「ごめん!」
 星次(せいじ)が頭を下げた。
「やっぱり、どうしても音楽家への道は諦められない。だから就職はしないでバイトしながら楽団に欠員が出るの待つ事にした」
 星次が頭を下げたまま言った。

 大学の卒業祝いを言いにきた歌夜(かよ)に星次が謝った。
 歌夜も数日前、高校を卒業した。
 両親のいない歌夜は既に就職先が決まっている。

「いつになるのか分からないから待っててとは頼めない……」
 歌夜に両親がいなかった事もあり以前から結婚の話はしていた。
 歌代は進学しないから卒業後すぐに結婚しても問題ない。
 だが不安定なバイト暮らしで結婚してくれと言う訳にはいかないと思ったのだ。

「そうだね。私も待ってるのは(いや)だな」
 星次が肩を落とした。
「だから一緒に暮らそ。一人より二人の方が生活費も安上がりだって言うし」
「いいの!?」
「うん」
「やった! ありがとう!」
 星次が歌夜を抱き締めた。
「その代わり、私の夢も(かな)えて」
「いいよ、何?」
「プロポーズされる事。今のは結婚の申込じゃないからね」
「分かった! 結婚して!」
「もう。全然ムードないんだから」
「あ、ごめん」
「……いいよ」
「やった!……で、いいんだよね?」
 星次が心許(こころもと)なさそうに歌夜の顔を覗き込んだ。
 歌夜が頬を染めて(うなづ)いた。
「やった!」
 星次が再び歌夜を()()めた。
「君の為にセレナーデ()くよ」
「それはやめて」
 歌夜が即答した。
「え、なんで?」
「恥ずかしいからに決まってるでしょ」
「そ、そっか……」
 星次は残念そうな表情を浮かべた。

「盛大な結婚式、()げられたら良かったんだけど……」
 役所の窓口に婚姻届を出した帰りだった。
 星次の言葉に、歌夜は、
「結婚式は、いらない」
 ぽつりと答えた。
「え?」
「お父さんとの入場とか両親への花束贈呈(ぞうてい)とか……そう言う人いないもん」
 歌夜が寂しそうに言った。
 歌夜は幼い時に養子に出されたのだが、養父母が小学生の時に離婚し養母に引き取られた。
 その養母も去年亡くなり歌夜はバイトをしながら学校に通っていた。
 就学支援金制度(しゅうがくしえんきんせいど)があったので生活費さえ稼げばなんとかなった。
 星次は両親がいるものの音楽家になると言って(ゆず)らなかったので勘当(かんどう)されている。
 その時、携帯電話の着信音が鳴った。
 星次はポケットから携帯電話を取り出した。
 メールが届いている。

「今夜空いてるかだって。予定ある?」
「無いよ」
「俺も」
 星次がメールを返信すると、すぐに返事が来た。
「今夜来てくれって」
 星次が飲食店の名前を言った。
「行ける?」
 星次の問いに、
「うん」
 歌夜は頷いた。
 星次はメールを返した。

 その晩、二人のために星次の友人達がささやかなパーティを開いてくれた。
「盛大な結婚式よりこっちの方がずっといい」
 歌夜がそう言うと、星次は、
「俺も」
 と嬉しそうに微笑(わら)った。

 職場で歌夜が帰り支度をしていると星次からメールが届いた。
 駅前の広場で待っていると書かれていた。
 星次は今日、今度の日曜に出演する演奏会の練習に行っている。
 一緒に帰ろうという誘いだろう。
 わざわざ待ち合わせなんかしなくても家に帰れば嫌でも顔を合わせるのに。
 そう思いながらも了承(りょうしょう)した(むね)の返信をした。

 星次は駅前で歌夜を見付けると近くの公園に連れていった。

「どこに行くの?」
「ここに座ってて」
 星次はベンチを指した。
 歌夜が座ると星次はクラリネットのケースを持って植え込みの前に立った。
 クラリネットを取り出すと『愛の挨拶』を吹き始める。
 道行く人達が足を止め始める。
『エリーゼのために』や『ムーンライトセレナーデ』など数曲吹いてから歌夜のところに来た。

「これなら恥ずかしくないよね」
 星次が名案だろうとばかりに得意気な表情で言った。
「バカ」
 歌夜は苦笑いした。

 数ヶ月後、狭いアパートの一室で星次がクラリネットで『愛の夢』を吹いていた。

 歌夜が困ったような笑みを浮かべながら、
「また近所の人から苦情が来るわよ」
 と言った。
「今日は、お隣も下の階も留守だから大丈夫だよ」
 吹き終えた星次が答えた。
「そうやって恋人に演奏するの、なんて言ったっけ」
「セレナーデ。日本語で小夜曲(さよきょく)。小さい夜の曲って書いて小夜曲って言うんだ」
 星次の言葉に、
「小夜曲……じゃあ、もし女の子なら『小夜(さよ)』っていうのは?」
 歌夜が言った。
「え、もしかして……」
 驚いた表情の星次に歌夜が照れたような笑みを浮かべた。
「前に『愛の挨拶』を吹いてくれたでしょ。多分、あの日の……」
「やった! じゃあ、次は小夜のためにシューベルトの子守唄を……」
「まだ女の子かどうか分からないのに」
「子守唄なんだからどっちでも……」
 星次の言葉は大きなノックの音で(さえぎ)られた。
「部屋で楽器の演奏しないでって何度言ったら分かるんですか!」
 外から大家さんの怒鳴り声がして二人は首を(すく)めた。
 星次は大家さんに謝るために玄関に向かった。

 歌夜は病院のベッドの上で溜息を()いた。
 つわりが(ひど)くてもう一ヶ月以上入院していた。
 十二月になるとどこも第九の演奏会をする。
 演奏会の数が多いため、楽団に所属していない演奏家も臨時で呼ばれる機会が増える。
 ただ第九の演奏会は数が多すぎるので有名な楽団でも空席が出る事があるくらいだ。
 まして普段でもチケットが売り切れないような楽団では小さなホールでもチケットを(さば)ききれない。
 その為、楽団によっては出演者にチケットの割り当て(ノルマ)があった。
 ノルマが捌けなければ自腹(じばら)を切らなければならない。
 それでも演奏会に出れば関係者に顔つなぎが出来るので本来なら生活を切り詰めてでも引き受けるところなのだが今は歌夜の入院費で余裕がなかったからノルマがあるところは全て断った。
 高額療養費(こうがくりょうようひ)制度を利用しても二人にはかなりの負担だった。

 星次は今日、唯一ノルマが無かった演奏会に出演している。

折角(せっかく)の演奏会、聴きに行きたかったな」
 歌夜が呟いたとき、(かす)かにクラリネットの音が聴こえてきた。
 窓辺に立って下を見ると星次が病院の門の前でクリスマス・ソングを吹いていた。
 時計を見ると、もう演奏会は終わっている時間だった。
 病院と門の間は広いロータリーになっているし、門の前は大通りだから苦情は来ない。

「この寒いのに。バカ……」
 歌夜は(あふ)れてきた涙を(ぬぐ)った。
 星次は門の前でクリスマス・ソングを吹き続けた。

       完