ぎか。
 ハロルが腰の創筆に手を伸ばすと、スーの声が被さる。

「ハロル。なりません」
「なんでだよ」
「もう国境を越えています。いくら同盟国のイアルグとは言え、ここで我々が力を使えば国際条約に反します。それに」

 眼鏡の奥の双眸が、ナガーの横顔に流れた。

「我々が手を貸せば、彼女の力不足を証明することになる。それは面白くないでしょう?」

 ハロルは言葉を飲み込んだ。

 ナガーは二人のやり取りを聞きながら、追剥ぎの三人から目を切らないでじっと見ていた。

「なぜ我々を狙った? 子供も頭数に含めれば、貴様らの方が人数は少ないのだぞ?」

 追剥ぎたちは顔を見合わせ笑う。

「子供二人に御者が一人。こいつらは戦えそうにない。んで頼みの綱の剣士も女だ。人数が一人多いからって、こっちが不利になるわけねえだろ!」

 ナガーは「なるほど」と小さく呟き、剣を背負ったまま跳んだ。
 助走なしの跳躍で、一気に馬の頭を越える。着地の瞬間、ズンッという音が響き、近くの木々が震えた。ナガーは高身長だ。筋肉もある。だからそれなりに体重は有ると言える。だが、ボディタイツに包まれた腹回りのくびれを見るに、それでも一般的な男性より少し重いかどうかと言った程度だろう。この鉄塊が地面に突き刺さったような音は、恐らく彼女が背中に担いでいる大剣の重さからなるものだと推測できる。それでなおあの跳躍を見せたのだから、彼女の脚力とそれを活かし切る運動神経は想像に難くない。
 男たちは少しだけ後退った。

「人数は関係ないな、確かに」

 背中の大剣を掴んでいる鞘に左手を回して革製の留め具を3か所外す。柄に右手首を掛けて下向きに力を入れると、テコの原理でぐるんと回転しながら彼女の真横に剣身が躍り出た。
 常識的ではない跳躍。流れるような抜剣。この一連の流れを見れば、手練れであることを知るのは容易だ。相手の強さを測れる者ならとっくに逃げ出しているだろう。三人掛かりでも分はない。それはたとえ追剥ぎごときにでもわかることだった。だが男たちも退く気はないようだ。それは男のプライドか、それとも追剥ぎのプライドか。いずれにせよちゃちなものに縋りつくため、彼らは生命を張っている。
 ナガーは腰を落とし大剣を中段に構え、捻り、刃先を後ろに回した。薙ぐつもりである。

「う、うわああ!」

 一人の男が捨て鉢に叫ぶと、他の二人もつられて流れ込むように駆けだしてくる。人は自棄になったときが一番怖い。なにをするかわからないからだ。ナガーはしかし1ミリも後退することなく、剣を横薙ぎに振った。ただの一度だけ閃くと、男たちは団子のように連なって、剣の軌道に巻き込まれる。

「ぐぇえっ!」

 肺の中の空気をすべて吐き出した音の三重奏。大人三人の体重が乗った剣だが、速度は落ちることなく振り切られ、投げ飛ばされるような形で、ベクトルの先まで吹っ飛んで行った。
 彼らが振り翳していた剣が手から離れ、三本一気にナガーに向かって降り注ぐ。彼女はこれをバックステップにてあっさりと躱したが、回転によって生じたカーブまでは見切れず、切っ先が太ももを軽く掠めた。タイツが裂かれ、浅く短い線が走ると、それは次第に赤くなっていった。
 だがナガーは痛みに顔を歪めることもなく、木の幹に叩きつけられた追剥ぎが気を失っているのを確認すると、大剣を背中に担ぎ直し、再び御者台に座り直した。
 なにごともなかったかのような、すました顔だった。息も切らしていない。

「すげえ!」

 ハロルが前のめりになって見上げると、彼女は笑みの代わりにため息を零した。

「これが私の役割なのでな。ハロル。スーの言うことを聞いて虚構術を使わなくて正解だ」

 ハロルは少し気まずげに視線を逸らす。

「いや別に、ナガーの強さを信じてなかったわけじゃあないんだぜ?」
「ならこれからも信じて使わないことだ。スーは正しい判断をした」

 それからしばらく進んだところで、陽が落ちてきたので野営をすることになった。
 ハロルとミーンは木の枝を拾ってくるように言われた。枝拾いから帰ってくると、スーがテントを張り、ナガーは馬に水を飲ませていた。

 ハロルがナガーに近づくと、彼女は口元を歪ませていた。

「なんか悪いことでもあったのか?」
「いや、なんと言うか、お前の師匠は変わり者だな」
「そうか?」
「ああ。テント張りなんて、肉体労働が得意な私に任せればいいものを、休んでいてくださいだと」

 彼女の表情の謎が解け、悪いことがあったわけではなかったのだと安心する。ハロルは彼女の太ももに目を落とす。先程傷付けられたのを、ハロルは見ていた。

「なあ、ナガー。ちょっといいか?」

 ハロルはポンチョを翻して創筆を抜き取ると、それを彼女の太ももに近づけた。

「おい。怒られるぞ」
「せめてこれくらいいいだろ?」
「スーの言いつけを破るのか?」
「師匠は、困っている人や傷付いた人を助けなさいって、いつも言ってるぜ?」

 言いながら創筆を走らせると、ナガーの傷口が小さくなり、カサブタも少し薄くなった。

「あー……。しまったな」

 ナガーはブレストプレートと胸の隙間から1枚の布を取り出す。

「なんだそれ?」

 不思議に思って問うハロルに、彼女は仄かに笑いを返す。

「秘密の道具だ」

 首を傾げるハロルを尻目に、彼女は小さな布を傷の上に貼った。タイツをこれ以上破れないようにするために貼ったようにも見える。

「それにしても師弟とは似るものなのだな」
「ん? 全然似てねえと思うけど」
「そうか? まあいい」

 ナガーはバケツを持ってテントの方へ向かう。

「さて、そろそろ火を起こさないとな」