うちのクラスの学級委員長、王弟殿下なんですよ~王弟カズンの冒険前夜

 さっそく一同で王城の敷地内にある騎士団本部を訪れることにした。

 乗りかかった船だからと、グレンの付き添いのカズン、ライルの他、ヨシュアも一緒の馬車で付いて来ている。



 前触れもなしにやってきた息子ライルと、その友人だという王弟カズン。
 称号持ち魔法剣士として有名人のヨシュア。
 そして小柄なピンクブロンド頭の男爵令息の4人。

 いったい何事かと、騎士団本部の副団長執務室で学生たちを迎えたホーライル侯爵カイムは、当初不思議そうに首を傾げていた。

 だが状況を説明されるにつれ、ホーライル侯爵は獰猛な獣の顔つきになって、グレンを睨みつけた。

「グレン・ブルー。貴様、なぜここまで大事になる前に騎士団へ助けを求めに来なかったのだ!」

 息子のライルとよく似た顔に、同じ茶色い瞳に赤茶の短髪を無造作にまとめたホーライル侯爵。
 彼はこの国の成人男性の平均身長より僅かに高いぐらいの背丈だが、騎士達を取りまとめる副団長だけあって歴戦の猛者の貫禄があった。
 赤茶の髪が逆立つ様はまるで獅子の如くだ。

 そのホーライル侯爵に睨まれ怒鳴られて、震え上がるかと思われたグレンだったが。

「騎士団に助けを求めにだなんて、とっくに来てるに決まってるでしょう?」

 えっ? と一同は呆気に取られた。

 不遜な態度と口調で、グレンが続ける。

「もう一ヶ月近く前のことです。朝一で騎士団本部の受付に来ました。受付名簿には、受付時間とボクの氏名、上位の貴族令息から恫喝被害を受けていることの相談と、きちんと記入してあります」
「おい、すぐに当日の受付名簿を持ってこい!」

 ホーライル侯爵は室内に控えていた侍従を受付に走らせた。
 すぐに戻ってきた侍従が持ってきた受付名簿を、グレン以外の全員が覗き込む。

 そこには確かに、グレンの氏名、受付時間、来団目的などが記入されている。
 しかも備考欄には『ホーライル侯爵家に関わる相談事』とある。
 そして、騎士団側の受領欄は空白のままだ。つまり、未処理のままだということである。

「これはいったい……ブルー男爵令息の相談はなぜ受理されていないんだ?」

 カズンたちは首を傾げた。
 ホーライル侯爵は、当日の受付担当の騎士団員を呼び出そうとした。
 が、その必要はないとグレンが止めた。

「ボクの訴えを受付でまともに聴取しなかったのはあなたじゃありませんか。ホーライル侯爵閣下」

 皮肉げに口元を歪めてグレンが言う。

「どういう……ことだ?」



 グレンが語る詳細は、こうだ。

「伯爵令息に脅され、シルドット侯爵令嬢の婚約者のライル様を陥れろと命令されたボクは、既に自分では解決できないと判断して、翌日、朝一で騎士団本部に相談に来ました」

「………………」

「騎士団本部で対応してくれた受付担当の団員に事情を説明して、相談内容を受付名簿に記入しました」

「………………」

「ちょうど書き終わった頃、受付の奥のほうからお酒の匂いをプンプンさせた閣下が出て来られましてね。『ひっさしぶりに朝帰りしちまったよ、銀蝶亭のアゲハちゃん床上手でさあ!』って言いながら」

「………………くっ」

 ホーライル侯爵が呻く。確かに一ヶ月ほど前、城下町の高級娼館を利用した記憶がある。翌日は朝帰りだった。
 久し振りに深酒もして、ひどい二日酔いで午後まで使い物にならなかったことまで思い出す。

「グレン、それで?」

 ホーライル侯爵への突っ込みは後回しだ。カズンが先を促した。

「受付の方が、ホーライル侯爵閣下の家に関係ある相談事ですと、その場で閣下に報告しました。ボクは更に詳細を閣下に説明しようとしたのですが、途中で『ああ面倒臭ぇ、後で対応するから、後でな!』と言われ、また受付の奥に戻って行かれました。しばらくすると、奥から大きないびきが聞こえてきましたね」

「………………………………」

「あとはご存じの通りです。ボクは女装してホーライル侯爵令息に近づき、シルドット侯爵令嬢との婚約を破棄する方向へ誘導しました」



「……何と、まあ……」
「親父……」

 銀蝶亭のアゲハちゃんって誰だよ。

「閣下……だから銀蝶亭のアゲハちゃんはさげまんだからやめておけって皆言ってたのに……」

 室内にいた補佐官も呆れていた。壁際で控えている侍従も、残念なものを見る顔でホーライル侯爵を見つめている。

「ボクがやったことは確かに罪です。どんな罰も受けます。ですが、ボクを罪に問うというなら、ボクは騎士団本部まで直接相談しに来たにも関わらず、ろくに内容を確認もしないで放り出してくれたホーライル侯爵閣下を、王都騎士団の副団長の責務放棄で告発します」

 アケロニア王国は法治国家だ。もちろん王政国家でもあるから、王侯貴族には優遇される場面が多い。
 しかしそれでも、この状況が明るみに出れば大変なスキャンダルだ。現役侯爵で騎士団副団長のホーライル侯爵が受けるダメージは甚大なものになる。

「……俺を脅す気か? この青二才が」
「とんでもない。ボクは取引しませんかと言ってるんです」

 一同、固唾を飲んでグレンとホーライル侯爵を見守った。

「ボクは自分の男爵家と妹を守りたいし、閣下はご自分の立場を守りたい。でしょう?」
「……具体的に貴様は何を望むんだ」
「ボクを脅し、妹の貞操を汚そうとしたドマ伯爵家の四男ナイサーを地獄に落としてやりたい。それと……庶子のボクを引き取って良くしてくれた父と義母に迷惑をかけたくない」

 この口ぶりでは、庶子とはいえグレンにとってブルー男爵家での待遇は、決して悪いものではないようだ。

「なるほど。伯爵家四男に直接報復すると、伯爵家側から実家の男爵家に制裁される可能性があるな」
「……はい。うちの商会は王都でそこそこ規模がありますが、やはり格上の伯爵家に睨まれるときついです」

 しばらく、ホーライル侯爵は顎に手を当てて考え込んでいた。
 やがて、じっとグレンを静かな目で見つめた。

「ブルー男爵令息グレン。貴様がうちの馬鹿息子とシルドット侯爵令嬢との婚約をぶち壊してくれた不利益は、大したものだぞ」
「……はい。そうでしょうね」

 グレンは、高位貴族の家同士の政略による婚約を破棄させるきっかけを作った男だ。
 そしてホーライル侯爵家は、ロザマリア嬢のシルドット侯爵家に対して、ホーライル侯爵家の有責による、少なくない金額の慰謝料を既に支払っている。

「あの、発言よろしいでしょうか?」

 それまで静かに室内に佇んでいたヨシュアが、控えめに手を挙げた。

「ホーライル侯爵閣下、初めまして。オレはリースト伯爵ヨシュアと申します」
「リースト伯爵! そうか、貴殿が今噂の渦中の新伯爵か」
「はい。今回は偶然、ご子息のライル様たちと居合わせたものですから、同席させていただきました」
「ふむ……よく見れば、カイル殿と瓜二つだ。お父上のことは残念だったな」

 ヨシュアが身に付けているのは、学園のビリジアングリーンのジャケットに白いシャツと、学園最高学年を示す赤のネクタイ、グレーのズボン。
 何より、見る者を蕩かすような優美な美貌と、青みがかった銀髪と花の散る湖面の水色のアースアイ。
 懐かしい思いがホーライル侯爵の胸を通り抜ける。
 ほとんど同じ姿だった前リースト伯爵カイルは、ホーライル侯爵の後輩でもあった。
 だが今は昔話をしている場合ではない。

「ブルー男爵家の商会は、オレの亡くなった実の母が少女時代から懇意にしていた商会でして。小物家具や化粧品、肌着の開発で有名ですが、最近は魔導具にも手を広げていて魔法剣士のオレも興味を持っていたんです」
「うむ、それで?」
「開発費の一部を、我がリースト伯爵家から支援したいと以前から思っておりました。ですが今の話を聞いて、ブルー男爵家を我が伯爵家の寄り子としても良いなと考えました。けれどこの場合、もっと良い寄り親がありますよね?」

 なるほど、話の意味はすぐ通じた。

「我がホーライル侯爵家が、ブルー男爵家を寄り親として保護しろというわけか」
「ええ。元々、ブルー男爵家の商会は経営基盤も安定して、取り扱い商品も質が良い。ホーライル侯爵家にとって悪い話ではありますまい」

 ホーライル侯爵家とブルー男爵家で寄り親・寄り子の関係を結んで保護してから、ブルー男爵令息グレンを恫喝して犯罪行為を行わせたドマ伯爵家四男ナイサーを断罪すればいい、ということだ。

「……ブルー男爵に話を通す必要があるな。グレン・ブルーよ、男爵にできるだけ早く俺のところへ来るよう伝えておけ」
「わかりました。今日この後帰ったらすぐ事情を話して、明日またこちらを訪問します」



 念のため、学校へ戻る馬車の中でカズンはヨシュアに確認した。

「で、亡きお母上がブルー男爵の商会の常連だったって本当か?」
「ふふ、母のドレッサールームにブルー商会の化粧品が置いてあったのは事実です。我が邸宅に魔導具のカタログがあって、オレが楽しく眺めていたのも本当」

 化粧水は、まだ存命だった頃の母親が、冬の乾燥する時期に頬へ塗ってくれた記憶があるという。
 母の温かな手のひらのしっとり柔らかな感触と、ほのかに香る薔薇の香りは、ヨシュアの記憶に残る幸せな思い出のひとつだそうだ。

 一緒に訓練していた叔父などは、手が荒れているのを見咎められるたびに、同じ香りのハンドクリームをよくべったり塗られていたそうで。

「そうでしたか……あそこで助け船を出してくれて助かりました、リースト先輩」
「ヨシュアでいいよ。君とは何だか長い付き合いになりそうだ」
「はい。ボクもどうかグレンと呼んで下さい。あっ、カズン先輩たちも!」

 和気あいあいと親交を深めているヨシュアとグレン。
 麗しの美貌のヨシュアと、可憐な少女のような顔立ちのグレンが談笑している様は大変に目の保養である。



 対して、カズンの隣に座ったライルは、騎士団を後にしてからずっと、ムスッとして機嫌が悪い。

「どうした、ライル。グレンに騙されて立つ瀬がないのはわかるが、そういつまでも不貞腐れててどうする」
「……違ぇよ。アナ……じゃなくて、グレンのことは事情があったからってわかったから、もういい。俺がムカついてるのは親父のことだ!」
「ホーライル侯爵閣下が? なぜだ?」

 ヨシュアとグレンも会話を止めてライルを見る。

「娼館通いしてるっつうのが、ちょっとな。別に、もう母上はとっくに亡くなってる男やもめだし、悪いことはねぇんだけどさ……」
「そういえば、侯爵閣下は再婚されてませんね」

 去年更新されたばかりの貴族名鑑にも、ホーライル侯爵家当主の配偶者欄には妻が死去、後添えの名前もなかったとヨシュアが言う。

「親父もまだ四十そこそこだし、新しい嫁さん貰ったっていいと思うんだよ。娼館なんか通ってないで婚活しろってんだ!」
「あー……再婚は、なあ……?」

 カズンはちらりとヨシュアを見た。
 にっこりと、見惚れるような美しい微笑みが返ってくる。

「ライル様。同じような境遇で再婚したオレの父は、後妻とその連れ子に毒を盛られて死にました。残されたオレまで監禁と毒殺未遂で死にかけてしまいました。無理はなさらないほうがよろしい」
「へ?」

 そろそろ公式にも、国からリースト伯爵家で起こったお家乗っ取り事件の詳細が公表される頃だ。
 簡単に自分に起こった惨事をライルに語るヨシュア。それを横で聴いていたグレンも、余りのことに青ざめている。

「よ、よく生きてましたね、ヨシュア先輩!?」

 まったくだ、とカズンも重々しく頷く。

「貴族にはよくあることさ。今回の首謀者たちも既に断罪されているし、もうあまり気にしてないよ」

 と後輩を宥めるように微笑むヨシュアだったが、リースト伯爵家のお家乗っ取り事件に直接関わったカズンは、とてもじゃないが笑えなかった。
 普段あまり表に出すことはないが、ヨシュアにはこういった、どこか自分のことを他人事のように捉えるところがある。
 かと思えば、頑固な矜持を見せることもある。

 貴族らしいスタンスとはいえるが、たまに危なっかしく感じるのもまた事実だった。



 馬車で学園まで戻ってきた。
 もうすっかり陽も暮れているが、ひとまず学園で解散することにした。

「あの、先輩がた。一緒に騎士団まで行ってくれて、ありがとうございました」

 別れ際、グレンがそう言って頭を下げてきた。

「……放課後、階段でぶつかったとき。ボクは生徒会室に行く途中だったんです。相談に行った騎士団がダメだったから諦めかけていたけど、生徒会室には王子様がいるから。何とか相談できないかなって」

 もうとっくに、グレン独りで何とかできる状況ではなくなっていた。
 藁をも掴む思いで、同じ学園生の縁を頼るつもりだったのだ。

 校舎の外からは、階上にある生徒会室の明かりが点灯しているのが見えた。
 生徒会長のユーグレン王子がまだ在校していると思って勇気を出して向かう途中、階段の踊り場で偶然、カズンにぶつかったのだという。

「今日はユーグレン殿下は既に下校されている。だが、相談に行けば彼はきちんと話を聞いてくれただろう」
「はい。でも今はカズン様に会えて良かったと思います。まさか学級委員長さんが王弟殿下だとは思わなかったけど。でもすごいタイミングだったな」

 自分の運の良さにグレンは苦笑している。

 そうして、また明日と言って、今度こそ一同は解散した。

 事態は急を要する。
 グレンはひとまずホーライル侯爵のもとで身の安全を保証されたが、また別の生徒がドマ伯爵令息ナイサーの被害に遭わないとも限らない。

 翌日、グレンは父母のブルー男爵夫妻を連れて、朝イチで王都の騎士団本部、副団長の執務室を訪れた。
 事情を知る王弟カズンとホーライル侯爵令息のライル、リースト伯爵のヨシュアも学園を休んで集合した。

 執務室には意外な人物たちの姿もあった。
 ライルの元婚約者だったシルドット侯爵令嬢ロザマリアと、その父シルドット侯爵の二人も集まっていたのだ。

 ひとまず、上位の貴族から最も深刻な被害を受けているグレンのブルー男爵家を、ホーライル侯爵家が寄り親となることで保護することを決め、双方の同意の上で契約書を交わした。

 これに関しては、事態が片付いた後もそのまま寄り親・寄り子のままでいるか、もしくはヨシュアのリースト伯爵家がブルー男爵家の支援者にスライドするか、後日また話し合うこととした。



 さて、ではブルー男爵家、ホーライル侯爵家、シルドット侯爵家の三家を巻き込んだドマ伯爵家の四男ナイサーについては、どのように対処するべきか。

 現状では、ナイサーがグレンに対して行った恫喝や、ホーライル侯爵家のライルへの詐欺教唆に関して証拠がない。グレン本人の供述のみだ。
 つまり騎士団がいきなりナイサーを訪れて「お前が犯人だな!」と逮捕はできないということだ。

 そこで騎士団の副団長として、貴族の犯罪に詳しいホーライル侯爵は一計を案じた。

「まずはシルドット家のロザマリア嬢に協力を願いたい。ドマ伯爵令息ナイサーはロザマリア嬢に言い寄っているのだよな?」
「はい。最近では身の危険を感じるほど強く圧力をかけて来られます」

 ペリドットグリーンの瞳を伏せて、だが事実をしっかりと告げるロザマリア。

「ならば、君には少し怖い思いをさせてしまうが、そのまま婦女暴行を働くよう誘導しよう。すぐ近くに騎士たちが隠れて潜んでいるから、その場で逮捕、拘束する」

 そうして、ナイサーへの余罪追及の中で、グレンへの恐喝が発覚したとの流れに持っていくという。



「次に、リースト伯爵」
「はい」
「貴殿の父は魔力から作る樹脂の扱いに長けていた。息子の貴殿も同じだろうか?」
「はい。物品を封入するだけの“魔術”樹脂も、多彩な機能を持たせることのできる“魔法”樹脂も、どちらも可能です」

 魔法樹脂は特殊な性質を持つ、術者の魔力を素材として創る樹脂で、術者の意図によって多種多様な機能を持たせることができる。

「魔法樹脂に、音の記録機能を付与できるか?」

 ホーライル侯爵の依頼に、ヨシュアは驚いたようにアースアイの瞳を瞬かせた。

「それは秘伝の一つですよ、ホーライル侯爵閣下。よくご存じでしたね。もちろん可能です」

 完成品に魔力を通すと、音声記録装置として、短時間だけ音声記録が可能な仕様で創ることができる。
 これが、物品を封入する機能しか持たせられない“魔術”樹脂との大きな違いだ。

「ならば、適当な形状でロザマリア嬢が身に付けやすい物を創ってくれるか」
「なるほど、ドマ伯爵令息との会話を証拠となるよう保存したいのですね」

 不躾にならない程度にロザマリアを見る。
 失礼、と言ってヨシュアはロザマリアの左手を手に取った。

「魔法樹脂でロザマリア様の爪に樹脂ネイルを施しましょう。一番大きな親指の爪がいいかな」

 ほんの数十秒ほどで、ロザマリアの爪に魔法樹脂をコーティングする。
 元々の彼女の爪色と同じピンク色に染められており、一見すると何もしていない他の爪とほとんど変わらない。

「ロザマリア様がご自分の魔力を魔法樹脂に流したときだけ、周囲の音声を記録するよう設定しました。……ロザマリア様、試しに魔力を魔法樹脂に流してから、何か話してみてもらえますか」
「はい。ええと、それでは……『私はロザマリア・シルドットです。今日は父と一緒に、ホーライル侯爵閣下のもとを訪れました』」
「はい、それで結構です。魔力を止めて大丈夫ですよ」

 ロザマリアが魔力を止めても、ネイルの魔法樹脂に特に外見上の変化はない。

「音声の再生方法はどうやるんだ?」

 まるで前世の世界にあったレコーダーのようだ。始めて見る魔法の使い方にカズンが興味津々で訊ねた。
 だがカズンの質問に答えたのは術者のヨシュアではなく、ホーライル侯爵だった。

「通常は、音声を記録するときに流した以上の魔力を作用させれば再生できる」

 試しに、ホーライル侯爵がロザマリアの左手の親指に軽く触れる。
 が、音声は再生されなかった。

「俺では魔力が足りないようだ」
「では、私が」

 とロザマリアの父、シルドット侯爵が同じようにロザマリアの爪の魔法樹脂に指先を軽く触れさせ、魔力を流す。


『私はロザマリア・シルドットです。今日は父と一緒に、ホーライル侯爵閣下のもとを訪れました』


 非常に鮮明な音声が再生される。
 期待していた機能は充分だろう。

「オレの魔力量で作ったこれだと、記録時間はギリギリ3分といったところです。ロザマリア様は3分の間にできるだけナイサーを挑発して、相手を怒らせて沢山の発言を引き出して下さい」
「わ、わかりましたわ。頑張ってみます」

 荒事に慣れない貴族令嬢には辛いだろうが、実際の現場には騎士たちがいる。
 もちろん、同じクラスのカズンやヨシュア、クラスは違うが当事者の一人であるライルも当日は変装してロザマリアの周囲を固めるつもりだった。

 騎士団本部で解散した後、カズンはライル、ヨシュア、グレンを連れて四人で学園へ向かった。

 遅れて授業に参加するため登校したわけではない。明日以降、ドマ伯爵令息ナイサー包囲網を実行する許可を学園側に取り付けるためだった。

「困ったわねぇ。学園は不可侵領域なのよ。騎士団員を内部に入れたくないのよね」

 事前に先触れを出しておいたお陰で、学園長は学長室でカズンたちを待っていてくれた。

 ライノール伯爵エルフィン。

 女言葉だが、れっきとした男性だ。
 人間とは別種族“エルフ”の血を引く、すらっと背の高い麗人である。
 白く長い髪を首の後ろでひとつにまとめ、透き通るような白い肌と薄紅に染まる頬、形の良い鼻と唇。
 何より印象的なのは、ネオンカラーに光るブルーグリーンの瞳だ。鮮やかな蛍光色の瞳を持つのはエルフ族の特徴なのだ。
 とはいえ、純血でないためエルフ族の特徴である、長くて尖った耳はない。

 現役の伯爵で、常に家門の礼装を身にまとっている。墨色の生地に白の差し色、瞳と同じ鮮やかなブルーグリーンのラインの入った礼装は、装飾のミスリル銀と併せて大層彼に似合っている。
 そんな彼は学園でファンクラブを持つ、数少ない人物の一人だった。

「でも、ナイサーの問題は学園側も把握されてますよね? 学園長」
「そうなのよねぇ……あの小熊ちゃんへの苦情はなかなか頭が痛いわ」

 ナイサーはアケロニア王国の男子としては背が低く、ずんぐりむっくりな体型の男子生徒だ。脂肪で弛んでいるのではなく、鍛えて首が太く全体的に筋肉の塊なのだが、外見的な特徴はまさにグリズリー、“熊”みたいな印象がある。
 学年はカズンたちと同じ3年生だが、成績劣等者のためのE組所属だった。
 そのE組でも、頻繁に他の生徒たちと諍いを起こしては学園側から注意されている問題児として有名だ。

「今日はロザマリア嬢が休んでいますから、明日は必ずA組までナイサーが来るでしょう。そこを騎士たちに押さえてもらいます」
「うーん、短期決戦で済むならそのほうがいいのかしらぁ。仕方ない、許可するわ! ……でも実際、どうやってドマ伯爵令息を検挙するの?」

 と訊かれたので、カズンは先ほど騎士団本部でホーライル侯爵たちとの話し合いの内容を詳しく説明した。

「それ、ドマ伯爵と話し合いの示談じゃ何とかならないのかしら?」

 学園内で問題を起こしたくない学園長のライノールだったが、ライルははっきり否定した。

「そりゃ無理ってもんだぜ、学園長。ナイサーの野郎が仕出かしたことの規模がデカ過ぎるんだ。うちのホーライル侯爵家は全力で奴を追い詰める気満々だっての」

 ナイサーが犯した犯罪は、時系列順に並べれば、まずグレンの実家の商会や異母妹絡みでの恫喝や恐喝。
 次に、グレンを脅して女生徒に変装させ、ライルとロザマリアの婚約が破棄されるよう仕向けた。彼らの婚約破棄では、ライル側の有責でホーライル侯爵家は多額の慰謝料を支払っている。
 そして、ロザマリアへの交際の強要。彼女は暴力を受けるのではないかと身の危険を感じている。

「……明日の放課後だけで片を付けてくれるなら、その後の事後処理は請け負うわ。長引くようなら、ドマ伯爵令息を含めた関係者すべて、事態が解決するまで登校禁止。いいわね?」
「了解しました。寛大な対応に感謝します、学園長」

 話は付いた。あとは関係各所に学園側から騎士団立ち入りの許可を得たと連絡を入れれば、カズンたちのやることは一区切りとなる。

 そのまま学長室の机を借りて、ライルのホーライル侯爵家、グレンのブルー男爵家、ロザマリアのシルドット家の三家に同じ文面の手紙を書いた。
 手紙の最後に、カズン・アルトレイのサインを入れる。今回はアルトレイ女大公家の家紋ではなく、王弟としてアケロニア王国の王族の印を捺した。
 少し離した下部に、学園長がライノール伯爵エルフィンとサインし、伯爵家と学園長の印を捺した。
 手紙はこのまま、ライルは父のホーライル侯爵に、グレンは実家ブルー男爵家に持ち帰り、ロザマリアのシルドット家にはカズンが直接届けに行く。

 明日は朝のホームルームでカズンとロザマリアの3年A組のクラスメイトたちに事情説明せねばならない。
 午後の授業は中止にして、放課後までの準備を整えるのが良いだろう。
 剣や体術が使える、腕に覚えのある男子生徒たちには残って貰って、ナイサーを拘束する手伝いを頼んでもいい。

 そして翌日、放課後。

 舞台となる3年A組では、学級委員長のカズンが朝のホームルームの時間のうちに生徒たちに向けて、クラスのマドンナともいえるロザマリア嬢が巻き込まれている事件の説明を行った。

 今日は昼休みを挟んで、午後に一時限の授業で終わりとなる。
 その午後の授業を、ドマ伯爵令息ナイサーを迎え撃つ準備として、急遽中止することとした。

 放課後の教室に残るのは、基本的に自分で身を守れる男子生徒が十数名。
 あとは主役のロザマリアと友人の女生徒たち数名。
 残りの女生徒を含む生徒たちは、事態が片付くまで会議室に避難する。

 カズンとヨシュアも教室に残り、顔が見えない位置でロザマリアたちの側に控える。
 ライルはナイサーに顔を知られているが、特徴的な赤茶の髪を隠して別の生徒の影に隠れながら様子を窺う予定だ。
 学年が違うグレンも教室内で事態を最後まで見守ることを選び、昼休みのうちに3年A組まで駆けつけている。

 ホーライル侯爵が派遣する王都騎士団の騎士たちは、学園長から貸し出された学園の制服を着て、クラスの生徒たちに変装してロザマリアの警護とナイサーの拘束を行う。
 騎士たちは全員で五名。できるだけ若手を中心に集めたが、肉体の出来上がった成人男性なので未成年が着る学園の制服姿は多少違和感がある。不自然にならない程度にロザマリアたちに背を向け、顔が見えないよう机に座る位置や立ち位置を工夫した。



 午後の授業が終わり、放課後を告げるチャイムが鳴る。
 ロザマリアによれば、ここA組から最も離れたE組のナイサーは5分以内にやってくるという。

「来た! 総員、準備せよ!」

 廊下を監視していた生徒に扮した騎士が教室内に鋭く告げる。
 間もなく、開いたままの教室の入り口から、グリズリーのような体型の男子生徒が入ってくる。
 ドマ伯爵令息ナイサー。間違いない、本人だ。

(うっわ、人相悪ぃな)
(シッ、静かに、ライル!)

 思わずといったふうに呟いたライルの口を、カズンは慌てて塞いだ。
 だが確かに、ロザマリアとナイサーが並ぶと美女と野獣というより“美女と悪漢”だ。

「ロザマリア! 今日こそいい返事を聞かせてもらうぞ!」

 色々と突っ込みどころの多い第一声だった。
 声がダミ声というのは、どうでもいい。
 伯爵令息が、格上の侯爵家の令嬢を呼び捨てするのも有り得なければ、命令口調で話しかけるのも有り得ない。

「……ドマ伯爵令息様。わたくしは名前を呼ぶことを許しておりません。家名のシルドットでお呼びください」

 指先の震えを隠しながら、ロザマリアが左手の親指に触れる。
 音声の記録機能を付けた魔法樹脂に、気づかれないよう魔力を流す。
 事前に打ち合わせしていた通り、ナイサーとの会話を記録していく。

「ツレないことを言うじゃないか。オレとお前の仲なのに」
「……わたくしとあなたの間に、語るほどの仲などございません」

 少しずつ考えながら、ロザマリアが言葉を選んでいるのがわかる。
 とはいえナイサーはそんな彼女に気づく様子もない。

「ならこれからイイ仲になればいい。オレの物になれよ、ロザマリア」
「……その件ならば、既にお断りしているはずです」
「オレは諦めないぜぇ。お前が受け入れるまで、何度だって父上に頼んでシルドット侯爵家に婚約の申し入れをする」
「何度来られても、わたくしの返事は変わりません。お断りします」
「何でだよ!」

(いや、お前が嫌いだからだろ?)
(……淑女のロザマリア嬢にはハッキリ拒絶は難しいところだな……)
(何かもう色々と貴族社会の常識を飛び越え過ぎてて理解不能です。家を通じて婚約を断られてるのに、何度も申し入れしてるとか何考えてるんでしょう)
(まあそういうところがナイサーなんですよ。全然空気読まないで猪突猛進。見た目は熊野郎なのにね)

 教室内では、残っている男子生徒や騎士たちが日常を装って世間話をしている。

 ひそひそと、ライル、カズン、ヨシュア、グレンがコメントし合っていても、喧噪に紛れて目立たなかった。



「……もう、わたくしが申し上げることはございません。お帰りくださいませ、ドマ伯爵令息様」
「このっ、婚約破棄された傷物令嬢の分際でお高く止まりやがって!」

 来た。ナイサーが距離を詰めてロザマリアの腕を掴もうとしたところで、周囲に目立たぬよう控えていた騎士たちが捕らえた。

「なッ、おい、離せ、オレはその女をッ」

 暴れるナイサーだったが、捕り物に慣れている騎士たちはさすがに振りほどけない。

「ジ・エンドってやつだぜ。ナイサー」
「! お前、ライル・ホーライルか! 何でここにいる!?」
「そりゃ、最初からいたからに決まってるだろ。お前はやり過ぎたんだよ、ナイサー」

 自分が置かれている状況が理解できなかったナイサーは、しばらくして自分が罠に嵌められたことに気づいて沸騰するように顔も首も真っ赤に染め上げた。

「オレはその傷物女を貰ってやろうって言ってるだけだッ! 離せえぇッ!」
「あのな。傷物なのはロザマリアじゃなくて俺のほうだ! ロザマリアはアホな俺の被害者なだけ。……だが、俺のやらかしも、元を辿れば誰かさんに辿り着くんだってなぁ?」

 ナイサーから離れるようロザマリアを後方にいたカズンたちのほうへ促しながら、呆れたようにライルが言った。

 目的の人物を拘束できたことで、教室内の張り詰めていた空気が緩み始めている。

 教室の外、廊下には担任教師だけでなく、学園長のエルフィンや、生徒会長のユーグレン王子も待機していた。騎士たちがナイサーを引っ立てて学園を去るところまで見届けるのが彼らの仕事だ。

 だが、ようやく終わったと誰もが思ったところで、油断があった。

「ロザマリアァ! お前が抵抗なんかするからこんなことになったんだッ!」

 ナイサーが騎士たちの拘束を強引に振り解いて、ロザマリアへ向かって突進する。
 その大きな拳がロザマリアに振り翳されるという、そのとき。

「カズン、バックラーを出せ!」

 廊下から教室内に身を乗り出してきたユーグレンの鋭い声に、ハッと条件反射的にカズンは魔力を左手に集中させた。

「ぐっ!」

 左手の中に現れたのはバックラー、丸い盾付の短剣だ。
 盾は円形で、カズンの指先から肘までの長さがある。
 咄嗟にロザマリアとナイサーの間に身を滑り込ませ、ナイサーの拳を盾で受け止めた。
 衝撃でカズンの黒縁眼鏡が外れて床に落ちる。

 すぐに全身に身体強化の魔術を追加し防御力を高める。
 だが圧倒的にナイサーのほうが力が強い。ナイサーもまた身体強化を使って迫ってくる。

 力負けしてカズンの身体が後方に押されていく。次第にバックラーの盾剣も半透明に存在が揺らぎ出す。

「ううっ、何て馬鹿力か……!」
「まずい、盾の強度が足りない! ライル様、騎士様、早くナイサーを捕獲して!」

 ヨシュアが声を上げるまでもなく、ナイサーの左右から騎士たちが、ライルが後方からナイサーの首に腕を回し落としにかかる。
 だが。

「くっそカタ過ぎんだろお前!」

 熊と揶揄されるだけあって、鍛えた筋肉と太い首を持つナイサーの耐久度が半端ない。

「ヨシュアー! お前、魔法剣出せよ、足止めしろォ!」
「こんな狭い場所で魔法剣なんて出したらナイサー以外も細切れです、無茶言わないで!」
「うっそだろォーッ!」

 興奮するナイサーは騎士たちとライルが総出でも、引き摺りかねない勢いがあった。
 バックラーで防御するカズンは何とか踏ん張っているが、窓際まで押されかけている。明らかに力負けしていた。
 背後にはロザマリアを庇っている。これ以上押されるわけにはいかなかった。



「ち、ちょっとユーグレン殿下っ!? 危ないわ下がって!」

 エルフィン学園長の制止を聞かず、廊下にいたユーグレンが教室に駆け込んでくる。

「ライル、そのまま其奴を押さえてろ!」
「了解ーっ!」

 ユーグレンの右手を陽炎のように真紅の魔力が覆う。その右手の平で力いっぱいナイサーのこめかみを叩いた。
 その後もナイサーの頭から手を離さず、纏わせていた魔力を頭蓋の内部へと浸透させていく。
 数秒後、文字通り熊のように暴れていたナイサーは泡を吹いて引っ繰り返り、白目を剥いて後ろ向きに倒れた。

「しばらく昏倒したままのはずだが、念のため拘束具を装着させろ」
「ハッ、かしこまりました!」

 荒縄で手足を縛り、更にその上から鉄の枷を嵌めた。枷は魔導具の一種だ。これはさすがに、ナイサーがどれだけ馬鹿力でも外せない。

 ナイサーはそのまま騎士団員たちによって運ばれていった。行き先は騎士団本部の管轄下にある牢獄だ。



「無事か、カズン」
「ちょっと……いいところを持って行き過ぎじゃないですか、殿下……」

 力なく抗議するが、正直助かった。
 身を守る盾剣バックラーを魔力で作るのは、王族の必須スキルだ。
 だが、一般的な貴族と比べてもカズンの持つ魔力はそう多いとは言えない。

 ましてや、魔力で武具を作るのは相当量の魔力消費を必要とする。
 その上、ナイサーの剛力に耐えきれず、盾はほとんど消えかけていた。

「カズン様!?」

 ヨシュアの悲鳴が聞こえるも、どこか遠かった。
 意識が薄れていく。
 なけなしの魔力を消耗しすぎた。
 床に崩れ落ちる前に、身体を受け止められる感触があった。

「無理をさせたな。後は任せて、ゆっくり休むといい」

 魔力の消耗で昏倒したカズンが目を覚ましたのは、その日の夜のことだった。

 アルトレイ女大公家の自室だ。どうやら学園で倒れた後、周囲が自宅まで運んで休ませてくれたらしい。

「お目覚めかしら、あたくしの可愛いショコラちゃん」

 甘い妙齢の女性の声とともに、ちょん、と美しく整えられた指先で鼻の頭を突っつかれた。

「お母様。戻られてたのですか」
「あなたが倒れたって聞いて、慌てて帰ってきたのよ。王都までの転移陣を使わせてもらってね。随分やんちゃしたみたいね、カズン」

 カズンの寝ていたベッド脇に座っていたのは、極上のエメラルドの瞳に、輝くような金色の長い巻き毛を軽くポニーテールにまとめた三十代半ばほどの美女。
 シンプルなブルーグレーのワンピース姿の彼女は。

 アルトレイ女大公セシリア。
 カズンの母親だ。

 友人の出産祝いでここしばらく他領へ行って留守だったが、カズンの状況を知らされ戻って来たようだ。
 帰宅して、アップスタイルにまとめていた髪を解きドレスから着替えてからカズンの部屋に来たようで、気楽な部屋着姿だった。



 カズンが目を覚ましたと連絡を受けて、父のヴァシレウスがユーグレン王子を伴って部屋へやって来る。

「カズン、まだ魔力が回復してないな? ヨシュアから魔力ポーションを預かっているんだ、飲めるか?」

 ユーグレンから差し出された瀟洒なデザインの小瓶を受け取り、一気にあおった。
 これは効き目が高い分だけクソまずいやつだ。
 だが、飲んだそばから胃を中心にカッと熱が全身に広がっていく。急激な魔力回復の感覚だ。
 小瓶を握り締めて一息ついていると、ユーグレンが手を差し出してくる。

「? 何か?」
「瓶をくれ。容器にもヨシュアの魔力が入っているから、その」
「………………ヨシュア由来の物品をコレクションしたいんですね。わかります」

 本来なら制作者に返却すべきものだが、まあ必要ならヨシュア自身が何か言ってくるだろう。
 ユーグレンのヨシュア信仰を知っているヴァシレウスは苦笑しているし、セシリアは面白そうに口元を押さえて含み笑いをしている。



 その後、ユーグレンから自分が倒れた後の話を聞くと、ナイサー絡みの事件がなかなか複雑な展開を見せていて驚かされた。

 拘束され収監されたドマ伯爵令息ナイサーは、制服のポケットにある魔導具を潜ませていたという。
 隷属魔法のかかった腕輪だった。ロザマリアから色好い返事を貰えないことに業を煮やしていたナイサーは、これ以上婚約を断り続けるなら魔導具で心身を縛るぞと脅すつもりだったようだ。

 この隷属魔法は驚いたことに、ヨシュアが亡父の後妻とその連れ子に使われかけていたものと同種の魔法だと判明した。

「……何やら陰謀めいた匂いを感じるな」

 関連性が示唆されているが、魔導具の出所は不明のままだった。
 ナイサー本人は、自分の家であるドマ伯爵家が入手した数多の宝飾品のひとつに過ぎないと主張しているそうだ。

 ナイサーの協力者だった取り巻きの生徒たちも、既に拘束されている。
 ほとんどはグレンと同じように、弱みをナイサーに握られて嫌々協力していただけだったようで、詳しい事情聴取の後は解放されるという。



 そしてライルによるロザマリア嬢との婚約破棄騒動には、まだ続報があった。

 女生徒アナ・ペイルに扮していたグレンがホーライル侯爵家の別邸から盗んだ装飾品は、愉快犯による犯行に見せかけるべく、グレンの手によってすべてホーライル侯爵家に送り返されている。

 だが、たった一つだけ、盗まれたまま返って来ていない品があった。
 グレンはてっきり、すべて箱詰めして返却したとばかり思っていたのだが、梱包の隙を突いてナイサーが横取りしていたようだ。



 後日行われた、事件の関係者たちを集めてホーライル侯爵邸で行われた慰労会にて。
 ホーライル侯爵から、このような報告があった。

「魔法樹脂で創られたペーパーウェイトが紛失したままだったのだ」

 魔力の使い方には、魔法と魔術の二種類がある。

 魔法は一から術者の創造力によって物質や現象を、文字通り創り出す。
 創り出された結果は千差万別で芸術的なものが多い。
 魔法を主に使う魔力使いを“魔法使い”と呼ぶ。

 対して魔術は、魔力の作用の仕方である魔術式というプログラムを理解して、その魔術式を起動させられるだけの魔力量があれば、誰でも同じ結果が得られる合理的な魔力の使い方だ。

 魔術式さえ理解し構造を把握できていれば、常に再現性のある魔術の行使が可能である。
 生活に必要な魔力の使い方は、生活魔術として円環大陸全土に普及している。

 魔術を主に使う魔力使いは“魔術師”だ。

 魔法樹脂は創成する術者の設定によって、内部に文字や音を記録することができる。
 ホーライル侯爵家別邸から盗まれたペーパーウェイトもこの類いだった。
 現在では、魔法樹脂に音声記録機能を付与できることは、秘伝と呼ばれあまり知られていない。
 だがホーライル侯爵家には実物が宝物としてあったため、侯爵本人も知っていたというわけだ。



 ここに至るまでの経緯は、こうだ。

 盗品を持ち込まれた雑貨屋が、品物を預かって物品鑑定を施したところ、ホーライル侯爵家の紋章と、創り手の魔法使いの声で魔法樹脂のペーパーウェイトを創り出した経緯が保存されていることが判明した。

 ホーライル侯爵家ゆかりの物品であることから盗難品と判断し、持ち込んだ人物には今手持ちの現金が少ないからと少額の手付金だけ渡して、残りは半月後にまとめて渡すと約束してペーパーウェイトを預かった。

 その間に、王都騎士団に貴族家からの盗難品持ち込みがあったことの相談に駆け込んできたというわけである。

 グレンの件といい、関連する物事すべてが実に良いタイミングで次々起こったといえる。



「俺はあまり魔力がなくてな。リースト伯爵、このペーパーウェイトに魔力を流してみてくれるか」
「了解です、では」

 ホーライル侯爵から手渡された生花の封入されたペーパーウェイトに、ヨシュアの魔力が流される。
 すぐにペーパーウェイトは魔力に反応して一瞬光を発し、音声を再生し始めた。


『私の名前はエレン・ホーライル、七歳。ホーライル侯爵家の末っ子よ』


 勝ち気な印象の、幼い少女の声が鮮明に流れる。


『今年、お兄様が成人して騎士団に入団されるの。私、お兄様に礼装用のマント留めをプレゼントしようと思ったのよね』

『お兄様の赤茶の髪の毛には純白がよく似合うわ! お庭で育てている純白のマーガレットを使って、習ったばかりの魔法樹脂でマント留めの飾り部分を作りました!』

『でも酷いのよ、お兄様ったら、「よくできたペーパーウェイトだ、大事に使わせて貰うぞ」ですって。もうもうもうっ、そんなこと言われたら今更それはマント留めに加工するんですとは言えないじゃない?』

『そういうわけで、これはマント留めになり損ねたペーパーウェイトです。お兄様はお嫁様と暮らす予定の別邸で使って下さるそうよ』

『あーあ、思い通りにいかなくて残念! ちょっとだけ悔しかったから、魔法樹脂に愚痴を残しておきます。この声を聴けるのは私と同等かそれ以上の魔力の持ち主だけに設定しておくわね!』



「エレンって確か、四代前のホーライル侯爵の妹だよな。当時の王女サマの側近として活躍した……だったか? 親父」
「ああ。そして当時の王都騎士団の団長に見初められ、その縁で我がホーライル侯爵家は現在も騎士団の要職に就いているわけだ」

 実際、ライルの父・ホーライル侯爵カイムは王都騎士団の副団長で、順当にいけば次の団長となる人物だった。
 ライルも学園を卒業後は騎士団に入団して、剣の腕を磨くつもりでいる。



 少し間が空いて、今度は若い男の声が再生される。


『ゲイル・ホーライル。エレンの兄だ』

『参ったなあ。エレンのやつ、よりによってユーリナと同じマント留めをくれようとしてくれちゃって。来月結婚するユーリナのほうを優先してしまった。許せエレン! お前のプレゼントを誤魔化した罪は、好物の砂糖漬けの詰め合わせで許してほしい!』

『愚痴はしかと受け止めよう、エレン。このペーパーウェイトは大事にする。純白のマーガレットを見るたび、この花が好きだった亡くなられた母上とエレン、二人を想うよ』


 愛してる、と家族への情に満ちた声を最後に、音声は終わった。

 しぃん、と室内には沈黙が降りる。
 ホーライル侯爵はペーパーウェイトを指先で優しく擦った。

「このペーパーウェイトこそが、我が家の別邸で最も高価で貴重な物だった。無事に戻ってきて良かった」
「………………」

 既に許され示談も成立しているとはいえ、グレンは申し訳なさで深く頭を下げた。

 慰労会も終わり、ホーライル侯爵邸を後にしようとして、カズンはヨシュアが青ざめた表情で立ち尽くしていることに気づいた。

「どうした? 今日はもう帰るぞ」
「……カズン様は、先ほどの魔法樹脂のことで何か思うことはないのですか?」
「なに?」

「魔術樹脂なら、魔力を樹脂に変換する魔術式の理解と魔術陣の構築ができれば、誰でも可能です。でも“魔法”樹脂は違う。ホーライル侯爵令嬢エレンは、たった七歳であれだけ完成度の高い生花の封入と、音声記録機能を持たせた魔法樹脂を創成したんです……」

 ヨシュアが魔法樹脂を使いこなせるようになったのは、ほんのつい最近のこと。
 父親の前リースト伯爵カイルから、“既に魔法樹脂の使い方を構築済みの”魔術式を受け継いでからのことだ。

「オレ単独で魔法樹脂を習得しようとしたら、どれほど年数がかかることか。……上には上がおられた……正直、打ちのめされています」
「ヨシュア」

 同年代随一の魔力量を持ち、天才の名を冠される魔法剣士で竜殺しの称号持ちが、項垂れている。
 そんなヨシュアの背中を、見送りに出ていたライルが宥めるように叩いた。

「お前はまだいいほうだぜ、ヨシュア。俺らなんか、たった四代しか経てねぇのに、もうすっかり魔力もすり減っちまっててさ」

 ライルもまた部屋に残って、ヨシュアの悔しさを共有していた。
 そもそも、家宝のあのペーパーウェイトに記録された音声を再生できるほどの魔力を、既に子孫である自分たちは持っていない。
 今となってはホーライル侯爵の一族は、剣技に必要な身体強化と、生活に必要ないくつかの魔術を使えるのみなのだ。

 しかしそれを言うと、カズンとて人ごとではない。
 魔力の質や量は、どのような血筋の元に生まれたかで大部分が決まってしまう。

 父である先王ヴァシレウスは豊かな魔力の持ち主として知られているし、母セシリアはヴァシレウスの曾孫にして他国の王族の直系子孫で、やはり多くの魔力を持つ。

 そんな二人の間に生まれた子供でありながら、カズンの魔力量は平民を多少上回る程度しかない。

 自分もヨシュアのように魔法を自在に使いこなしたかったが、護身術中心の体術と身体強化、身を守る盾剣バックラーを魔術で作るのがせいぜいだった。



「贅沢な悩みですねえ、先輩がた。庶民やボクみたいなほとんど平民の下級貴族なんて、ミジンコ並の魔力しかないんですよ?」

 グレンの冷静な突っ込みに、一同はハッと我に返った。
 そうだ。魔力量に悩んで右往左往するのは王侯貴族の中でも、上位の一部。魔力を持たない者たちのほうが世界的に見ても多数だ。

 それでどうやって生活しているかといえば、魔力を持つ天然の魔石や、魔力使いたちが作る人造魔石を活用する。
 カズンの前世の世界でいうなら、バッテリー的な役割を果たすのが魔石だ。その魔石で、生活に必要な道具を動かして活用している。

「魔力にお悩みのアナタにとっておき! ブルー商会の魔導具はどれも良質な魔石を使い、魔力がなくても自由自在に活用できます! ハイッ、これどうぞ!」

 グレンの実家、ブルー男爵家の商会のカタログを強引に押し付けられた。

「おいおい、こんなん持ち歩いてるのかよ」

 カタログは雑誌と同じサイズで、厚みは5mmほどといったところか。
 表紙には『ブルー商会・魔導具厳選セレクト』とある。

「当然でしょ、こんなに上位貴族の皆さんが集まってる場に手ぶらでなんか来ないよ!」
「し、商魂逞しいな」

 どうやら、ホーライル侯爵やシルドット侯爵家の関係者たちにも同じものを渡してきているようだ。
 カズンは呆れたが、沈み込んでいたヨシュアも毒気を抜かれたようで、カタログを開いて笑っている。
 ありがたく頂戴して、この場は解散だ。帰路につくことにした。

 ドマ伯爵令息ナイサーのその後は、想定外の展開を見せることになった。

 ホーライル侯爵家から盗んだペーパーウェイトを売り飛ばそうとしたナイサーは、さすがに無罪放免とはいかなかった。

 父親のドマ伯爵も、自分の息子がホーライル侯爵家の家宝を盗み、証拠も揃えられては反論できない。

 伯爵はナイサーを学園からも退学させて領地に閉じ込めることを決めた。
 伯爵家からも除籍したがったそうだが、罪人を安易に放逐してはまた犯罪を犯しかねないため、国側からドマ伯爵家で責任を持って監視し続けるよう命令を下した。

 被害者として多大な迷惑をかけたシルドット侯爵家、ホーライル侯爵家、ブルー男爵家には、慰謝料と賠償金を支払うことで手打ちとした。
 ドマ伯爵家は裕福な家として知られていたが、なかなか痛い出費だったのではないか。後日、国内のオークションではドマ伯爵家の収蔵する宝飾品がいくつも出品されていたぐらいだ。

 そのナイサー本人は貴族牢に収監されていたが、本格的な尋問が始まる前に姿を消した。
 牢の中に大量の血痕が残されていたことから、生存は絶望視されている。
 ナイサーの被害者は、今回の三家だけでなく他にも複数いることが確認されている。その被害者や関係者による怨恨の線が疑われた。

 だが、それならなぜ、ナイサー本人の死体まで運び去ったのか?




 グレンのブルー男爵家、ライルのホーライル侯爵家、ロザマリアのシルドット侯爵家。
 この三家が巻き込まれた事件は、多大な謎と多少のしこりを残しつつも解決した。

 ただし、ライルにだけ、不名誉な傷が残ってしまったが。

「ううっ、どうして俺がナイサーにケツ掘られたことになってんだよォ、意味わかんねぇんだけどッ」

 放課後、カフェ代わりの食堂でカズンがヨシュアとお茶をしながら談笑していたところに、ライルがやって来てそう嘆いた。


『傷物なのはロザマリアじゃなくて俺のほうだ!』


 ドマ伯爵令息ナイサーを拘束したとき、相手の勘違いを正そうと叫んだライルの言葉が、誤解を孕んで曲がって伝わってしまったらしい。

 曰く、ホーライル侯爵令息ライルがシルドット侯爵令嬢ロザマリアと婚約破棄することになったのは、ライルがナイサーにその身を汚されたことが原因である、と。

 実際はグレンが化けた女生徒アナ・ペイルに唆されて行った婚約破棄だったはずが、噂からは事実が見事にすっぽり抜け落ちている。

 3年生たちの間ではすっかり誤解が広まっている。
 噂を強く否定したいライルだったが、ライルが噂の矢面に立つことで、もう一人の被害者、シルドット侯爵令嬢のロザマリアの風除けとなっている自覚があるため、あえて言葉を濁すに留めていた。

 で、その鬱憤がカズンたちの顔を見たら一気に吹き出してきた、と。

「汚されたって何なんだ、俺はどこもかしこも新品のピカピカだっての!」
「ははは、踏んだり蹴ったりだな、おまえも」
「笑ってねぇで慰めてくれ、カズン~ッ」

 ロザマリアとの婚約破棄事件といい、すっかり『やらかし令息』と見られているライルだ。

 ちなみに、さすがに今回の件は国王テオドロスの耳まで届いた。
 諸悪の根源こそドマ伯爵令息ナイサーだが、経緯を見ればホーライル侯爵が適切に対応すればいくつかの問題は事前に防げていたはずだ。

 ホーライル侯爵は騎士団副団長の報酬を三ヶ月減俸……となるところを、ナイサーの行方を引き続き追うことで失態を挽回せよと命じられることとなった。



「ブルー男爵家の皆様とは、その後どうなりましたか。ライル様」

 優雅な手付きで食堂のマグカップを持ちながら、ヨシュアが訊ねた。

「ああ、それな。ブルー男爵家側からは、このままホーライル侯爵家の寄り子でいさせてくれって申し出があったぜ。やっぱ、商会持ってるとナイサーみたいなタチの悪い奴らに絡まれることも多いしさ」
「ホーライル侯爵家は武人の家系だものな。護衛などで手を借りたいのだろう」
「そういうこと。見返りで、ブルー商会の取り扱ってる魔石や魔導具を融通してもらうってことで、話がついた。……でさ、そんなことより!」

 テーブルの上に乗り出してきたライルの、茶色の瞳が輝いている。

「あいつ、グレンの母親違いの妹さんってのが、マジでグレンそっくりでさ! 超可憐な美少女で、名前もカレンちゃんだあっ!」

「「………………」」

 カズンはヨシュアと顔を見合わせた。

「おまえ。“アナ・ペイル”であれだけ痛い目を見たのに、懲りてないな?」
「いやいや、グレンとカレンちゃんは別だろ? 性別からして違うし」

 先日の慰労会の後、改めてブルー男爵家が家族揃って謝礼のためホーライル侯爵邸を訪れた際、グレンの妹とも顔を合わせたらしい。
 ブルー男爵令嬢カレンは、異母兄グレンの一つ年下で、グレンより更に小柄で華奢な美少女だったという。

「………………」

 はむ、とブルーベリージャムとクロテッドクリームをのせたお茶請けのスコーンを囓りながら、カズンはライルの垂れ流すブルー男爵令嬢カレンへの讃辞を聞き流していた。

(ううむ、カレン嬢の正体をいつライルにバラせば良いものか)

 ブルー男爵一家はホーライル侯爵家だけでなく、関係者だったカズンのアルトレイ女大公家へも訪問している。
 一通り型どおりの謝辞と謝礼を受けた後、ブルー男爵夫妻が父ヴァシレウスや母セシリアと話が盛り上がっていたので、カズンはグレンとカレンの兄妹を連れて自室で雑談しながら両親たちの話が終わるのを待っていた。

(まさかカレン嬢が転生者だったとはなあ。)

 今年の新入生だったグレンの一つ年下という若年でありながら、ブルー男爵令嬢カレンは既に現役の魔導具師として活躍していた。

 ブルー商会自体が魔導具を取り扱うこともあり、幼い頃から魔導具に親しんでいるうちに、自分が生まれ変わる前の人生を思い出したのだという。

(しかも前世はガチのオタク、やや腐り気味。男の娘系の作品好き。実の兄グレンが女装してライルを誘惑したと聞いて、大喜びだったそうだ………………だなんて言えるかっ)

 自然に露呈するまで何も口出しするまい。
 そう決意して、残りのスコーンを咀嚼するカズンなのだった。