ほんと、昨日はしゃぎすぎたよな。気だるい身体にムチを打ち、なんとか洗面所にたどり着く。今日の日程は京都市内自主研修。お寺とかダルいから、着物着てひたすらなんか食べようって話になった。
 コンタクトをはめ、歯ブラシをくわえて和室に出て行くと、起きたての咲がギョッとした顔で私を見る。
「いまり、いっつもリビングで歯ぁ磨いてんの?」
「え、ふぉうだよ?ふぉっちはどこで磨いてんの」
「普通洗面所じゃない?ね、令奈」
 咲にほっぺをつんつんされ、不機嫌そうに寝返りをうつ令奈。まだ爆睡してるし。
 歯磨きのとき洗面所から出るなんて信じられない、と繰り返しながら制服を用意し始める咲。修学旅行って、それぞれの生活習慣の違いが見えて割と面白い。
「いまり、今から下着つけるから一旦部屋出てくれる?」
「えー?ふぉれだけでぇ?別に見ないよー、うひろ向いてるだけひゃダメぇ?」
「だめ。あんたは信用できない」
 なんだよなぁ、もう。しゃかしゃか歯を磨きつつ、部屋から出る。
 窓のない旅館の廊下は暗い。朝とは言え、なにかしら出そうだよね。こわいからなにとは言わないけど。
 そのとき、ギッと音がして隣室の扉が開いた。同じクラスの、別の女子の部屋。
「……おはよう、岸田さん」
 ドキッ、とする。
 開いた扉から顔をのぞかせたのは、クラスメイトの岡野秋音さん。
 この子はいつも俯き加減で長い黒髪を揺らしている。客観的に見て美人の部類に入るのは確かだけど、正直言ってなに考えてるか分かんなくて気持ち悪いんだよね。私が友達とはしゃいでいると見下すように見てくるのは、自分がぼっちゆえの嫉妬だろう。
「岸田さん、どうして部屋から出てるの?」
「え?いや、岡野ふぁんは?」
 なんで友達でもないあんたにそんなこと教えなきゃなんないのか。歯ブラシをくわえているなりにもなるだけ威圧的な言い方をしたが、岡野さんは動じないどころか鼻で笑う。
「私はそういう気分だったから。仲間外れにでもなったなら、こっち来る?」
「は?」
 ふざけんなよ。あんたと違うんだよ。
 胸ぐらでもつかんでやろうかと思ったけれど、こんなところでトラブル起こしたら自主研に行かせてもらえないかもしれない。
「……」
「仲間外れ、ではないんだ。じゃあ……」
「なんだよ」
「変な生き物が出た、とか?」
 変な生き物。
 頭を、さっきの黒いサソリがよぎる。
 なんでこの子はーー。
 岡野さんの精巧な顔は、静かな微笑をたたえていた。その微笑みに、なぜか感じる違和感。しばらく見つめて、気づく。
 この子、目が、笑ってないんだ。

 ガチャ。

「いまり、着替え終わったよ」
「ふぁ……あ、マジ?」
 そのまま、逃げこむように自分の部屋に入る。散らかった布団や開きっぱなしのスーツケースを見て、なんだかホッとした。
「あ、いまりおっはー!今日も朝ごはん余ったら食べたげるからね」
 つい一分ほど前まで寝ていた者とは思えないテンションで令奈が手を振った。無邪気な笑顔を見て、全てのモヤモヤが吹っ飛ぶ。
 朝飯が運ばれてきた頃には、もうサソリのことも岡野さんのことも心の隅に追いやられていた。