「やっと一歩踏み出せた。」

ずっと話したかったのに半年も経ってしまった。どう話しかけようと考え続けて半年。我ながら奥手すぎだ。突然で、相手は驚いただろうか。
でも、やっと話しかけれた。
不思議な出来事も気にならないくらい恋に夢中だった。

今日の私は気分がいい。好きな人と話せたから。

絵が好きだから入った芸術大学。
何しても中の上くらいの私が憧れる天才肌のクラスメイト。物静かなのに目を惹く人。

「あなたの作品が好きだから、描いてるところ見てていい?」
なんて半年近くも話さなかったクラスメイトに話しかけられてびっくりしたかな。
でも「作品の好みが似てると思ってた!」と返してくれたので印象は悪くないだろう。

気分がいいからアイスを買った。夜風は涼しいけど、まだじんわり夏の暑さも感じるのでアイスが溶ける前に公園のブランコで食べることにする。

スイカ味のアイスを食べながら、明日からなんて話しかけようなんて考えていたら、猫が寄ってきた。白の毛並みに青と黄色のオッドアイ。綺麗だけど野良猫だろうか。
「あなたの縄張りだった?ごめんね。」
なんて返事を期待せずに声をかけてみる。

「お気になさらず。それより私の話し相手になってくれないか?」

驚いたことに返事があった。

猫がしゃべった。まるでアテレコしてるみたいだ。でも、見渡しても周りはその猫1匹で。
「隣を失礼。」
なんて言いながら隣のブランコに飛び乗った。
「話し相手になってくれないか?」
私が返事をしなかったからか、もう一度聞いてきた。
「いいけど、私、アイスしか持ってなくて、あなたの食べれるもの持ってない…」
「大丈夫。お腹は空いてないんだ。」
野良猫ならネズミとかを食べたんだろうか…なんて考えかけて、アイスが不味くなる気がして、やめた。

「あなたの話を聞けばいいの?」
「いや、君の話をしてほしい。人の話を聞くのが好きでね。」
なるほど。ちょうどいい。私は友達に恋バナはしない。だけど、猫が相手なら話してもクラスメイトに言いふらすなんてこともないだろう。

「私の恋の話でも?」
「もちろん。」

それならばと今日の話をした。憧れていたクラスメイトに声をかけたこと。相手が私と作品の好みが似ていると言ってくれたこと。
猫は意外にも聞き上手で、私はアイスを食べ切っても話し続けた。明日なんて話しかけようかという悩みまで話し始めたときに
「話を止めて申し訳ない。まだ聞きたいけど、あんまり遅い時間はよくない。人間は夜は危ないんだ。」
と話を切り上げられた。猫に話を止められるとは少し恥ずかしい。そして、この猫、なかなかの紳士だ。

「また来てくれないか?話の続きを聞きたいからね。」
毎晩ここにいるらしい猫はそう言って私を見送ってくれた。少し歩いてから振り返ってみると、青と黄色の目は、まだこちらを見ていた。

下宿している部屋に帰る。アイスの空袋を捨てながら、猫がしゃべるなんて、誰かに話したら、引かれるか不思議ちゃん認定だろうか、なんて思って人には話さないことにした。

明日、好きな人に話しかける内容を悩みながら、スマホで猫が食べられるものを調べて寝た。
猫としゃべった日から私は恋バナをしたいときに、例の公園に行くようになった。

猫は疾患がなければ少しならスイカを食べられるらしいので、コンビニのカットスイカを分けながら話したこともあった。

好きな人の話をするのはとても楽しかった。
「授業で他の人といつも一緒だったのに、今日は私の隣にきてくれたの!私の隣がいいって言ってくれたんだよ!」
「なるほど、他の集団にいたのに君の隣を選んだのか。それは嬉しいな。」
なんて人間のように相槌を打つものだから話がはずんだ。

「今日は寒いからって手を繋いでポッケに入れて歩いたの!」
「手を繋ぐなんて猫の私には出来ない経験だな。」
「クールな人なのにそんなことするなんて珍しいし、実は付き合ってるでしょってクラスメイトに言われちゃった〜」
と惚気たり、
「休み明けに久しぶりに会ったら駆け寄ってきてハグされて!」
「君に会えたのが嬉しかったんだろう。」
と浮かれた報告をしていた。

そんな生活が半年ほど続いた。私の恋バナは嬉しかったことを話すのが定番だった。

『猫さん』は自分の話はあまりせず、聞き役に徹することが多かった。オスなこと、フルーツをちびちび食べるのが好きで、そして猫にしては紳士なことしか分からなかった。

私が話をしている時は、隣のブランコに座って、前を見て、片耳だけをピクピクさせて話を聞いていた。その様子は、まるで私が独り言を言っているようにも見えたと思う。
向かって話をすればいいのに、これが普通になってしまった。あと、最初に名前の話をすれば良かった。呼び方が『猫さん』で定着してしまった。
その日も公園に行った。
マフラーをぐるぐる巻きにした私を見て『猫さん』はいつものように
「いらっしゃい。今日も話し相手になってくれないか?」
と言った。早足で少し乱暴にブランコに座った私の隣のブランコに『猫さん』が飛び乗る。
「恋人がいて、引っ越すんだって。」
私は堰を切ったように話し出した。『猫さん』はいつものように真っ直ぐ前を見て、目も合わせず話を聞く。

好きな人が遠くに引っ越すこと。自由で人にとらわれないところが好きだったのに、恋人と一緒に住むために引っ越すなんて、存外普通の人間だと話をした。
醜い言い方とも分かっていた。でも止まらなかった。私が勝手に好きになって勝手に振られただけなのに。

片耳をピクピクさせながら黙って話を聞く『猫さん』に全てを話したくなった。

「私の好きな人、女の子なの。叶わないって思ってた。言わなかったから気づかなかったでしょ?」

話す時にわざと相手は男性かと思うように話してた。私だって普通に叶う恋愛をしていると思いたかったから。「それってあの子?」なんて聞くことのない『猫さん』だからそう話していた。

やけくそになってネタバラシのように言ったら、『猫さん』はゆっくりこちらを向いた。普段は帰るときにしか見ない、青と黄色の目がしっかり私を見ている。

「君が女性を好きなことは知っていたよ。」

『猫さん』はそう言った。
『猫さん』は私の恋愛対象を知っていたらしい。

予想外で失恋したショックで出ていた涙が引っ込んだ。目を見開く私を正面から見ながら『猫さん』はもう一度、

「君が女性を好きだと知っていたよ。」

と言った。『猫さん』は続ける。

「君が私に声をかけるよりも前から君を知っていたし、君を見たことがある。学校の帰り、妙な距離で人を追いかけていただろう?」

と言った。心当たりがある。私は春頃に好きな人に話しかけるタイミングを掴めず何回か後ろをついて帰っていたことがある。あんないかにもストーカーですというような様子を見ていたのか。驚きすぎて口の中も渇いてきた。何もかも知っていて聞いていたんだ。

「なんで何も言わなかったの?」
とカサついた声で聞いた。知っていたなら言えばいいのに、そんな様子も見せず私の話を聞いていた理由を知りたかった。

「好きなひとの声を聴きたかった。内容はどんなことでも良かったんだ。」

『猫さん』の返事に私の涙は完璧にどこかにいった。
私は夜なら外に出ていいらしい。太陽の光が目に良くないから、とご主人が言っていた。
1匹で外に出るようになったのは、ご主人が一緒に外に出ることが困難になったから。
「お互い『短命』らしいな。」
なんてベッドに寝転んだまま、よく分からないことを言っていた。

夜に出かけるのが日課になった私は大きな建物を見つけた。人間がまばらに出てくる。特に面白いものでもないが、他にすることもないのでこの大きな建物から出てくる人間たちを見ることも日課にした。

しばらく経ったころ、彼女を見かけた。大抵、友達らしき人間と一緒に出てくるのだが、たまに1人で、ある人間と少し距離をとりながらこそこそ歩いている。そして途中で肩を落として距離をとって歩いていた人間とは別の方向に帰っていく。

少し気になって、肩を落として歩く彼女の後をつけてみた。すると、何か言っている。聞き取りづらいが話しかける練習をしているようだ。なるほど、彼女は追いかけていた人間の女性に恋してるらしい。その日から、彼女の独り言を聞くために私もこっそり彼女の後をついて行くようになった。

ある日、ご主人の側でうとうとしていたら、何かに話しかけられた。

「ひとつだけ変えてやる。」

それは神様とか悪魔だとかいうものなんだろう。
ふと、彼女を思い出した。恋をしている可愛らしいあの声で私に話しかけてくれたなら。
ただ、変えれるのはひとつだけ。私が人間の男になろうが、猫のメスになろうが、彼女は私を好きにはならないのだろう。しばらく考えたあと、私が選んだのは『自分の話せる言葉を変える』ことだった。

いざ話せるとなると話しかけるタイミングが分からない。肩を落とす彼女の気持ちが分かった。
そして、半年経つころ彼女がブランコに乗ってるのが見えた。なにやらご機嫌で、近寄ると声をかけてきた。
「あなたの縄張りだった?ごめんね。」
「お気になさらず。それより私の話し相手になってくれないか?」
そう返すと、話しかけてきたくせに彼女はとても驚いていた。私だって人間と話すなんて不思議な出来事だ。だけど彼女と話すことができたのでなんでも良かった。

その日以降、彼女は私に恋の話をするために公園に来るようになった。恋している可愛らしい彼女の声は、片耳しか聞こえない私にも心地よく聴こえた。最近、長く眠るようになった私は彼女の声を思い出しながら眠るのだった。