息も飲めない瞬間を

功罪の天秤 - 02/24 20:51
ホテルに着き、キャリーケースとコンビニで買ったおにぎりの入った袋を放る。おにぎりを2個、胃に流し込み軽く緑茶を口に含む。それからホテルの部屋の様子を見に行く。あまりホテルに泊まることがなかったもので、意図せずとも気分が高揚してしまうのだが、シャワーとトイレが同じ部屋なのはいただけない。安いホテルだからと割り切って風呂に入る。こうやってゆっくり湯船に浸かるのはいつぶりだろうか。時間に追われてただ毎日やるべきことをこなすのも悪くはない。しかしこうやって生きている瞬間をただ生きていると感じる毎日もまた悪くはないと感じる刹那、片時も脳裏から離れない受験という苦痛はその意識を無かったことにした。

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明日の準備も済ませ、すぐに部屋の電気を消してフットライトだけにした。暫くベッドに横たわり、眠気が襲うその瞬間めがけて全消灯にした。いつ眠りに落ちたのかはわからないが、悪くない寝心地だったと思う。

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カーテンから漏れる朝日が僕に意識を取り戻させる。身支度を済ませて、数学の軽い演習を数題こなして早々にホテルを出た。電車に揺られること10分、徒歩で6分、さあ受験会場は目の前だ。


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終戦 - 02/25 18:17
試験がようやく終わった。僕は何も感じなかった。何も感じられなかったの方が近いのかもしれない。初めて見るはずなのにやけに知ったような足で駅のホームを歩く。ここから待ち合わせの場所までは電車でだいたい二十分。試験を終えて疲れ切った頭にはちょうどいい休み時間だ。
地元とはまるで違う車窓を横目にただ無心に怠惰で傲慢な自分を懺悔する。後悔なんてないと言えば嘘になるがこれ以上何も出来なかったのも事実だ。身に備えた性根を心から憎んでいる、そんな自分もいないわけではない。
乗客が足早に車両を後にする。目的地に着いたようだ。すぐに荷物をまとめて改札を後にした。

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すぐに連絡が来た。蕾衣がどうやら改札前まできてしまっているらしい。服装は伝えてあったので既に僕を見つけているのだろうが、僕はさっぱりだ。Discordで連絡を取っていたら、どこから来たのだろうか、一人の女の子が近くに来た。いや、女の子というには大人だが女性というには落ち着きのないような。僕が気にせずスマホに目を戻そうとすると、
「あのー、」
視界はすぐに元に戻った。やはりこの人が蕾衣なのか。
「陽くんですか?そうだよね!背高っ!え、ほんとにさ少しくらい身長分けてくれても__」
第一声がそれか。まあ、らしいといえばらしいが。このテンションで話しかけると調子が狂う。何か話しかけられているようだが、ついていけない。彼女の高い声は僕の耳を突き刺しそれ以上の情報を受け入れさせていないようだ。その様子を見て僕がまるでうわの空のように見えたのだろう。声の調子を抑えて、
「試験おつかれさま。」
それからというもの、予定していたカフェに行き用意してきたのであろう話題について何気なく語り合う数時間。それは長いようで短かった。

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「もうこんな時間かー!あっという間だね」
そうだね、と言いたいのに言えなかった。その後に来る言葉に狼狽えていたからだ。
「あのさ、」
不意に言葉が漏れ出した。心の声に耳を傾けない僕の声は朧気ながらも生き続けていた。
「合格発表一緒に見てくれない、、かな」
何てことを言ってしまったんだ。落ちているに決まっているのにわざわざそんな提案をするなんて。沈黙は長く続いたようだった。カフェの前に立っている僕たちには理不尽にも冷たい夜風が吹き付ける。
__やっぱり忘れて。とも言えないまま蕾衣が口を開いてしまった。
「いいよ。一緒に見ようよ」
それからのことはあまり覚えてないが多分そのまま解散したんだと思う。僕は一連の行動に無礼がなかったことを帰りの電車の中でただ祈ることしか出来なかった。

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闇夜に浮かぶ月のよう - 03/08 20:30

大阪から北海道に帰って十数日が経つ。まだ後期試験が残っているというのに帰ってきてからというもの、ほとんど何も手をつけられない。
明日はとうとう合格発表の日だ。泣いても笑ってもこれで人生の大部分が決まるようなものだ。実は以前から合格発表の瞬間を今まで親交のあった人と過ごしたいと思っていたのだ。
仲が良い人、喧嘩別れをしてしまった人、お世話になった人、しばらく話していない人など、少なくとも二十人には声をかけた。しかし、その提案もむなしくほとんどが断られた。中には、僕のことをまだ嫌っていて敵対心むき出しの文章で攻撃する人さえいた。ここでは明言を避けるが、作中で登場しているうちの一人であるとだけ記しておく。
最終的に明日の09:50、通話部屋で会おうと言って、来てくれるのは蕾衣だけだった。

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()の旅 - 03/09 (時刻不明)

やけに窓が暗い、何時だろうか。僕は吹き付ける雪の轟音で起きたらしい。早く目覚めてしまった僕を心配そうにこちらを見つめる。二度寝をしようか悩んだが、僕は吹雪の中散歩をすることにした。
家を出てドアを見るとやはりドアの前は吹き溜まりによる氷雪でまもなく開かなくなるんじゃないかというほどだった。
ドアを見つめていてふと思った。そういえば、どこへ行くか考えていなかった。僕は散歩を日常的にする方ではないし、今散歩をしようとしているのもただの気まぐれだ。散歩と言えどもやはり、ゴールがないと散歩をした気分にすらなれないだろう、とか考えながら歩いていたのは最寄り駅までの道だった。最寄り駅までは友人の家が二つある。どちらも小学校からの付き合いだ。横断歩道を二つ越えて最寄り駅に到着した。思い返すと普段の吹雪なら長く感じているはずの道程も今日はなぜか短く感じた。
少しだけはやる気持ちを抑えるために駅のベンチに座り、目の前を流れる人流を追った。そうか、僕がどう生きていようが世界というのは変わらない。世界というのを気持ちを伝えられなかったある人に置き換えるとなんだか物思いに更けるような心地だ。
数十分は経っただろうか、そろそろ家に帰ろう。重い腰を上げて駅の窓ガラスを通して外を見ると来た時と景色は変わらなそうだった。
帰りは来た時の道と少しだけ違う道を通った。これは下校するときの道だ。共通テストの自己採点の結果を伝えに行ったあの日からもう学校には行ってなかったが、六年通った道というのは無意識にでも通ってしまうものだ。

家に着いた。玄関の戸を開けると外の寒さとは一転して家の中は暖かいとよく感じる。冬の北海道の家の室温は全国で一番高いんだっけ。今は必要ないのに地理の知識が少しだけ蘇った。母の甲高い声が僕の耳を刺す。どうやら朝ごはんの時間らしいが、気持ちの高ぶりが落ち着いたのかひどい眠気が僕を襲う。僕は朧な意識でスマホの目覚ましを09:40に設定する。起きれるといいのだが。

やはりよく眠れなかった。アラームのかかる一分前に目が覚めた。アラームの音量を確かめていなかったので、良いと言えば良いが、何とも言えない意識の錆びつきが僕をどうも本調子にさせなかった。

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将来なんて - 03/09 09:48

約束通り、通話部屋を立てて合格結果の出る午前10時を待つ。
「もし落ちてても、うちはぽまえのこと応援してるからな」
通話を断ったのになんだかんだ見ているんじゃないか。いつ話してもやっぱり面白い人だという僕の友人Aに対する感性は間違っていなかったらしい。外の猛吹雪の喧騒とは対照的な、やけに静かな我が家の一室で僕らはきっと同じことを願っていた。

合格発表のサイトが更新された。画面共有で見守る僕の友人たち。

……

そこに番号はなかった。外の吹雪の音がこんなにも大きく聞こえたのは初めてかもしれない。無言で何を言うべきか勘ぐっているようだった。

「ごめんね」

咄嗟に出た言葉がこれだ。全く成長などしていなかったのだ。いつまでも寒さに震える狐のように自分の無力さを痛感した。
今までの流れ、そしてこれからの道標を考える。僕はある決断をこの時迫られていた。

「やっぱり落ちてたかぁ!蕾衣に会えないのは残念だけどみんなは僕のことなんて気にしないで幸せに過ごせよな!!」
僕はそう言って通話部屋を削除した。こうすれば、彼女が不合格という余韻に浸ることがなくなる、とまでは言わないがせめてもの僕なりの配慮だったことを理解してほしい。

誰もいなくなった僕の部屋で僕は何をすれば良いのだろうか。答えが分かっているはずの問いを心に突き刺す。それが間違いでも構わない。それを咎める人の声はもう僕の意識には届かないのだから。

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物語はこれで終わりのようだ。短いようで長かった。