ふたご山にそびえたつ女神が逆光に照らされて、地球儀が回ると給水塔があらわれた。
【ジョーダン・アピール監督】狼の仮面 ~狼出没中。あなたは無事生き延びられるか!?狼パニックムービー

狼のマスクを被った人間が狼を装って人を襲い金品を奪うという事件が起こった。被害にあった人間は全員死亡している。警察だけでは対応できないと判断が下され、政府は対策に乗り出した。しかしいくら待っても狼が現れる気配はない。これは政府が秘密裏に狼の駆除を行っていたのだ。
そんな中、とある男がネットオークションで狼に変身する薬を落札してしまう。
その夜、男の自宅に現れたのは一匹の子犬だった。男は警察に通報する。だがやって来た警察官は、男を犯人だと勘違いし射殺してしまった。男は死に際に自分の罪を暴露する。それは自分の罪ではなかった。男は無実の罪で逮捕され死刑宣告を受けたのだった。
翌朝、ニュースサイトに衝撃的な記事が掲載された。狼に姿を変えた男性が、人間に襲いかかっている映像が世界中に配信されたのだという。男は警察署から逃げ出したあと自宅に籠城しており、その間に撮影されたものだった。動画はSNSを通じて拡散され、たちまち全世界の注目を集めることとなる。
数日後、一人の若い女性の元に差出人不明の手紙が届く。手紙の内容はこうだった。
《狼になれ》 女性はその指示通り実行した。
すると、次の日から狼の目撃例が急増した。そして一週間後、世界中で一斉に暴動が発生した。
狼に襲われた人々のうち生存者はゼロ。
生き残った者たちの証言で判明したのは、狼の外見が、男性から女体化したかのような容姿で全身真っ黒な体毛で覆われており、体長二メートル近く、口は大きく裂け鋭い牙が並んでいるという。その姿はまさに「怪物」。そして人肉を好んで食らう。また人間の言葉でコミュニケーションを取ることができ知能は高く、高度な科学知識を有し、銃や戦車などを意のままに扱うことが可能。しかも魔法のように一瞬で姿を消すこともできる。
さらに驚くべきことに、「狼化現象」を引き起こした人物の中にはかつて人類史上最悪の魔王として君臨した者がいた。彼は異世界より召喚された救世主によって打ち倒され封印されたが、長い年月を経て復活したのだ。
世界は絶望と混乱に陥るかに思われたが、しかし一人だけ狼から身を守れる方法が存在した――それが変身薬『ウルティマ』だ。これを飲めば一時的にだが誰でも狼に化けることができるようになる。ただし効果が切れると反動が来るので注意が必要だという。その日、世界各国で狼化現象が確認されると、人々は狼から逃れるために次々とこの薬を購入し服用していった。そして、世界中の狼は姿を消したのである。
しかし数年後、世界各地で同時に発生した原因不明の狼の大発生。それに紛れて、何者かの手引きにより密かに大量の薬が製造されていたことが、世界各地から寄せられた証言で発覚した。
その製造場所こそが、日本に実在する小さな製薬会社だったのである。
そして、今から五年前。突如起こった世界的狼の大量失踪事件は、狼の全滅と共に終結することとなった。
その事件の渦中に居ながらも無傷であった青年が一人。彼の名前は、草薙御堂といった。
御堂が狼に襲われることはなかった。なぜなら彼もまた狼だったからだ。
しかし彼の狼としての能力は極めて低く、普通の人間と変わらない程度しかなかった。狼に変身するどころか、獣としての本能が目覚めることすらなかった。それなのになぜ彼が襲われなかったのか。それは彼の身体的特徴が狼に似ていたからである。つまり狼に見えれば良かったのだ。そのため狼の毛皮と耳を模したカチューシャ、さらには尻尾が生えるような水着を纏った美女の写真が掲載されたファッション雑誌を所持していた。その写真が、狼に襲われることがなかった最大の要因である。狼が大嫌いだったという女性カメラマンから譲られたものらしい。狼に襲われた時に備えて用意していたのだが……まったくの無意味に終わった。狼たちは、この男の正体を知らない。だから彼には手を出さなかったのである。しかし正体を知った時、彼らは間違いなく牙を剥くだろう。なぜなら狼は狡猾な生き物なのだ。もし狼の群れと遭遇してしまったら……。果たして御堂は狼に変貌することなく生き残れるのか? 狼は絶滅したはずだった。だが実際は、水面下でひっそりと息を潜めて暮らしていただけだった。この世に生きる全生物の頂点に立ち、全ての生物を支配せんとする魔性の王。その王が目を覚ましたとき世界は滅亡へと導かれるという。
「……俺が?」
俺はそんなことしない、と言いかけて、慌ててその言葉を呑み込んだ。ここでその台詞は逆効果だと気づいたのだ。相手はすでに狼に変化している。嘘は通用しないだろう。ならば、せめて相手の勘違いを助長させるしかない。そう思いなおした御堂が口にしたのは。
「ああ、そうだよ」
だった。
「狼だぜ」
あえて肯定することで、相手に「狼は実在したんだ!」と思い込ませようとしたのだ。そしてあわよくばこの場で仲間に引き入れようと目論んでいたわけだが……。どうやら失敗のようだ。相手は完全に理性を失ってしまっている。
「狼は滅びなければならない!」
叫びとともに放たれた狼パンチは空を切り、壁に激突した。コンクリートの塊が砕け、破片が宙に舞い上がる。
(まずい、こいつはかなり危険だ)
このままでは取り返しのつかない事態になるかもしれない。
何よりもまずいのは自分までもが「狼」と認識しられてしまうことだ。
それだけはなんとしても阻止しなければ!……その一心が、彼の脳裏に天啓をもたらすことになる。

狼とは本来夜行性であり、夜に行動する動物である。
では昼間、人目のある日中ならどうか。
答えは明白。
「おまえは昼に活動できるほど狼ではない!」……狼の誇りを傷つけられる発言が狼男の逆鱗に触れたらしい。
怒りに顔を紅潮させながら飛び掛かってきた狼男。
その動きを見切った御堂が繰り出された拳をかわしながらすれ違いざま、素早く懐に飛び込み腹パンを決めると、狼男は悶絶しながら床に倒れ込む。

その隙を逃すまいと追撃の蹴りを放った御堂だったが、相手が予想以上の反応速度で反撃してきたので思わず後ろへ跳んで回避した。

するとその拍子に、足元にあった雑誌を踏みつけてしまう。
あっ、と声を上げた時には遅かった。
表紙が開くとそこには、全裸の女性のセクシーショットが満載されていたのだ。
もちろんすべて修正なしのフルカラー。
しかも、狼男が苦手とするタイプ。

――しまった、これはヤバすぎる!

御堂は戦慄する。
狼男がこちらを指差し叫んだ。
さすがにこの手の攻撃手段は予想していなかったので対処が遅れたものの、何とか間に合った。
だが狼男は攻撃態勢に入ろうとしていたため、そのタイミングで発動させても意味がない。
そこで彼は別の方法を取ることにする。
狼男の動きがピタリと止まった。
……催眠状態に陥ったのだ。
これでも駄目だった場合は最後の手段として奥の手を使うつもりでいたが、幸いにしてそれは不要だったようである。
狼男の瞳から焦点が失われていき、そして意識が消失。
それと同時に、狼の毛皮が弾けるように霧散し元の男性の姿に戻っていった。
ふうっ、危機一髪だったな。
安堵のため息を吐いた後でふと周囲を見回すと……。
そこはまるで台風が通過した後のような惨状になっていた。
部屋の壁は粉々に破壊され瓦礫の山となっており天井や壁の一部まで完全に崩落して吹き抜けの状態になっているうえ床には大量の本が散乱している状態だ。
しかもあちこちが水浸しになっていてひどい有様である。
おまけに部屋の真ん中では巨大な狼が寝そべっているのだから、もうどう言い訳しても誤魔化し切れないレベルだ。
――なんてことだ。
御堂は頭を抱えそうになる。
自分はただ狼男を懲らしめようとして戦いを挑み、その結果こんな惨事を引き起こしただけだ。
狼男自身は狼になった記憶すら残っていまい。
狼化した瞬間のことを何も覚えていないはずだ。
なのになぜ自分が狼を倒したなどという誤解が生まれるのか理解できなかったが。
しかし御堂にとっては好都合な展開でもあった。
この現場を目撃したのは狼本人ではなく人間である。
目撃者がいる以上狼は退治され、世界に平和が訪れた。
それで済むのだから。
……こうして、草薙御堂が倒したはずの狼は再び復活を遂げるのだった。
――狼男との戦いから二日が過ぎた夜のことだった。
御堂の部屋のインターホンが鳴った。
訪問者だと思って玄関に向かう。
扉を開けるとそこに立っていたのは。
……狼だった。
比喩ではない、本物の狼がそこに立ってたのだ。
体長二メートル近くはあるだろうか。
全身真っ黒な体毛で覆われた体躯。
その頭部から突き出す三角形の大きな耳と、口から除く鋭く長い牙はまさしく狼のものだ。
その双眼からは狂気の光が灯り、明らかに正気とは思えない。
間違いない、この狼こそが今回の事件の犯人だ。
そして今度こそ本当に復活したらしい。
御堂は覚悟を決めて、戦闘に備えた。
……だがその時、狼の表情が悲しげなものに変わった。
次の瞬間、牙が引っ込み両目が通常のものに戻り狼は御堂に向かって話しかけてきた。
その顔に見覚えがあった。
この狼はあの時の!?まさかあれから数日しか経っていないというのにまた狼化してしまったのか? 御堂が狼と出会って狼化した時とは状況が違うようだが。
しかし今は狼が元に戻らない理由を追求している暇はない。
狼は敵意が感じられないし会話が成立しそうだからだ。
今のうちに話を聞こうと御堂は質問することにした。
狼男に変身した直後は理性を失うというが、それは本当なのか?どうして狼化したのか自分で自覚していないのか、と。
狼の答えは以下の通りだった。
……俺は確かに狼男に変身したが、すぐに狼としての理性を取り戻し人間に戻ることができた。
なぜ狼化する現象が起きたのか理由は分からない。
しかし今回は違う。
狼としての自我ははっきりと残っているのに狼の本能に支配されてしまった。
人間に戻ろうとしても体が言うことをきかない。
……狼男の状態での理性が残っているのならば、なんとかなるのではないか? それはやってみないと分からなかった。
とにかくもう一度だけ戦おう、話はそれからだと御堂が提案しようとしたとき、背後から何者かが現れた。
その人物は狼の首を掴むと、御堂が瞬きした直後に狼の姿をした者を一瞬で気絶させてしまったのである。
そして、その人物は御堂の方を向き、自己紹介をした。
――私の名前はルミエール・シド。
この家の主であり医者でもある。
実はこの娘が、この家の前で狼に襲われるところを見たんだ。
私は狼が恐ろしかったので逃げ出してしまい助けることができなかったのだが。
だが君のおかげで娘が無事だと分かり、心の底から感謝している。
そして狼に襲われた恐怖がまだ抜けきれないのか、この通り怯えていて話すこともできない状態だったんだ。
……この娘の話によると狼に襲われてから丸一日が経過するが未だに目を覚まさないらしいのだよ。
おそらく極度の精神的ショックを受けて昏睡状態のようだね。
とりあえず私がこの狼を調べておくよ。
安心してくれ、悪いようにするつもりはない。
狼男を倒せる人間はごく僅かだが狼と対等に渡り合えるのもまた僅かな数の人しかいないのだそうだ(例えばこの私のように)……そう言って、この女性は狼男を抱えたまま行ってしまった。
その後、目を覚ました被害者の娘の話によれば……彼女は自分が襲われた時の様子を事細かに語ることができたらしい。
それによると狼は突然襲ってきたらしい。
しかし彼女には怪我はなく衣服に乱れもなかったようだ……どうやら彼女を襲った時はまだ人間だったようだな……ちなみにその女性が抱えていたものは、やはり雑誌や衣類であったそうだ……狼男が狼と化した時に身に着けていたものを証拠品として保管してあるらしい…………翌日、その女は御堂を自宅マンションへと招いたのだった。
その日の夜だった。
またも御堂の家を、インターホンの音が響いたのだ。
どうしよう、と思いつつ無視するわけにもいかない。
――俺が出ます。
御堂は仕方なく立ち上がり、訪問者を迎え入れた。
そこには。
昨日の女性とその腕に抱かれた少女がいたのだ。
女性の顔を見て御堂はその人物の正体を悟った。
「あなたは、狼と戦ったお姉さん!」
そうだ、間違いない。
この女性こそ、狼と初めて出会った際に御堂の部屋に入ってきた狼女に違いなかった。
――私は昨日の狼が心配になって様子を見に来たのだけど、ちょうど良かったわ。
貴方には是非とも礼を言いたかったの。
あの時は怖くて逃げ帰ってしまったけれど。
改めてありがとう。
おかげで娘も命拾いすることができたし……狼男の事件も解決したようね、狼男は警察に逮捕されてしまったけど、警察で事情聴取を受けている間ずっと「狼男は自分が倒した」と言っていたらしいからきっと逮捕される前から狼男は正気に返っていたんじゃないかしら……そして警察はそれを鵜呑みにして信じてしまっているらしいわ……そのあたりは私にはよくわからないけれど。
……御堂の知らないところで事件は終わっていたらしく真相は藪の中だった。
まあ別に知りたいわけではなかったので構わないが。
……それじゃ失礼します。
そう言い残すと女性は帰っていき御堂はドアの鍵をかけた後でソファに身を預けた。
今日は朝早くから起きていたため疲れが溜まっていたのだろう。
いつの間にか寝入ってしまい次に目を開けた時には外は暗くなっていた。
御堂はベッドの上で横になっていた。
――んっ?誰かの声が聞こえる。
誰だろうか。
まだ頭がぼーっとしているようでうまく思考を働かせられなかったが、徐々に思い出してきた。
確かここは御堂の自宅だ。
そこでルミエールと名乗ったあの女の人と会ったはず。
そしてルミエールは、自分のことを医者だと言ったはずだ。
そして彼女の連れてきた狼と、女の子を家に泊めることになった。
その二人が何をしているかというと、御堂の部屋のテーブルでトランプをしていた。
御堂は二人の邪魔にならないよう壁に背をあずけ床に座っていたが、眠くなったのと空腹を覚えたため食事にしようと考え立ち上がる。
だがまだ意識が半分寝ているのか、足元に何かが落ちていたことに気付けなかった。
それが何であるかを確かめることもなく御堂は踏んでしまったのである。
――それは狼男が御堂に渡そうとしていた例の雑誌『月刊ケモノッ通信・第三十二号』の特集記事であった。
「うーん、何というか……ちょっと想像以上ですねぇ」
アテナとの決闘後。
リリアナたちが滞在している部屋へ招かれていたエリカは感心半分呆れ顔である。
彼女が目にしたものとは――。
――リザベラ(猫)&ディアナのツーショット写真(隠し撮り風アングル)が表紙を飾り。
――さらにその下にはエリカの写真も飾られている。
しかもこちらは全身像で正面から撮影されているものなのだ! どうやら狼男のカメラ小僧的趣味は今も昔も同様らしい……。
「これはいい機会だ。
ついでに私のヌードグラビアページの撮影もしてもらいましょう。
……もちろん水着で」
――それはもういい。
だがこの雑誌をどうしたらよいのだろうか。
捨ててしまうのも躊躇われるし。
そもそもどこに持っていけば買い取ってくれるのだろうか……。
困った顔をして立ち尽くすリリィたち一行だった……。
第四章 ~嵐の夜の冒険 月光の魔剣を携えし銀髪の騎士が降臨し、邪悪な狼を打ち倒す
――さすがだ。
やはり貴様は素晴らしい。
我が愛弟子に相応しい実力だ。
だが今の一撃で決めきれなかったのは惜しかったな。
……いや待て。
どうした、その傷は。
……なるほど、あの男につけられたのか。
奴がそれほどの力をつけているとは驚きだな……仕方あるまい、まずは治療に専念しろ。
それからゆっくり、時間をかけて仕留めればいい。
我らの計画に変更はない。
全て順調、全てが順調に進んでいる。
だから何も恐れる必要はないぞ、我がついているのだからな……。
……そう告げると狼は去っていった。
そして狼に負わされた致命傷がゆっくりと治り始めると同時に御堂は夢を見なくなるのだった……御堂が狼との死闘の後で見た不思議な夢とは一体どのようなものであったのであろう。
それから三日間が過ぎた。
その二日目、日曜日の出来事であった。
昼前、御堂は外出の準備を整えてから自室を出た。
向かう先は近所にあるスーパーマーケットだ。
朝食用の食材を買い忘れたため昼食を作ることができず、やむなくコンビニ弁当で済ませようとしていたのだが……あいにくと先客がいた。
見覚えのある後ろ姿だ。
――草薙御堂?こんなところで偶然に出会うとは奇遇ではないか。
……なんというか妙に偉そうな口調の知り合いがそこに立っていた。
――俺は近くのスーパーまで買い物に行くところなんだ。
あんたは?……ああ、わたしはこの近くに用事があるんだ、少し遠出をするつもりで、それで近くを通るならと思って立ち寄ったのだが、まさかこのような所で出会うことになるとはな。
……そんなにジロジロ見るんじゃない、まったく。
……それにしても変わった格好をしてるんだな……?お前の服のことなのか、それともこの服装の人間と会うのが初めてという意味なのか、どちらかよく分からなかったので御堂はとりあえず黙っていることにした。
しかし御堂と同じマンションに住むというこの金髪碧眼の少女は一体どんな用事でやってきたのだろう?……聞いてみたい気もしたが下手なことを聞いて地雷を踏みたくはなかった。
そのため無難に会話を続けようとした結果、つい最近イタリアで起きた出来事の話題になった。
すると、彼女は意外にもよく知っていたのである。
――ふむ、そういえば数日前のニュースではその話題がよく流れていたな……あの時わたしはミラノにいたのだ。
……実は、今年の一月にもイタリアのフィレンツェに行ったことがあるのだ。
まあ今回は、たまたま同じ街に滞在していたというだけの話なんだけどな。
それから一時間ほど、彼女とは色々なことを話した(御堂にとっては初めての経験だった)が結局分かったことは少なかった。
この少女の名前はフランコ・マリスといい、このあたりの住人ではないということ。
だが今は日本の魔術組織に身を寄せていて修行も兼ねて日本に滞在中だということ。
……そして御堂とはあまり親しくないということだった。
だが最後に。
――ところで御堂、あの連中と知り合いなのか?……そうか、あいつらはろくでもないヤツらばかりだ、特に
「あれ、草薙さん?」
不意に名前を呼ばれ御堂は振り返る。
そこには、
「お久しぶりです。
また会えて嬉しいですよ、先輩!」
黒ずくめの女がいた。
……黒い革製の上下と白いシャツ、黒のネクタイと、靴も黒、腰
「えーっ!?」
御堂は絶叫して飛び上がった。
その黒ずくめの美女に見覚えがあったからだ。
以前ナポリの路上で出会った女魔術師、アンジェ・スタインバーガーだった!……あのときもかなり刺激的な服装だったと思ったが……今はさらに際どい姿だった。
「……やっぱり貴方は面白いわ」
楽しげに声をかける女は妖しい魅力を振り撒いているようだ。
そして、どうやら御堂は彼女と出会った時と同様に取り乱しているようだ。
その様子を女は面白がるように観察していた……のだが御堂の叫び声で気づいたのだろう、女の正体に気付いたマリスもこちらへと近づいてくる。
そして女の姿を間近にして声をあげた。
驚いたことにこの少女と女は同じ学校の制服を身につけているのだった!――この女は何者だ、何故俺の名前を?――どうして俺の名前を知っているんですか?――何のためにここにいるの?――この人達は俺とどういう関係?次々と浮かぶ疑問の数々を問いかけようと口を開きかけたが、先に動いた人物がいたので出遅れてしまうこととなった。
それは言うまでもなく、……あの女の正体が何であろうと関係ない、俺には関係のないことだ。
あの人には近づきたくない、それだけを考えひたすらに逃げ出したい気持ちを押さえ込みその場に立ち続けるのだった。
……御堂たちのほうへ歩み寄ると二人の女学生のうちの一人が、
――あら?あの子ってひょっとしなくても……いえ、なんでもないけど。
ただちょっとね。
……ねえあなた。
私は貴方に聞きたいことが山ほどあるのだけど、その前にひとつだけ教えてほしいことがあるの。
貴方はあの人――草薙御堂について、どの程度知っているのかしら?……御堂のことは名前くらいしか知らない。
……まあ、いいわ。
貴方には色々と聞くことがありそうだから。
まずは私たちと一緒に来てもらうわよ。
「……おい待ってくれ」
御堂は思わず呼び止めてしまった。
「……何かしら」
「……あの人は……その、大丈夫なのか」
「……さあね、それは本人次第じゃないかしら。
でも安心なさい、あの子は強いから」
そして御堂は連れ去られていった。
「……それじゃ、俺たちも行こうか」
御堂と別れたあと、アンジェとフランコは一緒に買い物をすることになった。
そして御堂は、二人から離れてこっそりと後をつけることにした。
――これは尾行だ。
だが、御堂は二人の後を追うことはできなかった。
アンジェとフランコが向かったのは高級ブティックだった。
その店の前で立ち止まり、店内に入る二人を見て、御堂も意を決して後を追った。
御堂は入り口付近で待つことにする。
だが数分と経たないうちに二人が姿を現した。
――どうやら買い物を終えたらしい。
二人は店を出ようとしているところだったが御堂はすぐに追いついた。
だが、
「何してんの君?」
「…………」
――気づかれていたようである。
アンジェは何も言わずに笑みを浮かべているだけだが、一方のフランコは明らかに不審そうな顔をして話しかけてきた。
「いやぁ君は確か草薙御堂とかいったかな。
……ん~?僕の知ってる人だと誰かいたような……誰だっけ?……思い出せないからいいや!それより君はなんでこんなところにいるんだろうね?」
彼はずかずかとうしろに回り込んで背中を押してくる。
「まあいいじゃない。
ほら、行くよ。
僕もちょうど暇だったし」
そのまま店を出ることになり、仕方なく護堂は同行することに決める。
……とはいえ、どこに行けばよいものか。
どうしようもない気分を味わっているとフランコが笑いかけてきた。
……何を企んでいるのだこいつは! どう考えても嫌な予感しかしないが逃げようにもどうにもならなかった……。
そして、連れて行かれたのはやはり彼の自宅マンションだ!しかもこのマンションの部屋の一つは以前護堂が訪れたこともある部屋だった。
その時は誰もいなかったはずだが、今日は一人、女性が待ち構えていた!――こいつとどういう関係なんだ、この人は。
……というかそもそも本当に人間なのだろうか? 顔はどう見ても人間のものだったが全身が黒い。
髪が黒くて目鼻立ちは普通なのだが、なぜか肌は青白く見えるのでそう見えてしまうのかもしれない。
その女性の服装はやはり、黒を基調とした服装で、首からはロザリオを下げ、両手に包帯を巻きつけているように見えるが、この包帯のような布切れは本物なのであろうか? その正体は、護堂がイタリアで遭遇した魔女であった。
どうやら彼女がここで暮らしているというのは本当らしい。
あの時の彼女は確かに邪悪な気配を感じさせたのだが……。
……それに、なんとなく見覚えがあるような気がするのだが。
――ああ……! そうだ、この人も例の噂の女性ではないか? ナポリで知り合った自称悪魔祓い、リース・カレーはこんな雰囲気だった。
だがまさか同一人物とは思えない、彼女はあんな服装ではなくごく普通の服を着ていて髪の色も違うのだから。
それに、目の前の彼女の様子はどことなく元気がなかった。
まるでこの世の終わりに直面したようにうなだれてしまっているではないか。
護堂たちがマンションの中に消えてしばらくしてようやく彼女は顔を上げてくれた。
だがそのとき、フランコの部屋に三人の姿はなかった! だが、代わりに妙なものを見つけたのだ。
……それは巨大なトランクケースだ。
中身は分からないが、大きさから見て相当な量の荷物が入るものなのだろう。
――あの人たちが帰ってくるまでこれを預かっていてくれませんか? そう頼まれて、護堂はそのトランクを受け取った。
それからしばらく、護堂はリビングのソファーに座って時間を潰すことにした。
だが、すぐに手持ちぶさたになってしまう。
そこで護堂は先程受け取ったトランクの蓋を開いてみた。
すると中には、
「これって……!」
大量の魔道書が入っていた。
……その中には護堂の知るものもある。
……だが大半は見たこともないものだ。
……一体誰が? 「草薙護堂、か。
……お前も大変だな」
不意に声が聞こえた。
慌てて振り返るとそこには黒い影があった。
「あんたが俺を呼んだのか?」
「……正確にはお前が私を呼び出したんだ」
「えっ?」「私はお前の呼びかけに応えてやって来た。
お前の願いを聞き届けるために」
「……そうなのか」
「ああ。
それで、お前の望みはなんだ? お前はどんなことを願ったんだ?」
「俺はアンジェを救いたい。
ただ、それだけだ。
添い遂げるためには万難を排する。
どんな卑怯な手も使う。
たとえ人を傷つけてもだ。
アンジェを守りたい。
その為に世界を焼き払えと言われれば焼く。
俺はどうなっても構わん。
何だってするからアンジェを助けてくれ」護堂は力を込めて叫んだ。
……護堂は目を覚ました。
……ここは何処だろう?……ああ、自分のベッドか。
昨夜はいろいろありすぎてなかなか寝付けなかったんだよな……と。
……護堂はまだ夢うつつの状態でぼんやりと考えるのだった……。
第三章 草薙護堂はカンピオーネである。
草薙護堂は、イタリアで戦った後に『まつろわぬ神』を招来し、そして倒した。
それから一ヶ月が過ぎようとしていた。
護堂は平凡な高校生としての生活を取り戻しつつあった。
――だが、それは表面上のことにすぎない。
護堂には秘密があった。
誰にも言えない重大な隠し事があった。
……護堂の秘密とは、実は魔術師であるということだ。
それも魔術結社の一員で、しかもそのトップに立つ総帥でもある。
だが、護堂が魔術師であることを知っている人間は数少ない。
知っているのは、アンジェ・スタインバーガーと、マリス・ディ・ルッジェーロ・デル・フリウーリの二人だけである。
なぜ、このようなことになったのかといえば理由はいくつかある。
まず第一に、護堂自身が魔術師であることを隠そうとしたからだ。
第二に、魔術師であることがバレることは命に関わるからである。
そして最後に、護堂が、魔術師としての実力がそれほど高くないからだ。
……つまり護堂は、いわゆる落ちこぼれ魔術師なのだ。
護堂は、魔術の修業に明け暮れる毎日を送っていた。
朝早くから学校へ行き授業を受け帰宅してからは、夜の九時を過ぎる頃までずっとだ。
護堂は、自室の勉強机に向かって座っていた。
勉強をしているわけではない。
ただひたすらに、精神を集中させているだけだった。
護堂の頭の中には、呪文が刻まれている。
それは、護堂の師匠であり、師父たる人物から教えられたものたちだ。
――すなわち、『言霊の術式』と呼ばれるものである。
これは、古代ゲルマン人が使っていた呪術で、音と声に呪力を込め、相手に呪いをかける技術だ。
この呪術の基本となるのが、呪句と呪符である。
呪句とは、呪文そのもののことであり、呪符は、特定の形に作られた紙のことを指す。
これらの言葉は、護堂にとっての剣であり鎧でもあった。
――だが、今のままでは駄目だ!護堂は自分の弱さを自覚していた。
この一ヶ月間、護堂は己を鍛え続けた。
だがその成果はあまり芳しくないものばかりであった。
護堂はこの一ヶ月でいくつかの成果を上げた。
まず一つ目に挙げたのは、肉体の強化だった。
護堂はもともと運動神経が悪くはなく、どちらかと言えばいい方だった。
だが、それが仇となり、護堂は魔術戦において致命的な弱点を抱えていた。
それは、近接戦闘だ。
御堂は接近戦になるとろくに戦うことができない。
特に格闘戦は苦手だと言っていい。
それは、御堂の武器が拳ではなく、刃渡り二〇センチ以上のナイフだったからではない。
御堂の武術はあくまでも護身のためのものであり、本格的な訓練を積んでいるわけでもないのだ。
御堂の師匠が言うには、御堂は身体強化の魔術をうまく使いこなせていないらしい。
だが、御堂は、その欠点を克服するために特訓をすることにした。
次に上げた成果は、魔術の行使能力の向上だった。
これは主に御堂の精神的な問題によるものだが、御堂は、この一ヶ月の修行の成果によって、最低限、人の姿をした相手と戦うことができるようになったのだ。
これは、今までの御堂にとっては大きな進歩だった。
だが、まだ足りない。
御堂は、もっと強くなる必要があった。
御堂は、さらに強くなろうと決意した。
だが、御堂の最大の問題は、魔術の習得が遅々として進まないことだった。
御堂は、魔術の天才などという大層なものではないが、それでも一般的な人間に比べれば才能があるほうだという自信はあった。
だが、御堂は、一向に成長の兆しを見せない。
原因は分かっている。
……御堂が魔術を使おうとすると、必ず何かしらの邪魔が入るのだ。
たとえば、御堂が攻撃魔術を唱えようとする御堂は接近戦になるとろくに戦うことができない。
特に格闘戦は苦手だと言っていい。
それは、御堂の武器が拳ではなく、刃渡り二〇センチ以上のナイフだったからではない。
御堂の武術はあくまでも護身のためのものであり、本格的な訓練を積んでいるわけでもないのだ。
御堂の師匠が言うには、御堂は身体強化の魔術をうまく使いこなせていないらしい。
だが、御堂は、その欠点を克服するために特訓をすることにした。
次に上げた成果は、魔術の行使能力の向上だった。
これは主に御堂の精神的な問題によるものだが、御堂は、この一ヶ月の修行の成果によって、最低限、人の姿をした相手と戦うことができるようになったのだ。
これは、今までの御堂にとっては大きな進歩だった。
だが、まだ足りない。
御堂は、もっと強くなる必要があった。
御堂は、さらに強くなろうと決意した。
だが、御堂の最大の問題は、魔術の習得が遅々として進まないことだった。
御堂は、魔術の天才などという大層なものではないが、それでも一般的な人間に比べれば才能があるほうだという自信はあった。
だが、御堂は、一向に成長の兆しを見せない。
原因は分かっている。
……御堂が魔術を使おうとすると、必ず何かしらの邪魔が入るのだ。
たとえば、御堂が攻撃魔術を唱えようとすると、なぜか途中でかき消されてしまう。
それどころか、ひどい頭痛や吐き気に襲われてしまうのだ。
――だが、御堂が攻撃以外の簡単な治癒や解毒などの魔術を試してみると驚くほど簡単に成功してしまう。
他にも、様々な実験を繰り返した結果分かったことがある。
――それは、御堂が唱えようとした魔術に対して強い抵抗力を持つ者がいると、その人物が近くにいる場合に限り、その系統の魔術が使えなくなるということだ。
……この謎の現象に心当たりのある者は意外と多いようだ。
御堂は、この事実から一つの仮説を立てた。
それは、御堂が唱えようとしている魔術に対抗できるほどの力を持った魔術師が、なんらかの手段を用いて妨害しているのではないか、というものだった。
だが、この仮説は半分正しくて、半分間違っていた。
なぜなら、この妨害は、魔術的なものではなく物理的なものなのだから――この原因を突き止めようと、御堂は何度も試みた。
だが、結局は無駄に終わった。
だが、御堂は諦めなかった。
……この障害を乗り越えない限り、御堂は魔術を使いこなすことはできないだろう。
そのためにも、御堂は、少しでも多くの知識を吸収しなければならないのだ。
だが、今の御堂では、とてもではないが、まともな魔術師になることは不可能だろう。
――どうすれば、俺は本当の意味で魔術師になれるのだろうか?
「草薙御堂、何を悩んでいるのですか?」
不意に声をかけられた。
振り返るとそこには、アンジェ・スタインバーガーの姿があった。
「あ、ああ、アンジェか……」
御堂は、アンジェの美貌に見惚れながら返事をした。
「あなたには、悩みごとなんて似合わないわよ」
アンジェはそう言って微笑んだ。
「そうかな?」
「ええ。
……それより、あなたの部屋に遊びに行ってもいいかしら?」
「ああ」
アンジェは、御堂の部屋に入るなり、御堂の勉強机の上に腰掛けた。
「御堂、ちょっと話を聞いてくれる? 最近、わたしの周りで妙な噂が流れているの」アンジェは憂鬱そうな表情を浮かべて言った。
「妙な噂?」
御堂は首を傾げた。
「御堂は狼男なんじゃないかって」
「はあっ!?」……一体、どういう意味だ? 御堂は目を丸くする。
「そんなことないわよね」とアンジェ。
「当り前だろ! 俺がどうして人食い人種の仲間入りをしなくちゃならないんだ!」
「よかった。
でも御堂も一応、警戒しておいたほうがいいわね」
「何を警戒しろってんだよ!」
「魔導士よ。
どうも狼男たちが仲間内から選りすぐりのシャーマンを選抜して送り込んだんじゃないかって憶測が流れてる。
目的は御堂の修業を妨げるため。
そればかりでなく、御堂、貴方の能力は戦力になる。
だから御堂を狼男にしようと色々謀ってる。
そういえば、あなた、最近やたら丸いものに御執心じゃない?例えば丸顔の女子とか。
まるで満月に憧れるように見とれてたわね。
獣化がはじまってるんじゃない?クスクス」

「……あのなぁ」御堂は溜息をついた。
「そんなわけあるか!だいたい俺は犬なんか好きじゃないぞ。
あいつらは人を噛むだろ。
噛みつくだろ。
あんなもん可愛くもないだろ。
凶暴で、下品で」
クゥン。
御堂の足元にどこからともなく子犬がすり寄ってきた。
上目遣いに尻尾を振っている。
クンクン甘えてとうとう御堂もついなでてしまった。
「それ、うちの子なんです」
アンジェとは別の女子が声をかけてきた。
丸顔だった。
そしてアンジェはいつの間にかいなくなっていた。
そして犬がクワッと牙を剥いた。
「これ以上、我らに手出しをするな、さもなくば我らの軍門に下るか、命が惜しくば選べ」と丸顔の女が言った。
その目は爛々と輝き牙からは血の滴までたれていた。
その瞬間、「待てーッ!」御堂は走り出した。
背後に、殺気が迫る。
だが御堂の足は決して止まらない。
「師匠、師匠、助けてくださーい」スマホで必死に師匠を呼び出した。
するとアンジェがお腹を抱えて笑っている。
「噂は本当だったでしょ」そして彼女は涙さえ浮かべる。
その笑い方は、もう爆笑といっても過言ではなかった。
そしてついにアンジェは倒れこんでしまったのだ。
だが、それでもまだ笑い続けていた。
……本当に恐かったのだ。
「はあ、はあ……、し、死ぬ、は、は、は……、はは……、うっ、げほっ、ごほッ、ぐふぅ」
「…………おまえ、笑いすぎだろ」
御堂は恨めしげにつぶやくと、師匠に電話をかけた。
『――もしもし?』
「師匠、今、どこにいますか?」
『今は自宅だ』
「これからそちらに向かいます。
詳しい話はそこで」
御堂は電話を切ると、全力で駆けだした。
三〇分後、御堂はアンジェと師匠の自宅マンションに到着した。
インターホンを押し、出てきたのはアンジェだった。
「遅かったわね。
待ちかねたわよ」
御堂は、アンジェを睨みつけた。
と、なぜか途中でかき消されてしまう。
それどころか、ひどい頭痛や吐き気に襲われてしまうのだ。
――だが、御堂が攻撃以外の簡単な治癒や解毒などの魔術を試してみると驚くほど簡単に成功してしまう。
他にも、様々な実験を繰り返した結果分かったことがある。
――それは、御堂が唱えようとした魔術に対して強い抵抗力を持つ者がいると、その人物が近くにいる場合に限り、その系統の魔術が使えなくなるということだ。
……この謎の現象に心当たりのある者は意外と多いようだ。
御堂は、この事実から一つの仮説を立てた。
それは、御堂が唱えようとしている魔術に対抗できるほどの力を持った魔術師が、なんらかの手段を用いて妨害しているのではないか、というものだった。
だが、この仮説は半分正しくて、半分間違っていた。
なぜなら、この妨害は、魔術的なものではなく物理的なものなのだから――この原因を突き止めようと、御堂は何度も試みた。
だが、結局は無駄に終わった。
だが、御堂は諦めなかった。
……この障害を乗り越えない限り、御堂は魔術を使いこなすことはできないだろう。
そのためにも、御堂は、少しでも多くの知識を吸収しなければならないのだ。
だが、今の御堂では、とてもではないが、まともな魔術師になることは不可能だろう。
――どうすれば、俺は本当の意味で魔術師になれるのだろうか?
「草薙御堂、何を悩んでいるのですか?」
不意に声をかけられた。
振り返るとそこには、アンジェ・スタインバーガーの姿があった。
「あ、ああ、アンジェか……」
御堂は、アンジェの美貌に見惚れながら返事をした。
「あなたには、悩みごとなんて似合わないわよ」
アンジェはそう言って微笑んだ。
「そうかな?」
「ええ。
……それより、あなたの部屋に遊びに行ってもいいかしら?」
「ああ」
アンジェは、御堂の部屋に入るなり、御堂の勉強机の上に腰掛けた。
「御堂、ちょっと話を聞いてくれる? 最近、わたしの周りで妙な噂が流れているの」アンジェは憂鬱そうな表情を浮かべて言った。
「妙な噂?」
御堂は首を傾げた。
「御堂は狼男なんじゃないかって」
「はあっ!?」……一体、どういう意味だ? 御堂は目を丸くする。
「そんなことないわよね」とアンジェ。
「当り前だろ! 俺がどうして人食い人種の仲間入りをしなくちゃならないんだ!」
「よかった。
でも御堂も一応、警戒しておいたほうがいいわね」
「何を警戒しろってんだよ!」
「魔導士よ。
どうも狼男たちが仲間内から選りすぐりのシャーマンを選抜して送り込んだんじゃないかって憶測が流れてる。
目的は御堂の修業を妨げるため。
そればかりでなく、御堂、貴方の能力は戦力になる。
だから御堂を狼男にしようと色々謀ってる。
そういえば、あなた、最近やたら丸いものに御執心じゃない?例えば丸顔の女子とか。
まるで満月に憧れるように見とれてたわね。
獣化がはじまってるんじゃない?クスクス」

「……あのなぁ」御堂は溜息をついた。
「そんなわけあるか!だいたい俺は犬なんか好きじゃないぞ。
あいつらは人を噛むだろ。
噛みつくだろ。
あんなもん可愛くもないだろ。
凶暴で、下品で」
クゥン。
御堂の足元にどこからともなく子犬がすり寄ってきた。
上目遣いに尻尾を振っている。
クンクン甘えてとうとう御堂もついなでてしまった。
「それ、うちの子なんです」
アンジェとは別の女子が声をかけてきた。
丸顔だった。
そしてアンジェはいつの間にかいなくなっていた。
そして犬がクワッと牙を剥いた。
「これ以上、我らに手出しをするな、さもなくば我らの軍門に下るか、命が惜しくば選べ」と丸顔の女が言った。
その目は爛々と輝き牙からは血の滴までたれていた。
その瞬間、「待てーッ!」御堂は走り出した。
背後に、殺気が迫る。
だが御堂の足は決して止まらない。
「師匠、師匠、助けてくださーい」スマホで必死に師匠を呼び出した。
するとアンジェがお腹を抱えて笑っている。
「噂は本当だったでしょ」そして彼女は涙さえ浮かべる。
その笑い方は、もう爆笑といっても過言ではなかった。
そしてついにアンジェは倒れこんでしまったのだ。
だが、それでもまだ笑い続けていた。
……本当に恐かったのだ。
「はあ、はあ……、し、死ぬ、は、は、は……、はは……、うっ、げほっ、ごほッ、ぐふぅ」
「…………おまえ、笑いすぎだろ」
御堂は恨めしげにつぶやくと、師匠に電話をかけた。
『――もしもし?』
「師匠、今、どこにいますか?」
『今は自宅だ』
「これからそちらに向かいます。
詳しい話はそこで」
御堂は電話を切ると、全力で駆けだした。
三〇分後、御堂はアンジェと師匠の自宅マンションに到着した。
インターホンを押し、出てきたのはアンジェだった。
「遅かったわね。
待ちかねたわよ」
御堂は、アンジェを睨みつけた。
「あれはなんなんだ! 冗談にしてもやり過ぎだ! 俺は犬が苦手だって知ってるだろ! それに師匠のことも悪く言いやがって! あの人は俺の恩人だ! いくらお前でも許さないぞ! あと、最後に笑うのはお前だっていうけど、最後の最後で笑うのはいつも俺の方だ! 覚えときやがれ!」一息でまくしたてた護堂は肩を上下させ、荒々しく呼吸した。
「…………」
「…………なに笑ってんだよ?」
「……いえ、なんでもないわ。
ただ、あなたがあまりにもおかしかったから。
……それと、あなたのことは嫌いだけど、狼男はもっと嫌いだから。
何でこんなことをしたかというと、護堂の怒りを焚きつけるためよ。
あんた、修行が全然進んでないじゃない。
狼男に対する憎しみが足りないからよ。
犬は嫌いなんでしょ?そう、せいぜい犬嫌いどまりよ。
でも、今回の件で犬に対する殺意が沸いたでしょ?その意気込みで狼男を殲滅して欲しいのよ。
まずは、さっきの魔導士から倒してほしい」
「丸顔の女か? あいつは何者だ。
お前とどういう関係だ」
「後輩の御木本美代。
両親を狼男どもが人質に取ってる。
『エリカに接触して護堂をおびき出せ。
事件から手を引くか、仲間になるか選ばせろ』って命令されてる。
どのみち護堂は狼男どもと向き合わなきゃいけないのよ」「それで、俺が狼男だとの噂を流して挑発したのか」
「そうよ」エリカは平然と答える。
「ふざけんな。
誰が乗せられるものか。
だいたい何だよ。
狼男が送り込んできたってのは?」
「知らないの? 魔導士は狼男たちの中でも異端の集団なのよ。
彼らは人間を実験動物としてしか見ていないわ。
彼らの目的のためなら手段を選ばないのよ。
きっと狼男の精鋭をあなたに差し向けたんでしょう」
「…………」
「まあ、そういうことよ。
がんばりなさい」
「そういえば、俺が丸顔に見とれていたってのは?」
「証拠写真。
世界中に拡散されてる。
URL送ったから自分のスマホで確かめてみれば?」
エリカからLINEが来た。
そこに示されたアドレスを開くと「ご注意! 狼男は丸顔がお好き」というまとめサイトがつくられていた。
いつの間に盗撮されたのかは知らない。
とにかくこの事実は全世界に向けて公表されたらしい。
そして、この噂のせいで、狼男たちからの刺客が現れたのだろう。
……護堂は改めて思った。
――この女は、とんでもない女なのだと。
だが護堂の心は晴れなかった。
護堂が知りたかったものは、こういうものではないからだ。
1章 狼男、来襲 その日、エリカ・ブランデッリが帰宅したとき、護堂の姿はなかった。
「あいつったらどこに行ったんだろ」エリカは不機嫌な表情を浮かべると自室に入った。
机の上に置いてある携帯電話を見る。
護堂はここに来る前に寄っていたはず。
着信記録を確認すると護堂から二通のメールがあった。
一つには『エリカへ。
俺はいま日本にいるらしい。
だが俺は自分を知らないんだ』という意味不明な内容、もう一つには「俺を助けてくれ」という言葉だ。
どうも護堂の身に何かあったようだ。
そう思った瞬間、エリカの顔色が蒼白に変わった。
彼女はすぐさま着替えて家を出た。
まず最初に彼女が向かったのは草薙家の近所の商店街だった。
ここなら彼がいる可能性が高いと思ったのだ。
案の定、護堂らしき少年を見つけた。
彼は八百屋の前で立ち止まり、店主と話していた。
「よう、坊主! 今日は何にする?」
「えっと……じゃあタマネギ二つください」
「あいよ!」
店主とのやり取りを聞いただけでわかった。
間違いなく本人だと確信する。
エリカは護堂に声をかけようとしたが、思いとどまった。
護堂はどう見ても一人きりだ。
ここで自分が話しかけたら、かえって不審に思われるかもしれない。
ここはひとまず様子を窺おう。
そう考えたエリカは護堂の後ろに張りつくことにした。
「おい!これはどういうことだ!」
護堂は声を荒げた。
「どういうことって?」
「どうして俺が狼男になってるんだ!?」
「それは俺にもわからん」
「わからないってことはないだろ!」
「ああ、すまんな。
実は俺もまだ半信半疑なところがある」
「どうすればいいんだよ!」
「どうしようもないな。
とりあえず、おまえさんの知り合いを片っ端から襲ってみるか?」
「そんなことしても無駄だと思うぞ」
「そうかな。
やってみないとわからないと思うぜ」
「いや、無理だ。
俺は犬が大嫌いなんだ」
「ほう、そうなのか」
「ああ、そうだ」
「だがな、坊主。
世の中は広い。
犬が好きな奴だっているかもしれんぞ」「いないさ、そんな奴」
「まあ、待て。
その可能性に賭けてみてもいいんじゃないか」
「なんでだよ?」
「狼男が犬嫌いなのを知ってるのは世界中でおまえさんだけだからさ」
「……」
「おまえが襲われれば、みんな信じるだろ。
犬が嫌いなのが事実だってな」
「……その通りだ」
「よし、決まりだ。
それでは早速始めようか」「ちょっと待ってくれ」
「なんだ?」
「俺が犬嫌いなことを知ってる連中をリストアップしてくれないか」「わかった」
護堂は渡されたメモ用紙に名前を書き込んだ。
「あとは、この人たちに『今すぐ逃げろ!』と連絡を頼む」
「おまえ、意外に用心深いんだな」
「当然だろ。
相手は狼男なんだ。
どんな手を使ってくるかわかんないじゃないか」
「それもそうか。
じゃあ、電話してみろ」
護堂は電話をかけ始めた。
「もしもし? 俺だ。
護堂だ。
今、大変なことが起こってるんだ。
すぐに逃げろ!……いや、違う! 俺が追われてるわけじゃない! 俺は大丈夫だから心配しないでくれ!……本当だ! 信じろ! 俺を信じてくれ! うぉおおおっ! うぉおおっ!……うぉおおっおおっおおっ! うぉおおっ! うぉおおおおおおおおおっ!!」
護堂は突然、天に向かって雄叫びを上げた。
そして、電話を切ると走り出した。
「……逃げたか。
しかし、なんでいきなり叫んだりしたのかね?」
店主は首をひねった。
護堂は全力疾走していた。
後ろを振り返る余裕はない。
追ってくる者がいるかどうかすら確かめられない。
「あれはなんなんだ! 冗談にしてもやり過ぎだ! 俺は犬が苦手だって知ってるだろ! それに師匠のことも悪く言いやがって! あの人は俺の恩人だ! いくらお前でも許さないぞ! あと、最後に笑うのはお前だっていうけど、最後の最後で笑うのはいつも俺の方だ! 覚えときやがれ!」
一息でまくしたてた御堂は肩を上下させ、荒々しく呼吸した。
「…………」
「…………なに笑ってんだよ?」
「……いえ、なんでもないわ。ただ、あなたがあまりにもおかしかったから。……それと、あなたのことは嫌いだけど、狼男はもっと嫌いだから。何でこんなことをしたかというと、御堂の怒りを焚きつけるためよ。あんた、修行が全然進んでないじゃない。狼男に対する憎しみが足りないからよ。犬は嫌いなんでしょ?そう、せいぜい犬嫌いどまりよ。でも、今回の件で犬に対する殺意が沸いたでしょ?その意気込みで狼男を殲滅して欲しいのよ。まずは、さっきの魔導士から倒してほしい」
「丸顔の女か? あいつは何者だ。お前とどういう関係だ」
「後輩の御木本美代。両親を狼男どもが人質に取ってる。『アンジェラに接触して御堂をおびき出せ。事件から手を引くか、仲間になるか選ばせろ』って命令されてる。どのみち御堂は狼男どもと向き合わなきゃいけないのよ」
「それで、俺が狼男だとの噂を流して挑発したのか」
「そうよ」アンジェラは平然と答える。
「ふざけんな。誰が乗せられるものか。だいたい何だよ。狼男が送り込んできたってのは?」
「知らないの? 魔導士は狼男たちの中でも異端の集団なのよ。彼らは人間を実験動物としてしか見ていないわ。彼らの目的のためなら手段を選ばないのよ。きっと狼男の精鋭をあなたに差し向けたんでしょう」
「…………」
「まあ、そういうことよ。がんばりなさい」
「そういえば、俺が丸顔に見とれていたってのは?」
「証拠写真。世界中に拡散されてる。URL送ったから自分のスマホで確かめてみれば?」
アンジェラからLINEが来た。そこに示されたアドレスを開くと「ご注意! 狼男は丸顔がお好き」というまとめサイトがつくられていた。
いつの間に盗撮されたのかは知らない。
とにかくこの事実は全世界に向けて公表されたらしい。
そして、この噂のせいで、狼男たちからの刺客が現れたのだろう。……御堂は改めて思った。
――この女は、とんでもない女なのだと。
だが御堂の心は晴れなかった。
御堂が知りたかったものは、こういうものではないからだ。
1章 狼男、来襲 その日、アンジェラ・スタインバーガーが帰宅したとき、御堂の姿はなかった。「あいつったらどこに行ったんだろ」アンジェラは不機嫌な表情を浮かべると自室に入った。机の上に置いてある携帯電話を見る。御堂はここに来る前に寄っていたはず。着信記録を確認すると御堂から二通のメールがあった。一つには『アンジェラへ。俺はいま日本にいるらしい。だが俺は自分を知らないんだ』という意味不明な内容、もう一つには「俺を助けてくれ」という言葉だ。どうも御堂の身に何かあったようだ。そう思った瞬間、アンジェラの顔色が蒼白に変わった。彼女はすぐさま着替えて家を出た。
まず最初に彼女が向かったのは草薙家の近所の商店街だった。ここなら彼がいる可能性が高いと思ったのだ。案の定、御堂らしき少年を見つけた。彼は八百屋の前で立ち止まり、店主と話していた。
「よう、坊主! 今日は何にする?」
「えっと……じゃあタマネギ二つください」
「あいよ!」
店主とのやり取りを聞いただけでわかった。間違いなく本人だと確信する。アンジェラは御堂に声をかけようとしたが、思いとどまった。御堂はどう見ても一人きりだ。
ここで自分が話しかけたら、かえって不審に思われるかもしれない。
ここはひとまず様子を窺おう。
そう考えたアンジェラは御堂の後ろに張りつくことにした。
「おい!これはどういうことだ!」
御堂は声を荒げた。
「どういうことって?」
「どうして俺が狼男になってるんだ!?」
「それは俺にもわからん」
「わからないってことはないだろ!」
「ああ、すまんな。実は俺もまだ半信半疑なところがある」
「どうすればいいんだよ!」
「どうしようもないな。とりあえず、おまえさんの知り合いを片っ端から襲ってみるか?」
「そんなことしても無駄だと思うぞ」
「そうかな。やってみないとわからないと思うぜ」
「いや、無理だ。俺は犬が大嫌いなんだ」
「ほう、そうなのか」
「ああ、そうだ」
「だがな、坊主。世の中は広い。犬が好きな奴だっているかもしれんぞ」
「いないさ、そんな奴」
「まあ、待て。その可能性に賭けてみてもいいんじゃないか」
「なんでだよ?」
「狼男が犬嫌いなのを知ってるのは世界中でおまえさんだけだからさ」
「……」
「おまえが襲われれば、みんな信じるだろ。犬が嫌いなのが事実だってな」
「……その通りだ」
「よし、決まりだ。それでは早速始めようか」
「ちょっと待ってくれ」
「なんだ?」
「俺が犬嫌いなことを知ってる連中をリストアップしてくれないか」
「わかった」
御堂は渡されたメモ用紙に名前を書き込んだ。
「あとは、この人たちに『今すぐ逃げろ!』と連絡を頼む」
「おまえ、意外に用心深いんだな」
「当然だろ。相手は狼男なんだ。どんな手を使ってくるかわかんないじゃないか」
「それもそうか。じゃあ、電話してみろ」
御堂は電話をかけ始めた。
「もしもし? 俺だ。御堂だ。今、大変なことが起こってるんだ。すぐに逃げろ!……いや、違う! 俺が追われてるわけじゃない! 俺は大丈夫だから心配しないでくれ!……本当だ! 信じろ! 俺を信じてくれ! うぉおおおっ! うぉおおっ!……うぉおおっおおっおおっ! うぉおおっ! うぉおおおおおおおおおっ!!」
御堂は突然、天に向かって雄叫びを上げた。そして、電話を切ると走り出した。
「……逃げたか。しかし、なんでいきなり叫んだりしたのかね?」
店主は首をひねった。
御堂は全力疾走していた。後ろを振り返る余裕はない。追ってくる者がいるかどうかすら確かめられない。