私、小早川(こばやかわ)ひまりはどこにでもいる普通の女子高生でした。
 でも今は、ひょんなことから幽霊をやっています。ただ幽霊と言っても、少なくとも私自身には不透明な身体に見えます。
 地に足をつけて立っているつもりだけど、人やものには触ることはできず壁や扉はすり抜ける。
 服は死んだときの半袖セーラー服のままで、暑さや寒さを感じることもなく、なんだか不思議な感覚です。

 はてさて、この不可思議な現象をどこから説明したものでしょうか。
 ここに至るまでには聞くも涙、語るも涙の物語があったのでございます。
 そう、あれはビッグバンで宇宙が誕生したことから始まり――、

「時を遡り過ぎでしょ!!」
 私の説明に対して、お笑い芸人みたいにぴしゃりとツッコミを入れたのは、沢田慎一郎(さわだしんいちろう)くんだ。
 なんだよぉ、ここから宇宙の神秘とか壮大な歴史ストーリーとか始まるのにぃ。


 でもまあ、亡くなったはずのクラスメイトが夜中に突然自分の部屋に現れたのなら、困惑するのも無理はない。
 気が付いたときには彼の部屋にいて、ベッドで眠るその寝顔を眺めていたら、ふと目覚めた彼が私の顔を見てびっくり仰天したのだ。
 ちなみに、彼の頬をそっと撫でてみようとしたのは秘密だ。……結局ただ手がすり抜けるだけだったのだけど。
 今はそんな彼にこの状況を説明しようと、頭を捻って言葉を紡ぎ出そうとしているところだ。

 慎一郎くんとは中学の頃からの付き合いがあり、まさに気の置けない関係だった。
 恋人同士ではなかったけれど、ときどき一緒に買い物に行ったり映画を観たり、楽しい時間を共有してきた。
 爽やかなクールフェイスで頭もよく、運動神経も抜群で、私はそんな彼のことが、――好きだった。

 尤もこうして死んでしまった以上、それらはすべて過去形で語られるものでしかない。
 輝く白い歯が好きだった。バスケットボールの大会で、エースとして活躍する彼が好きだった。
 けれど、もうすべては終わったことなのだ。そんな感傷に気付くと、出るはずもない涙がこぼれるような気がした。
 ……ううん、いけない。私がこうして化けて出てきたのはきっと、彼に悲しい顔を見せるためではないのだから。


「でも私もどうして自分が幽霊になったのか、よく分からないんだよね。
 『電車に轢かれて死んじゃったー』ってことは覚えてるけど、死んじゃった瞬間のことは何も覚えてないし」
「……覚えてなくてもいいんじゃない? 悲惨な事故だったって聞いてるよ」
「確かに。そんなの一生トラウマだもんね、うんうん」
「というか、ひまりの一生はもう……、ツッコミにくいよ!」
 腕組みをしながら頷く私に、またも慎一郎くんの芸人顔負けのツッコミが炸裂する。
 でも、そうだよね、私の一生ってもう終わっちゃったんだよねえ。そんな自覚、まだ全然ないんだけど。


「どうしようかなあ、これから……。おばけの居場所ってどこにあるの?
 夜は墓場で運動会でもすればいいの? 日本国憲法でも死んじゃった人の居住の権利は認めてないよねえ」
「まあ、しばらくは俺の家にいるしかないんじゃない?
 多分他の人には姿も見えないし、声も聞こえないって感じでしょ?」
 彼はもうすっかり私の存在を受け入れてくれているようだ。物分かりが早くて助かる。

「まだ慎一郎くんにしか姿を見せてないけど、多分?
 とりあえず明日は一緒に学校に行って、他の人ともコミュニケーションが取れないか試してみようかな」
「了解」
 慎一郎くんは短くそう応えると、ベッドに腰かけた状態から再び仰向けに寝る体勢になった。
 まったくもう、無防備だなあ。そんな風に隙を見せてると、取り憑いちゃうぞぉ?
 うーん、私も能天気なほうだと自覚しているけれど、この状況ですぐに眠れる彼も相当なものだ。
 眠気も感じないけど、とりあえず私も床に寝転がって夜明けを待つことにしよう。



 翌朝。慎一郎くんは私に「おはよう」と挨拶すると、自分で朝ごはんを作って、それを食べ始めた。
 白いごはんとお味噌汁、それからソーセージに目玉焼きという簡単な料理だったけれど、彼にこんな家庭的な一面があるのは意外だった。
「コーヒーはブラック派なんだ」
「朝はね。目覚めの一杯にはこれがいいんだ」
「寝起きのコーヒーは身体に悪いよ? コルチゾールっていうホルモンの分泌が減っちゃって――」
 そんなことを言いながらも、私は私の知らない彼があふれている光景に頬を緩める。
 私たちはお互いの家に遊びに行くことだって何度もあったけど、まだ知らない彼がこんなところに潜んでいたのだ。



 それから学校に着いて、こまるちゃんに「おはよう!」と声をかけてみたり、授業中に教卓の上でダンスを踊ってみたりしたけれど、誰も私に気付く気配はなかった。
「ぷっ、あっははははっ!!」
「おい、沢田! 何をひとりで笑っているんだ! 授業中だぞ!」
「す、すみません! その、思い出し笑いです!」
 慎一郎くんが担任であり現代文の先生でもある芹沢(せりざわ)先生に注意をされている。
 まったくもう、慎一郎くんってば。授業は真面目に受けなきゃ駄目だよ?
 そんなことを考えながら、私は教卓の上で踊り続ける。ここの振り付けはもっとアグレッシブなほうがいいかな!?
 慎一郎くんが「お前のせいだぞ!?」という目でこちらを見ている気がするのは、きっと気のせいだろう。うん、気のせい気のせい。


 ところで、黒板に書かれた日付を見るに、私の"最期の記憶"から実は一ヶ月ほどの時間が流れているようだ。
 四十九日はまだ過ぎてないけど、お葬式とかはもう終わっちゃってるんだろうな。
 どうやら幽霊というのは死んでからすぐに生まれる(?)ものではないらしい。それとも私のケースのほうが特殊なのだろうか?
「――まり、ひまりってば! ねえ、さっきから呼んでるんだけど」
「なぁに、慎一郎くん。うるさいなあ。今考え事してるんだけど」
「いや、周りをよく見てよ、周り」
 周り? 別になんの変哲もない教室だけど……。
 私がそう思ったのはほんの一瞬のことだった。いつの間にか先生や女子生徒たちはみんないなくなって、男子生徒たちが教室で体操服に着替え始めていたのだ。
 そう言えば、さっき授業の終わりのチャイムが鳴っていたような……。ええっと、とりあえずそんなことより――、

「わわっ!? ごめん、次の授業、体育だった!?」
 私は慌てて目を黒板のほうに向ける。今の時代、さすがにうちの高校にも男子更衣室はあるのだけど、大抵の男子は面倒臭がって教室で着替えるのだ。
 慎一郎くん以外誰も気付いてないのだから仕方ないけど、幽霊になったと言っても私は女子だ。
 うっかり男子の着替えを見てしまったら、動かないはずの心臓もドキドキしてしまうし、赤くなるはずのない顔も赤面してしまう。
「わ、私、廊下で待ってるね!」
「あ、うん……」
 くそう、せっかくなら慎一郎くんの着替えが見たかったな。いや、彼には私の姿が見えているから困っていたのだろうけど。