表情を強ばらせていたイザベラも、温かい紅茶と風味の良い焼き菓子片手に語られる昔話に、笑顔を見せるようになった頃。

 ユーグレン王子の指示を受け、王宮から王族や貴族間のトラブルを監視する監察官が、アルトレイ女大公家に到着した。

 これまでのジオライドとイザベラの諍いと、それぞれの家の思惑などに関する調査結果を持ってきたのだ。

 カズンがイザベラたちへの積極的な介入を控えていたのは、この調査結果を待っていたからだった。
 実際は早く動いてしまったが、今はそれで良かったと思う。



 王家が調査すると、どうもラーフ公爵令息ジオライドは、イザベラとの婚約を誤解して認識していることが判明する。

 本人はイザベラとの婚約を低位貴族の女性との貴賤結婚だと勘違いしているが、実態は王家の血を引くイザベラと婚姻を結ぶことで王家の縁戚となることが目的である。

 ところが、ジオライド本人の中では、どうやらイザベラとの婚姻と王家と縁戚になることが結び付いていないらしい。
 すなわち、王家と縁付くことは自分の公爵家が受ける叙勲等によるものだと思い込んでいる。
 にも関わらず、イザベラのような格下の家の女と結婚せねばならない状況ということに、強い憤りを感じている。

 ジオライドのこれまでイザベラに対する言動の数々は、既に二人の間を取り持つことが不可能なほど破滅的だった。
 このままでは学園の卒業後、結婚したとしてもイザベラの身が危険なことに変わりがない。

 仮に誤解が解けたとしても、これまでのジオライドの言動が帳消しになることはないだろう。



 しかし、まだ王家はイザベラの父親トークス子爵に、ラーフ公爵令息ジオライドとの婚約の“破棄”ないし“解消”の許可を出すかどうか、考えあぐねている。
 二人の婚約自体が、トークス子爵家の真実の発表と、ラーフ公爵家の業績とを考慮した上で王家が打診したもののためだ。

「王家の調査官がジオライドの人柄を調査した際は、多少傲慢だが王家の縁戚者となることの妨げになるほどではなかったそうだ」
「……進学してネガティヴ方向に弾けちゃったってことなんでしょうか?」

 幸い、ドマ伯爵令息ナイサーのときのように、実際の犯罪行為にまでは手を染めてないことだけは確認が取れている。まだ。

「“女性経験・男性経験ともに無し”って……ええ!? 童貞なのにあの男、イザベラ嬢を弄ぶだの何だの言ってたってことなのか!?」

 調査官からの報告書をヴァシレウスが目を通した後で受け取ったカズンは、内容を確認した後で文字通り目玉が飛び出そうなほど驚いた。実際、黒縁眼鏡が少しだけずり落ちた。

「ええ、まあ……童貞なのは間違いないと思います。あの性格ですから、高位貴族の女性はまず近づきませんし、下位貴族でも遠慮したくなりますよね? 寄ってくるのは玉の輿目当ての平民の生徒がほとんどで。でもあの通り傲慢な人なので、相手が平民だと知ると穢らわしいと言って暴言吐いて追い払うので」

 イザベラが言いにくそうに補足してくる。
 ちなみに現在のアケロニア王国では、貴族と平民の結婚は合法である。王族と平民の結婚の場合は議会の承認が必要となるが。

「娼館通いなども、してない……みたいですね?」

 カズンの横から報告書を覗いて、ヨシュアも同じ文章を確認する。

「『誰が使ったかわからない女など冗談じゃない』と教室で仰ってました」
「……潔癖症も別に悪いことはない。まだ若いし、青臭いことを言っても許される年頃だ。しかし、何ともまあ……」

 これはもう駄目だろうなと、ヴァシレウスもすっかり呆れ果てていた。

「童貞が妄想を拗らせてるってことなんでしょうねえ」
「しかし、その妄想を現実にするだけの力があるから、タチが悪い」

 まるで分別のつかない幼児が刃物を振り回しているかの如くだ。

「間もなく一学期の学期末テストの時期ですよね。イザベラ嬢を好きに弄びたいというなら、何か具体的アクションを起こすのはテストの後ではないかな。その流れで夏休みはイザベラ嬢を連れ回して好きに嬲ろうという魂胆かと」

 そこで、先ほど話していたように、学園でイザベラにはクラスメイトのうち、腕に覚えのある女生徒たちに周囲を固めてもらうことにした。
 そうしながら、ジオライドと距離を保つよう努めてもらう。



 それから数日経過すると、これまでのように好きにイザベラを虐げることができず、ジオライドの機嫌が低下していると報告が上がってくるようになった。

 学期末テストの期間に入る前ということもあって、カズンたちは学生の関係者一同でアルトレイ女大公家に集まってテスト勉強と作戦会議を続けていた。

 ライルをはじめとした3年C組の生徒たちのうち、三割ほどの生徒がイザベラに同情的で協力してくれている。

 残りは、自分たちに火の粉が降りかかることを厭い関わり合いになりたくないというスタンスのようだ。

 ジオライドや取り巻きたちの言動は、クラスメイトたちが密かに監視して、ライルや、イザベラの護衛を任された伯爵令嬢二人を通じて、カズンたちの元へ報告されている。

 そして、朗報がもたらされた。



「『従順でない女はラーフ公爵家に不要』との名目で婚約破棄を突きつけるそうですわ。ラーフ公爵令息はイザベラ様が縋ってくることを見越して、婚約破棄が嫌なら純潔を差し出せと言ってイザベラ様を翻弄するつもりのようです」
「イザベラ様を嫌って虐げながら、肉体関係だけはおいしくいただこうだなんて。吐き気がしますね」

 快くイザベラの護衛を引き受けてくれた、ブランディン伯爵令嬢とウォーカー伯爵令嬢の報告である。

 この頃には、王家からジオライドの父、ラーフ公爵にも警告が通知されている。
 しかしラーフ公爵は、『我が息子がそのような愚かな行いをするはずがない。我が家を貶めようという他家の謀略でしょう』とまともに取り合わなかったそうだ。

「ラーフ公爵令息は、父親に対しては完璧に取り繕っているようですね。どうやら母親の公爵夫人も息子を溺愛していて庇うので、余計に本人を増長させているようです」

 ラーフ公爵が王家からの警告を真摯に受け止めなかった時点で、王家はイザベラの父トークス子爵に、イザベラとラーフ公爵令息との婚約の“白紙解消”を認めた。

 即ち、最初から婚約の事実がなかったことになる。
 詳しい話し合いは後日、王家仲介のもと当事者間で行われることになる。

 婚約の際、婚前契約書に盛り込まれていた種々の契約も白紙となるだろう。
 婚約するからこそラーフ公爵家から優遇税制を利用して融資を受けていたトークス子爵家だった。だが、優遇税制を受けられる前提条件だったイザベラとジオライドの婚約が無くなるため、正規の税率で計算しなおした支援金への税金を国に支払わねばならない。
 支援金そのものも、婚約中に受けた全額をラーフ公爵家に返金することになるだろう。

 だがこの場合、ラーフ公爵家はトークス子爵家へ、イザベラを侮辱・虐待し追い詰めたことの責任を問われ、慰謝料や賠償金の支払いが発生する。
 相殺とはいかずとも、トークス子爵家側に有利な条件で手打ちとなることが予想された。

 幸い、トークス子爵がラーフ公爵から融資を受けざるを得なかった理由は解決しつつある。
 大災害で甚大な被害を受けていたトークス子爵領は、災害前の八割まで復興を見せている。
 以前と同じようにとは行かないが、領内の税収も着実に回復していた。