そもそも俺たちが付き合っていれば、あの日あの時一緒にいて、帰りの時間やルートがずれて事故に遭うこともなかったかもしれない。そんな風にすら思った。
 だから俺は今もずっとお前のことを引きずってて――」
「慎一郎くん……、私も、ずっとあなたのことが好きだった。
 私たち、もっと早く告白すればよかったね。そうしていれば、違う未来もあったのかな」
「ひまり……」
 こんな形で慎一郎くんに告白することになるなんて、思ってもみなかった。
 いや、こんな形だからこそ、私たちは初めて素直になれたのだろうか。
 どちらにせよ、今となってはありもしない未来を夢想しても仕方がない。

「でもね、私はもう死んじゃったんだよ? だからもう私のことは忘れて欲しい。
 私はあなたのことが好きだからこそ、あなたには別の誰かと幸せになって欲しい」
「……そうか。それがひまりの願いなんだな」
 慎一郎くんの目に浮かんでいた涙も、その一言とともに引っ込んだ。


「だけどさ、だからと言って、西村さんが俺にとってのいい人かどうかは――」
「あはは、そりゃ分からないよね。……でも大丈夫。私に任せてよ」
「え」
「私は幽霊だよ? 誰にも見せない真実の顔を暴くことだってできるんだからね」
 そして慎一郎くんを残して、私は彼女の、――西村さんのあとを追った。
 おそらく彼女の性格からして、素直に教室には戻らないだろう。となると、彼女の行き先は二択だった。



「お、ビンゴビンゴ」
 西村さんの姿は体育館から最も近い女子トイレにあった。
 もしかしたら保健室かもしれないと思ったけれど、そちらを探す手間は省けた。
「ふんふんふーん♪」
 西村さんはトイレの鏡に向かって、楽しそうに鼻歌を歌いながら髪の毛を整えている。
 ここに化粧道具があれば、そのままメイクでも始めそうな雰囲気だ。
 覗き見みたいで申し訳ないけど、私は幽霊だから大目に見て欲しい。
 私は幽霊のキャラクターみたいに顔の下あたりで両手を下に向けて、にゅるりと彼女の背中に近付いた。

「う~ら~め~し~や~」
 なーんて、こんなことしても気付かれるわけないけど、
「きゃあああああぁああああぁ!!???」
 ……え? 西村さんが突然大声で叫びだした。
 そして振り返った彼女は、私の顔を見ると今度は「いやっ!?」と短い悲鳴をあげて腰を抜かしてしまった。

「ええっと、西村さん? もしかして私のこと見えてます?」
 もしかすると強く念じれば、人に姿を見せることもできるのかな。西村さんは続けて口を開いた。
「あ、あ、あんた、化けて出てきたのね!? あたしを呪い殺すつもり!?
 冗談じゃないわよ、あと少しなのよ!? あと少しであたしは先輩と――」
「突然なんの話? 呪い殺すってそんな物騒な……」
「え、ええっ!? だって、あたしのせいであんたは――」
 そこまで言って、西村さんははっとなって自分の口を手で覆う。
 まるでそれは口にしてはいけないことを、ついうっかり口にしてしまったかのような様子だった。


 そんなはっとした表情を、やってしまったというその表情を、私はどこかで見たことがあるような気がした。
 私は自分の記憶の糸を手繰り寄せて、ゆっくりと思い出していく。

 ――あの日、私は吹奏楽部の帰りで、トランペットの入ったカバンを背負いながらホームで電車を待っていた。
「んー、今日も疲れたなー!」
 背伸びをしながら、部活の振り返りをする私。
 私たち吹奏楽部は来月に行われる演奏会のために、最後の調整を進めているところだった。


「小早川せんぱーい!」
「え?」
 突然背中から声をかけられた。私は顔だけをそちらの方向に向ける。
 この声、どこかで聞いたことあるような。……すぐに思い出せない。吹奏楽部の後輩の声じゃないし……。

『う~ら~め~し~や~』
「きゃあああああぁああああぁ!!???」

 振り返った私の目の前にいたのは、恐ろしい姿をした幽霊だった。
 いや、実際には誰かがスマホの画面をこちらに向けて、ホラー動画か何かを見せてきたのだ。
 私がそう気付いたのは、恐怖のあまりのけぞって、駅のホームに転落してしまったあとのことだった。

 そこからの記憶は本当に何もない。電車に轢かれた瞬間に覚えているのは、駅のホームに見覚えのある顔があったことだけだ。
 その女の子は、今の西村さんと同じ表情をしていた。……いや、そうじゃない。あの女の子は西村さんだったのだ。
 「こんなつもりじゃなかった」、彼女の表情はそんな風に顔面蒼白といった感じだった気がする。


「そうだ、あのとき私を驚かせたのは西村さんで……」
「――っ!! そ、そうよ! 何か文句ある!?
 言っておくけど、あれはただのいたずらだったんだからね!
 あんたが沢田先輩といい感じだって知ってたから、流行りのホラー動画でも観せて、ちょっと驚かせてやろうかなって。
 それなのに、ただそれだけだったのに、あんたったら線路に転落しちゃって!!
 そうよ、全部あんたのせいよ! あたしは何も悪くないんだから、恨むんだったらお門違いってものよ!!」
 西村さんは早口でまくし立てて、自分の心を守っているようだった。
 つまり彼女は、きっと今まで自分のしたことに後悔し続けてきたのだろう。

「そっか。なら私がただドジを踏んじゃったってだけだね」
「え?」
 腰を抜かしたまま、不思議そうな顔で西村さんは私を見上げる。
「だって、こんなことになるなんて分からないよ。だったら確かに西村さんは何も悪くないよ。
 私の不注意で電車に轢かれちゃったってだけ。いやー、真相が分かってよかったなー」
「あんた、それ本気で言ってんの? あたしを呪い殺すために化けて出たんじゃ……」
「違う違う。私はただ、西村さんが慎一郎くんを任せるのにふさわしい女の子か見極めに来ただけ。
 でも、やっぱり悪い女の子じゃないね、西村さん。むしろ素直でかわいいところがあるっていうか……」
「そんな、こと……。だってあたしは、あんたがいなくなったから、自分にもチャンスが来たと思って沢田先輩に……」
「あははは! 別に慎一郎くんは私のものじゃないよ!」
 そんなことを気にしてるだなんて、やっぱり西村さんはかわいい。どうでもいいんだよ、そんなことは。



 そして慎一郎くんの元に帰ってきた私は「いい子だったよ、西村さん」と伝えた。
 それから力を込めて、彼女の告白を受け入れるように彼を説得し続けた。
「あんなにかわいい子を振っちゃうなんて、もったいないって!
 どーんと行っちゃいなよ、慎一郎くん!!」
「そっか。分かったよ、ひまり」
 慎一郎くんが私の熱弁を受け入れてくれるのには、それほどの時間はかからなかった。
 ようやく慎一郎くんは、彼女に告白の返事をすることを決心してくれたのだった。