となると疑われる呪いの種類はどの世代も知っているようなものということになる。
なるほど、と来光くんが素直に指摘を受け入れた。
お?と目を丸くする。珍しくいい雰囲気だ。
「となると呪いの種類は大衆にも知れ渡っているものか、調べれば素人でも出来るものの二択。今回の呪いの規模からして、調べれば素人でも出来るものの確率が高くなる」
恵衣くんが脇に広げていたもう一冊の本を一度閉じて、表紙を見えるように私たちに差し出す。二人してそれを覗き込んだ。
「呪詛完全マニュアル?」
タイトルを読み上げて眉をひそめた。
なんとも物騒なタイトルだ。
「普通に世の中に出回ってる代物だ。ざっと中を見たところ、修験道に基づいた呪術が記されている。かなり詳細にな」
修験道……聞き慣れない単語に首を傾げる。
自分で調べろ、と睨まれて首をすくめながらスマホで検索する。
修験道、古代日本で山を崇拝する山岳信仰と密教と道教の要素が混ざって成立した日本独自の宗教のことらしい。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」でお馴染みの邪気を祓う九字切り────九字護身法がその修験道の作法のひとつらしい。
へぇ〜、と頷きながらもう一度本を覗き込む。
恵衣くんはパラパラとページをめくると、とある箇所で手を止め指を指した。
指をさした先には太字で「怨敵を呪殺させる秘法」と太字で書かれていた。
呪殺、という単語に眉を顰める。私たちの世界では嫌煙されている言葉だ。
丸数字でその方法を順序だてて説明しており、ざっと目を通しただけでも直ぐに内容は理解できた。用意できないものがある場合の代わりになるものまでご丁寧に記されていて、今すぐにでも実行出来そうな気がする。
「能力者ではなくとも、決められたこの手順を踏むことで強い呪いを発生させることが出来る」
「なるほど……ノブくんはどこかで呪詛の知識を手に入れてそれを実行した可能性が高い、と」
「ああ。ただそれだけじゃ絞り込むには情報が少な過ぎる。絞り込むためにも三好正信が使用した媒介を見つけたい」
「校舎をざっと見て回って目につくようなものが無かったから、恐らく手のひらサイズかそれより小さいものじゃないかな」
「だとしたら皿や筆なんかの骨董品、人毛、動物の皮や骨……生きた小動物や虫も可能か」
あれだけいがみ合っていたのに、急に真剣な顔で話し込み始めた二人。
因縁の相手ではあるけれど、もしかして相性はなかなかいい方なんじゃないだろうかなんて推測する。
それにしても骨董品ならまだしも人毛や動物の皮、生きた小動物や虫なんかも媒介に使用されると思うとゾッとする。
二年生から呪いの授業が本格的に始まるけれど、行く行くは自分もそういうのを使って呪いを発生されるのだろうか。
そんな事が脳裏をよぎりブンブンと首を振った。
駄目だ、今は深く考えないでおこう。
「その辺のものを媒介にする呪詛を調べてみようか」
来光くんの提案に「分かった」と頷く。
返事はないものの本に手を伸ばした恵衣くんもちゃんと協力する気はあるらしい。
「恵衣その本取って」
「自分で取れ。そんなことも出来ないのかお前は」
「人が頼んでるのに何その態度!?」
「だったらそれが人にものを頼む態度か?」
前言撤回。この二人、いい雰囲気でもないし相性も良くない。
ダメだこりゃ、と額に手を当てて深く息を吐いた。
「注連縄」
現世と常世を区切るための標。
「泰紀それ向きが違う。もうちょっと右」
「こうか?」
「行き過ぎ行き過ぎ、ちょっと左に戻して」
約束の時間になって社務所に集った私たちは、千江さんに頼まれて本殿で神事の用意をすることになった。
恐らく権宮司たちが持ち帰ってくるであろう呪いの媒介を修祓するための神事だ。
そういう神事は初めてなので、借りた教本を見比べながら祭壇を整えて行く。ああでもないこうでもないと言いながら三十分くらいかけてやっと完成させた。
千江さんの合格も頂戴し、祭壇の前に丸くなって座る。真ん中には禰宜から借りた本を広げて皆各々に覗き込む。
「俺も実は気になってたんだよね、最後まで任せて貰えなかったこと。タイムリミットが迫ってるとは言え、やっぱり任された仕事は最後までやり遂げたいじゃん」
「俺もせっかくなら最後まで見届けてぇかな」
「俺も俺もー!」
集まる前に三人で呪いについての調査を続けていたことを話せば、自分たちもやりたいと名乗り出てくれた嘉正くんたち。
結局やはりみんなで呪いを突き止める調査を続けることになった。
わいわいと賑やかな雰囲気で始まって、恵衣くんは物凄く迷惑そうな雰囲気を出していたけれど、来光くんと議論するうちに直ぐに真剣な顔になる。
私も負けてられないな、と気合いを入れ直した。
そして二時間後、時刻が丑三つ時に差し掛かった頃にやけに周りが静かな事に気がついた。
パッと顔を上げると慶賀くんと泰紀くんが後ろにひっくりかえって眠っている。嘉正くんですら少し眠そうに目頭を抑えては欠伸をこぼす。
仮眠を取ったとはいえ普段なら眠っている時間、昼間は色々あって疲れているだろうし仕方ない。
私も頬を叩いて気合を入れて何とか意識を保っているような状況だ。
「慶賀泰紀、起きて。一応僕達は待機組なんだから、ひっくり返って寝こけるやつがあるか」
来光くんにおでこを弾かれた二人が「フガッ」と変な音を立ててのそのそ起き上がった。
「やっぱりこれだけの条件が揃ってても絞り込むのは難しいね」
ふぅ、と息を吐いた来光くん。
「呪い関連の授業が始まってたら良かったんだけどね」
「あーあ、悔しいなぁ。禰宜たちもそろそろ終わった頃じゃね? 帰ってくるまでには俺達で突き止めたかったのにな〜」
「半分以上も寝てたヤツが僕らと同じレベルで悔しがるなッ!」
欠伸をこぼした慶賀くんにすかさずそう噛み付いた来光くん。
そんなやり取りにくすくす笑いながらスマホの画面を叩く。23時から動き始める作戦だったからもう2時間は経った。そろそろなにか動きがあってもいい頃合だ。
何かあった時は社務所で待機している宮司か志らくさんにに連絡が来ることになっている。
「まぁ何事もなく終わるだろ。邪魔してくるような妖はいなかったし、無害な浮遊霊ばっかだったからな」
伸びをしながら泰紀くんがそう言う。
確かに校舎内で妖を見かけることがなかった。力の弱い妖は私たちに害を加えることはないけれど、音を立てて驚かしたりわざと足元を通って転ばせようとしたりする。
私も神修へ来てすぐの頃は、よく家鳴と呼ばれる小さな鬼の妖にものを隠されたり転ばされたりした。
慣れるとそれなりに対処が出来るけれど、慣れないうちはかなり厄介だ。
「そういや青坊主もいなかったよな。俺昼飯の後トイレ行ったんだよ。あいつ、どこ行っても驚かしてくるから警戒してたとに結局出てこねぇの。逆に漏らすかと思ったわ!」
「俺はまなびの社に来た初日に驚かされたよ。分かっててもヒヤッとするよね」
「それが生き甲斐なんだろ、あのオッサン妖怪」
みんなが話す青坊主というのは、和式トイレに住み着いている妖怪だ。
青い顔をした坊主頭の一つ目をした妖怪で、和式トイレの中からひょっこり現れては人間を驚かせて楽しんでいる。
神修の男子トイレからは毎日誰かが驚く悲鳴が聞こえるくらいイタズラが好きで、私も一度だけ会ったことがある。
一学期の放課後、学校内を歩いていると『お嬢さーん』という声がして足を止めた。辺りを見回しても誰もいなくて空耳かと思って通り過ぎようとしたけれど、やっぱり『こっちじゃこっち、無視するでない〜』という声が聞こえた。
声の方に歩みを進めると、やがて男子トイレに辿り着いた。
流石に中に入るのは気が引けるので、周りをキョロキョロ見渡したあとドアに近づき耳を澄ます。
『扉の前に居るか〜?』
やっぱり男子トイレの中から声が聞こえた。
「えっと……います」
『バァッ!』
返事をした途端、そんな声が帰ってきた。
反応に困って沈黙する。
『久しぶりに来た編入生の事を、ずっと驚かしたかったんじゃ〜。しかし今の時代女子トイレに入ったりすれば、瞬く間に祓われてしまうからのぉ』
楽しそうな声でそう言ったトイレの中の人。
正直全く驚いてないんだけどな、と心の中でつぶやく。
『顔を合わせて喋る事はないじゃろうが、以後お見知りおきを〜』
急いで寮に帰って皆に教えてもらった情報によるとその愉快な声の主はやっぱり妖だったらしい。全国津々浦々の和式トイレに住む青坊主という妖怪なんだとか。
顔を合わせることはないと言ったのは、数年前に女子トイレで女子生徒を驚かせた際にご両親からクレームが来て立ち入り禁止になったらしい。
前も思ったけれど、妖もコンプラを守らないといけない時代とは何とも世知辛い。
とまあそんな感じで和式トイレがあれば基本バアッと飛び出してきて驚かせようとする愉快な妖だ。
とにかく男子勢曰く、和式であれば何処にでも現れるらしい。
「あの学校でやな事でもあったんじゃねーの? 妖がいない場所なんて一周まわって怖ぇよ」
はぅ、と欠伸をこぼした泰紀くんがそう呟いたその瞬間。
「泰紀今なんて?」
「お前今なんて言った?」
恵衣くんと来光くんの声が揃った。
え?と目を瞬かせた泰紀くんに二人は詰寄る。目をかっぴらいた来光くんが激しく肩を揺すった。
「今なんて言った!? ねぇ泰紀!!」
「え、ええ? 俺なんか不味いこと言ったか?」
焦る泰紀くんの胸ぐらを恵衣くんが掴み捻り上げる。
「三秒前に自分が吐いた言葉も覚えてない鳥頭なのかお前は。いいからもう一度言え」
いつにもまして怖い顔をした恵衣くんに「ひぃッ」と泰紀くんが震え上がる。
「な、なんだよ二人してッ! 妖がいない場所なんて一周まわって怖いつっただけだろー!」
泣きそうな顔でそう叫んだ泰紀くんに、二人は顔を見合わせるならパッと離れた。
二人してがさごそと本を漁り始める。
私がついでに持ってきた社務所に置きっぱなしにしていた西院高校のパンフレットを広げた来光くんはグッと顔を近づけて何かを探している。
「恵衣、やっぱりそうだ。創立から百年以上経ってる」
「そうか、となるとやっぱり────」
「ちょい待って二人とも、わかるように話して。じゃないと泰紀が浮かばれない」