喧騒の中の遊園地に、私はいた。
 ろくすっぽ授業にも出ない名ばかりの女子大生をしていた私は、彼氏の一人もなく進級し、それを知った佳奈に、しきりに誘われてここへ来ていた。
 最近、亮平と良好な関係を築いているであろう彼女は、すっかり保護者目線で私を見ている。
 格闘技をやっていたとかで、がっしりとした体格をした亮平は学部でも有名で、そんな彼女たちの関係を、噂する声は絶えなかった。
「優子はさ、彼氏つくればいいのに」
「そんな簡単にできたら苦労しないよ」
「ほら、一本釣りっていうかさ、優子なら絶対いい人釣れるって」
「釣れる?」困惑の声を上げる。
「そうそう、それでさ、本当に釣れたら、一本!、って叫ぶんだよ」
「それ柔道じゃないの?」
「いいんだって細かいことは、ほら、やっぱさ、嬉しかったら叫びたいじゃん」
 それなら佳奈は、今すぐにでも叫べばいいんじゃないか、と思う。
 観覧車の下では、熊の着ぐるみが、風船を配っていた。
 多くの子どもが寄り付き、少し戸惑っているようにも見える。
「ねぇ、行こうよ、あれ。風船もらって来なって」
 軽いパーマのかかった茶髪を揺らしながら、佳奈がそういった。
 その仕草は小動物のような可愛らしさがある。
「行こうって、ねえ」と、騒ぎ立てるので、仕方なく熊の方へ行く。この歳になってわざわざ風船をもらうことに、少し気恥ずかしさがあった。
 この子は、私をみて楽しんでいるのだろうか、そんな気がしてくる。
 目の前にたった熊は、思っていたより大きかった。
 少し戸惑ったような熊のそぶりを佳奈がニヤついている眺めているのを見て、もしやグルなのかと勘付く。
 はぁ、と小さく息をついて、風船を熊から受け取る。
 その後、佳奈と二人で遊園地を回ったが、その日はそれだけで、結局佳奈の意図はわからなかった。
 
 
 
 再び転機が訪れたのは、それから数ヶ月のことだった。
 その頃の私には、颯太という気になる人もできて、毎日にある程度の充実感を覚えていた。
 隣の部屋に越して来た彼は、名に恥じぬほど爽やかな人で、無造作に立てた髪に、まだ少しあどけなさの残る笑顔に惹かれたのを覚えている。
 だから、妙な視線を感じるようになったときも、真っ先に彼に相談した。彼は親身になって相談に乗ってくれて、その度に私は彼に夢中になっていった。
 珍しく遅くにまで講義に出ていた夜、それは単位が足りないがために仕方なく出たのだが、一人で帰路についているときだった。
 歩道もないような住宅街の中を歩いていた。
 頼りなく光る街灯が、微かに震え、影がゆらめく。
 本当に一瞬だった。
 後ろから車が近づいてきたため、少し端による。その時だった。
 横に素早くつけたバンのスライドドアが開き、中から伸びて来た手に引き摺り込まれる。
 月明かりさえもなかった。
 
 
 
 車が止められたのは、街の灯りから少し離れた、スーパーの跡地だった。
 目深に被ったネックウォーマーとニット帽から覗く、派手な金髪が特徴的な男が、私を歩かせた。
 車を降りると、すぐに目隠しをつけられて、奥の方へと歩かされる。
 真っ暗な視界は、心臓を逸らせていき、胸に染み出した墨のような恐怖が広がる。
「ほらよ、連れて来たぞ。これで借金はチャラだからな」
 私をここまで運んできた男が、そういう。
「ありがとう。やっと手に入れた」
 聞き覚えのある声が、古びたスーパーに響く。
 幾度となく聞いたその声、毎朝、毎晩、優しく語りかけてくるその声が、颯太の声が今、聞いたこともないくらいに粘り気を持って発せられていた。
「やっと、やっと手に入れたんだ。君の友達に邪魔されて、時間がかかってしまったけど、ようやく手に入った」
 果たしてあのあどけない笑顔を浮かべた彼の顔が、今はどんなふうに歪んでいるのか、考えただけで恐ろしい。
 呼吸が、早まる。
 見えない恐怖が近づいてくる感覚がわかる。
「ヒッ」
 彼の手が、私の足に触れる。
 嫌だ、どうして、なんで。
 そう叫んだときだった。
 
 
 
 ガシャン、とガラスが割れる音が響いて、柔らかな足音が近づいてくる。
「誰だ!」
 颯太が、焦ったようにいう。
「うるせえ」
 そう叫ぶと、バチンと、鈍い音が響く。ゴム毬が千切れるような音だった。
 背後で、縛られた両手が自由になるのがわかった。
 しかし、私が気になったのはそこではない。
「亮平……?なんで?」
 聞こえてきた声は、こちらもまたそれなりに聞き馴染んだものだった。
 本日二度目の、予想外のキャストに困惑する。
「好きだから、っていうのはカッコつけすぎか。佳奈が教えてくれたんだ」
 え、え、と混乱の声を上げる。
 しかし、彼はそんな私を無視して、「人が人を殴るのはダメだけど、この格好ならメルヘンパワーで許されないかな」と意味不明なことを言う。
 慌てて目隠しを外すと、熊が颯太を一本背負にするのが見えた。
 思わず、一本、と叫ぶ。