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 私が4階から落ちた日、マミちゃんからメッセージがきたの。
 体操着を貸してほしい、って頼みだった。
 こっそりと渡すために、先生が来ない踊り場で待ち合わせってことになって、私はマミちゃんが来るのを、待ってたんだけど……。
 授業の時間が近づいてきても、なかなか姿を見せないから、次第に焦ってきた。そうこうしてるうちに、1組と2組の人たちが、どんどん移動教室に行って——私もそろそろ行かないと、って思って、諦めて踊り場を離れようとした時——。
 「幸」
 聞き慣れた声がして振り返ると、お姉がそこに立ってた。
 なぜか制服を着て。
 わけがわからなくて、思わず目をこすった。
 「何でお姉が学校にいるの? その格好は、一体どうしたの」
 「マミのを借りたの。——本人には黙ってだけど。何で学校に来たのかについては、幸。あんたに会いたかったからだよ」
 「私に?」
 忍び込むような真似をしてまで、どうして……。そう思ったけど、予鈴が鳴って、ハッとした。
 「ごめん。私、授業にいかなきゃ。来てくれたとこ悪いけど、用があるなら、学校終わってからにして」
 私が立ち去ろうとすると、「待って。大事な話なの」と切実な口調で、呼び止められた。
 「大事な話?」
 お姉がこんな行動を取ってまでしたい話って、何だろう。
 「4階って今誰もいないんでしょ? こんな中途半端な場所じゃなくて、そっちに行こうよ」
 お姉は、私が断るとも思ってない調子で、提案した。そんなお姉に、「無理だよ」と言う勇気は、出なかった。
 「わかった。そうしようか」
 4階へと上る階段を指差すと、お姉は満足そうに頷いた。
 「それで、話って何なの? マミちゃんから制服を借りたってどういうこと? マミちゃんからメッセージが来たから、私はあそこにいたんだけど……」
 4階に着くや否や、マミちゃんからのメッセージを、お姉に見せた。
 そしたら――。
 「ああ。それは私が打ったやつだよ。マミの携帯を、拝借してね」
 さらりと言われて、開いた口が塞がらなかった。
 呆気に取られている私を差し置いて、お姉はペラペラと喋り出した。
 「ここに来る前に、マミの家に行ったの。マミを眠らせてから、メッセージを打って、制服を借りて――幸が待っている踊り場に来たってわけ」
 「何で……何でそんなことを……」
 とんでもないことを淡々と説明していくお姉が、怖くなってきて、私はだんだんと後ずさっていった。
 お姉は、そんな私を追うように、足を一歩一歩進めていった。
 そのうち、私の背中が固いものにぶち当たった。
 行き止まりだ。いつの間にか、窓際に追い込まれてたんだ。
 もう下がれなくなった私に、お姉がじりじりと距離を詰めてきた。
 「何でそんなことを? って言ったね。せっかくだから、最後に教えてあげる」
 お姉は口元を歪ませて、私の肩にポンと手を置いて、言い放った。
 「あんたを殺すためだよ」
 その言葉には、確かな殺気が含まれていて――逃げなきゃ、って瞬間的に思った。
 けど、私がそう思ったのが伝わったように、肩にかかる力が、急速に強くなった。
 「痛っ……!」
 やめて、と言おうとして、息が止まった。
 お姉が、今まで見たことのない鬼気迫る顔で、私を睨んでたから。
 怖かったけど、それ以上に悲しかった。
 最近お姉と、また昔みたいに仲良くなれた、って舞い上がってたのに、全部嘘だったんだって、その表情を見て、よくわかったから。
 私は嫌われていたんだ。家族として見ていたのは、私だけだった。
 そう認めた時、目の前の道が閉ざされるような感じがして、上手く息が吸えなくなった。
 脱力した私を、お姉は素早い手付きで抱え上げて、窓の外へと押し出した。
 それとほぼ同時に、懐から取り出したポーチを投げ捨てたの。
 それから、目的は達成した、と言わんばかりに、一目散に去っていった。
 でも私は、お姉の思惑通りに、落ちてはいなかった。
 私は、窓枠にかろうじてしがみついていた。ひとまずホッとしたけれど、そのままの姿勢から動けないことに気づいて、血の気が引いた。
 掴まってるだけで、精一杯だった。上に戻る力なんて、なかった。
 だから、叫んで助けを求めたんだけど……しばらくしても、人が来る気配はなかった。
 このまま誰にも気付かれないで、限界を待つしかないのか――そう絶望した時。
 悠ちゃんとマミちゃんが来てくれたの。二人の声を聞いて、一気に希望が沸いてきて、『もう少しだ。もう少し頑張れば、助かる』って自分を励ました。
 でもその間にも、目の前がチカチカしてきてて――限界が近いんだ、って焦った。
 駄目! あともう少しなんだから!
 叱咤激励しながらも、意識は危うくなっていって……とうとう手を離してしまった。手を離す瞬間、「危ない!」と出せる限りの大声で叫んで、私は落下した。
 けど、想像していたほどの衝撃は、感じなかった。
 私が落ちていったのは、固い地面じゃなくて、悠ちゃんの身体の上だったから。
 その後、私の下敷きになった悠ちゃんは、運ばれた病院先で、死亡が確認された。
 私がそれを知ったのは、翌日の午後になってからだった。
 病院の人の話によると、私は落下した直後に気を失って、それからずっと眠り続けてたらしい。結構危なかったみたいだった。
 お医者さんは、4日ほど入院してもらう旨を説明した後、悠ちゃんが亡くなったことを伝えて、去っていった。
 私のせいだ――。
 私は、病室でガタガタ震えてた。悠ちゃんを犠牲にして、両足の骨折と一時的な意識不明だけで済んだ自分が、許せなかった。
 悠ちゃんは叫び声を聞いて、私を受け止めようとしたんだ。
 あの時、「危ない!」って言ったのは、誰かを巻き込むことを防ぐためだった。“私”が危ないから、誰か助けて! という意味ではなかったのに。
 私が黙って落下していれば、悠ちゃんは――。
 ぐるぐると同じことばかり考えてたら、病室の扉が開かれて、一番会いたくない人が現れた。
 「エリちゃん……」
 その時のエリちゃんの顔は、一生忘れられないと思う。
 エリちゃんは、真っ暗な瞳をしていて、何歳も老け込んだようだった。人は苦しみの淵にいる時、こんな表情を浮かべるんだ、と思った。
 悠ちゃんの死を知ってしまったんだ。
 「幸は……無事なのか。良かった……」
 そう言って、膝から崩れ落ちたエリちゃんを見て、胸が切り刻まれるようだった。
 “私”は無事だった。その事実が、重くのし掛かった。
 項垂れる幼馴染みに、何を言えば良いのかわからず、私はただ唇を噛み締めていた。


 それからというもの、毎日同じ思いを抱き続けた。
 過去に——あの時に戻りたい。そうすれば——。
 エリちゃんの笑顔も、戻ってくるのに。
 入院している間、エリちゃんはずっとお見舞いに来てくれた。
 でも、表情に生気がまったく感じられなくて……魂がどっか行っちゃってるみたいだった。
 エリちゃんが、悠ちゃんに対して、どんな思いを抱いていたのか。私は誰よりも知ってたから、本当に胸が痛かった。
 退院の日が来ても、暗い気持ちは少しも晴れなかった。
 死んだような足取りで家に帰ると、玄関を開けてすぐのところに、お姉が立っていた。
 どうやら、待ち構えてたらしく、お姉は即座に飛び掛かってきて、私の上に馬乗りになった。
 「なんで死んでくれなかったの……! あんたがなぜか誰にもチクらなかったから、良かったものの、この数日間気が気じゃなかったのよ……!?」
 首を絞められながらそう言われて、お姉のやったことを誰にも話してなかったな、とそこで初めて思い至った。
 きっとお姉は、私を殺した後、その死を自殺だと偽装するつもりだ。
 私が4階から落下したことを、事故と見せかけようとしたように。
 苦しみに悶えながら私は、死にたくない! と強く思った。
 あの世で悠ちゃんと会った時、どんな顔をすればいいのか。
 「大人しく死んでくれれば、良かったのに……!」
 憎々しげに吐き捨てられた言葉に、その通りだと思った。
 悠ちゃんは、私の代わりに死んだ。死ぬべきなのは、私の方だったのに。
 だんだん薄れていく意識の中で、私は念じ続けていた。
 ああ、神様――。
 どうか私に、やり直させて。
 もし、あの瞬間に戻れれば、私は必ず黙って落ちる。誰も巻き込ませない。
 だからどうか。
 私が引き裂いてしまった大切な二人が、今度こそ、強く結び付きますように。
 そう願った瞬間、急に身体が軽くなった。
 気付いた時には、私はお姉に窓の外へと押し出されていた。
 何言ってるんだ、って思うかもしれないけど、本当のことなの。
 私は、あの瞬間に巻き戻されていたんだ。
 困惑しながらも、慌てて窓枠にしがみつくと、木が指に食い込むような痛みを感じて、夢じゃないんだ、ってわかった。
 私のありえない夢想を、天が叶えてくれたんだ。歓喜が胸の内を覆い尽くした。
 「いやーっ! 何あれ!」
 マミちゃんの絶叫が、再び鼓膜に響いてきた。
 私は、覚悟を決めた。
 限界が来た時は、黙って落ちるんだ。悠ちゃんが助けに来ないように。今度こそ死なせないように。
 やがてその瞬間は訪れた。私は掴んでいた手を離して、これで良いんだ、って思いながら、落下していった。
 ……でも結局、悠ちゃんを巻き込んじゃったんだよね。本当にごめんなさい。
 ここからも、信じられないような不思議な出来事について、説明していくんだけど……とりあえず黙って聞いてほしい。
 意識を失っている間、私はずっと夢を見てたの。
 夢での私は、右も左もわからない暗闇にいて、その中を当てもなく進んでいた。
 いつまでも歩き続けてたら、ふいに目の前が明るくなった。
 驚いて目を瞑ると、身体を強い力で引っ張られて——次に目を開けた時には、病院の天井が見えていた。
 多分私は、あの世とこの世の境を彷徨っていたんだろうね。そんなふうにしか思えない、不思議な夢だった。
 ひょっとしたら、私を待ってくれてる人たちの強い思いが、私を現実に戻してくれたのかもしれないね……。