カズンがA組に戻って来たのとほぼ同じ頃、C組ではラーフ公爵令息ジオライドが取り巻きたち二人とこんな話をしていた。
「思うんだが、やはりイザベラなぞとの婚約は破棄して、もっと美しく筋目正しい家の令嬢と婚約し直したいな!」
教室内がざわめいた。まだ昼休みで全員戻ってきていないとはいえ、半数近くは自分たちの席にいるのだ。
「だがイザベラは容姿は劣るが成績は優秀だ。生意気なことにな。我がラーフ公爵家の仕事をさせるのにキープしておくのは悪くない」
「ならば第二夫人とするってことですか? ジオライド様」
と取り巻きたち。
「あんな不細工女を第二夫人とはいえ、妻にするなどとんでもない。せいぜい愛人だろ」
「まあ顔はともかく、身体はそこそこですからね」
会話の対象者であるイザベラ本人は、同じ教室にいる。
席はジオライドと離れていたが、本人のいる教室で、本人の耳に届く声量で堂々と話していた。
「ああ。婚約破棄はするが、処女は貰ってやるさ。不細工な顔でも暗い場所でなら見えないからな。純潔でなければ婚約破棄後も、貴族の娘は嫁入りできないのだ。愛人として貰ってやる代わりに家の仕事をやらせる。完璧だろ?」
他国には奴隷を使役するための隷属の魔法や魔術がある。イザベラが抵抗するようならそれで彼女を縛り、公爵家のために働かせればいいと考えている。
「飼い殺しにするわけですね。すごいなあ」
そんな話を、何と教室で声をひそめることもなく貴族家の子息たちが話し続けている。
クラスメイトたちの視線が、離れた席からジオライドたちを見ているイザベラへ向く。
彼女は教室内での非道な会話に青ざめて、今にも倒れそうなほど震えていた。
だが何とか気を取り直し、ふらつきながら、教室を出ていった。
教室にいる他のクラスメイトたちも、あまりのことに呆然としたり呆れかえったり、怒りを露わにしたりと、厳しい目で公爵令息とその取り巻きたちを睨みつけている。
だが、ジオライドたち本人はまるで気がついていない。
なぜ、彼らのような暴挙が許されているのか。
クラスメイトたちは全員理解している。それは、現在の学園に在籍する生徒のうち、王族を除けば最も高位貴族の家出身なのが、ラーフ公爵家のジオライドだからだ。
盛り上がっている彼らは、更に卑劣なことで盛り上がっている。
どうせ愛人にするなら、今から好きに遊んだっていいだろうと。
即ち、レイプして楽しもう、と。
しん、と教室内が静まりかえる。ジオライドとその取り巻きたちだけが会話を続けている。
「いつやります?」
「早いほうがいいな。早くあの女の具合を試してみたい。どこか使えそうな空き教室はあるか?」
「いくつか手配できそうな教室があります」
「準備でき次第、あいつを呼び出すように」
笑いながら3年C組の教室を出ていくジオライドたち。午後の授業はサボるつもりのようだ。
教室に残った生徒たちは皆一様に血の気を失っている。
「や、ヤバい、あいつらあれ本気だぞ!?」
「風紀委員! 早く委員長のとこ行って来て! トークス子爵令嬢を保護しないとマズい!」
「はいいっ、王弟殿下のとこ速攻行きます!」
心ある生徒たちが動き出す。
ターゲットにされたイザベラと同じ、子爵家や男爵家といった下位貴族の女生徒たちの幾人かが泣き出している。自分たちもジオライドたちの被害に遭うのではないかと考えたら恐怖が襲って来たのだ。
そんな彼女たちを友人たちが宥めている。
「ライル君は!?」
「あいつまだ武道場だろ、クソッこんなときに教室にいないとか!」
公爵家のジオライドに対抗できるとしたら、一つ下の爵位とはいえホーライル侯爵家嫡男のライルなのだが。
剣馬鹿の彼が、休み時間には剣を振りに教室を出てしまうことは、これまたクラスメイトたちは皆知っていた。
校舎裏で、イザベラは独りで泣いていた。
3年C組の風紀委員から連絡を受けて、風紀委員長でもあるカズンは彼とヨシュアと一緒にイザベラを探していた。
ちょうど途中の廊下で同級生たちと駄弁っていたグレンも、事情を聞いて合流してくれた。
「イザベラ嬢、無事か!?」
「カズン様……」
校舎裏の日陰に目的の人物を見つけて駆け寄ってくるカズンに、だがイザベラは青い顔をしながらも「大丈夫です」と何度も繰り返す。
「……そうか。だが、助けが必要になったらいつでも声をかけてほしい」
ちょうど昼休み終了のチャイムも鳴った。
これ以上強引に確認を迫るのは愚策かと思い、引くことにする。
「トークス子爵令嬢、まさかこのまま教室に戻るつもりかい?」
彼女のクラスメイトでもあるC組の風紀委員が慌てている。
「……いえ。さすがにそんな気分じゃなくなりました。職員室に寄ってから帰宅しようと思います」
「そ、そうだね、それがいい! 次の授業の先生にはオレから伝えておくから!」
まさか、婚約者がレイプ計画を嬉々として話していたから戻ってはならないなどと、本人に言えるわけがなかった。
「なぜ、イザベラ嬢は助けを求めて来ないのだろうか」
去って行くイザベラを見送って、思わずカズンは呟いた。
既にジオライドの言動は洒落にならないところまで来ている。
イザベラの状況が最悪なことは周囲も知っている。
それなのに、イザベラは一切誰にも助けを求めず、独りで耐えている。
彼女を見ていると胸が痛む。それに喉も詰まって苦しくなる。
カズンはもうずっとこの苦しさに付き纏われていて、辟易としていた。
だがグレンや、カズンを呼びに来た3年C組の風紀委員は呆れていた。
「カズン先輩さあ。鈍いのも大概にしたほうがいいよ」
「……何だと?」
ヨシュアは近くに控えて、口を挟んでは来なかった。ただ話がどう転ぶかには興味があるようだ。
すると3年C組の風紀委員が、意を決したように声をかけてきた。
「アルトレイ様、不敬を承知で言わせてください。……あんた、自分がどれだけ残酷なことやってるか、わかっているんですか」
そもそも、下級貴族の子爵令嬢が、困窮する実家に支援してくれている高位貴族の婚約者の公爵令息に逆らうなど、できるわけがない。
そのような状況で、他人に助けを求めるなど、もっと難しい。
イザベラが苦境に立たされながらも、あれほど頑なにカズンの介入を固辞するには理由があるのだ。
「彼女を救う力があるのに、なぜ使って下さらないのですか」
その瞬間。
パシャリ、とカズンの脳内で弾ける映像があった。
転生する前の世界、日本と呼ばれる国で。同じように高校生だった自分が見かけた、クラスでのいじめの現場だ。
自分も周囲の生徒たちもそれを遠巻きにして見ているだけだった。
確かに前世の自分“カズアキ”は他者からいじめられるようなことはなかった。
たとえ、クリスマスパーティーや学校行事の打ち上げのファミレスやカラオケに誘われることがなかったとしても。
クラスメイトたちから無視されることもなければ、カツアゲなどあからさまないじめを受けることもなかったけれども。
だが、自分以外に目を向ければ、虐げられていた同級生たちはそこかしこにいた。
自分があの立場でなくて良かった、と思ったことは何度もある。
(でも、本当は)
(不条理さに泣く人を、助けられる自分でいたいと思ったんだ)
その自覚を掴んだ途端、ドン、と強い衝撃が身体の中を突き抜けていった。
全身を清涼な魔力が通り抜けていき、意識も身体も爽快感で満たされた。
(? 苦しいのが消えた?)
もう夏も近いというのに、冷えて強張りがちだった指先にも血が通ってくる。
「カズン様? どうされましたか」
自分の肉体や意識に訪れた変化に驚きながら、指先や腕、首などを動かして変化を確認せずにはいられなかった。
が、怪訝そうにヨシュアに声をかけられて、ハッと我に変える。
(今はまず、やるべきことがある)
「そうだな。今ここで何かできるのは、僕しかいないな」
気合いを入れるべく、黒縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
生徒会室へ行き、ユーグレンに改めて事態を説明して指示を仰ぐ、とカズンは言った。
「えっ、何で王子殿下に?」
「……イザベラ嬢を助けること自体は容易なんだ。だが、それをするとジオライドはともかく、彼のラーフ公爵家が甚大な被害を受ける。だから二の足を踏んでいた」
問題自体は既にユーグレン王子も把握して、王宮で調査を進めさせているはずだった。
「思うんだが、やはりイザベラなぞとの婚約は破棄して、もっと美しく筋目正しい家の令嬢と婚約し直したいな!」
教室内がざわめいた。まだ昼休みで全員戻ってきていないとはいえ、半数近くは自分たちの席にいるのだ。
「だがイザベラは容姿は劣るが成績は優秀だ。生意気なことにな。我がラーフ公爵家の仕事をさせるのにキープしておくのは悪くない」
「ならば第二夫人とするってことですか? ジオライド様」
と取り巻きたち。
「あんな不細工女を第二夫人とはいえ、妻にするなどとんでもない。せいぜい愛人だろ」
「まあ顔はともかく、身体はそこそこですからね」
会話の対象者であるイザベラ本人は、同じ教室にいる。
席はジオライドと離れていたが、本人のいる教室で、本人の耳に届く声量で堂々と話していた。
「ああ。婚約破棄はするが、処女は貰ってやるさ。不細工な顔でも暗い場所でなら見えないからな。純潔でなければ婚約破棄後も、貴族の娘は嫁入りできないのだ。愛人として貰ってやる代わりに家の仕事をやらせる。完璧だろ?」
他国には奴隷を使役するための隷属の魔法や魔術がある。イザベラが抵抗するようならそれで彼女を縛り、公爵家のために働かせればいいと考えている。
「飼い殺しにするわけですね。すごいなあ」
そんな話を、何と教室で声をひそめることもなく貴族家の子息たちが話し続けている。
クラスメイトたちの視線が、離れた席からジオライドたちを見ているイザベラへ向く。
彼女は教室内での非道な会話に青ざめて、今にも倒れそうなほど震えていた。
だが何とか気を取り直し、ふらつきながら、教室を出ていった。
教室にいる他のクラスメイトたちも、あまりのことに呆然としたり呆れかえったり、怒りを露わにしたりと、厳しい目で公爵令息とその取り巻きたちを睨みつけている。
だが、ジオライドたち本人はまるで気がついていない。
なぜ、彼らのような暴挙が許されているのか。
クラスメイトたちは全員理解している。それは、現在の学園に在籍する生徒のうち、王族を除けば最も高位貴族の家出身なのが、ラーフ公爵家のジオライドだからだ。
盛り上がっている彼らは、更に卑劣なことで盛り上がっている。
どうせ愛人にするなら、今から好きに遊んだっていいだろうと。
即ち、レイプして楽しもう、と。
しん、と教室内が静まりかえる。ジオライドとその取り巻きたちだけが会話を続けている。
「いつやります?」
「早いほうがいいな。早くあの女の具合を試してみたい。どこか使えそうな空き教室はあるか?」
「いくつか手配できそうな教室があります」
「準備でき次第、あいつを呼び出すように」
笑いながら3年C組の教室を出ていくジオライドたち。午後の授業はサボるつもりのようだ。
教室に残った生徒たちは皆一様に血の気を失っている。
「や、ヤバい、あいつらあれ本気だぞ!?」
「風紀委員! 早く委員長のとこ行って来て! トークス子爵令嬢を保護しないとマズい!」
「はいいっ、王弟殿下のとこ速攻行きます!」
心ある生徒たちが動き出す。
ターゲットにされたイザベラと同じ、子爵家や男爵家といった下位貴族の女生徒たちの幾人かが泣き出している。自分たちもジオライドたちの被害に遭うのではないかと考えたら恐怖が襲って来たのだ。
そんな彼女たちを友人たちが宥めている。
「ライル君は!?」
「あいつまだ武道場だろ、クソッこんなときに教室にいないとか!」
公爵家のジオライドに対抗できるとしたら、一つ下の爵位とはいえホーライル侯爵家嫡男のライルなのだが。
剣馬鹿の彼が、休み時間には剣を振りに教室を出てしまうことは、これまたクラスメイトたちは皆知っていた。
校舎裏で、イザベラは独りで泣いていた。
3年C組の風紀委員から連絡を受けて、風紀委員長でもあるカズンは彼とヨシュアと一緒にイザベラを探していた。
ちょうど途中の廊下で同級生たちと駄弁っていたグレンも、事情を聞いて合流してくれた。
「イザベラ嬢、無事か!?」
「カズン様……」
校舎裏の日陰に目的の人物を見つけて駆け寄ってくるカズンに、だがイザベラは青い顔をしながらも「大丈夫です」と何度も繰り返す。
「……そうか。だが、助けが必要になったらいつでも声をかけてほしい」
ちょうど昼休み終了のチャイムも鳴った。
これ以上強引に確認を迫るのは愚策かと思い、引くことにする。
「トークス子爵令嬢、まさかこのまま教室に戻るつもりかい?」
彼女のクラスメイトでもあるC組の風紀委員が慌てている。
「……いえ。さすがにそんな気分じゃなくなりました。職員室に寄ってから帰宅しようと思います」
「そ、そうだね、それがいい! 次の授業の先生にはオレから伝えておくから!」
まさか、婚約者がレイプ計画を嬉々として話していたから戻ってはならないなどと、本人に言えるわけがなかった。
「なぜ、イザベラ嬢は助けを求めて来ないのだろうか」
去って行くイザベラを見送って、思わずカズンは呟いた。
既にジオライドの言動は洒落にならないところまで来ている。
イザベラの状況が最悪なことは周囲も知っている。
それなのに、イザベラは一切誰にも助けを求めず、独りで耐えている。
彼女を見ていると胸が痛む。それに喉も詰まって苦しくなる。
カズンはもうずっとこの苦しさに付き纏われていて、辟易としていた。
だがグレンや、カズンを呼びに来た3年C組の風紀委員は呆れていた。
「カズン先輩さあ。鈍いのも大概にしたほうがいいよ」
「……何だと?」
ヨシュアは近くに控えて、口を挟んでは来なかった。ただ話がどう転ぶかには興味があるようだ。
すると3年C組の風紀委員が、意を決したように声をかけてきた。
「アルトレイ様、不敬を承知で言わせてください。……あんた、自分がどれだけ残酷なことやってるか、わかっているんですか」
そもそも、下級貴族の子爵令嬢が、困窮する実家に支援してくれている高位貴族の婚約者の公爵令息に逆らうなど、できるわけがない。
そのような状況で、他人に助けを求めるなど、もっと難しい。
イザベラが苦境に立たされながらも、あれほど頑なにカズンの介入を固辞するには理由があるのだ。
「彼女を救う力があるのに、なぜ使って下さらないのですか」
その瞬間。
パシャリ、とカズンの脳内で弾ける映像があった。
転生する前の世界、日本と呼ばれる国で。同じように高校生だった自分が見かけた、クラスでのいじめの現場だ。
自分も周囲の生徒たちもそれを遠巻きにして見ているだけだった。
確かに前世の自分“カズアキ”は他者からいじめられるようなことはなかった。
たとえ、クリスマスパーティーや学校行事の打ち上げのファミレスやカラオケに誘われることがなかったとしても。
クラスメイトたちから無視されることもなければ、カツアゲなどあからさまないじめを受けることもなかったけれども。
だが、自分以外に目を向ければ、虐げられていた同級生たちはそこかしこにいた。
自分があの立場でなくて良かった、と思ったことは何度もある。
(でも、本当は)
(不条理さに泣く人を、助けられる自分でいたいと思ったんだ)
その自覚を掴んだ途端、ドン、と強い衝撃が身体の中を突き抜けていった。
全身を清涼な魔力が通り抜けていき、意識も身体も爽快感で満たされた。
(? 苦しいのが消えた?)
もう夏も近いというのに、冷えて強張りがちだった指先にも血が通ってくる。
「カズン様? どうされましたか」
自分の肉体や意識に訪れた変化に驚きながら、指先や腕、首などを動かして変化を確認せずにはいられなかった。
が、怪訝そうにヨシュアに声をかけられて、ハッと我に変える。
(今はまず、やるべきことがある)
「そうだな。今ここで何かできるのは、僕しかいないな」
気合いを入れるべく、黒縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
生徒会室へ行き、ユーグレンに改めて事態を説明して指示を仰ぐ、とカズンは言った。
「えっ、何で王子殿下に?」
「……イザベラ嬢を助けること自体は容易なんだ。だが、それをするとジオライドはともかく、彼のラーフ公爵家が甚大な被害を受ける。だから二の足を踏んでいた」
問題自体は既にユーグレン王子も把握して、王宮で調査を進めさせているはずだった。