あれから警察が来て、理人君をパトカーに乗せていった。八代も同乗した。

 私は当てずっぽうに、街を彷徨い歩いていた。

 病院は、今日のところは面会禁止にするようで、さっさと帰らされてしまったのだ。

 何となく、じっとしていられない気分だった。足を動かしていると、頭もよく回るような気がした。

 八代の父が書いた、日記の内容を思い出す。
 そこには、タイムリープ能力に関する考察が、記されていた。

 一つ目。人に移すことができる。
 二つ目。移したい人物を瀕死の状態にすることで、譲渡ができる。
 三つ目。能力の保有者の願望に反応し、その願いが成就できる時期に、リープできる。
 四つ目。一人が使える能力の回数は、限られている。

 確か、こんな風だったはずだ。

 回数の問題は、八代の父が試したところ、戻れなかったようなので、一人一回きり、ということになる。

 友人から能力を渡された八代の父は、過去に戻って結婚相手を選び直した。
 そして八代と理人君が生まれて、しばらくは不満のない生活を送っていたが――。

 理人君が不登校になって、厳格な父親気取りでいた彼は、不登校になった理由も把握しないまま、馬鹿の一つ覚えのように、学校へ行け、と叱りつけていた。
 その結果、家族全員から疎ましく思われた彼は、こんなはずじゃなかったのに、と鬱々とした感情を抱く。
 そして過去をやり直したい、と思うようになり、理人君に能力を譲渡して、タイムリープしてもらおう、と閃く。

 祭りの日の夜、八代から打ち明けられた話を、思い起こす。

 八代の父である男は、どうせ過去に戻って、やり直してくれるんだから、と憂さ晴らしに妻を殺した。包丁で息の根が止まるまで、しつこく刺した。
 そしていよいよ、理人君に手をかけようとした時、八代に阻まれる。

 少し邪魔されたものの、八代の腹を刺して、理人君を追いかけたのだけれど――。
 時すでに遅し、だった。近所の人が呼んだ警察が、男を捕まえようとする。
 逮捕されるくらいなら、いっそ――と男は自身の心臓に、包丁を突き立てた。

 理人君には、辿り着かなかった。だからタイムリープ能力は、理人君に渡されていないのだ。
 だとすれば、瀕死の状態に追い込まれたのは、八代だけになる。

 つまり——八代はタイムリープ能力を持っていた、ということだ。

 八代は、一回きりのタイムリープを、使ったのだろう。どんな場面で使ったのかは、本人に訊かなければ、わからないけれど。

 つい数ヶ月前まで私がいた世界線の八代について、思いを馳せる。

 父の会社の引き出しから出てきたという日記を読んだ八代は、タイムリープのことと、自分がその能力を持っていることを知った。
 それからの人生で、過去に戻りたい、と切実に思う場面があって、使ってしまった。
 そして、誰にも移すことのないまま、月日は流れ――2022年の11月1日。大和さんと約束していた通り川崎家に向かうと、殺された川崎夫妻と、理人君を目にする。

 理人君から話を聞いたところ、8年前に樹里亜が、ネット上で幸と名乗っていたことを知り、弟が幼馴染みの姉に騙されていたのだと知る。
 そして、6月1日に、幸の家へ突撃してきたのは、理人だったのだ、ということにも気付く。

 あの時、逃げられなければ……こんなことには、ならなかったかもしれないのに。

 そんな風に後悔することは、予想できた。私が八代の立場だったら、きっとその思いばかり、頭を廻るだろうから。

 一方、話し終えた理人君は、自分の首を一息に切る。圧倒的な絶望感からの自殺だ。川崎家のリビングが、三人の死体で埋まる。
 時を遡って、なかったことにしたい。そう強く願っても、理人君も死んでしまったから、彼にタイムリープ能力を移して、やり直してもらうことはできない。

 だから、私の存在を頼った。

 大人になった私は、SNSでずっと愚痴を書いていた。
 幸を喪った悲しみを、つらつらと書くことが、私の日常だったのだ。
 八代は、それを見たのだろう。

 現代の私は、学校の4階から転落して、命を落とした親友の話を、ネット上で呟いていた。

 そういえば……と思い当たる。
 数少ないフォロワーの中には、846というユーザーがいた。

 846にフォローされたのは、初めて幸に関するツイートを上げた日だったから、その時のことは今でも覚えている。
 こんな誰も共感できないような愚痴を読んで、フォローしようと思うなんて、変わってるな、とうっすら感じたものだ。
 あのユーザーは、八代だ。自身の名字を数字で表すなんて、変にもじりすぎないところが、何だか彼らしいな、と思った。

 自分の投稿文を思い返してみる。
 そうだ。確か、出身県を呟いたことがあった。
 ちなみに私のユーザー名は、『悠』だ。
 ここまでくれば、八代はわかったのかもしれない。

 幸から若葉悠、という友達の話を、どこかで聞いていた可能性は、十分すぎるほどある。八代は、しょっちゅう幸の家へ行き、たくさん会話をしていたのだから。

 『過去に戻って、幸の死を防ぎたい』
 『もっと幸といろいろなことを、話したかったのに。あの頃に帰りたい』

 そんな内容のツイートは、何度もしてきた。
 そして、『幸と本格的に仲良くなった時期――5月終わり頃だったかな? そんくらいに戻りたい』とも、何回か未練がましく書いていた。
 八代は、若葉悠ならば、8年前の6月1日以前に戻って、何かを変えてくれるかもしれない、と思ったのだろう。

 たとえば、幸とよく一緒にいるようになった私が、隠れて幸を見つめる理人君の存在に気付き、捕まえて問い詰めることに成功すれば、理人君の勘違いは、早い段階で解ける。
 実際に、庭に潜んでいた理人君を、私が発見したことで、状況は変わったのだし。

 理人君は、幸に見つかりそうになった時、こっそり様子を窺うことに、スリリングな快感を覚え、やめなければ、と思っていた尾行や盗み見を続行することにした。
 幸にとって――もちろん私にとっても、恐怖でしかなかったけれども、そのおかげで理人君に辿り着けたので、結果的にはよかったのかもしれない。

 いや、幸が危うく殺されそうだったのだけれど。改めて、間に合って本当に良かった、と胸を撫でる。

 思い返してみれば、八代は丘で取り押さえた時点で、ストーカーが理人君だとわかっていたのだと思う。
 少年のフードが取れて、顔があらわになり、さぞ驚いただろう。困惑によって、拘束する力が緩んだのだ。
 その後の八代の様子が、少しおかしかったのも、納得できた。
 もう少しでナイフが直撃していたのだから、気もそぞろにもなるだろう、とあの時は思っていたけれど。

 そうして息つく間もなく、幸と私が意識不明、という事態になる。
 八代にかかる心労は、尋常じゃなかったはずだ。
 色濃い隈を浮かべた彼の姿が蘇り、ふいに涙が滲みそうになる。

 いけない、と頬をピシャリと叩く。
 今は、感傷的になるべき時間ではない。

 気を取り直して、現代での八代について、考えを戻す。
 八代は私の帰宅時に、能力の譲渡のため、通り魔になったわけだけど、一体どうやって私の居場所を突き止めたのだろうか。
 絶えず動かしていた足を止めて、頭を捻る。

 「ううーん……」
 顎に手を当てて唸るが、さすがに行動圏内を特定される呟きを、ネットに上げたことはない。ならばどうやって知ったのか――。

 「あっ!」
 思いの外大きな声が出てしまい、決まり悪そうに周りを見渡す。

 病院を出てから、全然周囲に気を配ってこなかったので、自分がいつのまにか、車通りの極めて少ない住宅街に来ていたことに、今ようやく気がついた。
 他者の目を気にしたが、人の姿は見あたらない。見られてたとして、特に不都合はないけれど。

 驚きの声を上げたのはもちろん、八代が私を見つけられた理由に、思い当たったからだ。

 私が勤めていた場所は、私が中学の頃から憧れていた会社だった。
 将来は、絶対にそこで働くんだ! と何人かの友達に決意表明していた。
 幸にも、だ。

 幸から、又聞きした宣言を覚えていた八代は、そこで働く社員について、調べたのではないか。
 どうやって調べ上げたのかは、定かではないけれど。

 「それで私がいる、ってわかって――帰り道をつけてたのかな……? 全然気付けなかったよ……」

 誰もいないのをいいことに、ブツブツ呟く。口に出した方が、考えをまとめられる気がした。

 「8年後の八代は、私に望みを託した、ってこと……?」

 絶対にそうだ、という確信を感じた。

 今さら、わからないことではあった。どうしたって、あの世界線にはもう戻れないので、私のこの予想も、確かめるすべはない。8年後の八代は、通りすがりのOLを衝動的に刺すまでに、堕ちていたのかもしれない。私が彼に殺されたことに、何の意図もなかったのかもしれない。

 でも、と思う。開いていた指を、手のひらの中に仕舞う。そこに力が加わり、爪が軽く皮膚に食い込む。
 どうせ確認できないのならば、信じていたい。

 私を殺した現代の彼も、変わらなかった。

 私の好きな八代襟人のままだったと、そう信じていたかった。