言祝ぎの子 肆 ー国立神役修詞高等学校ー


妙に意識してしまう自分が恥ずかしい。

今日一日ずっと一緒に働くのに、どんな顔をして会えばいいんだろう。


はぁぁ、と肺の空気を全て吐き出す。


「巫寿ちゃーん、そろそろ福神の衣装着替えて────って、姿勢悪いで! 神職は姿勢よく!」


裏の扉から授与所に入ってきた千江さんに頭を抱えているのを見付かってペシンと背中を叩かれる。

飛び起きるように慌てて姿勢を正した。


「なんやの赤い顔して」


不思議そうに私の顔を覗き込んだ千江さんに、ぶんぶんと首を振って立ち上がった。

前髪を引っ張り整える振りをしながら「衣装着替えてきます!」と授与所を飛び出した。





福神の衣装に着替えて社務所に顔を出すと、既に着替え……というか変身を終えて言葉通り「鬼」の姿になった八瀬童子一族の皆さんで溢れかえっていた。

朝、揃って挨拶に来てくれたけれど、優しそうな面持ちでスラリとした体型の人が多かった。

けれど今社務所を埋めつくしているのは、ボディビルダーばりの盛り上がった筋肉に燃えるような赤い肌、頭には太く鋭いツノを生やした正真正銘の鬼だ。

事前に聞いていなかったら多分私も悲鳴を上げていたかもしれない。こりゃ毎年阿鼻叫喚の図になるよね、と苦笑いをうかべる。


すみません、ちょっとすいません、と談笑する皆さんの間をすり抜けて奥を目指す。

途中で誰かの胸筋と誰かの背筋に挟まれて動けなくなっていると、突然腕を引っ張られた。


「何やってんの巫寿ちゃん」


助け出してくれた志らくさんだった。私と同じように福神の衣装に着替えている。


「志らくさん……! 助かりました、ありがとうございます」


志らくさんが呆れた顔で笑った。


「似合うとるわ福神の衣装。もうそろそろ出番やから、打ち合わせ通り頼むわな」

「はい。鬼の皆さんが出て十分後に、私も社頭に出ればいいんですよね」

「そうそう、バッチリみたいやな。巫寿ちゃんが先に出て行って、少しした後にうちも社頭出るからな」


一緒に出て行かないんだ、なんて思いながらも「分かりました」と頷く。


やがて社頭の方から、禰宜の「間もなく追儺式(ついなしき)です」というアナウンスが聞こえた。

追儺式、疫鬼や疫神を祓う節分祭の儀式だ。


「よっしゃお前ら気合い入れや!」


八瀬童子一族頭領、鬼三郎(きさぶろう)さんがそう叫べば、円陣を組んだ皆さんが「ウオオッ!」と声を上げる。

なんというか、この光景だけでも子供たちは泣き出しそうな気がする。


そして社頭から報鼓がなって、棍棒(こんぼう)────と言っても子供たちの安全のため発泡スチロール素材なのだけれど、棍棒を担いで社頭へ駆け出して行った。

なんでも以前棍棒を使っていた際に「子供に当たったらどうするんですか!」というクレームが来たらしい。

妖でさえコンプライアンスを気にしなければならないなんて、なんだか世知辛い。


やがて社頭から子供たちの悲鳴が響き渡った。


「今年も始まったなぁ。巫寿ちゃんも準備運動しときや。腰やられるで」


子供たちの悲鳴を聞きながらのんびりと屈伸運動を始めた志らくさん。

前々から「腰が死ぬ」と聞いていたけれど、そこまでなんだろうか?

念の為軽く準備運動を始める。


いやぁぁぁ、ぎゃぁぁぁ、と普通に生きていたら聞かないような子供たちの悲鳴が社務所の扉を閉じていても聞こえてくる。


「あの……志らくさん? 外の様子大丈夫なんでしょうか?」

「ん? 大丈夫大丈夫。毎年こんなもんよ」


お母さぁぁぁん、ごめんなさいぃぃぃ、いやぁぁぁ。

社頭のボルテージは開始時より高まっている気がする。

本当に大丈夫なんだよね?




「なぁ、巫寿ちゃん。突然やねんけど"利他的行動"って分かる?」

「利他的行動……ですか?」

「知らんか。神職の心得のひとつでな、自分を犠牲にして他人のために動くことを言うんやけどな、神職に求められる資質のひとつやね」


なるほど。他者を救い導くためならば自分を犠牲にしてでも動けるような人間であれ、と言う事だろう。

でもなぜ志らくさんは急にそんな事を?


やがて出番の時間になった。


「これからすることは利他的行動や。つまり、巫寿ちゃんが、私を助けるための行動ちゅうことや」

「えっと……?」


首を捻っていると「ほな幸運を祈る、腰の」と志らくさんがまるで瀕死の子猫でも見るような目で私を見下ろし肩を叩いた。

話の繋がりがよく分からない。

手に持っていたお面を顔に付けると、ほれ行け!と背中を押されて転がるように社頭へ出た。おっとっと、とたたらを踏むも何とか踏ん張って顔を上げる。

目の前に広がっていた地獄絵図にポカンと口を開く。

てっきり鬼に追いかけ回されているだけなのかと思っていたけれど、そこに広がっていた光景は想像以上だった。

逆さ吊りにされた子供たちに肩に担がれた子供たち、鬼二人に手足をガッシリ掴まれてぶんぶんと振り回される子供たちの姿に目を瞬かせる。

安全には配慮されているようで随所に気遣いが見えるけれど、子供たちはきっとそれどころじゃないはずだ。

後ろの方で見ている大人達は「私らの時もあんな感じやったなぁ」なんて笑いながらそれを眺めて、助ける気はさらさらない。


そりゃ泣き叫ぶよね、と心の中で同情していたその時、


「ふくのかみさまやーーッ!」


子供たちの一人が私を指さしてそう叫んだ。



泣き叫んでいた子供たちがバッと顔を上げて私を見た。次の瞬間、どこにそんな力があるのかと目を疑うほど激しく暴れて鬼の手から逃げ出した。

見たこもないような必死の形相で、転んでも這いながら私の方へ走ってくる。


"逃げてくる子供たちを福神っぽく迎えてあげて"


事前に志らくさんからそう言われていたのでとりあえず両手を広げて受け入れる体勢をとる。

子供たちがどんどん近付いてくる。鬼が後ろから追いかけて来ているからか走るスピードはどんどん加速しているようだ。


待って待って、これ大丈夫だよね?

スピード緩める様子がないんだけど、このまま全員私に突進してくるとかじゃないよね……?


うわあああ、と泣き叫びながら子供たちが猛スピードで駆け寄ってくる。あと数歩くらいまで迫ってきた。


あ、駄目かもしれないこれ。


そんな考えが頭をよぎった3秒後、無数の小さな手が伸びてきてドンッ!と体に衝撃が走った。腰に飛びついてきた子供たちがうわぁっ!と私にしがみついて泣き出す。

すぐさま第二派が来て支えきれずによろめくも、すぐに背中から第三波の衝撃が来て堪らず「うっ」と呻き声をあげた。


「逃げてんじゃねぇぞガキども!」

「病気になりたくねぇなら戦え〜!」

「おらおら逃げても無駄だぞ!」


追いついた鬼たちが、外側にいる子供たちを引き剥がしていく。うぎゃぁあ、とまるで世界に絶望したかのような悲鳴が響いた。


「ふくのかみさまたすけてぇぇ」

「たすけてこわいよぉぉぉ」


他の子を押しのけてでも抱きつこうとする必死の形相の子供たち。

本来ここで私が「鬼よ去れ」と手を振りかざすことで鬼の皆さんは鳥居から逃げ出し、社をぐるっと回って裏から社務所へ戻っていくという手筈だった。

子供たちにもみくちゃにされながらも何とか「鬼よ去れ……!」と叫んでみるものの、子供たちの悲鳴によってかき消される。


でも福神が出てきたら鬼は立ち去る、という段取りだったはず。なのに笑いながら次々と泣き叫ぶ子供たちを引き剥がしては米俵のように肩に担いで一層泣かせた。

剥がされたら空いた隙間を奪うように子供たちがどんどんタックルしてくる。その度にお腹と腰に衝撃が走って呻き声が漏れた。

遅れて出てくると言っていたはずの志らくさんが社務所から少しだけ顔を出してこちらを見ている。私と目が合うなり「ごめん、任せたわ」と口を動かして手を合わせた。


泣き叫びながらタックルしてくる子供たち、楽しくなってしまった鬼の皆さん、誰にも声が届かない。

正しく地獄絵図だった。

もう私一人じゃ収拾がつかない。

泣きたい気持ちを堪えながら助けを求めるように周りを見回したその時。



「終わりだつってんだろ」



落ち着いたそんな声が聞こえて、子供達を担いでいた鬼の一人が視界から消えたと思えば「グハッ」と声を上げて地面に伸びていた。


「オッサンら毎年やり過ぎなんだよ。自重を覚えろ自重を」


そんな声とともに次々と鬼役の人達がバタバタと倒れていく。

その先にいた人物に目を見開いた。


「鬼市くん……!」

「ごめん巫寿。すぐ出て行こうとしたんだけど、頭領に羽交い締めにされてた」



そう言いながらそばに居た鬼の首に手刀を落として気絶させていく鬼市くん。


「お前ら、鬼市をヤれ!」


吉祥宮司と舞台の上から見ていた鬼三郎さんが、そう叫んだ。まだ生き残っている鬼たちがばっと振り返り鬼市くんを見る。


「マジでいい加減にして」


額に手を付いて息を吐いた鬼市くんは、次々と飛びかかってくる鬼たちを淡々と相手にしながら容赦なく倒していく。

泣き叫んでいた子供たちも私も、その光景を呆然としながら見つめる。


あっという間に最後の一人を倒した鬼市くんは地面の上で伸びてしまった屍を適当にどさどさ纏めると一気に「よっ」と肩に担いだ。

騒がせて悪かったな、といつもの冷静な顔で言うと鳥居に向かって歩き出す。

鬼が居なくなった社頭は困惑で静まり返っていた。

やがて禰宜の「以上を持ちまして追儺式を終了します」という声が響き、子供たちは両親の元へ走って行った。

一件落着って事でいいんだろよね……?


はぁと息を吐いて、鈍く痛む腰をそっと摩った。




「なんでそんな変な歩き方してんだ?」


すり足のようにそろそろ歩いていた私を不思議そうに見下ろした泰紀くんがそう尋ねる。

あはは……と力なく笑って肩を竦めた。


八時間の奉仕が終わり、晴れて自由の身となった私たちは節分祭で賑わう夕暮れ時の参道を横切り社宅へ向かっていた。

慶賀くんが鬼市くんも誘っていたけれど、18時からもう一度ある追儺式の準備があるので抜け出せないらしい。


顔を合わせるのが少し気まずいのでこっそり息を吐いた。それはさておき。


────まさかこの年で歳で痛めるなんて。


足を踏み出す度にジンジンと鈍い痛みが走る腰を皆にはバレないようにそっと撫でる。

志らくさんの言う通り、子供たちの容赦ないタックルで見事腰を痛めた私。どうにか痛みが響かないように静かに歩いていると自然とすり足になってしまうのだ。

言われた通りサポーターを買っておけばよかった、と後悔しても遅い。はぁ、と息を吐けば鈍い痛みが走って慌てて息を潜める。


同い年のみんなにその事を話すのは少し恥ずかしいので言葉を濁した。


あとでこっそり千江さんに湿布を貼ってもらおう。

そう心に決めて先を行くみんなの背中をすり足で追いかけた。





社宅の玄関で雪駄(せった)を脱ぎながら、慶賀くんが口を開く。


「なぁ嘉正、来光どんな感じなの? 今朝とか何か喋った?」


スリッパに履き替えながら皆は嘉正くんを振り返る。嘉正くんは眉を下げて小さく首を振った。


「一応先に声掛けたんだ。"奉仕の後節分祭の出店見に行こう"って。答えてくれなかった」


神妙な顔になった慶賀くんだけれど、すぐにブンブンと首を振って顔を上げた。そんな様子を見て、みんなも「そうだな」と目を細める。

私もひとつ大きく頷く。


そうと決まれば急ぐぞ!、そう笑顔で階段をかけ登った慶賀くん。

追いつこうと大きく一歩踏み出したその瞬間、ビギッと腰に電気が走ったような痛みが来てその場に硬直する。


「巫寿ー? 何してんだよ早くー!」

「さ、先行ってて……」


手摺に項垂れながらそう言う。

もう二度と福神役なんてやりたくない。