うちのクラスの学級委員長、王弟殿下なんですよ~王弟カズンの冒険前夜

 最近、身体が痛いとヨシュアが溜め息をついている。
 麗しの美貌を陰らせた物憂げな様子に、クラスメイトたちはドギマギしているが本人は気に留めていない。

 今日も授業中ずっと身体の関節が軋んで痛いと、休み時間になるたび小さく唸っていた。
 側にいると、カズンの耳にも微かにみしみし骨が軋む音が聞こえてくる。

 放課後、嫌がる本人を保健室に連れて行くと、「それは成長痛だから問題ない」と保健医に言われ、痛み止め用の初級ポーションだけ貰って追い出されるのだった。

 手首の関節を手のひらで擦っている幼馴染の横顔を、じっと見つめてみた。

「そういえばおまえ、僕より伸びてるな」
「うちは男は代々似たような背格好になるので。まだまだ伸びると思います」

 これまでは、どちらかといえば華奢な体型のヨシュアだったが、最近では制服のブレザーの丈や肩幅をお直ししている。
 まだ成長するなら、そろそろ新しく作り直さなければならない。

「むう……ユーグレン殿下といいおまえといい、……ずるい」

 面白くなさそうな顔をしているカズンの横腹を、ヨシュアは笑って肘先で突っついた。

「王家の皆様はお顔立ちはよく似てるのに、背丈はバラバラですよねえ。ヴァシレウス様は巨体だけど、テオドロス様はそこまでじゃないし。ユーグレン殿下は最近178cmになられたそうで。カズン様は?」
「………………172。で、でもまだ僕だって伸びてる!」

 この身長、実は母セシリアより僅かに足りない。母親がヒールのある靴を履くと更に差が広がる。



 保健室から、荷物を取りに3年A組の教室まで戻ってくる。
 教室のドアを開けようとしたところで、中からこんな声が聞こえてきた。

「カズン様はな~。領地もない名ばかりの大公家の令息なんだよな。先王陛下の七光りってやつ」

 ぴたり、と引き戸の取っ手にかけようとした手が止まる。

 それはカズンにとって痛い指摘だった。
 偉大な先王の実の息子で王弟。母親もこの国の王族の血を引く。血筋だけなら今のアケロニア王国で一番だ。
 しかしカズン自身に力があるかといえば、魔力も少ないし、大したものはないのである。

 “無個性の王弟”が、カズンを揶揄するときの貴族社会での隠語となっていた。

(わかってる。僕はモブ。きっとこの世界の主役はヨシュアだ。もしかしたらユーグレンやライルかも。いや、お父様の可能性だってある……)

 だが、わかってはいてもそれで腑に落ちるかどうかは、また別の話なわけで。

(異世界転生したら、チートスキルを獲得して無双の活躍ができる。そう期待していた頃が僕にもあったのだ)

「……すまん。少し頭を冷やしてくる」
「カズン様!」

 慌ててカズンを追いかけようとするヨシュアだったが、その前に不届き者たちに一言言ってやらねば気が済まなかった。
 勢いよく教室の引き戸を開けて中に入る。



「んでも委員長のお陰でこのクラスは他の貴族から変に絡まれることも少ないしな。なんだかんだで委員長、面倒見いいし」
「それな! 七光り様、万々歳だー!」

「………………」

 どうやら自分たちは、彼らの会話の一部分だけを聞いたため、変な誤解をしてしまったようだ。

「あれ、どうしたのヨシュア君。そんなとこで突っ立って」
「………………」

 さて、ここはどう対応するのが正解か。
 とりあえず、ストレートに指摘してみることにした。

「君たち。普段あれだけカズン様に世話になってるのに、随分なことを言うじゃないか」
「え? どういうこと?」
「……君たちのさっきの会話をカズン様に聞かれてしまったよ」
「へ? 会話?」

 机に座って駄弁っていた男子生徒たちが不思議そうな顔になる。

「『先王陛下の七光りでパッとしない』んだって?」
「あっ、そ、それは!」
「ち、違うって、そんな、悪口とかじゃなくてさ!」
「それを判断するのはご本人だろうね。……はあ、仕方ない。後でちゃんとカズン様に謝って誤解を解くんだよ?」

 全力で頷くクラスメイトたち。
 その様子を確認してから、「約束だからね」と念を押して、ヨシュアは教室を後にした。
 カズンはどこへ行っただろうか。



 教室を出たヨシュアはカズンを探しに出たが、なかなか見つからない。
 まだ彼が離宮にいた頃は、落ち込んだとき隠れる場所といえば自室のベッドの陰や中庭のあずまやの椅子の陰だった。
 が、学園内となると候補が多すぎて検討がつかない。

「ヨシュア? どうしたんだ、そんなに慌てて」

 ちょうど一階の職員室から3年のフロアに上がる階段で、ユーグレンとその護衛の生徒と出くわした。
 彼はカズンと同じ黒髪黒目だ。一瞬だけカズンと見間違えて残念な気分になったのは内緒である。
 簡単に事情を話すと、考える素振りを見せてユーグレンは、

「少し、話をしようか」

 と生徒会室へ促してきた。

 護衛の生徒には生徒会室の外で待機するよう命じ、自分は給湯室でティーバッグと湯を注いだ紙コップを二つ持ってきて、片方をヨシュアに差し出す。
 学園では学長室での来客用以外はすべてリーズナブルな紙コップ使用だ。王族で王子のユーグレンも例外ではない。

 詳しい事情を聞いて、ユーグレンは年下の大叔父カズンとよく似た顔で苦笑した。

「なるほどな、カズンをヴァシレウス様の七光り頼りと呼ぶか。それを言うなら私なぞ、“ヴァシレウス大王の劣化版王子”だぞ」
「殿下、そのようなこと……」

 さすがに不敬にも程がある。
 口さがないものはどこにでもいる。カズンもユーグレンも、先王ヴァシレウスが偉大すぎて小粒に見えてしまうのは仕方のないことだった。

 ヴァシレウスは“大王”の称号持ちであるが、何せ本人が百歳近い長寿者だ。
 百年も生きていれば業績は年数ごとに積み上がり続ける。たかだか17、8年生きたぐらいのユーグレンたち若人が敵うはずもない。

「話を聞く限り、クラスメイトたちとの誤解も解けよう。どうする、私も一緒にカズンを探そうか」
「……いえ。教室にはカズン様も鞄を残してますし、しばらくすれば戻って来られると思うので大丈夫です」
「そうか。なら、茶を飲む間くらい付き合ってくれるかな。ヨシュア」

 それから何とはなしに、あれこれと二人で話をした。



「そういえば君に訊いておきたかったんだが。ヨシュアは卒業後はカズンの側近となるのか?」

 ヨシュアはじっとユーグレンを見つめた後、「わからない」と俯いた。
 自信のなさそうな仕草は、普段マイペースで掴みどころのない雰囲気を持つヨシュアには珍しい。

「オレはもう、能力的に伸びる余地がありません。これから様々なことを経験して成長していかれるカズン様のお側にいて良いものか……」

 若年のうちから魔法剣士として完成してしまっているヨシュアの、余人には窺い知れない苦悩だった。

 ステータスオープン、と呟いてヨシュアは自分のステータスをユーグレンにも見えるよう空中に表示した。
 一定以上の魔力量を持つ者なら、特定のテンプレートに応じた自分のステータスを可視化できる。

 今回ヨシュアが利用したステータス・テンプレートは、最も一般的に使われている10段階評価のものだ。
 簡易な身分表記と、能力値が数字で出る。
 能力値の平均値は5となる。


--

ヨシュア・リースト
リースト伯爵、学生

称号:魔法剣士、竜殺し

体力   6
魔力   8
知力   7
人間性  6
人間関係 3
幸運   1

--


「見てください。オレの今のステータスはほとんど亡き父と同じです。その父も祖父と同じだった。……リースト伯爵家はここ何代もずっと、これ以上のステータスに上がったことがないんです」

 リースト伯爵家は家伝の魔法剣を金剛石にするまでが精一杯で、能力的に打ち止めだった。
 本来ならレア鉱物のアダマンタイトまで進化させたかったのだが、魔力が足りなかった。

 それでもリースト伯爵家出身というだけで、アケロニア王国でも屈指の魔力量を誇る一族のため、周囲に期待され続けている。



 悲しげに胸の内を語るヨシュアに対し、ユーグレンの胸の内は燃えていた。

(まさかステータスを見せてくれるとは。そこまで私に心を許してくれたと思って良いのだろうか、ヨシュア……っ!)

 自分のステータスを見せるのは、一般的には家族や親しい友人、恋人や職場の上司などだ。
 いつか見たいと思っていたヨシュアのステータスを見ることができて、ユーグレンの心は浮き立つ。

 さすがの魔法剣士だけあって、魔力値8はトップクラスといえる。

 だがこのとき、ユーグレンはもっとヨシュアのステータス内容に注意を払うべきだった。

 幸運値1。
 魔力量が多く、また名門貴族家の当主として有り得ないこの数値は、異常だった。



 何となく話の流れで、互いのカズンとの出会いの話になる。

 ヨシュアは幼い頃、魔法魔術騎士団の所属だった実父に連れられて王宮へやってきたとき、同い年だからと当時は離宮住まいだったカズンを紹介されたのが最初である。

「そうですね、ちょうど4歳くらいのときでした」

 不思議と馬が合い、以来ずっと現在まで親しい遊び友達だ。



 対してユーグレンは、やはり4歳のとき先王ヴァシレウスを交えて、カズンの母セシリアと一緒に紹介されたのが最初である。
 このとき、カズンとセシリアは正式に王族の一員として王統譜に名前が記されることになった。

「自分とよく似た、ふくふくとして可愛らしい子が、まさか年下の大叔父殿だったとはなあ」
「カズン様、幼い頃はふっくらした体型でしたよね。食いしん坊だったし。よく動くから肥満というほどではなかったですが」
「はは。初めて会ったとき、もしやこの子が自分の婚約者なのだろうかと胸が高鳴ったのを覚えている。ヴァシレウス様に抱かれて、フリルやレースの多い子供服を着ていたから女の子に間違えたんだ」

 もっとも、ヴァシレウスの膝の上に座り直したとき、カズンの身に付けているのが自分と同じ半ズボンだったことで誤解はすぐに解けたのだが。



 一方、カズンは。

「親の七光りでパッとしない、か……言ってくれるな……」

 痛いところを突かれた気分だった。
 頭を冷やそうと、一階の売店まで飲み物を買いに行こうとした。冷たい飲料を飲んで気分転換しようとしたのだ。
 が、途中の下駄箱付近で頭痛を覚え、立ち止まり廊下の壁に腕をついて、身体を支えた。

「……ぐっ」

 胸元も痛い。最近よくある、原因不明の痛みだった。

(僕のこれは成長痛じゃない。家にあるポーションを飲んでも解消しなかったし……くそ、考えがまとまらない)



「君、大丈夫?」

 ぽん、と軽く背中を叩かれて、ハッと前屈みになっていた身体を起こした。

 後ろを振り向くと、見たことのない同年代の青年がいる。
 学園の制服は身につけていない。白いワイシャツとネイビーのネクタイ、薄いグレーのスーツの上下に茶の革靴。外部からの来客だろうか。

「え……?」
「あ、ごめん。何だか具合が悪そうに見えたから、つい声をかけてしまった」

 初めて見る顔だ。記憶を探っても同じ顔に見覚えはない。
 薄い灰色の襟足長めのウルフカットの髪に、ペールブルーのやや奥二重の瞳。
 全体的に品の良さを感じさせる顔立ちをしており、カズンより頭半分ほど背が高い。

「見ない顔だが……どちら様で?」
「ああ、ぼくは転校生なんだ。来週から3年A組に転入するんだけど、職員室に挨拶に来たんだ。そしたら君がいてね」

 再び、ぽんぽんと、今度は肩を軽く撫でるように叩かれた。

(!? 何だ!?)

 叩かれたところから、スーッと体内で荒れ狂っていた感情や、先程まで感じていた偏頭痛や心臓付近の痛みが沈静していくのがわかった。

「勝手に触れてごめんね。見たところ、体内の魔力の流れが乱れてるみたいだったから、少しだけ関与させてもらった。ぼくの魔力は興奮状態を抑えるから。楽になったんじゃないかな」
「あ、ああ……助かった」

 彼を職員室に案内がてら、簡単な自己紹介をし合った。

「ぼくはイマージ・ロット。ミルズ王国から留学してきたんだ」
「カズン・アルトレイだ。ちょうど3年A組在籍で学級委員長をしている。転入後はしばらく世話役を任されるだろうから、頼ってくれて構わない」
「へえ。偶然とはいえクラスメイトに会えてよかった」

 聞くと、イマージは特に魔法使いや魔術師ではなく、魔力に沈静作用を持つ血筋の家系出身とのこと。

 実家のある本国では、沈静作用は上手く使えば元気一杯の幼い子供たちを適切に管理できるため、教師となることが多い一族だそうだ。

 とはいえ、イマージはさほど力が強くなく、アケロニア王国のこの学園には純粋に遊学目的の転校ということだった。

 それから転校生イマージを職員室に送り届けた後で三階の教室に戻ると、王宮からの使者がカズンを待っていた。

「カズン様、緊急招集です。至急、王宮へお越しくださいませ」
「緊急招集?」

 とそこへ、ヨシュアを伴ったユーグレンが生徒会室方向からやって来るのが見えた。
 使者の姿を認めると怪訝そうな顔になる。

「何事だ?」
「ユーグレン殿下! リースト伯爵もご一緒でしたか! お三方、王宮から緊急招集がかけられております」

 事情は王宮に着いてからということで、急き立てるように三人まとめて馬車に乗せられ、王宮へ向かうのだった。

 王宮へ登城すると、すぐに国王の執務室に通された。
 そこには兄王テオドロス、父のヴァシレウスと母のセシリアもいる。
 執務室内の空気は緊張して張り詰めている。

 カズンたちがソファに腰を下ろすなり、厳かに、現国王のテオドロスが口を開く。

「緊急事態だ。前王家のロットハーナ一族が国内に入ったことが確認された」



 ロットハーナはカズンたちアケロニア王族の、一つ前の王朝の王族だ。
 錬金術系の特殊魔法を受け継ぐ一族で、黄金を錬成する術とノウハウを持っていた。

 ところがあるとき、彼らロットハーナが黄金を錬成する材料に、生きた人間を使っていたことが発覚する。
 やがて、魔力量の多い貴族や血筋の者たちまで誘拐し、殺害する被害が続出していく。
 彼らを糾弾し、国民を被害から救ったのが、今のアケロニア王族の祖先である。



 この世界、円環大陸において、魔力の使い方には二種類ある。
 ひとつは魔法といい、術者のイメージによって自由自在に現象を創造するもの。

 ふたつめは魔術で、これは魔術式というプログラムを組み、それに魔力を流すことで安定して再現性のある現象を作り出す。
 たとえば、魔力を通すだけで火が出る魔石などは、魔術によって作られ各家庭の台所で使われている。
 作用の仕方に小回りが利くのが魔術の特徴でもある。

 ちなみに魔法と魔術では、魔法のほうが作用する力が大きい。



 そして、魔法・魔術を問わず、術者としての魔力使いには旧世代と新世代がある。

 旧世代の魔力使いは、基本的に自分の肉体が持つ魔力量に応じた術しか使えない。

 新世代の魔力使いも、旧世代と同じ自分の肉体の魔力量をベースに術を使う。
 ただし旧世代とは、決定的な違いが二つある。
 他者や自然界など、外部の魔力を安全に使えるという点が、第一の特徴。
 第二は、第一の特徴を踏まえて、“血筋に依存せず魔力が使える”やはりこれが大きな差だろう。

 ちなみにアケロニア王国の魔力使いは、王侯貴族から平民に至るまで、すべて旧世代に属す。

 基本的に、旧世代は自分の肉体が持つ魔力量の範囲内でだけ、魔法や魔術を使う。
 魔力とは生命力の別名でもある。消費し過ぎれば肉体は衰え、寿命が縮むから、魔力持ちは子供の頃から適切な魔力の使い方を家族や指導者から学ぶ。

 できるだけ魔力量を増やすため、魔力の多い血筋同士で婚姻を繰り返す。
 そうして子孫に繋いでいったのが、ほとんどの国の王族であり貴族たちだった。

 魔力使いの実力としては、圧倒的に旧世代へ軍配が上がる。
 しかし、円環大陸においては緩やかに、“血筋に依存せず魔力が使える”新世代に在り方が移り変わりつつあった。



 例外的に、自分の魔力量の限界を超えて、魔力を使う方法がある。
 “代償方式”といって、自分の持つ何かを犠牲にすることで、その分の魔力を獲得する方法だ。

 ロットハーナも最初は旧世代魔力使いの一族として、代償方式で自分たちの持つ何かを犠牲にすることで錬金術を行っていた。
 まずはステータスを確認した上で不要な能力を少しずつ。目立った害がなければ完全に犠牲にして黄金に変えた。

 やがて、自分たちの感情すら黄金に変えたことで、ロットハーナは邪道へと堕ちていくことになる。

 代償方式で使える自分たちのリソースが残り少なくなったとき、犠牲にするのは他者でも構わないじゃないか、と考えるようになった。

 まず彼らが行ったのは、妊娠中の妊婦の胎内の胎児に魔術を用いて、肉体的に奇形児を作り出すことだった。
 産まれた胎児には、手足や指、臓器などが常人より多くなるよう“設定”してある。その余分な肉体の一部を錬金術の素材に使い始めた。

 だがすぐに、そのような面倒な手順を踏まずとも、自分の国の国民を誘拐して生け贄にすれば良いと、倫理や道徳の欠けた頭で考えついた。

 ロットハーナに業績があるとしたら、人間が生物として、非常に進化した価値の高い“素材”であると解明したことだろう。
 黄金を作る錬金術の素材として、動植物や鉱物などより、人間一人を丸々素材にしたほうがはるかに大量の黄金を作り出せたからだ。

 最終的に、ロットハーナは錬金術の生贄の素材として、自国の国民の中でも特に魔力量の多い貴族たちにターゲットを定めるようになった。
 国内で貴族たちの行方不明事件が頻発する。しかし、なかなか犯人が捕まらず、人々は恐怖に脅える日々を送っていた。



 犯人が当時のアケロニア王族のロットハーナ一族だと判明したのは、偶然からだった。

 ある伯爵家の当主の、妻と息子、娘の三人が前触れなく行方不明になった事件に端を発する。

 三人はあるとき、伯爵家の領地にある森へピクニックに出かけ、そのまま帰って来なかった。
 森の中には三人が使った小型の馬車が壊され、護衛や御者、引いていた馬も殺されていた。
 近くには多量の血液が残されていた。
 馬車の装飾が剥がされていたことから、盗賊による金品目的の殺害と、証拠隠滅のため死体ごと持って逃亡したものと判断された。

 ところが、それら警察組織を兼ねる騎士団の判断に疑問を抱いたのが、妻子を失った当の伯爵本人だ。
 彼は現在でも珍しい、総合鑑定スキルの持ち主だった。物品、人物、魔力すべての鑑定を可能にする高度なスキルを持っていた。
 彼が、妻子が殺害されたとされる現場に残された血痕を鑑定したところ、血液は妻子のものだったが、致死量には足りなかった。
 だがそのときは、それ以上のことはわからなかった。

 数年後、伯爵が他の貴族の叙勲式に参列するため王都に出て王宮に上がったとき。
 王から叙勲された貴族に渡される金塊に、伯爵の鑑定スキルが反応した。

 驚愕したなんてものではない。
 中身の金塊の素材名に、己の息子の名前があるではないか!

 伯爵はその場で騒ぐことはせず、会場を辞した後で、王国内の各地から流通している金塊を無作為に収集した。
 そして金塊に総合鑑定スキルを用いると、自分の息子だけでなく、国内で行方不明になっていた貴族や有力者たちの名前が次々に浮かび上がってくる。



 息子の名前が見えた金塊を報償金として受け取った貴族は、幸い親しい者だった。
 彼には密かに事情を話し、息子が変じた金塊を譲り受けている。

 金塊に更に詳細な鑑定スキルを用いると、金に変化させられた後でも魂が残っているらしい。
 伯爵が息子の金塊に反応したのは、彼の魂との感応だったのだろう。

 幸運だったのは、伯爵の持つ総合鑑定スキルなら、金塊に宿った息子の魂と対話が可能だったことだ。
 そうして、妻や息子たちが行方不明になり金塊にされるまでの、詳しくもおぞましい経緯を知ることになる。



 まず、ロットハーナは王家として、伯爵の一族が豊富な魔力を持つことをあらかじめ知っていた。
 その上で次の“素材”として目を付けた。

 伯爵本人が相手では、剣術や魔術の使い手で、手強いと見た。
 ならばと、分家出身の夫人と、その間に産まれた子供たちにターゲットを定め、計画的に襲いに行ったという。

 王家の影を使い、護衛や馬車の御者、馬をまず始末した。
 その上で、馬車の中にいた夫人と子供たちに魔力封じの魔導具を装着させた。
 抵抗を削いでから急所を微妙に逸らして刃物で刺し続け、苦しめに苦しめてから、死の直前で生きたまま黄金へと錬金した。
 現場に被害者たちの血痕が多量ながら中途半端な量しか残されていなかったのは、血液が流れ切る前に黄金に変えられていたからだろう。

 最初に、子供たちを庇う夫人が首に斬りつけられた。
 まだ幼かった妹を腕に抱いて守っていた兄は、馬車の外から妹ごと串刺しにされた。
 まだ息のあるうちに母親や妹から引き剥がされ、馬車から引き摺り下ろされた。
 目の前には、数名の兵士を伴い、堂々と王家の紋章の入った礼装姿の男の貴人が一人いた。

 息絶える寸前の自分たち家族に邪悪な魔法をかけたその人こそ、当時のアケロニアの次期国王、王太子であった、と。



 金塊の中の息子の魂が伝えてきた事実に、伯爵は王家に見切りをつけ、復讐を決意する。

 そしてロットハーナ一族の残虐な行為の証拠を集め始めた。
 被害者となった者たちの貴族や有力者たちの協力を得て、ロットハーナ一族を倒すことに成功する。

 邪悪な錬金術はロットハーナが一族ぐるみで行っていたと判明していた。
 一族全員死罪としたが、寸前で何名かが逃げて消息不明となってしまった。
 彼らは他国に逃げて、そこで錬金術で得た黄金を元手にして、現在まで生き延びている。



 錬金術で黄金に変えられた者の魂は、金塊の中に保存され続ける。
 解放するには、一度、高温で鋳溶かすしかない。
 鋳溶かせば、鑑定スキルで見ても、黄金の中に素材となった人物名は消える。

 そして、黄金に変えられてしまった人間を元に戻す術はない。
 黄金に変えられるときに肉体が崩壊してしまうためだった。
 黄金になるのはあくまでも本人の魔力のみのためだ。

 伯爵が血眼になって探しても、息子以外の妻と娘を素材とした金塊は見つからなかった。
 ということは、既に彼女たちの金塊は鋳溶かされ金貨などに加工されてしまった後ということだろう。

 伯爵の手元に唯一残された、息子の魂が宿る金塊をどうするか。
 息子の魂に確認したところ、鋳溶かさずこのまま職人に叩いて装飾品に加工してもらい、父伯爵の傍に置いて欲しいと懇願された。
 現在のアケロニア王国の王冠と王杖がそれである。

 その頃にはロットハーナ一族への断罪も片付いており、伯爵は新たなアケロニア王国の国王となった。

 この新王の持っていた家名がアルトレイで、今は先王ヴァシレウスの曾孫にして伴侶となったカズンの母、女大公セシリアが継いだ家名である。



 その前王家ロットハーナの末裔が、現在まで他国で続いていることが確認されている。

 アケロニア王国を逃げ出した後のロットハーナ一族の者たちは、遠く離れた地で経歴を隠して貸金業を営んでいた。
 子孫の中には成功した者も出たようだが、ここ百年ほどは目立つ者はいないはずだった。

 だが、現在のアケロニア王国でロットハーナの邪法の痕跡が確認された。
 ロットハーナ一族が扱う魔法や魔術には、特徴がある。
 まず、人間を黄金に変える錬金術、“黄金錬成”。
 黄金錬成するには対象となる人間を死なない程度に傷つけて苦痛を与える必要がある。
 そのために、抵抗を防ぐ隷属魔法と、隷属魔法を施した魔導具を扱う。

 リースト伯爵家、ドマ伯爵家に関わる事件で、共通してロットハーナが得意とする隷属魔法を込めた魔導具の存在が示唆されていた。

 また、以前カズンたちが潜った第4号ダンジョンで発見された、衣服だけを残した痕跡。
 黄金錬成を仕掛けられた人間が黄金に変わるのは、本人の肉体だけだ。
 だからロットハーナの魔の手にかかった被害者の消えた現場や近くの場所からは、本人たちの衣服や持ち物が見つかるケースがある。

 これらの事件や出来事を総合的に判断して、ロットハーナの使う邪法だと断定。
 アケロニア王国は即座に、ロットハーナ一族の術者探索に動いた。
 既に、王太女とその伴侶が騎士団を率いて国内での調査に動いている。今ここに居ないのはそのためだ。

 国王テオドロスから一連の説明を受けて、カズンたち同い年の三人は言葉を失った。

「ロットハーナ一族……歴史で習ってはおりましたが、まさかそのようなおぞましい術を使う者たちとは」

 何とか絶句して固まった状態から、ユーグレンが頭を振って気を取り戻した。

「民を虐げ搾取する愚王の一族としか習ってなかったですよね。その一族の者が今、この国にいる、と」

 カズンもまさか、という気持ちで黒縁眼鏡のブリッジを押し上げた。

 隣に座るヨシュアは、自分がカズンやユーグレンと一緒に呼ばれた理由にようやく納得した。
 リースト伯爵家に生まれたヨシュアも、貴族であるからには前王朝ロットハーナ一族のことは学んでいる。しかし表面的なことだけで、ここまで詳しくは知らなかった。
 手を挙げて国王に発言の許可を求める。

「ロットハーナの錬金術、“黄金錬成”も魔法であるからにはセーフティ設定があるはずです。生きたまま人間を黄金に変えるなど、通常では考えられないのですが」

 魔力使いとして一家言あるリースト伯爵の指摘に、国王テオドロスと先王ヴァシレウスは黒髪黒目のよく似た顔を見合わせた。
 説明のため口を開いたのは、ヴァシレウスだ。

「そこが、邪法を扱う邪道に落ちた一族と呼ばれる所以でな。倫理や道徳観念を持たぬがゆえに、元からあった錬金術を改変したと伝わっている」
「改変……ですか? しかし、そのようなことをすれば反作用としてのペナルティが」
「うむ……」

 今ひとつ意味がよくわからない。
 隣から腕に触れてきたカズンの意図を汲んで、ヨシュアはわかりやすく説明することにした。

「魔法は特に、悪徳的で有害な使い方ができないよう、最初の開発者がセーフティ設定を組み込んであるんです。例えば我がリースト伯爵家が使う魔法樹脂も、古の時代に最初にこの魔法を生み出した魔力使いによって使い方に制限がかけられています」

 試しに、とヨシュアは自分の右の拳に群青色の魔力を集中させた。
 すぐに魔力は光のモヤとなって、拳の周りに透明な樹脂を形作る。
 が、魔法樹脂はすぐに霧散して消え失せた。

「魔法樹脂の場合は、“意思を持つ生きた人間を封入することはできない”。これがセーフティ設定です。同じように、黄金錬成も“素材に生きた人間を用いることはできない”等のセーフティ設定がかけられているはずなのですが」

 リースト伯爵家の当主が死の直前に封入できるのは、仮死状態時に限るという条件と、当主が肉体に刻んでいる術式の保存という明確な目標があるためだ。

「生きた人間を封入できる仕様だと、見目良く珍しい人間を誘拐して観賞用に保存したり、敵対者を封入して無力化できたりしてしまいますから。そういう、俗悪な輩がやらかしそうな有害な使い方は最初からできないようになっているんです」

 と説明するヨシュア自身が、見る者を陶酔させる麗しの美貌の持ち主だ。説得力がある。

「セーフティ設定を出し抜く手段には、いくつか思い当たるものがあります。ですがそれも見越した上で、違反する使い方をした術者には反作用としてペナルティが下されるようになっています。文字通り“天罰”級のね」



 さて、ロットハーナが受けたペナルティとは如何なるものか。

「これまでの話を聞いて、見当が付くのではないか?」

 ヴァシレウスが若者三人の顔を一人ずつ見回す。

「邪道に堕ちる者は、良心を失うといいます。人道に背く行為を犯すことと、人の心を失うことは同義と言えるでしょう」

 ユーグレンの見解に、ヴァシレウスだけでなくテオドロスも満足そうに頷いた。

「然り。ロットハーナが失ったのは人の心であり、感情だ。ゆえに、常人なら良心が咎めて出来ぬことでも平気で行えるようになった」
「何という悪循環……」

 この場にいる者全員が嫌悪感で顔を顰めている。



「……ロットハーナは何が目的でこの国へやってきたのでしょうか?」

 カズンの問いかけに、わからない、とテオドロスは首を振った。

「再び、アケロニア王国の覇権を奪うつもり、とか」
「それもわからん。現時点でロットハーナの邪法の影響が確認できているものは、すべて術の跡があるだけで、術者本人を誰も見ていないからな」

 隷属魔法に関しては、リースト伯爵家で前当主の後妻と連れ子が持っていたものと、先日のドマ伯爵令息ナイサーの事件で彼が持っていた魔導具の効果が共通だった。

 だがやはり問題は、多量の血痕を残して消えたドマ伯爵令息ナイサーと、その取り巻き二人だろう。
 死の寸前まで苦痛を与えられ、息絶える直前に黄金に変えられているのなら、亡骸は消えたのではなく“使われた”とするのが正しいということか。

 ロットハーナの件は、親しい者には内密にすることを条件に伝えてもいいと言われる。
 今同年代で親しい者は、学園の生徒だ。カズンはライルとグレンにも、後日伝えることを決めた。



「現状では王太女主導で騎士団が調査に当たっているが、……ユーグレン、カズン。若い王族であるお前たち二人が狙われる可能性は高い。そのため緊急招集をかけた」

 王子のユーグレンには専属護衛がいるが、カズンにはまだいなかった。
 そもそも、このアケロニア王国の王都は比較的安全な地域だし、カズンは移動も馬車がほとんどで、単独で出歩くこともない。大半の外出には幼馴染みのヨシュアが伴う。

 ロットハーナを警戒して、王弟カズンにも護衛を付けることが決定されたと、国王テオドロスが告げる。

「リースト伯爵ヨシュア。魔法剣士にして竜殺しの称号持ちである貴殿を見込んで、王弟カズン・アルトレイの護衛騎士に任命する」
「謹んで拝命致します」

 どうやら、こちらの用件が本命だったらしい。
 驚いているカズンに、ソファから立ち上がってヨシュアはその場で跪き、手を取って甲に口づけ、忠誠を示した。

 そのときヨシュアが浮かべた満面の笑みの美しさに、誰もが見惚れた。

「何でそんなに嬉しそうなんだ? 面倒を押し付けられたんだぞ?」
「嬉しいですとも。堂々とカズン様のお側にいられる権利を獲得したんですから」
「そう……なのか?」
「ええ。そろそろ、幼馴染みというだけで侍り続けるのも厳しくなっていて。周りからも色々忠告されてましたし」

 あら無粋、とそれまで口を挟むことのなかったカズンの母セシリアが思わずといったように呟く。

「これからは遊び友達や学友という以外にも、ご一緒致しますね」

 この上ない至福の表情を浮かべるヨシュアに、やっぱりな、とユーグレンは内心で肩を落とした。

(結局、最初から彼は自分の心を決めていたということか)

 もうとっくに、ヨシュアは己の仕える相手を選んでいたのだ。

 ユーグレンのほのかな期待が打ち砕かれた瞬間であった。

 学園のカズンとヨシュアのクラス、3年A組に転校生がやって来た。

 他国からの留学生で、名をイマージ・ロットという。

 このとき、彼の名字と、聞いたばかりのロットハーナとをなぜ関連付けることができなかったのかと、カズンたちは後々長いこと後悔することになる。
 ロット自体は平民に多い苗字だった。



 ヨシュアから見たところ、イマージはほとんど魔力を持っていなかったし、教室でも特に問題行動を起こすタイプでなかったから、学園を出ればほとんど意識することがなかった。

 転校生のイマージ・ロットは品の良い顔立ちの青年で、平民ながら穏やかで大人びた物腰で最初はクラスの女生徒たちに騒がれていた。

 が、しばらくすると自然と男女の別なく距離を置かれるようになった。
 あまり話が弾むタイプではなく、少々考え方が独特で、物腰の穏やかさのわりに絡みにくいのだ。

 学級委員長のカズンとは親しく交流している。
 いや、むしろカズンとしか親しくしていない。

 一週間経ってみると、クラスの生徒たちとほとんど馴染んでいないのがわかる。もちろん、ヨシュアとも挨拶する程度でそれ以上関係が深まることもない。

 イマージは次第に、クラスメイトたちからはどこか遠巻きにされるようになっていった。
 カズンはあまり気にしていないようで、学級委員長の彼はイマージを気にして世話を焼いている。

 教室内の微妙な雰囲気にも特に気づいていない。彼はこういうところは鈍感だった。



(妙な男だ。よくわからない魔力の質をしているし、何だか気持ちが悪い)

 転校生の世話を担任教師から任されたということで、いつもなら休み時間や昼休み、放課後はヨシュアといることが多いのに、最近ではすっかりイマージに掛かりきりである。
 妙に気に食わないし、面白くない。

 国王やカズンの父の先王から護衛を任されたとはいえ、大事にしたくないからと学園ではいつものクラスメイトの距離を保つようにしていた。
 今のところ、ロットハーナが関与すると思しき次の事件も起こっていないことから、ヨシュアも登下校まで付き添うことは避けている。

 放課後も、カズンはイマージに付き合って、授業内容のチェックをしている。転校生のイマージの授業の理解度を確認するよう担任教師に頼まれているそうだ。

 彼を放って帰ることはできないから、ヨシュアは離れた自分の席で教科書を眺める振りをしながら、彼らが話し終わるのを待っていた。

 数十分後、話に一区切りついたようでイマージが下校していく。

「すまん、ヨシュア。待たせた」
「ええ。帰りましょうか」

 馬車留めへ向かい、カズンがアルトレイ女大公家の馬車に乗り、発車して馬車が見えなくなるまで見送った。

 今日はこの後、少し用事を片付けてからアルトレイ女大公家を訪問する。



 夕方よりやや早い時刻に、王都のガスター菓子店の新作ショコラ持参でアルトレイ女大公家を訪れた。
 アルトレイ家では執事や他の使用人たちとも、カズンたち一家が離宮住まいだった頃からの付き合いだ。

「カズン様はご在宅だろうか?」
「本日、カズン様はテラスで読書を楽しまれております。ご案内致します、こちらへ」

 邸宅の中、テラス手前のサロンで女主人に出くわす。
 普段は豪奢な装いで人々の目を楽しませる情熱の女大公も、自宅ではワンピースに、自慢の金の巻き毛をポニーテールに結うだけの気楽な姿だった。

「あら、ヨシュア。先日振りねえ」
「セシリア様、ご機嫌麗しゅう」
「うふふ。あたくしの可愛いショコラちゃんはお昼寝中でねえ」

 手招きされてテラスへと入りながら、無声音でひそひそと話す。

 セシリアは愛息子を“あたくしの可愛いショコラちゃん”と呼ぶ。
 カズンの黒髪黒目をチョコレートになぞらえてのことだが、本人がチョコレート菓子に目がないことを揶揄した呼び方でもある。

「今日はガスター菓子店の新作を持参致しました」
「んまあ、もうそんな時期? あたくしもお相伴にあずかってもよろしくて?」
「もちろんです。セシリア様」



 テラスでロッキングチェアに座り、膝の上に本を開いたまま置いて、カズンはうたた寝している。
 学園から帰った後はここで読書していたようだ。
 テラスに差し込む落ちてきた陽が、カズンの頬を照らしている。

「起きませんね」
「昨晩も本に夢中になって夜更かししてたみたい。ふふ、かーわいい」

 横から頬を、魔術樹脂のベビーピンクのネイルの指先で突かれても、カズンは起きない。
 そのセシリアに促されて、ヨシュアはカズンのもとに近づいた。

「本当だ。よく寝てますね」

 小さく口を開けて、眼鏡をかけたまま、すーすー寝息を立てている。

「んふ。子供の頃みたいにハグして起こしたら?」
「しー、セシリア様」

 閉じられた瞳の黒い睫毛が震える。

「……ヨシュア? 来ていたのか」
「お目覚めですか、カズン様。お邪魔してます」

 今後の護衛の仕方について話し合いに来たのだと伝えると、すぐに姿勢を正して話を聞こうと言われた。

「風が出てきたわ。二人とも、サロンルームにお入りなさいな」



◇◇◇



 幼少期に紹介されて以来、ヨシュアは現在までずっとカズンの親友ポジションを維持している。

 カズンと遊ぶため彼の住まう離宮に行くときだけは、普段の厳しい魔力使いの修行を免除される。
 最初はそれが目当てでカズンと遊びたくて、魔法魔術騎士団の所属だった父にくっついて、王宮奥の離宮に連れていってもらったものだ。

 領地でも、王都のタウンハウスでも、父が在宅時には過酷な修行を課せられる。場合によっては父より厳しい叔父の指導まで加わるときた。
 魔力切れで倒れることもしばしばで、剣の修行では生傷の絶えることがない。
 それがヨシュアの子供時代の日常だった。

 いつもは寛容な母親も、夫らが行う子供の魔力と剣の修行にだけは口を挟まなかった。
 ただ、何かを堪えるようにかたく唇を閉じて、じっと修行するヨシュアたちを見守っていたことを、よく覚えている。



 カズンは離宮で、両親と限られた使用人だけに囲まれて育った箱入りの王族だった。

 そのためか、他の貴族子女たちのように、ヨシュアの奇跡のような美貌を見ても、騒ぎたてるような価値観を持っていなかった。
 むしろ、同い年の友達ができたことに純粋に喜んでいたぐらいだ。

 カズンは徹底的に箱入りにされて守られていたため、一般的な魔力持ちの貴族の子供たちがやるように、ともに魔力を使った専門的な修行をすることもなかった。
 一緒にいるときは、離宮の料理人ご自慢の菓子やジュースを楽しんだり。絵本を並んで読んだり。離宮の中や庭を探索したりと、自由に敷地内を駆け回っていた。

 一番嬉しかったのは、ヴァシレウスの腕に抱かれているカズンを父のカイルが見たときは、自分もまた父の腕に抱いてもらえることだった。
 ヨシュアの父は無口で無愛想な人だったが、ヨシュア自身はそんな父が好きだったので。

 互いの父親の腕の中から互いに顔を見合わせると、どちらからともなく笑いがこぼれた。

 そんな子供たちの姿を見る父親たちも、とても嬉しそうで、胸の中はいつもポカポカと暖かかった。



 ヨシュアがカズンを好きになったきっかけは、いくつかある。

 ずっと離宮暮らしで外の世界を知らなかったカズンは、最初ヨシュアやその父リースト伯爵カイル、それに叔父のルシウスなどが、世間一般的に絶賛される美貌の持ち主であることを認識していなかった。
 顔を合わせれば老若男女問わず、誰もが容貌のことばかり褒めそやされるヨシュアには、そんなカズンが新鮮に感じられたものだ。

 だがあるとき、自分の乳母からヨシュアらリースト伯爵家の者たちが“美しい”ことを教えられたカズンが暴走した。

 次に会ったとき、カズンはヨシュアを見るなり、その美しさ綺麗さを飽きることなく延々と褒め讃え続けた。


「ヨシュアのおかお、きれい!」

「ヨシュアのかみ、きらきら!」

「ヨシュアのおめめ、かわいい!」


 この調子で会うたび褒められて、すっかり参ってしまった。
 それ絶対意味わかってないで言ってるよな? と思うのだが、突っ込むような無粋もできない。

 傍にはカズンの父ヴァシレウスや母セシリア、あるいは乳母や侍女侍従、執事などの誰かが必ずいる。
 誰もが微笑ましげに自分たちを見守っているものだから、水を差せない。

 最後には必ず、

「ぼく、ヨシュアだいすき!」

 と言ってハグしてくるこの王弟が、結局のところヨシュアもずっと大好きなのだった。



 その頃まだ存命だったメガエリスという祖父がヨシュアにはいた。

 彼にカズンのことを話すと、ふわふわの口髭の祖父は目元を緩ませて幼いヨシュアを腕に抱き上げ、自分と同じ青みがかった柔らかな銀髪の頭を撫でてくれたものだ。

「ヨシュア。我らリースト一族はな、心を許せる者や、想いを分かち合いたいと思える者を見つけることこそが、生き甲斐となる一族なのだよ」

 そう言って、リースト伯爵家に連なる血族たちの物語をたくさん語り聞かせてくれた。

 祖父自身は晩婚だった祖母との出逢いが運命だった。

 父のカイルは、お見合い結婚で見つけた母がそうだった。

 叔父のルシウスは、ヨシュアの父であるその兄カイルを深く慕っている。

 一族の者の中には存在感が大きく優秀なこの叔父を崇拝する者が多い。

 何代も前の本家筋の娘は、学園の先輩でもあった王族女性と仲が良く、実の姉妹のようだったと伝わっている。

「おじいさま。ぼくはカズンさまとずっといっしょにいたいのです。どうすればいいですか」

 ストレートに尋ねてみると、祖父はよくぞ聞いたと言わんばかりに、頬を擦り付けるチークキスの後で秘訣を教えてくれた。

「己の唯一こそが人生のすべてなのだ。カズン様がお前の唯一なら、側に侍るために、どんなことでも油断なく全力でやりなさい」

 今思い返してみると、実に過不足なく必要なアドバイスをくれたものだと思う。

「ウワーハハハハハ! たーのしーいっ!!!」

 幼い頃のカズンには、魔力が10段階評価の最大値まであった。
 魔力使いの最高峰である魔法魔術騎士団の団長ですら9だから、実質、当時のアケロニア王国内で最高の魔力を持っていたことになる。

 その莫大な魔力を体力に変換して、カズンはいつも自由自在に離宮の敷地内を駆け回っていた。

 あるとき、既に独り立ちしていたルシウスというヨシュアの叔父の家にふたりで遊びに行ったことがある。
 その叔父から身体強化のコツを教わるなり、カズンは建物の外壁を走るようになった。
 地面ではない。外壁だ。
 レンガ造りの叔父の家の壁を平気で垂直に駆け登っていく様には、ヨシュアも唖然とさせられたものだ。

 そのカズンはヨシュアにも同じことを要求した。
 ここに至って、なぜ離宮を訪れるカズンの友人が、ヨシュアしかいないのかがわかる。
 魔力量が多く、幼年の身ながら身体強化の術にも長けたリースト伯爵家のヨシュアぐらいしか、同年代でカズンについていける者がいなかったからだ。

「いっしょにはしりたいからヨシュアもおぼえて!」

 と強請られて苦労して覚えた術が、学園の高等部に入学後、竜の襲撃時に生かされることになるのである。

 もっとも、本人は幼い頃のそんな出来事も忘れて、危ないことはするなとヨシュアを叱りつけてくるのだから、笑ってしまう。

 どうしてヴァシレウスが、いつもカズンを見つけるたび抱き上げていたのかの理由もわかった。
 抱き上げるだけでなく、自分が行く場所に文字通り“持ち運んで”いた。
 あれは、自分の子供だから抱いているのもあるのだろうが、ホールドしていないと、すぐ駆け回ってどこに行くかわからないからだろう。

(オレは彼の紐代わりだったんだろうなあ)

 カズンと手を繋いで、あちこち駆け回るヨシュアを、周囲の大人たちはとても嬉しそうに見守っていたものだ。



 カズンとヨシュアが初めて顔を合わせたのは、お互いが4歳のときが初顔合わせだ。
 カズンが異母兄の国王テオドロスや王太女、ユーグレン王子に紹介された後のことになる。

 そうしてカズンと親しくなった頃、国内最高峰の魔力を持つカズンこそが次期王太子になるとの噂が流れ始めた。
 実際、父親の先王ヴァシレウスは老年期に至ってから儲けたカズンを、殊の外可愛がっていた。
 ヴァシレウスの後に国王に即位したテオドロスは既に老年の域に入っていた。それに彼が立太子させた王女はあくまでも中継ぎで、早く次の世代に王太子の座を譲りたいと王太女自ら、常々公言していたということもある。

 それを危惧したユーグレン王子派閥の貴族が独断で、カズンの魔力を封じ込める呪詛をかける事件が起こる。
 その呪詛の原動力に使ったのが、カズンが親しく交友していた、リースト伯爵令息のヨシュアだった。

 貴族は侍従に変装して離宮に入り込み、少しずつ先王夫妻やカズン、使用人たちと信頼関係を築いていった。

 その中には、もちろん、たびたび離宮を訪れるヨシュアも含まれる。
 そうして彼は言葉巧みにヨシュアを誘導して、カズンのためだからといって魔力を提供させた。
 離宮の灯りに使う魔石に、魔力を少しだけくれないか、と言って。
 呪詛に用いる魔導具の起動に使う魔石に、まだ幼かったヨシュアの魔力を馴染ませて利用したのだ。

 離宮にもカズン自身にも、防御の術式や、護符などによるガードは完備されている。
 その隙を掻い潜って呪詛を仕掛けた貴族は、よほど有能だったのだろう。

 幸い、術者はすぐに判明し捕縛されたが、当人が自決したことで呪詛の解除が困難になってしまった。

 そのユーグレン王子派の貴族の術者が仕掛けた呪詛は、対象者の魔力を封じる類の“魔法”だった。
 これが魔法でなく魔術なら、術式を解析すれば解除の可能性があった。
 魔法の場合、術者本人にしかわからない設定が多く、今回の呪詛も解析不能のままになってしまった。

 魔法をかけた貴族以上の魔力があれば、カズンにかけられた魔力封印の魔法は解除できるはずだったが、やはり魔法の解析は難しい。
 秘密裏に国内外の魔法使いや魔術師たちが集められたが、誰一人としてカズンの呪詛を解除できなかった。



 王族のカズンには元々、術除けの魔術がかけられている。
 下手に本人を害する魔法や魔術を使うと、術者に反作用が返るはずだった。

(その反作用の返る先にオレが設定されていた。そのために術者はオレの魔力を利用したのだろう)

 そうしてヨシュアが負った術返しのペナルティが、ステータスの傷である幸運値1だ。

 既に術者が自決してしまったためカズンの封じられた魔力を戻す術はなく、ヨシュアの最低値まで落ちた幸運値も1のまま戻らなくなってしまった。



 それから、呪詛をかけられたカズンは高熱を出して、十日近く生死の境を彷徨った。

 王族カズンの魔力封じに息子の魔力が使われたことを償うため、ヨシュアの父リースト伯爵カイルは、当時予定されていた侯爵への陞爵を辞退した。
 彼はまた、当時は魔法魔術騎士団の副団長で次期団長候補だったが、それも辞退することを決めた。
 騎士団を退団することだけは、上司の団長が許さなかった。代わりに副団長から、団長補佐官に降格となる。



 カズンが呪詛の影響から立ち直り熱も下がると、本人の魔力値は2まで低下していた。
 その上、高熱のダメージで、倒れる前後の記憶まで失ってしまった。

 直後、カズンに異世界の日本で生きていた前世の記憶が戻り、本人どころか周囲の人間も大混乱に陥る。

 ヨシュアが再びカズンに会う許可が降りたのは、カズンの容態が落ち着いた翌年、5歳になってからだった。

 カズン本人は、ヨシュアと仲良く遊んでいた記憶を忘れていて、再会したときは「はじめまして」と挨拶された。

(あれは本当に泣くかと思った。本当は久し振りだねって言って笑ってほしかったんだ)



 再会したとき、自分の記憶がカズンから失われていることを知った。

 ヨシュアはてっきり彼との付き合いはこれっきりになるものと覚悟して、胸が塞がれるような思いでいたのだが。

 ところが、カズンの両親も自分の父も、あえて自分たちを引き離そうとはしなかった。

 再び、親しく交流することを許されたと知ったときは、本当に嬉しかった。

(オレのことを忘れてしまっても、また一から友達になれるなら些細なことだと思った)

 だって、カズンの側にいたいのはヨシュアのほうなのだ。
 カズンに記憶を取り戻してくれと頼むのは筋が違うと思った。

 ならば、努力すべきはヨシュア。頑張るべきは己だった。

 それから長じるにつれて、ヨシュアはまだ面識のないユーグレン王子の人となりを知っていくことになる。

 幼少期から全方向に優秀な王子として知られるユーグレンは、確かに優れた人物だった。
 性格も良く、魔力や身体能力にも優れる。以前のカズンと違って物覚えも良い。
 現王テオドロスの孫で、王太女の唯一の息子。それだけあって名家の子息たち取り巻きの数も多かった。

(対して、オレ一人しか友人のいなかったカズン様。王家の答えは最初から決まっていたように思う)

 ユーグレン派閥の者たちは、勝手にユーグレン王子の立場に忖度して動くから、タチが悪い。

 家の者に調べさせたユーグレン王子の情報に目を通すたび、思うことがある。

 彼を次世代の王として立場を確立させようと、カズンに呪詛を仕掛けたあの術者のことを思い出す。
 あの者は、カズンがユーグレン王子を追い落として王太子になる可能性を危惧して、暴挙に及んだ。

 だが、ユーグレンはカズンとは性格も能力も全然違う。
 確かにカズンは最高値の魔力をもっていたが、それ以外はアンバランスだった。どちらかといえば魔力と体力だけの無邪気なおバカさんだったほどで。

 ユーグレンは突出したステータスこそなかったが、どれも平均値以上を有していた。
 アケロニア王国は安定した国家だ。ユーグレンのようなバランス型の王のほうが治めるには適している。

 そもそも、カズンは先王の実子で王弟ではあっても、王子の称号は与えられていなかったではないか。
 ユーグレンが、生まれると同時に第一王子の称号を得たことと、対照的だった。

 ユーグレンは当初の予定通り次世代の国王として。
 カズンは最高の魔力を持つ王族として、魔法魔術騎士団の実力者として、側面からユーグレンを支えるような立ち位置で良かったはずだ。



 呪詛にかけられる前のパワフルなカズンの印象が強かったヨシュアは、再会した後、彼を危機に陥らせた償いをしたいと思った。

 カズンが望むなら、それこそユーグレン王子を蹴り落として王にすることも厭わない。
 父からも、カズンに忠誠を捧げたければ好きにしろと言われている。

 ところが、その頃には前世の記憶を思い出していたカズンから異世界の話を聞かされることになる。
 そしてヨシュアの幼い目論見は呆気なく崩れた。


「ぼくのいた国はねえ、王さまもきぞくもいないんだよ」


 王に相当する者はいたようだが、あくまでも国の象徴であり支配者ではなかったという。
 そんな前世を持っているだけあって、本人に王になる気がまるでない。

 むしろ、前世で学んだ歴史の知識があるから、「王さまなんてめんどうくさい」と言って、平気な顔で、誰より尊い自分の血の価値を笑い飛ばしていた。



 魔力を封じられる前と後で、カズンには性格の大きな変化があった。
 以前は、無邪気ながら圧の強い、強引でフリーダムな言動が目立つ子供だった。
 呪詛を受けた後では毒気も旨みも抜けて、妙に淡々とした理屈っぽい優等生タイプになった。

 反面、変わらないものもあった。
 たとえば、食い意地の張ったところはむしろヒートアップしている。

 ヨシュアの叔父にルシウスという天才的な人物がいるのだが、独身の料理上手で、ヨシュアとカズンは幼い頃からよく遊んで貰っていた。

 そのルシウスと一緒に、彼の家の厨房であれこれと調理を試しているうちに、カズンだけでなくヨシュアのステータスにも調理スキルが増えた。
 リースト伯爵家の本家筋の男子に新たなスキルが発現したのは、実に六世代振りとなる。

 それに、カズンといると不思議と、ヨシュアの幸運値1の弊害が出ない。
 一緒にいるカズンに何か悪影響が出ている気配もない。
 恐らく、相性が良くて互いのステータスを補完し合っているものと思われた。



 事件が起こる前のカズンとの時間は、ヨシュアにとって宝物のようなものだった。
 毎日笑って、全力で駆け回り、美味しいごはんやおやつを食べて、好きなことだけやっていた。

 事件後、ヨシュアを引っ張り回していたカズンは小粒な子供になってしまったけれど。

 いつか、あのときみたいな本来の姿に戻してあげたい、というのがヨシュアの念願となる。

(ずっと側にいたいなって、思ったんだ)

 ずっと一緒にいて、彼のために生きて喜びも悲しみも、ともに分かち合いたい。

 友情や愛情、思慕、忠誠、そういったものがごっちゃになった感情がヨシュアにはある。

 それが、ヨシュアのカズンへの想いだった。

 しかし、そう上手く進まないのが人生というやつだ。

 カズンやヨシュアが学園の高等部に入学する前のこと。

 同盟国の公爵令嬢だったカズンの母セシリアが、正式にアケロニア王国に帰化し王族として認められ、大公に列せられたとき。
 その息子カズンも、明確に王族と女大公令息の身分を確立した。

 すると、幼馴染みとしてカズンの一番近くにいたヨシュアは、一伯爵令息に過ぎない身で分を弁えろと周囲の貴族社会から強い圧力をかけられるようになった。

 学友にしろ側近候補となるにしろ、ヴァシレウス大王の末子カズンには、より高位の貴族の子息子女こそが相応しい。
 そう言って、身の程を弁えろと忠告に来る者が出始めた。

 ある程度までは貴族社会で顔のきく叔父が守ってくれていたのだが、学園に入るとさすがに叔父の目も届かなくなる。

 それまで学問は互いに家庭教師の元で学んでいたが、貴族の家の子供には学園の高等部だけは入学と卒業の義務がある。
 入学後、まさかの1年、2年とクラスを離された。

 学園は各学年AからEまで5クラスあり、AからC組までの三組は成績上位で、目的別に分けられる。

 B組は、卒業後は政治や法務など各分野の士官候補生中心のクラスで、ユーグレン王子が所属する。将来的に文官や武官として長い付き合いになる者たちだ。

 C組は、卒業後の進路が既に定まっている者たちのクラスで、A組とB組ほど授業内容が厳しくない。代わりに生徒ごとに柔軟なカリキュラムが組まれる。

 そしてA組は、文句なしの最優秀クラスで、王侯貴族や平民を問わず成績優秀者のクラスだった。

 各クラスは学年末テストの成績結果や卒業後の進路によって変わる。
 1年、2年とカズンはA組で、ヨシュアはC組だった。
 リースト伯爵家の後継者のヨシュアのクラスとして、間違っているわけではない。
 だが、事前の希望では学園側にA組希望を提出していたはずだった。もちろん成績には何ら問題ない。

 クラス分けが決定された後で学園側に確認しに行くと、ヨシュアの希望が届いていないことが判明する。
 やられた、と思った。
 ユーグレン王子派の工作だ。

(あのときほど、リースト伯爵家に暗殺術スキルがないことを悔やんだことはない……)

 輝く金剛石の魔法剣が主力のリースト伯爵家の男たちは、暗躍するには向かないのだ。

 その上、1年と2年時は入学当初の竜討伐の後遺症で、ヨシュア自身ほとんど学園内で行動が起こせなかった。
 何より魔力が不安定で、登校すらままならない日も多かった。

 それでも1年、2年とクラスが分かれていても、カズンと月に数度は互いの家に行き合って遊ぶ仲なのは変わらない。

 周囲からの圧力も相変わらずだったが。



 3年に上がるときには、さすがにヨシュアも慎重に動いた。

 リースト伯爵家から学園へ相応の寄付金を積み、カズンの父の先王ヴァシレウスに事情を話し、学園長に話を通してもらった。
 ここまでして、3年はようやく同じクラスになれて、やっと学園でもカズンの近くに侍ることができた。

 と思ったら、次は家中の問題に意識を取られて、新学期早々に登校ができなくなった。
 父は毒殺され、その父の後妻と連れ子によるお家乗っ取り事件まで発生する。
 まさかの自分の生命の危機まで訪れて、さすがにしみじみ思った。

(……幸運値1、つらい)

 ステータスの幸運値とは、何か自分が行動を起こすとき世界からどの程度サポートが得られるかの目安である。
 いわゆる“外運”的な要素を示す。
 幸運値が低いからといって運が悪いとは限らないはずだったが、不幸な出来事が連続して続くと気が滅入る。

 後妻の連れ子も初めは優秀だった。
 学園への入学時は、下級貴族家の出身ながら王宮勤めの文官を目指して、成績優秀クラスのひとつB組に所属していたぐらいだ。
 それが途中から素行不良で成績劣等者の集まるD組に落ち、リースト伯爵家でも横柄な態度を取るようになっていった。
 まさか、執事から鍵を盗んでヨシュアの部屋へ忍び込み、義理の兄に暴行を加えようなどと愚かな行動を起こすとは思わなかった。

 ヨシュアはずっとカズンの側にいたかったから、自分がリースト伯爵家を継いだ後、自分がいない間も家政や領地運営を補佐できる人材を集め始めていた。
 そんなヨシュアの意を汲んで、父親のカイルも、後妻たちの能力を考慮の上で再婚相手を検討していたはずだった。

 それが、当の本人たちが厚遇を勘違いして増長し、伯爵家簒奪の野心を持たせることになろうとは。
 後妻のほうは父伯爵と正式に婚姻関係を結んでいたから、簡単に排除することもできなかった。

 それでも杜撰な彼らの伯爵家簒奪の計画を事前に知ることができた。
 結果として、後妻もその連れ子も処刑されて既にこの世にいない。



 亡父から受け継いだ数々の術式は、ヨシュアの肉体によく馴染んだ。
 学園に入学した一年のとき、竜退治で消耗し不安定に悩まされた魔力と肉体のアンバランスもすっかり解消された。
 術式自体に、魔力行使のプログラムが適切に動くよう、肉体と精神の調整機能があるためだった。

 それから3年に進学し、学園最後の学年の生活は安定するかと思いきや。
 ヨシュアの生活には、ひとつ大きな変化があった。

 第一王子ユーグレンを、正式にカズンの仲立ちで紹介されたのだ。

 元々カズンから、ユーグレンとは親しくしていると聞いていた。
 それからは学園でもカズンがいるとき限定で、ヨシュアもユーグレンと様々なことで交流していくことになった。

 昼食を食堂でともにする機会も増えた。
 周囲からはヨシュアに対する攻撃的な視線が突き刺さる。
 ユーグレンの護衛の生徒だけは、どちらかといえばヨシュアに好意的なのだが、他の側近候補たちは王族二人からヨシュアを引き離す機会を常に窺っているようだった。

(オレをカズン様から剥がして、どうするつもりなのだか。要は気に入らぬというだけじゃないか。下らない)

 そして、ユーグレンを含め、カズンたちとホーライル侯爵領へ小旅行に行ったことで、彼らがついに具体的な行動を起こした。



 朝、登校すると机の中に見知らぬ手紙が入っていた。

 放課後、校内の小会議室へ来られたし、と。

 手紙には、ユーグレンの取り巻きである宰相令息の名前があった。

 そしてやってきたヨシュアに、冷たく放たれた言葉は。



「リースト伯爵。いいかげん、ユーグレン殿下を弄ぶのはやめていただきたい」

 先日、王宮から緊急招集をかけられた日以降、ユーグレンが使い物にならない。

 崇拝するヨシュアが結局、年下の大叔父カズンに仕える気満々なことを察してしまった。
 ということは、ヨシュアを自分の臣下として召し抱える可能性は潰れてしまったということ。つらい。

「カズンか……まあ、そうだろうなとは思っていたが……」

 元々幼馴染み同士で、仲の良い親友であるとカズンからずっと話は聞いていたのだ。
 だが蓋を開けてみたらどうだ。
 ヨシュアからカズンに向ける想いのベクトルはちょっと深すぎ重すぎやしないのか!?
 手を取って甲に口づけるって、それは騎士が貴婦人にやる忠誠の示し方では!??

(いや確かに我ら王族はそういう形で忠義を捧げられることも多いけれど! でも、でもおおおっ!)

 実は空想したことがある。
 ヨシュアが、以前王宮の庭園で見たようにリースト伯爵家のネイビーのライン入りの白い軍服姿で己の前に跪き、手を取って甲に唇を寄せてくれる姿を。


『ユーグレン様。このリースト伯爵ヨシュアの忠誠をあなたに』


 自室でひとり想像して、あまりの恥ずかしさに身悶えしてしまった。
 だが、幾度か繰り返し想起していた、そんな空想、いや妄想だった。
 そう、現実になり得ない妄想だ。

「はは……本当に、まったく、ヨシュアは私のことなど見てもいなかったのか……私は何という道化だ」

 すっかり燃え尽きて、意気消沈してしまっている。
 祖父王テオドロスに叱責されても、落ち込んだまま浮上する気配すらない。

 そんなユーグレンの様子に心を痛め、ヨシュアに対して憤った側近候補の一人が独断で動き始めた。



◇◇◇



 カズンに護衛が付くぐらいだから、元々護衛のいたユーグレンには更に人員が追加されている。

 そのうちの一人が、宰相令息のグロリオーサ侯爵令息エルネストだった。
 ヨシュアの青みがかったものと違い、彼は混じりのない銀色の髪をしている。
 長めの前髪を中央でサイドに分けて形のいい額を出した、銀縁眼鏡のインテリ風の印象がある人物だ。

 順当にいけばユーグレンが即位した御世の宰相となると言われている。

 その彼に放課後の小会議室に呼び出され、開口一番こう言われた。

「リースト伯爵。いいかげん、ユーグレン殿下を弄ぶのはやめていただきたい」
「は?」

 意味がわからない。
 本気でヨシュアが困惑していると気づいた宰相令息エルネストは、予想しなかった反応に戸惑っていた。

「殿下はあなたをお慕いしている。まさか知らなかったなどとは申しますまい?」
「いや……申し訳ないが、今言われて初めて知りました」
「え?」
「そのですね、まさかユーグレン殿下がオレをって……嘘ですよね?」

 ということは、エルネストはユーグレンの知らないところで彼の憧れの人ヨシュアに本心を告げてしまったことになる。
 見る見るうちに、エルネストが青ざめていく。

(なるほど、先走って失敗したのか)

「聞かなかったことにしましょう。お互い、ね」

 ここで『貸し一つだぞ』などと念押しする必要はない。
 言われた本人がよく理解しているだろうから。
 そして、ユーグレン本人が秘して黙していたものを、他人が本人に伝えてしまうことの愚。

(この男、政治的な駆け引きには向かないな。殿下の御世の宰相候補からは遠くないうちに外れることになるんじゃないか?)

 そもそも、現段階でヨシュアは王弟カズン、ユーグレン王子の双方と“友人”なのだ。 
 カズンとは親友とさえ言えるほど深い関係である。
 それを、他者が横から何を好き勝手言うのだ。



 直系王族が少なく、その王族同士の仲が良いアケロニア王族に対して無意味に思えるが、なぜか国内の貴族の間にはユーグレン王子派と王弟カズン派の派閥が対立している。

 カズンの幼馴染みであるヨシュアは、当然、王弟カズン派に属す。
 そのため、まさか敵対派閥の御輿であるユーグレンが自分に好意を持つなど、夢にも思わなかったヨシュアだ。

 だが、言われてみると色々と思い当たる節はある。
 父カイルの葬儀関連で世話になった頃から交流するようになって、自分のファンクラブの会長でもあるというユーグレン王子。
 ヨシュアに対して、とても丁寧で親切な対応をしてくれているなとは思っていた。
 それは、ヨシュアがカズンの友人だからだとばかり思っていたのだが。

 ヨシュアのファンクラブは、自分たちが1年生のときユーグレンが有志を集めて発足させたという。
 学園の図書室に会報誌のバックナンバーがあると聞いて、創刊号から全部貸し出しを受けて、自宅で一通り目を通してみた。
 刊行は不定期で、だいたい三ヶ月に一回程度の発行のようだ。一冊あたり12ページほどでページ数はそう多くない。

 毎号、表紙はヨシュアの絵姿だったり、魔術で撮影された写真のうち、公式発表されたものの転用だったりと様々。
 写真は、校内の新聞部が魔導具で撮影したものが毎回、各ページに最低一枚掲載されている。

 創刊号では、ヨシュアの出自や経歴などがまとめられている。
 ステータスも、公表しているものがそのまま掲載されていた。

 スキルも、家族とカズンや一部の友人しか知らないはずの調理スキル初級が記載されている。これの情報提供者はカズンだろう。

 校内のヨシュアの行動や、ファンクラブ会員らによる賞賛がびっしり書き込まれている。よくここまでヨシュアの日常を網羅できたな、と感心するほどだ。
 最も大量の記事を執筆しているのは、会長のユーグレンだった。

「……なるほど。確かにこれを見たら、殿下がオレを好きなことは誰にでもわかる」

 というより、ここまで自分が他者に強い感情を寄せられることがあるとは、思いもしなかったヨシュアだ。

 リースト伯爵家の男子は、特有の青みがかった銀髪と、湖面の薄い水色の瞳、奇跡のような麗しの美貌がほとんど全員共通している。
 誰も彼も外見と、高い魔力使いの能力ばかりを見て賞賛してくるが、深く心を通わせようとする者は少なかった。

(ユーグレン殿下はどうなのだろう。この表面の皮一枚を好んでいるだけか。それとも……)

 リースト伯爵家には家訓がある。
 容姿だけを見る者は利用せよ、心を通わせられる相手とは信頼と信用を築いて大事にしろ、だ。
 代々の当主によって多少表現が異なるが、だいたい似たような言葉で訓戒を残している。
 先祖の苦労が忍ばれる家訓だなと、しみじみ思う。

 総じてリースト伯爵家はハイスペックな能力を持つ一族で、顔の良さで優遇されることも多いが、顔だけで余計な邪推をされ足を引っ張られることも多かった。

 亡くなった父や祖父、それに叔父も容姿のことでは随分と苦労したと聞く。

「だから、顔以外の良いところを見てくれる人に弱いんだ」

 ヨシュアの場合は、たまたまそれが王弟カズンだったわけで。



◇◇◇



 側近候補の宰相令息エルネストが己の失態を上司、要するにユーグレン王子に報告したのは、その日の夜のことだった。
 いつも冷静な立居振る舞いを崩さないはずのエルネストが、憔悴している。

「申し訳ありません、殿下。このエルネスト・グロリオーサ、如何なる罰も受ける所存です」

 自分の執務室の机の前に座ってはいても気の抜けたままのユーグレンは、最初ろくにエルネストの話を聞いていなかった。
 だが、側近候補の言葉の中に“リースト伯爵”の名が出てきたときは、反応を返した。

「ヨシュアが……何だって?」
「殿下を翻弄していることに苦言を呈しました。その過程で、……殿下が彼をお慕いしていることを告げてしまいました。誠に申し訳ございません!」

 土下座する勢いで深く頭を下げたエルネストに、ユーグレンは黒い瞳を瞬かせる。

「何だと?」

 よく意味がわからない。というよりまだ頭がよく働いておらず、理解が追いつかない。

「あー……殿下、こいつはですね、殿下がリースト伯爵を好きなことバラしちまったんですよ。つまり、リースト伯爵は殿下の気持ちを知りながらわざと無視してるって勘違いしてたんですね。でも実際、ほんとにリースト伯爵は自分が好かれてることを知らなかったんですよ」

 事前にエルネストから相談を受けていた、護衛兼側近が苦笑しながら補足した。

「エルネスト。私は、そのようなことをお前にやれと命じたか?」
「いいえ。私の独断です。本当に、申し訳ございません、殿下……!」

 ヨシュアは『聞かなかったことにしよう』と言って、大事になることを避けてくれたようだ。
 経緯を聞かされて、ユーグレンは口から魂が抜け出そうになった。

「つまり……彼は……私が、彼を慕っていることを……」

 知ってしまったのか。
 しかも、自分からでなく、他人の口を通して。
 ようやく、学園ではランチを、余暇にはお茶をする仲までこぎつけたところだった。
 少しずつ段階を踏んでいく計画がパアである。

「これからどのような顔をして、彼と会えばいいのだ……」

 もはや既に執務どころではない。
 生ける屍と化したユーグレンは、なけなしの気力まで失って、数日寝込むことになる。

 それから、ユーグレンの側近候補の宰相令息エルネストからは幾度か手紙が来た。

 内容だけ確認して、ヨシュアは返事を一切書かなかった。
 そもそも、現役の伯爵であるヨシュアに対して、王子の側近“候補”如きが随分と舐めた真似をしてくれたものだ。

 エルネストの接触があってから、ユーグレンが体調不良で学園を休んでいる。
 後から来た彼の手紙によれば、自分の気持ちを知られたことにショックを受けて寝込んでいるとか。

 その手紙を無視していると、次の日また新たな手紙が届いていた。
 丁寧な謝罪の言葉と、ユーグレン王子を励ましてくれないかという依頼。

 それも無視していると、更に翌日、再び学園の小会議室に放課後来てくれないかとの呼び出しが、手紙に書かれていた。
 当然無視して、放課後はいつも通りカズンを見送った後、普通に自宅まで帰宅した。

(今頃、グロリオーサ侯爵令息は生きた心地がしないだろうな。殿下の側近候補の座も危ういのではないか)



 とはいえ、この辺が頃合いだろう。

 少し考えて、ヨシュアはユーグレンと二人きりで会える機会を作ってもらうことにした。

 具体的にはカズンに頼んで、ユーグレン宛の手紙を渡してもらった。
 近いうちに、リースト伯爵家まで会いに来てくれないか、と。
 臣下の身で王子を呼びつけるのは不敬に当たるが、最近ではヨシュア自身もユーグレンと親しくなってきている。
 何より彼自身がヨシュアを崇拝しているというなら断らないはずだった。

 直接リースト伯爵家に呼ぶと、またユーグレン派閥の者たちが鬱陶しく妨害してくるに違いない。
 手紙には、それとなく中立派の護衛を付けて、他家を経由してから来訪するよう示唆した。

 返事は当日中に届いた。
 今度の週末、午後にリースト伯爵家を訪れる、と。



 そして休日の週末、お忍びで護衛一人だけを連れ、王家の紋章のない馬車でユーグレンがリースト伯爵家へやって来た。

 場所は応接室やサロンでも良かったが、ユーグレンの立場を考慮して、ヨシュアは自分の部屋へと招いた。
 リースト伯爵家の当主の部屋には、専用のリビングがある。

 二人だけで話したいからと、護衛には部屋の外で待機していてもらうことにした。
 執事がティーセットの準備を整え、それぞれテーブルを挟んでソファに対面したところまで、双方黙ったままだった。

 互いの間の空気は、とても気まずかった。
 先手を切ったのはヨシュアのほうだ。

「ユーグレン殿下。先日、グロリオーサ侯爵令息から、あなたがオレに好意を寄せていると教えられました」
「……ああ。間違いない。他人の口から伝わるとは思っていなかったが……」

 すっかり憔悴しきっているユーグレンだったが、それでもその黒い瞳でしっかりとヨシュアの瞳を見つめ返してきた。

「殿下。オレはカズン様派閥の家の者なので、殿下のお側に侍ることはできません」

 側近にはなれないし、ユーグレン派閥の主要人物たちも許さないだろう。

「それでもオレを望まれるのでしたら、王族の権威をもってお命じ下さい」

 そう、『己の側にいろ』と。
 側近でも護衛でも、魔力や剣の指南役としてでも、何の形でも構わない。

「私は……そんな、打算めいた思惑で君を手に入れようとは思わないよ、ヨシュア」
「では、何もなかったということで、お互い納得しましょう。それが最善ではありませんか?」

 つまり、ヨシュアを諦めろと。



 本人から突きつけられて、ユーグレンは胸が詰まりそうになった。
 これまで何度も想像してシミュレーションを繰り返してきたシーンのうちの、ひとつだ。
 いっそ殺してくれと内心で叫びながら、

「……決断を下す前に、君に近づいてもいいだろうか?」
「? ええ、構いませんが」

 ありがとう、と言って腰を上げ、テーブルを挟んだ向かい側に座っていたヨシュアの元へ近づく。
 座ったままのヨシュアの側に膝をついて、横から白い手をそっと取った。

「1年のとき、竜を屠ったあの鮮烈な勇姿を見たときから、私の心は君に奪われている。ただ、君を見ているだけで満足してしまうほどに」
「そうでしたか。では今後の関係も今まで通りということで」
「い、いや、それは、その……」

(手が熱い。汗もすごいな。そんなに緊張するものなのか)

 自分が優位にあるからか、不思議なくらい余裕でいられたヨシュアだった。

 が、その余裕が次の瞬間、一気に吹っ飛ぼうとは。



「おーい、ヨシュア! ユーグレン殿下がいらしてるんだって?」

 とそこへ、前触れなくカズンがリースト伯爵家へやってくる。
 ヨシュアもユーグレンも、二人揃ってビクッと身体を大きく震わせた。

 恐る恐る扉のほうを向くと、ノックとほとんど同時に開かれたドアの前に私服姿のカズンが立っている。
 後ろのほうからは、ユーグレンの護衛が申し訳ないというジェスチャーで頭を下げている。

「カズン?」
「か、カズン様!?」

 ユーグレンに手を取られているヨシュアを見て、ポンと手を叩く。

「む? 仲良くなったようだな?」
「お前な……何というタイミングで来るんだ」

 項垂れて、ユーグレンは立ち上がり、ソファへ力無く腰を下ろした。

「カズン様、何かオレにご用があったのでは?」
「あ、ああ。次の調理実験で使う道具の型を魔術樹脂で作ってもらえないかと相談に来たのだが……先客がいるようだし、出直そうか」

「いいや。その必要はない」

 答えたのはユーグレンだった。
 その端正な顔は強張っている。