「ねぇ、俺と付き合ってよ」
毎日のように、君に言うセリフ。

「あたし彼氏はいらないから。いい加減わかってくれると嬉しいんだけど、佐藤くん」
そして毎日のように、君は淡々と俺を振る。

廊下側の前から3番目、君が座る席の横の窓を俺が開けて始まるこのやりとりが、良くも悪くも日課のようになっていた。

「アイツまたフラれてるぞ」
「もう漫才の域だな」
「わはは」
教室の中で、ヤジが飛び交う。
なんなら笑いさえ起こるから失礼極まりない。

「うるせーよ」
廊下からぼやく俺の声は、虚しく春の風にさらわれていった---。

そして、ムスっとした俺を見上げる君の表情は、変わらずクールなままで。
姿勢良く座るその姿は、長い髪をより綺麗に見せていた。

「………」
俺は、本気なんだけどな……奈津(なつ)---。


「こらこら君は1組でしょ、佐藤くん」
「あ、先生。おはよーございます」
背後からの声に振り向くと、担任の岡谷(おかや)先生が呆れたような顔つきで俺を見ていた。

女性にしては長身な岡谷先生に、悔しいかな167センチしかない俺は、わずかに見おろされているのだった。
ヒールの靴なんて卑怯だぞ…!

「おはよう。出欠とるから、教室に戻りなさい」
「…はぁい。奈津、また来るからな!」
「……」
"また来る"と言う俺に、いつも無言の奈津だけど、拒否られている訳ではないのだと根拠のない自信が湧き上がるから不思議だ。

まぁ、「来るな」と言われていないだけなんだけど。

俺は奈津に手を振ると、開けていた窓を閉めて自分の教室へと戻った。

俺は1年1組で、奈津は2組。
高校に入ってから知り合った---俺から、一方的に。

入学式の日に奈津を見かけて………一応おめでたい日だっていうのに、奈津だけが、簡単には言い表せない何とも複雑な表情をしていた。

少なくとも、楽しんだり喜んだりしている様には見えなかった。

でもそれが、俺の目を惹くにはじゅうぶんすぎたんだ。

弱さや(もろ)さを隠すために、凛としている様に見えた---。

俺の考えすぎかもしれないけど。

それでも、見なかったことにするなんて、出来なかった。

奈津は綺麗な顔をしているから、単純にそこに惹かれた部分もある。

これを一目惚れと言えばいいのか---わからないけど、この時から俺の中は奈津でいっぱいになった。

彼氏いらないとか言って、実は他校にいたりしてもおかしくはない。
そいつの前では、可愛く笑ったりするのかな。
だから俺には、ドライな対応しかしないのかも。

「…」
やめやめ、マイナス思考になるなよ俺。


「空くん、また岩田さんとこに行ってたのぉ?」
朝会が終わって、ふいに隣の席から可愛らしい声が届いた。
そして奈津のことを考える俺を、現実へと引き戻す。

「え?あ、うん。朝イチだったから担任に見つかって連れ戻された」

「えー、何それ笑える」
きゃははと笑う川野さんは、奈津と同じ中学出身らしく、俺にとっては良き情報提供者だ。

「前にも言ったけど、岩田さんてホント印象変わったよ」
岩田さんとは、奈津のことだ。

「空くんは無愛想な岩田さんしか知らないでしょ?」
「うん、まぁ…」
そして空とは俺のことで、川野さんは入学式の日から、俺のことを佐藤ではなくて、下の名前で呼ぶ。

「あたし岩田さんと同じクラスになったことはないんだけど、中学の時はフツーに笑う明るい子だった気がする。高校に入ってキャラ変したカンジ?2組の子も無愛想って言ってたもん」

「…」
キャラ変ねぇ…。
そんな単純なものだろうか。
てか無愛想とか…せめてクールって言ってくれよな。
川野さんは、奈津のことをあまり良く思ってないのかもしれない。

「あれ入学式の次の日だっけ、空くん廊下で岩田さんに告ってたでしょ。その時の岩田さんに正直引いたわ〜、何様⁈って」
そう言って眉をしかめる川野さん。

「いやいや、あれは奈津の方が引いてたと思うわ(笑)」

そう、俺が奈津に初めて「付き合って」って言ったのは、初対面の時だった。

そしてその返事は、無視(無言)だった。

俺の顔をチラ見して、何も言わずに教室に戻っていったんだ。

俺はその後を追って自分の名前を伝え、奈津に名前を聞き、それからは毎日のように奈津のところに通うようになった。

最初は「岩田さん」って呼んでいた俺も、あまり日が経たないうちに「奈津」と呼ぶようになった。

そして、今に至る。

「それにしても無視はないわぁ。空くんもめげずに頑張るね」
「おう。応援頼むわ〜」
「え〜っ、じゃあ立ち直れなくなった時は慰めてあげるよ(笑)」
「あはは」

半分くらい開けられた窓からは、あたたかな風が入り、楽しそうに舞っているようだった---…。
奈津も、同じ風を感じているだろうか。

俺はワイシャツの袖を、何回か折り曲げた。
日によっては半袖でもいいくらい暖かくなる。
衣替え前のそうした日は、みんなシャツの袖を折り曲げていた。

でも、奈津がそうしてる姿を見たことがなかった。
単純に暑さに強いのか?

「………」
俺はまだ、奈津のことを何も知らないんだ---。

ふと見上げた空は、青かった。



◇◇◇◇◇



《おーい大丈夫かぁ?》

明日からゴールデンウィークという5月2日の今日、奈津は学校を休んでいた。

休み時間、いつも通り奈津のところに行った俺は、そこで休んでいることを知らされた。

「ったくライン交換してるんだから、連絡くらいしろよなー…」
ひとりブツブツと小言を言いながら、俺は奈津にラインを送った。

「空くん誰かとラインしてるのぉ?もしかして岩田さん?あたしとも交換しようよー」
そんな俺の独り言を聞いていたのは川野さんで、
「え、まぁ…いいけど」
「やった!」
返事を聞くなり、いつもの可愛らしい声でそう言ってから笑顔を見せた。

そんなことより俺の頭の中は、奈津のことが気がかりで仕方なかった。


《ただの風邪だから》
《大丈夫》

奈津から返信がきたのは昼休み、1階の購買でパンとおにぎりを買った帰りだった。

短い言葉を絵文字もなくブツンブツンと送ってくる---男みたいにあっさりとしたそれが、奈津のスタイルだ。

《熱は?もー心配したじゃん、休むなら連絡してよ〜》

《そんな義務はないよね》

「…」
ごもっとも。

こうやってラインを送るのはいつも俺からだし、毎回返信があるとは限らない。
今日は返信があるだけよしとしよう。

《熱はない》
《頭が痛いだけ》

《そうかー、ちゃんと寝てなよ?無理すんなよ?てか明日から連休だから、風邪治ったら遊ばない?》

パンをかじりながら待つ返信が、こんなにも待ち遠しく思ったことはなかった。

《なんで?》

「…ン…!……ゴフッ…ッ!」
危うく口に含んだお茶を吐き出すところだった…なんでって……理由なんて、ひとつしかない。

《奈津に会いたいからに決まってるじゃん。どっか行きたいところとかないの?》

《遠く》

え---…。



《遠くに行きたい》

「………」
それはあまりにも予想外の回答で、返すことができないまま、午後の授業が始まるのだった。

そして天気予報通り、暗い雲からは雨が降ってきていた---。



◇◇◇◇◇



「奈津ぅー、何で連絡くれなかったんだよ〜」
結局、奈津には会えないままゴールデンウィークが明けてしまい、俺は奈津の顔を見るなりふてくされているのだった。

「…義務はないって、言わなかった?」
それなのに、奈津は相変わらずクールで、座ったまま俺の方を見ようともしない。

「なんだよ冷てーなぁ(泣)」
「…」
俺の訴えが奈津の耳に届くことはなく、いやきっと聞こえてはいるのだろうけど、奈津は手際よく次の授業の準備をしているのだった。

「あ!そうだ奈津!遠くに行こう!行きたいところがあるんだろ?」
「え、」
驚いたのか、奈津と目が合った。
「俺バイト始めたんだ!って言ってもまだ2日しか働いてないけど。だから夏休みには---」
「無理」

"夏休みには、奈津の行きたいところへ行こう"

俺の言いたかった言葉は、奈津の冷たい2文字にあっけなく遮られてしまった。

「え、なんで…」

奈津の《遠くに行きたい》を叶えたくて、俺は近所のコンビニでバイトを始めた。
"急募"の貼り紙が幸いしてか、すぐに雇ってもらえたんだ。
それなのに…。

「あたし、引っ越すから。だからもう、会うこともないし」
「は?なんだよそれ…」
淡々と話す奈津に、俺は納得がいかなかった。
「じゃぁ高校も転校するのかよ…まだ、5月だっていうのに?入学したばっかじゃん、ありえねーよ。引っ越すってなんなんだよ…」

「休み時間、おわるよ?」
「………」
奈津の冷静な言葉に、俺はしぶしぶ教室へと歩かされた。


「空くんどうしたの?」
力無く席につく俺の顔を覗き込むように、川野さんが言った。
「うん…別に…」
「これはあたしの出番?」
「大丈夫だから」
「そう?とんでもなく暗い顔してるから、てっきりそうなんだと(笑)」
「いや…うん…ちょっと落ち込んではいるけど」
「ふーん」
それっきり、川野さんは何も言わなかった。

それから放課後まで、俺は全てに上の空だった。

"引っ越すから"
"会うこともないし"
奈津の声だけが、俺の中に貼り付いて離れなかった。


夏の準備をしているだろう空は日に日に高くなっていて、俺と奈津の距離も、このまま離れていく一方なのかもしれない---突きつけられた現実に、そう感じるしかなかった。