彼女の彼氏になったら、したいことはたくさんあった。

 映画館デートに水族館デート、動物園デートにちょっと遠くへ旅行もしたかった。

 誰の目にも見えない幽霊になって彼女に付きまとっているなんて、未練がましいと思われるかもしれないけれど、どちらかというと僕は守護霊であるので、付きまとわないと意味がない。

「猫氏、ただいま」

 浮かない顔をした彼女が居酒屋から帰ってきた。玄関で出迎えた猫氏は「ニャーオ」と小さく鳴いて踵を返す。僕は彼女の前に立って「おかえり、ちづる」と出迎えた。

「…………」

 もちろん返事はない。彼女は冷蔵庫を開けてペットボトルの水を呷った。

「猫氏ー、聞いてー。常務と香織先輩、デキてるらしい。明日からどんな顔して香織先輩と接すればいいんだろう……」

 彼女はキッチンから猫氏に向かって愚痴をこぼす。猫氏は聞いているのか聞いていないのか、伸びをしながらクワッと欠伸をした。

 ローテーブルには『ご出席・ご欠席』と書かれた華やかな手紙と、『10/8七回忌』と書かれたノートの切れ端が置いてある。

「気まずいよねぇ……って、ちょっと、猫氏、聞いてる?」

 猫氏は顔を洗い始めた。彼女の話に全く耳を傾けていないようだ。でも『人間も大変だなぁ』くらいは思っているかもしれない。幽霊である僕でも猫氏とは会話ができないので真相は闇の中だ。

 彼女はテレビも点けずにローテーブルの前に座った。体育座りで顔を両ひざにうずめる。僕もその隣に座って、彼女の体温を感じた。

 どうして僕は彼女の体温を感じられるのに、彼女には僕の体温を分けられないのだろう。触れようと手を伸ばしてみても、彼女には触れられない。その事実は僕の胸を痛いくらいに締めつけた。

 すると猫氏がゆっくりと彼女の横にやってきて、前足を横腹にかけて立ち上がった。どうやら顔を覗き込もうとしているらしい。しばらく彼女は無言だったが、突然フッと鼻で笑うような音を出した。

「ちょ、猫氏、くすぐったい……!」

 横腹は弱点らしい。なるほど、覚えておこう。

 彼女は猫氏を抱き上げた。

「気にしてくれてるの? ありがと。ちょっと元気出た」
「ニャーオ」
「んふふー。猫氏猫氏ぃぃ」

 お腹に顔を近づけて匂いを嗅ぐ彼女。猫氏は抵抗せず、されるがままだった。

 猫氏に嫉妬するなんて僕もまだまだだけど、生者と死者の壁はどうやったって超えられない。でも人間と動物の壁もどうやったって超えられないので、お相子だと思っている。

「あー、癒される~」

 彼女がとろけるような顔を見せるのなら、それでいいかなと思う。そんな彼女のそばにそっと寄り添えることができるのなら、それでいい。

「猫氏、大好き」
「ニャーオ」
「……猫氏ズルい。ちづるは僕のなんだけど」
「猫氏猫氏ぃぃぃ」

 彼女の猫氏に対する愛が深すぎるところを見せつけられると、やっぱり彼女の彼氏になりたい、と思う僕だった。


END.