「男四人集まって夜やることと言えば猥談だろ」

 などと宣うライルを、とりあえずカズンは一発殴っておいた。

「いってぇ!」
「馬鹿なことを言うからだ。……む、髪はちゃんと乾かしてこい、まだ春とはいえ風邪を引く」

 赤茶の髪がしっとり濡れている。首に掛けたままだったタオルを取って、がしがし遠慮なく拭いてやった。

「んー……風魔法、あんまり上手くなくてよ」
「暖かい季節だからと油断してると、調子崩すぞ」
「そんな柔じゃねえって」

 部屋で入浴を済ませ、ホーライル侯爵邸で用意してもらった寝間着、襟付きで前開きの俗にいうパジャマ姿で一同サロンに集まった。

 ちなみに全員、同じ男性用の淡いブルーの無地パジャマである。
 主のホーライル侯爵は留守だし、飲み物などの準備を整えた後で、執事や侍女など家人も下げてもらっての無礼講だ。



 風呂上がりで上気した肌を冷ますように、ヨシュアがグラスで冷たい水を飲んでいる。
 何気にユーグレンはちゃっかり推しと同じ三人掛けソファの隣に陣取っている。
 もっとも、その距離はしっかり安全に人一人分空いているのだが。

 ローテーブルを挟んで反対側に、こちらも三人掛けソファにカズンとライルが並んで座っていた。

「そういえば、カズン様は異世界からの転生者でしたね。ラーメンのような不思議な麺料理のことといい、もしかしてライル様も同じだったりしますか?」

 最初の話題にとヨシュアが持ち出したものが、それだった。

「おう、そうだぜー」

 何とも軽く肯定するライル。

「“異世界からの転生者”とはどういう意味なのだ?」

 初めて知る情報にユーグレンは困惑した様子を見せている。

 アケロニア王国のみならず、円環大陸全体で、異世界転生者というの一般的ではなかったが、知る人は知っている。そんな存在だ。
 この世界とは別の世界で生きていた記憶を持って生まれた人間を、そう呼んでいる。

 カズンもライルも公表はしていない。
 カズンは父母と兄王には幼少期から伝えてある。
 それとヨシュアには詳しく話していなかったが、ヨシュアの叔父が情報通で相談していたことがある。

 ライルは誰にも言っておらず、初めて出会った他の転生者もカズンだけで、これまでやってきている。

 ひとまず、異世界転生者についてカズンが概要を説明すると、納得したようにユーグレンは頷いた。

「こことは違う世界って、どんなところなのですか? カズン様たちの前世とはどのような方たちでしたか?」

 元が好奇心旺盛なヨシュアが、身を乗り出して訊いてくる。
 カズンとライルは顔を見合わせてから、特に隠すことでもないからと語ることにした。



「そんなに大した人生じゃなかったけど、悪くはなかったぜ」

 と前置きして語られたライルの前世は、このようなものだ。

「俺がいたのは、この世界とはまったく違う世界で、日本って国だ」
「ニホン……」

 円環大陸上にはない国の名前だ。

「昭和って名前の時代で、高校……今の俺らが通ってる高等学園と同じような学校だな。そこを卒業した後は警察学校に進学して、その後警察官になったわけだ」
「警察学校というのは、この国なら騎士団の警邏や犯罪の取り締まり部門に相当する人員を育成する機関だ。警察官はその騎士だな」

 横からカズンが補足する。

「で、警察官になった後は地元で知り合った女の子と結婚して、数年後に子供ができた」

 妻も子供も、もはや名前は思い出せないという。だが子供が男の子だったことは覚えているとライルは言った。

「んで、仕事が終わると職場の同僚たちと飲んで帰ることが多くてさ。上司もいるから下手に断ると仕事に差し支えるし。いっつも母ちゃんに怒られてた」

 高位貴族のライルが細君を庶民のように「母ちゃん」呼びするのが、何だか不思議な感じがするなと思いながら、一同は彼の話に耳を傾ける。

「日本だと、大学っていう、高校より高度な学修機関を卒業しないとあんま出世できねえんだ。だから俺も給料が低くてさ。まだ若かったし、大した贅沢はできなかった」

 そんな生活でも、楽しみはあった。

「夜中になると、よく家の近所に屋台のラーメン屋が来てさ。ほら、昼間、漁港近くで小さい荷台引いてる店あっただろ。あれに屋根付けたみたいな小さい店が来るんだよ」
「うん。何となくイメージは掴めます」

 ライル自身が前世のものと、この世界にあるものとを比較させて語るので、実物は知らなくとも何となくはわかる。

「その屋台が来るのが、日付が変わる前あたりでさ。その頃になると、母ちゃんも子供を寝かしつけた後でやっと一息つけるわけ。そんで母ちゃん連れてラーメン食いに行くのがささやかな贅沢ってやつだった」

 同じように日本人が前世だったカズンには、その光景がありありと脳裏に浮かんだ。
 まさに、古き良き昭和の庶民の光景だ。

「ワンコインでラーメン一杯と、母ちゃんの機嫌が良ければビールの中瓶を付けてもらえる。あッ、ビールってのはラガーのことな。俺のいた頃だと、エールより辛口のラガーのほうが主流だったんだ」

 この屋台のラーメンが絶品の味噌味で、だからライルは今もラーメンといえば味噌味にこだわりがある。
 アケロニア王国の貴族として生まれて以来、一度も口にしたことがないというのに。

「味噌はやはり探すべきだな。醤油と一緒に濃縮調味料を開発して、いつでも食せるよう環境を整えたいところだ」
「それな!」

 心意気を新たにするカズンに、ライルも強く同意する。
 ヨシュアとユーグレンはよくわからないなりに、二人を応援すると請け負った。



「俺が住んでたのは、日本の東北って地方だ。国土の北部で、すごく寒いし雪もドカドカ降る。ラーメンの屋台も来るのは雪が降る前、せいぜい秋口頃まででさ。後は春になって雪解けの季節になるまで、大した楽しみもねえ」

 そこからライルは、意図してか声をひそめた。

「警察学校を卒業して順調に警察官になった後、俺は地元の交番勤務のお巡りさんになった。交番てのは騎士団の小規模な詰め所みたいなやつで、お巡りさんはそこ勤務の騎士だな。で……」

 その先を続けるのを、ライルはほんの少しだけ戸惑いを見せた。

「あるとき、交番の担当地区を巡回していたら、騒いでた中年男を発見したんだ。雪の降る夜のことでさ。普通なら夜中になんて誰も出歩かねえような場所だ。そいつに職務質問したら、相手がナイフを隠し持ってて、グサッと」

 誰かが息を短く飲む音がした。
 ライルの前世での死亡シーンは、まるで他人事のように本人の口から語られている。

「んーと、ここだな。腹のとこ。すぐ医者にかかって治療してもらえば助かったかもしれなかった。でも雪が降っててさ……降り積もる雪が音を吸って消しちまって。助けを呼ぼうにも、相手と揉み合ったときに無線機を雪の中に落としちまったみたいで、見つけられなかった」

 無線機は説明なしでもわかる。魔導具で離れた場所同士でも通信できる機械がある。

 ライルが手を当てたのは、腹部の右側だ。急所の肝臓は逸れている。だが刃物で刺されたならすぐ治療せねば危ない位置なのは確かだ。

「交番に戻らない俺を心配して、他の警察官が来てくれたとは思うんだよなあ」

 だがその口ぶりだと、到着は遅れ、結果として前世のライルはそのまま助からなかったのだろう。



「……前世で、何か後悔などはないのか?」

 慮るように慎重に、ユーグレンが訊ねる。
 問われて、ライルは物事を思い起こすような顔つきになった。

「んー……まだ小っちゃかったガキんちょ……子供のことは心配だな。でも母ちゃんが育てるなら大丈夫だろ」

 案外後悔は少ないのだと、ライルはカラッと晴れた表情で笑う。

「あ、でも、そろそろ警察の剣道選手権大会が近かったんだ。死に際で浮かんだのが武道館の会場でさ」

 雪に埋もれながらの思念で思い当たるものといえば、それだ。

「……前の人生では、剣道をやっていたのだな」
「おう。中学のときの体育の先生がすっげえ有段者でさ。そこから剣道部に入って、中高とやってきて、警察官になった後も続けてた」

 前世から剣の道を歩み続けているとはすごい、とヨシュアやユーグレンが驚いている。

「今、剣豪を輩出するホーライル侯爵家に生まれて、剣の道に進んで実力磨いてるってのは、前の人生での想いを引き継いでるみたいな気がするぜ」