「それじゃあ料理のほうもいただくぜ!」
「これは煮付けで、あれは鍋料理か。こっちのはなんだ?」
「こちらの料理は天ぷらという料理で、衣をつけた具材を油の中に浸す料理です。塩かこっちの天つゆをかけてお試しください。鍋のほうは野菜を煮ているのでもう少しお待ちください」
本日の料理は魚の煮付けと天ぷら、そしてメインの鍋だ。量のほうは煮付けと天ぷらが少なめとなっており、他に前菜の小鉢が2つほどついている。原価としては1500円とちょっとといったところだろうか。
「うわあ~! このお魚、すっごくおいしい! 甘いようなしょっぱいような不思議な味がついているみたい!」
煮付けは酒、みりん、醤油、砂糖、それに生姜を加えた煮付けの定番となる味付けだ。元の世界ではとても一般的な味だが、こちらの世界では醤油やみりんといった調味料がほとんどの地域で使われていないため、こちらの世界の人にとっては多くの人が初めて味わう味となる。
「うおっ、確かにこんな魚は食ったことがねえ! なんて魚なんだ?」
「これはカレイという私の故郷の海で獲れる魚ですよ」
「海が近いんだな。それはとても羨ましい」
今回の魚は煮付けの定番であるカレイを選んだ。どうやらこの冒険者達が拠点にしている場所の近くに海はないみたいだな。この前俺達が行った異世界の街でも、売っていたのは干された魚や塩漬けにされた魚くらいだった。
流通がまだ整っておらず、冷やしたまま魚を運ぶ技術が整っていないこの世界では海の魚を食べられるだけでも珍しいのだろう。
「そちらの白い穀物を炊いたものがご飯となります。ご飯だけで食べるよりもそちらの煮魚や他の料理と一緒に食べるとおいしいですよ。それとご飯はこちらのおひつ分のおかわりは無料となっております」
ご飯は業務用の大きめの炊飯器で炊いてある。基本的にはおひつに入っている分はおかわり自由だ。本当ならばご飯はいくらでも無料にしたいところだが、ここは異世界で、元の世界では考えられないくらいご飯を食べる種族とかがいてもおかしくはないからな。
「ほう。確かにご飯というものだけだとそれほど味がないように思えるが、こちらの味の濃い魚と一緒に食べると、ちょうどいい味になるな!」
「ぷはあああ! おいおい、こっちの天ぷらとかいう料理もめちゃくちゃうめえぞ! サクサクとした食感の衣の中に熱い肉や野菜が入っていやがる。これがビールに合うんだよ! ビールのおかわりを頼む!」
「本当、この料理はビールってお酒にとっても合うわね! 私もビールおかわり!」
「俺もだ!」
「はい、ビール3杯ですね、ありがとうございます」
天ぷらはとり天とエビと野菜をいくつか揚げている。おそらくこの世界の人は野菜よりも肉のほうが好きだと思ってとり天が多めだ。ちなみにかしわ天という料理もあるが、かしわ天の素材はむね肉でとり天はもも肉という違いがある。
やっぱり野菜もおいしいんだけれど、肉が正義なのである!
「そろそろ鍋のほうも大丈夫ですね。肉は薄く切っていてすぐに茹で上がるので、肉の色が変わったらつけダレにつけて食べてみてください」
「なるほど、自分達で茹でて食べる料理なんだな」
「うん! こっちのタレは少し酸味が効いていて、サッパリしておいしいわ!」
「こっちのタレは濃厚な味がして、良い香りがするな。全然違う味のタレだけど、どっちもうまいぜ!」
鍋のほうはポン酢とごまダレの2種類を用意した。
どうやらどの料理や酒にも満足してくれたようだな。こちらとしてもいい反応が見られて満足だ。
「満足してくれたようでなによりです」
「ああ、すっげ~うめえよ! 温泉も気持ちよかったし、最高の宿だな!」
「あの温泉という風呂と、料理や酒がこの値段で楽しめるなんて最高だった。またぜひ来させてほしいものだな」
「疲れもとれたし、おいしいご飯も楽しめたし、絶対にまた来るわ!」
「そう言っていただけてよかったです。それではごゆっくりお楽しみください。あっ、くれぐれもお酒は飲みすぎないようにご注意ください」
「ふう~どうやら満足してくれたみたいだな」
「みなさんとてもおいしそうに食べられておりましたね」
「あれだけうまそうに食べているのを見ると、妾も食べたくなってしまうのじゃ!」
冒険者3人組の食事の様子を見てから感想をもらって、フィアナが待機しているフロントの後ろにある控室へポエルとロザリーと一緒に戻ってきた。まあ、あの様子だとすぐに次のお酒の注文が入りそうだがな。
テーブルには呼び出しベルを置いてあるので、何か新しい注文があれば、ピンポーンと音が鳴る。他のお客さんも食事を始めて、注文が多く入りそうになったら、一人くらい宴会場に待機してもらうとしよう。
「俺たちのまかないはもう少しあとだな。お客さん達が食べ終わったら、すぐ食べられるように準備はしておくよ」
ちょっと忙しくなってきたことだし、俺たち従業員の晩ご飯はもう少し先だ。でもお客さんたちがあれほどおいしそうに食べてくれると、俺もお腹が空いてくるな。
「お待たせしました、料理をお持ちしました」
「お、お待たせしました!」
「おお、これはいい匂いじゃ!」
「ほお~こりゃうまそうじゃな!」
俺とフィアナはドワーフのお客さんたちへ料理を持ってきた。フィアナはまだ少し緊張しているようだな。向こうのエルフのお客さんの料理はポエルとロザリーに任せている。
「……あっちのはやつはすごいな。あれは魔道具か何か?」
「いえ、従業員の召喚魔法ですので、ご安心ください」
一番年齢が高そうなドワーフのおじいさんが気になっているのはロザリーの召喚したゴーレムだ。ポエルとロザリーではエルフのお客さん4人分の料理と水を全部持てなかったので、一郎と二郎にも手伝ってもらっている。
「ふ~む、そんな便利な魔法もあるのじゃな」
「ちゃんと術者の思った通りに動いてくれるみたいで大助かりですよ。お飲み物はお酒でよろしいですか? 今だけですが、当温泉宿の施設や料理やお酒の感想を教えていただければ、おすすめのビールというお酒が一杯無料となっております」
「もちろん酒を頼むぞ! 感想を言うくらいお安い御用じゃ、まずはそのおすすめのビールという酒を頼むわい!」
「承知しました。フィアナ、ビールを3杯頼む」
「か、かしこまりました!」
ビールサーバーの使い方はすでに従業員全員が使えるようになっている。意外とビールサーバーでのビールの注ぎ方もコツがいるからな。ちゃんと練習はしてもらっている。
「いやあ~それにしてもあの温泉とやらは最高じゃったな!」
「うむ! 鉱山での採掘作業は土まみれになるからのう。土まみれのまま野営するのとは天と地ほど差があるわい」
「それにしんどかった腰と肩が一気に楽になったように感じたのう」
「温泉を楽しんでいただけたようでなによりです。身体が楽になったのは、温泉にある体力回復や魔力回復などの効果のおかげだと思います」
「温泉の説明にも書いてあったが、まさかあそこまで効果があるとは思ってもいなかったぞ!」
「昨日怪我をしてしまったワシの手のひらの傷まで治ってしまったからのう。もしかすると普通の回復魔法なんかよりも効果が高いかもしれんぞ!」
「そ、それは良かったです……」
あの温泉ってそんなに回復効果があるのか……
実際のところ疲労が取れることは体感できたが、怪我がどれくらい治るかの確認はできていないんだよな。わざわざ傷を負ってまで実験するようなことはしなかったし。
しかし、単純温泉でそれだけ効果があるのなら、他の種類の温泉はどんな効果があるのか気になるところである。
「それにしてもこの宿の建築様式や細部の装飾などは非常に凝っておるから見ていて飽きんわい! 浴場にあった水やお湯の出るバルブなんかも初めて見たのう」
「ああ。それと客室にあったベッドの仕組みやこのテーブルなんかもワシらの国の造りとはだいぶ異なっておって勉強になったぞ!」
「なるほど、参考になります」
ふむふむ、どうやらドワーフのみなさんはこの建物や家具などの造りに興味があるようだ。こちらの世界の職人さんは武器を打ったりするだけでなく、建築をしたり、家具を製作したりするのかもしれないな。
「お待たせしました、ビールになります!」
ドワーフのお客さんから話を聞いているとフィアナがビールを持ってきてくれた。練習した甲斐もあって見事な泡の割合だし、それに十分速いな。これならまだ料理が冷めてしまうこともないだろう。
「ほお~こいつは見事なジョッキじゃ!」
「うむ、先がはっきりと見えるほど透き通ったガラスに、3つともまったく同じ加工がされておる! これは見事な仕事じゃわい!」
ビールが届くとまじまじとガラス製のジョッキを見定めるドワーフの3人。その顔は真剣そのものである。やはり元の世界では何気なく使っているひとつ数百円のガラス製のジョッキはこちらの世界でだいぶ価値がありそうだな。
「それにこいつはかなり冷やされておる。魔法か魔道具でわざわざ冷やしてあるのか!」
「ふむ、エールよりも薄い色合いじゃが、とても澄んだ色をしておるのう」
「別の国の酒か、こりゃ楽しみじゃわい!」
「それじゃあ早速乾杯といくぞ! 乾杯!」
「「乾杯!」」
ガラス製のジョッキの軽くぶつかる音がして、そのあとにはゴクゴクゴクという酒が喉を通っていく気持ちの良い音だけが聞こえてきた。
「ぷはああああ! なんじゃこの酒は!」
「スッキリとしているが、見事な麦の味じゃ! こいつはうまいわい!」
「かああああ! 風呂で温まった身体に沁みるわい! 冷えた酒っちゅうもんはこんなにもうまいものなのか! おい、このビールって酒をもう1杯頼む!」
「ワシもおかわりじゃ!」
「もちろんワシもじゃ!」
中ジョッキほどの量を一気に飲み干すドワーフのお客さん。その清々しい飲みっぷりは見ていて気持ちがいい。……というかフィアナが横でビールを飲むドワーフたちをとても羨ましそうに眺めている。
俺も気持ちはわかるが、今は仕事中だからな。
「はい、ビール3杯で銀貨2枚と銅貨4枚になります」
「おっと、先払いじゃったな。こんなうまい酒は何杯も飲むじゃろうし、先に多めに渡しておくとするか」
「待て待て! 確かにこのビールっちゅう酒はものすごくうまいが、こうなると俄然他の酒も気になってくるぞ!」
「そうじゃな。ビールはもう1杯にしておいて、次は別の酒を頼むとしよう。ほれ、銀貨2枚と銅貨4枚じゃ」
「はい、ありがとうございます。フィアナ、ビールのおかわりを頼む」
「あ、ああ。了解だ!」
「おお~い、こっちもビールのお代わりを頼む!」
「は~い、ただいま!」
別のテーブルで食事をしている冒険者パーティからもビールのお代わりだ。こっちは俺が持っていくとしよう。ポエルとロザリーのほうも今のところエルフのお客さんにちゃんと接客ができているようだ。
「いやあ、見たことがない料理ばかりじゃが、どの料理もうまいのう!」
「うむ、この天ぷらっちゅう料理もうまい上に、ビールによく合うわい!」
「こちらのお鍋のほうも準備ができたので、肉を入れて色が変わってきたら、取り出してつけダレでお召し上がりください」
「なるほどのう。さて、この鍋とやらも楽しみじゃが、そろそろ別の酒も試してみるとするか!」
「そうじゃな。ビールとやらがあそこまでうまいなら、こいつは期待してしまうわい! ヒトヨシといったのう、お主のおすすめを教えてもらえんか?」
酒のペースが速すぎるため、2杯目は少しゆっくり飲むように伝えたところ、今度はちゃんと味わいながらゆっくりと飲んでくれた。このドワーフたちは本当にお酒を愛しているんだろうな。
「そうですね、ワインや果実を使った果実酒、こちらのご飯を作る際に使った米を使った芳醇な香りがする日本酒、蒸留という技術を使って酒精を強めたウイスキー、ブランデー、焼酎などがあります」
「おお、そんなにも種類があるのか!」
「ワインや果実酒はあるが、他の酒は知らんのう……よし、どれがうまいか飲み比べるとしよう!」
「そうじゃな! それではそれらの酒をすべて1杯ずつもらうとしよう」
「すべて1杯ずつですね、承知しました」
「ありがとうございます!」
俺のストアの能力ではそれぞれのお酒で複数の銘柄の中から選んで購入できるが、さすがにすべての銘柄を注文できるようにしてしまえば、圧倒的に人手が足りなくなる。
そのため、基本的にはそれぞれのお酒の種類で1種類の銘柄の提供にした。ある程度宿の経営が問題なさそうなら銘柄を増やしたり、週ごとに銘柄を変えても良さそうだな。
フィアナと一緒に厨房へ戻って、いろんな種類のお酒を1杯ずつ注いでいく。蒸留酒はかなり酒精が強いからちゃんとゆっくりと飲んでもらうように頼むとしよう。
「お待たせしました」
「お待たせしました!」
様々なお酒をお盆に乗せて運んできた。
「おお、待っておったぞ!」
「こっちの鍋という料理もとてつもなくうまいぞ! このタレはどれも初めて食べる味じゃったな!」
「満足したようでよかったです。鍋のあとには雑炊も作れますので、食べ終わったら従業員を呼んでくださいね」
「わかったぞ。ほう、これは見事なグラスじゃな!」
「うむ、さっきのジョッキも見事じゃったが、このグラスも美しいわい!」
「こりゃ、酒がよりうまくなるに違いないのう!」
ドワーフのみんなは先ほどのビールを持ってきたよりも興奮しているように思える。
それもそのはず、目の前のテーブルにはドワーフの大好きなお酒が何種類も並んでいる。それもそれぞれの酒に合わせたワイングラスや日本酒用のグラスなど色とりどりの器まであるから、目で見ても楽しめるはずだ。
「こちらからワイン、梅を使った果実酒、日本酒、ウイスキー、ブランデー、焼酎になります」
「「「おおおおお!」」」
合計で6種類の酒を持ってきた。ワインはこちらの世界にもあるだろうけれど、梅酒なんかはないだろうし、味わったことのない酒がこれだけ並べば興奮もするだろう。
「酒精が強いので、くれぐれもゆっくりと味わって飲んでくださいね」
「おう、わかっておるわい! お主たちもちゃんと少しずつ飲むんじゃぞ!」
「お主こそ絶対に飲み干すんじゃないぞ!」
6種類の酒を味わうようにゆっくりと次々に口に含んでいくドワーフたち。
「ぬおおおおお! なんじゃこの酒は! 口に含んだ瞬間に芳醇でふくよかな香りが広がっていくぞ! そしてほんのわずかな甘みと渋みがこの酒の旨みを引き立たせておるわい!」
こっちの一際アゴヒゲの長いドワーフさんが飲んでいるのは日本酒だ。日本酒はその温度によって味が全然違う。冷やした冷酒、常温の冷や、ぬる燗に熱燗。今回はおすすめの飲み方でということなので、基本の冷やで飲んでもらうことにした。
「ふおおおおお! なんじゃこの酒精の強さは! 一口飲むだけで一気に身体中が熱くなってきて、他の酒とは段違いじゃ! それにただ酒精が強いだけでなく、独特の雑味が少ない力強い香りがするぞ」
そっちの口ひげが一番モジャモジャのドワーフさんはウイスキーを飲んでいる。ウイスキーにはスコッチウイスキーやアイリッシュウイスキーなど様々な種類があるが、今回は俺が一番なじみのあるジャパニーズウイスキーを選んだ。
ウイスキーはストレートで飲むと酒の味が一番わかるなんて話もよく聞くが、さすがにアルコール度数40度を超えるウイスキーなんてドワーフに出してしまえば、とんでもないことになるのは分かり切っているので水割りで提供している。
それでも20度以上あるのだから、ゆっくりと飲んでもらわないとすぐにぶっ倒れてしまう。
「ぬぬぬぬぬぬ! このワインは街で飲むワインとは別物じゃ! 渋みや雑味なんてカケラもしないぞ! スッキリとした味わいと見事な香りがたまらんわい!」
一番背の高いドワーフさんはワインをうっとりと眺めながら、ワイングラスを傾けてワインをゆっくりと味わっている。
実際のところ、それほど高価ではないワインだが、ドワーフのみんなは満足してくれたみたいだな。品種改良を何度も重ね、ワインのために育てられたんだ。さすがにまずいわけがない。
目を閉じて、舌先の感覚をすべて使うかのごとく、一口ずつをゆっくりと楽しんでいるドワーフたち。
他のお酒も一口ずつ味わって飲みながら恍惚の笑みを浮かべている。あそこまでおいしそうにお酒を飲まれると、こちらのほうまでお酒を飲みたくなってしまうな。
「ふう~とりあえずこっちのほうの注文は落ち着いたか」
「あんなに強いお酒を飲んでも全然余裕そうだったね……」
「やっぱりドワーフという種族は酒に強いんだな」
フィアナと一緒に宴会場から厨房のほうへ戻ってきた。
あのあとドワーフのお客さんはそれぞれのお酒を味わいながら飲んだあと、自分たちの好きなお酒を改めて注文してくれた。とはいえ、明らかに酒の飲むペースが早かったので、料理と一緒にゆっくりと楽しんでほしいと念入りに頼んでおいた。
3人はそれぞれ、日本酒とウイスキーとブランデーを頼んでいたところを見ると、やはり酒精の強い酒を好むのかもしれないな。すでにそこそこの量を飲んでいるはずなのに、まったく酔った気配がしなかった。やはりドワーフは酒に強い種族なのだろうか。
「エルフのお客様から果実酒のお代わりのご注文をいただきました。それと、ヒトヨシ様に聞きたいことがあるそうです」
「了解。そっちのほうは問題なさそうに見えたけれど大丈夫だった?」
ポエルとロザリーがエルフのお客さんから注文をもらって戻ってきたようだ。ドワーフのお客さんを接客しながらエルフのお客さんも意識していたが、問題なく接客をしているようには見えた。
「うむ、この温泉宿のことをとても褒めておったのじゃ!」
「ええ。先ほど入られた温泉にとても満足しておりましたよ。それに料理やお酒にもとても満足していらしたので、何か不満があるということではないと思いますよ」
俺のほうからも満足そうに料理やお酒を楽しんでいるように見えた。
エルフというからにはなにか味の好みがあるのかと思って事前に確認していたが、特に食べられないものはないらしい。菜食主義というわけでもなく、肉や卵なんかも大丈夫だと言っていたな。
「わかった。とりあえず行ってくる。お客さんから聞いた料理やお酒の感想はあとで教えてくれ」
「承知しました」
「お待たせしました。果実酒4つになります」
「おお、ありがとう」
「いやあ、この果実酒は本当においしいな。芳醇な香りと雑味のない果実の甘さ、それにわずかな酸味が加わって後味もとてもすっきりしている」
「うちらの村でも果実酒は作っているけれど、こっちのほうがおいしいわね」
「ありがとうございます。これは梅酒といって酸味の強い梅という果実に砂糖を加えたお酒になります」
「梅ですかあ、初めて聞きましたあ~」
どうやらエルフさん達は梅を知らないようだな。ポエルたちの話では、ビールよりも梅酒のほうが気に入ったらしい。もしかしたら種族によって好きなお酒とかが違う可能性もあるな。
ちなみにエルフの4人は浴衣を着用している。エルフに浴衣姿って実はかなり似合うんだな。意外と外国人に浴衣姿が似合うようなものだろう。特にこっちの女性の2人はとても色っぽい。
……元の世界ではエルフは貧乳しかいないイメージもあったが、そんなことはまったくなかった。特にこっちのフワフワとした話し方をするエルフの女性はロザリーほどではないが、なかなか立派なものをお持ちである。
当然そんな視線をお客様に向けているつもりはないのだが、どうしても視界に入ってしまうんだよな。
「ああ、そうだ。店主さんに聞きたかったんだが、あの温泉ってやつはいったいなんなんだ? 勝手にお湯が出る魔道具も気にはなったが、あの気持ちよさは尋常じゃなかったぞ!」
「そうそう! 疲れがお湯に溶けて消えていくみたいだったわ! それにお湯の中にマナがとっても豊富で、いつの間にか魔力が完全に回復していたわ!」
「マナ?」
初めて聞いたな。元の世界のゲームとかだと魔力のパラメータとか魔法とかになる力だっけか。
「もしかしたら別の国だと言い方が違うのかもしれないよ~マナは魔力の源で、マナが溜まっている場所だと魔力の回復も早くなるんだよ~」
う~ん、わかるようでまったくわからん。とりあえずマナが多い場所だと魔力の回復が早いということかな。
「当温泉宿の温泉は体力回復や魔力回復などの効果がありますからね。たぶんそのためにマナが多いのでしょう」
「へえ~すぐに魔力が回復するなんて、本当にすごい力だよ!」
「地中からお湯が出てくるっていったいどういう仕組みなんだ?」
「基本的に温泉は火山地帯のマグマなどによって、地中にたまった雨水などが熱されて熱湯になったお湯が地表に出てくることが多いですね。他にも地中深くは高温になっていくので、深い場所にたまって熱されたお湯が地中深くから吹き出ることがあります」
温泉は基本的に火山性温泉と非火山性温泉にわかれる。
前者は地下数キロから数十キロの深部から上昇してきたマグマがマグマだまりを作って高温になり、雨水などが染み込んだ地下水がそのマグマだまりの熱で温められて、それが地表に出てきて温泉となったものだ。日本でいうと箱根温泉や別府温泉などがこの火山性温泉の代表だな。
後者は火山とは関係ない場所で温められた地下水が湧き上がる温泉だ。地下の温度は深くなっていくにつれて高温になっていく。100m深くなるごとに3度ずつ上昇すると言われており、地下1500m付近では60度近くにもなるらしい。日本でいうと大分平野や有馬温泉などが代表だ。
そういえばこの温泉宿のお湯はどういう仕組みなんだろうな。いろんな泉質を切り替えることが可能な点から、様々な温泉の源泉を転移魔法とかで引っ張っている感じか。あとで天使であるポエルに確認してみるとしよう。
「ふ~ん、火山がなくても地面を掘ったら温泉が出てくる可能性もあるのね」
「うちの村でも試しに掘ってみたりするか」
「地下に水が溜まっていたら、可能性はありますね。でもよっぽど深く掘らないと駄目だと思いますよ」
たとえ東京でも地中を深く掘れば温泉が出るというのは有名な話だ。もちろん温泉としてやっていくほど十分な湯量があるかは別の話だ。
それに温泉を掘るのってものすごくお金がかかるんだよな……特に昔は温泉を掘るのは本当の博打だったらしい。大金をかけて地中を深く掘っても温泉としては使えないとかざらにあったらしいからな。
だけどこの世界には魔法があるから、簡単に穴を掘れる可能性もあるのか。土魔法とかで一瞬で穴を掘れたりしたら便利だろうな。そうすればあの幼女の神様の願い通り、こっちの世界でも火山がない場所で温泉宿を広げていくことができるかもしれない。
「ねえねえ、あのお風呂にあったシャンプーとかボディソープとかってどこで売っているの!」
「髪がサラサラになって、肌もスベスベになって本当にびっくりしました~」
女性陣が目を輝かせながら聞いてきた。やはり女性はそのあたりが気になるようだ。
「あれらの品は私の故郷でしか作られておりません。似たようなものならどこかで販売している可能性はありますけれどね」
「あ、そっか。そういえばここって私たちの国じゃないんだったよね」
「もしも可能なら売ってほしいですう!」
「申し訳ございません。当温泉宿にある物の販売はしていないんですよ」
一応やろうと思えばストアの能力で購入した物を販売することは可能なのだが、あまり異世界に元の世界の物や技術をばらまくのはよろしくない。
特にシャンプーやボディーソープなどは川などで使用すると魚などの生態系にも悪影響が出るし、容器のブラスチックなども自然に悪影響を与えてしまう。
異世界だし、少しくらいなら環境破壊をしても大丈夫ではないのかとも一瞬だけ頭をよぎったが、環境問題はひとりひとりがしっかりと意識することが大切なのである。
……まあそんなたいそうなことを言ってみたが、単純に商売になると交渉とかが面倒だし、あれを売れこれを売れだの面倒な輩が出てくることが間違いないだろうからな。
「そっかあ~残念……」
「ほしかったですう……」
「申し訳ございません。ですがこちらの温泉宿に来ればいつでも楽しめますので、またいつでもいらしてください」
「ほら、元気出せよ。また来ればいいだけの話だろ! いろんな街や村の宿に泊まったことはあるが、こんなに良い宿は初めてだ。あの温泉もとても気もちくて疲労や魔力まで回復するんだもんな」
「それにこの料理やお酒もとてもうまいし、これが金貨1枚なんて信じられないよ! ほら、2人とも。まだうまい料理と酒が残っているだろ。狩りを頑張ってまた来ようぜ!」
「そうね、絶対にまた来るわ!」
「はいです! 狩りを頑張って、絶対にまた来るです!」
「ありがとうございます。ぜひまたみなさんでお越しくださいね」
どうやらこのエルフのお客さんたちはまた来てくれるそうだ。ぜひとも他のお客さんたちと一緒で常連さんになってほしいものだ。
「ふう~ようやく落ち着いたみたいだな」
お客さんたちの食事が終わって、今は全員が部屋に戻っている。
散々何度も酒はゆっくりと飲むように伝えていたおかげで、なんとか酔いつぶれる前に解散してくれたみたいだ。ドワーフのお客さんとかは少し怪しいところだったが、幸いなことに手持ちがそこまでなかったため、強制的に打ち切りとなった。
下手をすればあのまま宴会場で酔いつぶれていたかもしれない。あとエルフのお客さんも怪しかったかもしれない。梅酒とかって飲みやすいわりに酒精は結構強いからな。
「それほど大きな問題はなさそうでしたね。お客様も十分に満足していたように見えました」
「うん。みんな本当においしそうに飲んだり食べたりしていたよね!」
「妾も腹が減ったのじゃ……」
「ああ、そうだな。反省会とか仕事の内容とかはまかないを食べながら話そう。今からさっと準備するから、ちょっとだけ手伝ってくれ」
ちなみに今の時間帯や夜の時間帯はロザリーの召喚魔法で召喚されたゴーレムたちがフロントに立っていてくれる。もしお客さんたちになにかあったら、すぐにロザリーを通して俺を起こしてくれる手筈となっている。
召喚魔法はロザリーが寝ていたとしても召喚し続けることが可能らしい。……便利すぎてブラック企業の上司とかに知られたら駄目なやつだよな。絶対に魔力が尽きるまで24時間連続で稼働とかさせられそうである。
「もちろんだよ。とってもおいしそうだったから楽しみだね!」
「ええ、あの煮付けといい天ぷらといい、とてもおいしそうでしたね」
「うむ、妾も楽しみじゃぞ!」
「……いや、あれはお客さん用だし、俺達のまかないはあんなに立派なもんを作らないぞ」
「ええっ!?」
「……っ!?」
「なんじゃと!?」
……いや、そんなに驚かれて困るんだけど。というかポエルのそんなに驚いた表情は初めて見たんだが……
「いや、さすがに毎日お客さんに出すような立派な食事を出すわけないだろ。これまでの料理はお客さんへ出すためにいろいろと研究していたから豪華だったかもしれないけれど、今日からは普通のまかないになるぞ」
これまではこっちの異世界の人たちに元の世界の味付けが受け入れられるかを確認するために、お客さんに出すくらいのクオリティの料理を出してきたが、今日からは温泉宿の営業が始まった。
さすがにまかないにまでそこまで手間をかけていられない。それに3人とも結構な量を食べるからな。毎回お客さん達と同じものを出していたら、食費がヤバいことになってしまう。
「嘘でしょ……」
「いえ、そんな話は聞いておりません」
「横暴なのじゃ!」
「いや、最初から話していたからな!?」
うちら従業員の食事はまかない料理だって最初から説明してきたぞ! なんで今初めて聞いたみたいな感じで言うんだよ。
「さすがにみんなの分の料理にまで高価な食材は使えないだろ。まあ普通の温泉宿とかだったら、余った食材とかで多少は豪華なまかないになるんだけど、ストアの能力があるから余った素材も出ないからなあ……」
実際にうちの実家でも余った食材やお客さんに出せないような食材を使って、日々の食事は普通の家に比べたらかなり豪華なものとなっていた気がする。刺身とかも数日に一度は食べられたからな。
しかしこのストアの能力で購入する物は必要最小限のものにすることができるし、魚は切り身単位で購入できる。野菜も一個から購入できるため、余る素材はほとんどないに等しい。
温泉宿を営業するにあたって無駄な食材が出ないことは非常にありがたいが、従業員的には嬉しくないのかもしれない。
「それでは食費を支払いますので、お客様と同じ料理をいただくということは可能ですか?」
「……まあ、それなら大丈夫だけれど、別にまかないもそこまで酷いものを出すつもりはないぞ。さすがに豪勢な料理は出せないけれどさ」
「じゃあ僕もお客様と同じ料理がいい! 食費くらいなら全然出すよ!」
「妾もそれでいいのじゃ! 給料とやらから引いておいてくれればよい」
「……わかった、じゃあそうするよ」
よくよく考えてみたら、確かにこの3人はお金のために働いている感じじゃなさそうだもんな。どちらかというと給料を上げるよりも日々の食事をグレードアップしてあげたほうが喜ぶのかもしれない。
……というかポエルに至っては天使は食事を必要としないんじゃなかったけ? まあそれほどこの宿の食事を楽しみにしているのなら嬉しい限りだ。
それにお客さんと同じ料理でいいなら、まかないと分けて作らなくていい分、手間はそれほどかからなくなるからありと言えばありか。
「よし、お待たせ。明日からはお客さんたちの分と一緒に作れるから、もっと早くできると思うよ」
今日お客さん達に提供していた料理を俺を含めた4人分新たに作り直した。明日からはお客さんの料理と一緒に作るので、もっと早い時間帯に従業員で晩ご飯を食べることができるだろう。
「待ちわびたのじゃ!」
「お腹空いた~」
「ええ、だいぶお腹が空きましたね」
ダウト! 天使は腹が空かないって話は忘れていないからな。
「それじゃあ今日は1日お疲れさま。まだ初日だけど、みんなのおかげで無事に乗り切れたよ。明日からもよろしく、乾杯!」
「「「乾杯!」」」
キンッと透明なジョッキがぶつかって、ガラスの澄んだ音が鳴り響く。
お酒については平日だと次の日もあるから、1杯だけ許可することにしてある。さすがに無制限にすると酒に弱いロザリーあたりが次の日使い物にならなくなりそうだからな。
とはいえ、俺としても仕事終わりに1杯くらいは酒を飲みたいので、酒は1杯だけということにした。……元の世界でも仕事終わりのビールだけは欠かせなかったからな。……リアルに仕事終わりの1杯はその日の支えになるよね。
「ぶはあああ! やっぱり身体を動かしたあとの酒はたまらんのう!」
「いや、ロザリーはゴーレムたちに任せてほとんど身体を動かしてないだろ……」
相変わらず小さな身体でおっさんのようにビールを飲むロザリーに一応ツッコんでおいた。本人が動かなくとも、今もフロントで働いてくれているゴーレムたちの活躍は素晴らしいからまったく問題ないけど。
「うん、こっちの煮付けも本当においしいね! 脂の乗った魚の身にこの甘辛い味がしっかりと染み込んでいて、ホロリとくずれてたまらないよ!」
「それにこの味は白いご飯ととてもよく合いますね。そして相変わらず天ぷらもおいしいです」
魚の煮付けも意外と難しかったりするんだよな。あまり煮すぎると身が崩れてしまったり、味が染み込みすぎてしまったりして、その逆もまた然りだ。
うちの実家の板長はあんな田舎の温泉宿にはもったいないくらいの腕だったんだよな。そんな板長に小さいころから料理の腕を鍛えてもらったことは幸運だった。まあ、まさかその腕を異世界で振るうことになるとは思ってもいなかったけれど。
「さて、食べながらでいいから今日のことについて話そうか」
「とりあえず温泉宿の売り上げ的にはまったく問題なかったな」
実際のところ温泉宿の宿泊と食事の金額はこの世界の宿を基準に考えるとそこまで高額というわけではない。料理に関しても2食込みで追加銀貨3枚の約3000円という値段なので温泉旅館としては安めの料金設定だろう。
というのもポエルに確認したところ維持費がほとんどかからなそうなのだ。この温泉宿でかかる電気代、水道代、ガス代はポイントで支払われるのだが、そこまで大きな金額にならない。
そしてなにより、元の世界の温泉宿で結構かかっていた広告費が一切かからないことはとても助かる。魔法の引き戸のおかげでお客さんの呼び込みや宣伝をせずに集客できるという点は宿泊業については相当な強みだ。
「お酒の売り上げがかなりありましたからね」
「これだけおいしいお酒だもん! みんな飲んで当然だよ。お酒の苦手な僕でもおいしく飲めるからね」
「うむ! 長年生きてきた妾でもこれほどうまい酒など飲んだことがないからのう。みながあれだけ飲む気持ちはとてもわかるぞ! というわけでもう1杯お代わりなのじゃ!」
そう、この温泉宿の宿泊費の他にあるもうひとつの大きな収入源がお酒の販売である。よく飲まれるビールの原価が銅貨2枚として、銅貨8枚で販売するとその利益は銅貨6枚、なんとビール1杯で600円もの収入となるのだ。
ひとりあたり5杯も飲んだらそれだけで3000円もの純利益である。これって実は結構なことなんだよね。
とはいえ、お酒の値段をもっと下げてしまうと他の宿やお店のお客さんを根こそぎ奪ってしまったり、飲みすぎて潰れるお客さんが続出してしまうだろうから、これくらいがちょうど良いのだろう。
俺の給料もみんなと同じくらい貰ったとして、ポエルを除いた3人分の給料で金貨90枚。毎月それ以上の利益は得られるだろうから、その分の利益はポイントとしてこの温泉宿の施設をより大きく快適にするために使っていくとしよう。
「そうだな、予想通りお酒の売り上げがだいぶあったよ。あと俺も我慢しているんだからお代わりは駄目だ。その代わりに週末の休みになったら、たくさん酒を飲んでもいいからな」
「おお、本当じゃな!」
「それは楽しみだね!」
「もしも嘘だったら、その時はどうなるかわかっておりますね?」
「どうするつもりなんだよ!?」
最近ポエルが天使というより悪魔にしか見えないんだけど! 天使のくせに拷問とかよく似合いそうだよな……
「まあ、1週間頑張ってくれたらのご褒美ってところだな。今日はみんな問題なくしっかりと働いてくれたし、明日からもこの調子で頼むな!」
「うん!」
「了解なのじゃ!」
「わかりました」
とりあえず温泉宿日ノ本の初日は問題もなく、お客さんにも満足してもらえたようだ。いや、まだ油断してはならない。明日の朝、すべてのお客さんがチェックアウトをして、ようやく1日目が終わるのだ。明日も引き続き頑張るとしよう
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ピピピピピッ
カチッ
「ふあ~あ」
布団から這い出して朝の5時40分前にセットしてあった目覚まし時計を止めた。
何か緊急事態が起きればロザリーのゴーレムが起こしてくれることになっていたが、夜中にドアを叩かれるようなことはなかったので、特に問題はなかったようだ。
2度寝したい衝動を抑えて、ストアで購入した寝間着から作業着である作務衣に着替える。
いつ新しい男性従業員を雇ってもいいように、4人くらいは入ることができるこの男性従業員用の部屋は広すぎて、俺ひとりではだいぶ持て余すんだよな。今はポイントが少なく、家具なんかもないからなおさら殺風景に見える。
「よし、準備オッケー。さて、朝食を作りますかね!」
身支度を整えてから厨房へ行くと、ちょうどみんなも起きてきたところだった。女性従業員用の部屋で3人一緒に寝ていたから少し……いや、かなり心配していたが、どうやら大きなトラブルもなかったようだ。
みんなとロザリーのゴーレムと一緒にお客さんと従業員分の朝食を準備した。
「むっ、五郎から呼び出しがあったのじゃ」
「了解、たぶん朝食を食べに来たんだろうな。フィアナ、案内を頼むぞ」
「うん、わかった」
フィアナがお客さんを食事処に案内して、厨房に戻ってきた。用件はやはり朝食のようで、お客さんはドワーフ3人だった。
ええ~と、エルフの4人組以外は和食のほうだったな。昨日のうちに今日の朝食は和食と洋食のどちらがいいかを確認してある。
ポエルと一緒に3人分の和食を運んだ。
「おはようございます、昨日はよく眠れましたか?」
「うむ、ぐっすりと眠れたぞ! とても柔らかくて寝心地の良いベッドじゃったな!」
「布団というやつも十分気持ちが良かったわい!」
「実を言うと昨日の酒が少しだけ残っておる。いくら酒精が強いとはいえ、前日の酒を残してしまうとは不覚じゃったわい……」
どうやら全員ぐっすりと眠れたらしい。
しかし、さすがにドワーフと言えど、あれだけ酒精が強い元の世界の酒は少し残ってしまったようだ。いくら酒に強いとはいえ、こちらの世界ではあれほど酒精の強い酒はなかっただろうからな。
「ほお~こいつは朝からいろいろな料理があるのう」
「うむ、この白い穀物は昨日もあったご飯というやつじゃな」
「はい、私の故郷の和食という料理はこのご飯にあうおかずを中心に作られています」
「こっちの茶色い汁は昨日の澄んだ汁とは違うのう」
「そっちは味噌汁と言って、海草や干した魚で出汁をとって豆を発酵させた調味料を加えたスープですね。少し独特な香りがするので、まずは一口味を見てもらえればと思います。それとご飯と味噌汁はお代わりが無料となっておりますよ」
和食と言えば白いご飯に味噌汁だ。味噌汁の具はシンプルに豆腐と長ネギにしてある。理想を言えば二日酔いに効果のあるシジミの味噌汁にしたいところだったのだが、うちの実家に来た外国人にはシジミやワカメなどが駄目な人は結構多かったんだよな……
他のおかずは焼きのり、卵焼き、焼き魚、おひたし、漬物などのザ・和食といった料理だ。和食には定番の生卵と納豆については卵を生で食べるか問題と納豆は最初にはハードルが高いということでやめておいた。
ちなみに従業員のみんなは生卵は大丈夫だったが、納豆はロザリーとフィアナが駄目だった。やはりあの独特の臭いとネバネバとした食感が駄目だったらしい。逆にポエルは納豆が気に入ったらしく、毎朝食べたいと言っていた。
俺も納豆は結構好きなほうだから気持ちは分かる。生卵とネギと海苔を加えた納豆はマジで好きなんだよね。まあ納豆に何を加えるか問題については実家でもいろいろと論争が勃発したので割愛するとしよう。
「ほう、そいつは嬉しいところじゃのう」
「飲み物はあちらのテーブルにお水とお茶と牛乳がありますので、こちらもご自由にお飲みください」
「……酒はないのかのう?」
「………………」
駄目だこのドワーフ……早く何とかしないと……
「朝食の際はお酒の販売はしておりません。朝からお酒に酔っ払って、帰る際に事故などを起こされては困りますからね」
さすがに朝にお酒の販売は行わない。ちゃんと休憩所にある自動販売機にもお酒は置いていないからな。
元の世界とは違って危険なことも多いこの世界の人里離れた場所で、朝から酒を飲んで酔っ払ってしまっては何かあった時が怖い。お客さんがうちの温泉宿で酔っ払ったことが原因で命を落としてしまったら、さすがに目覚めが悪いぞ。
「ぬう……それは残念じゃな」
いや、さっき少し酒が残っているって言ったばかりじゃん!
「お酒はぜひともまたのご利用時に楽しんでください。こちらの朝食も自信を持っておすすめできますから」
「おお、そうじゃな! あのとてつもなくうまかった酒はまた来た時に味あわせてもらうとしよう!」
「うむ、今度この宿に来る時は、もっと金を持ってくるからな」
どうやらドワーフのお客さんはまた来てくれそうだ。まあ、たとえお金があったとしても、酔いつぶれそうなら全力で止めさせてもらうがな。
「お待たせしました。こちらが朝食になります」
続いてエルフの4人も朝食を取るということで、ポエルと一緒に4人分の朝食を運んできた。
「おおっ、こいつは朝から豪勢だ!」
「うん、こっちの野菜にはおいしい味が付いているし、このパンも外はカリッとして中はフワフワでとってもおいしいわ!」
洋食のメニューはトースト、サラダ、スクランブルエッグ、ベーコン、ソーセージ、コーンスープなどのシンプルな料理となっている。
しかし、サラダにかかっているドレッシングやコショウにケチャップなどはそれだけでも十分に珍しい。他にも白く柔らかいパンやコーンスープなどはこちらの世界では十分なご馳走になっているようだ。
「それにしても昨日の夜も風呂へ入ったうえに、今日も朝から風呂に入れるなんて罰が当たるんじゃないかと思うよ」
「やっぱり温泉はとても気持ちが良かったですう~」
どうやらエルフさん達は朝から温泉を楽しんでくれたようだ。
この温泉宿の温泉は深夜以外解放している。ポエルたち天使のみなさんのおかげで、この温泉宿の温泉には自動清掃機能が付与されているため、浴槽を清掃をする必要がない。だが掃除が不要とはいえ、脱衣所に問題はないかを朝と夜にはチェックしている。
温泉宿でも朝に入れる宿と入れない宿に分かれているが、当然お客さんとしては朝にも入れるほうがありがたいよな。俺も旅行で温泉宿に泊まる時は朝も温泉に入れるかどうかをしっかりとチェックしている。
「ありがとうございます。今日の温泉は昨日の温泉とはお湯が違うんですけれど、いかがでしたか?」
「ああ、昨日とはお湯が全然違っていてびっくりしたぞ!」
「でも今日の温泉もとっても気持ちよかったわよ! まさか全然違う温泉を味わえるなんて思ってもいなかったわ! 本当にすごい魔道具ね!」
そう、この温泉宿では毎日温泉の泉質を変えている。昨日は単純温泉であったが、今日は酸性泉に変更してある。
酸性泉の特徴は強い酸性のお湯で、少しとろみがあって肌がピリピリする。殺菌効果が強くて湿疹やアトピーなどの皮膚病や傷の治療に強い効果があり、疲労回復効果も高い。その代わりにあんまり長湯をせずに、温泉から出る際には水で洗い流してもらうよう注意書きを記載してある。
元の世界で言うと草津の湯がこの酸性泉にあたるのだが、浸かり過ぎを防ぐためにいくつかの温泉を渡るめぐり湯が禁止されていたりするからな。
「本当に気持ち良かったから、また入りにきたいです~」
「ねえ~! 美容にもいいみたいだし、絶対にまた来るわよ!」
「ええ、いつでもお待ちしておりますよ」
どうやらエルフの4人組もまた来てくれそうかな。こっちの世界でも女性が強いのは変わらないらしい。まあ男性のエルフたちも昨日の食事や今日の朝食には満足してくれているみたいだし、また来てくれるだろう。
「それじゃあ世話になったな」
「温泉ってやつも、酒や飯も本当に最高だったぜ!」
「ええ、絶対にまた来るわね!」
「ありがとうございます。またこちらの温泉宿にお越しいただける際には、営業時間中にこちらの名刺を持って引き戸のある場所に来ていただければ、引き戸が現れます。もしも引き戸が現れないようなら、その際はすでにお部屋が一杯ということになります」
冒険者の3人組がチェックアウトをするので、お見送りをしている。その際にこの温泉宿へ来ることができる名刺を2枚渡した。
名刺と言っても、白い紙の表にはこの世界の共通語で温泉宿日ノ本、そして裏には温泉マークが書いてあるというシンプルなものである。
「おう。絶対に失くさないようにしないとな」
「あとはここに来るときは早く来ねえといけねえな。扉の前まで来て、泊まれないなんて最悪じゃねえか!」
名刺は1枚紛失した時のためにパーティ単位で2枚渡している。
この温泉宿は週休2日で、泊まる際には16時から受付を開始している。しかし温泉宿である以上、部屋の数は限られているため、部屋が一杯になってしまったら、引き戸を閉じてしまう。
以前に来られたお客様たちの受付は16時から開始して、17時ごろまでに客室が埋まらない場合には引き戸の条件を指定して新しいお客さんを呼ぶといった営業体制にする予定である。客室の数は少しずつ増やしていくことにしよう。
とはいえ常連さんばっかりになってしまっては目的である温泉宿を広めていくということができなくなってしまう。できるだけ新しいお客さんを呼んで温泉宿の噂を広めていけば、きっと少しずつ温泉宿が広まっていくだろう。
まあ、天然の温泉というのはかなり珍しいから、最初は銭湯付きの宿からだろうけどな。
「それではご利用ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
「「「またのお越しをお待ちしております」」」
俺が頭を下げたあとに従業員の3人が頭を下げて冒険者のお客さんを見送る。
そして同様にもう2組のお客さんも全員で見送った。
「ふう~とりあえずご苦労さま。まだ1日目だけれど、みんな本当によくやってくれたよ」
お客さんを見送ったあとは従業員全員で集まって仕事のことについて話し合う。基本的にお客さんがチェックアウトしたあとか晩ご飯の時に、その日の出来事について従業員で報告し合って共有をする。仕事上でのホウレンソウはマジで大事!
「こっちとしては細かなことはあるけれど、あとは経験をどんどん積んでもらえれば大丈夫っていう感想かな。みんなはどうだった。温泉宿の仕事はこんな感じになるけれど続けられそう?」
「そうですね、今のところは問題なさそうです。知らない人を接客するというのは意外と大変なのですね。ですが、以前までの職場があまりにも酷かったので、まったく気になりません」
「そ、そうか、それはよかった……」
ポエルは駄女神の下でだいぶブラックな環境にいたらしいからな。さすがにそれより酷いと言われていないようでよかったよ。
「あとは日々のまかないの食事の量をもう少し増やしてくれれば文句はありませんね」
3人とも相談して、俺も含めたみんなのまかないはお客さんと同じ料理を作ることになった。手間的には4人分多く作るだけなので、大した手間ではないからな。大体の材料費だけを給料から引くようになる。
この温泉宿で出す食事の量についてだが、俺の実家で出している食事の量よりも多くしてある。こちらの世界のほうが、運動をしてお腹を空かせた冒険者のようなお客さんが多いだろうからな。
料理に関してはそこまで利益が出ていないのだが、その分の利益はお酒で稼いでいるというわけだ。
「いや、あれでも普通の宿の食事よりは量を多くしてあるから、これ以上は駄目だな。あんまり食べすぎると健康にもよくないぞ」
「………………ちっ」
うわ、舌打ちしやがったよ、この天使!? あの冒険者のリーダーもポエルを見て少し見惚れていたみたいだけど、中身はこんなんだからな!
まあ、仕事はちゃんとやってくれて、お客さんにはこんな態度を取らなかったからいいんだけどさ。
「僕も全然大丈夫だよ! お客様と話すのは少しドキドキするけれど、みんな笑顔でお酒や料理をとってもおいしそうに食べてくれるから、本当にやりがいのある仕事だね!」
「おお、フィアナがそう言ってくれるのは嬉しいな。お客さんたちもフィアナがそう思って笑顔で接客してくれると嬉しいと思うぞ」
やりがいのある仕事、そうフィアナが思ってくれているのならなによりだ。接客業でのやりがいは、お客さんが楽しんでくれているのを見たり、接客したお客さんたちから感謝の気持ちを伝えられることだものな。
「それになにより、いつもみたいに寝ずに働かなくてもいいし、命のやり取りをしなくてもいいから最高だね!」
「ああ……うん、そうだな……」
本当にこの元勇者は不憫すぎる……その条件だと、ここの仕事だけじゃなくて、大抵の仕事が当てはまるんだけど……
「妾もまったく問題ないぞ! やはり、人とのふれあいというものは大事じゃな。それにここにおるといろんな種族たちの者が楽しんでいる姿を見られて、とても楽しいのじゃ!」
「それは俺も思った。いろんな種族のお客さんが来てくれて、この温泉宿の温泉や料理やお酒を楽しんでくれるのを見るのは俺まで楽しくなってくるよ」
昨日来てくれたお客さんたちは人族にドワーフにエルフと、全員が違う種族だったが、その全員が楽しそうに過ごしてくれていた。そんな姿を見るのは温泉宿を経営している側としても楽しくなってくる。
「あえて言うのなら、もう少し妾の作業を減らしてもらってもいいのじゃがな」
「……いや、ロザリー本人はもっと働いてもいいくらいだぞ」
あくまで動いてくれているのは召喚したゴーレムたちで、ロザリー本人はみんなの中で一番働いていないからな……本当にこのヒキニートは……
とりあえず3人とも問題なくこの仕事を続けてくれそうなことには少しほっとした。
とはいえまだ安心はできない。まだたった1日が終わっただけだからな。少なくとも休みの日までは気を引き締めていこう!