源次物語〜未来を生きる君へ〜

 2月1日から約4ヶ月間の基礎訓練を受けた後は適正検査の結果により操縦・偵察・要務に分けられて、それぞれの配属先が発表される。
 僕は純子ちゃんとの約束があったのでヒロと同じ操縦に志望したが、土浦で毎日のように飛行機を見ていると飛行機乗りになるのが当然のような気になるのか「操縦」を第1志望にする者が多く……
 坂本くんや島田くんもそうしたそうだが、もし人数が多すぎて偵察になったり配属先がヒロと離れてしまったら……と不安で堪らなかった。
 因みに平井くんだけは、土浦に残れる可能がある要務要員を志望していた。

 5月のある日……
 いつもと違って眠れない夜に同じく起きていたヒロと厠に行った後、二人で夜空を見上げた。

「北斗七星がキレイだなぁ」

「北斗七星? どこにあるんや?」

「あの北の空に柄杓形に並んでいる7つの星だよ。おおぐま座の腰からしっぽの部分にあたるんだ~今は午後10時頃だから、かなり高い位置で見やすいはずだよ?」

「あ~あれか?」

「因みに、北斗七星の柄杓の先端の2つの星を結んだ線を、開いてる方向に5倍伸ばした所にある星が北極星だよ。他の星は時間が経つと周って違う場所に行っちゃうけど、北極星だけはずっと同じ場所にあるんだ」

「へ~源次って星に詳しいんやな、初めて知ったわ……北極星はどこにおっても動かんのやったら、灯台みたいに光って行く先を教えてくれる道標(みちしるべ)みたいやな」

 成る程……とヒロの言葉に感心していた時、後ろから聞き慣れた声がした。

「そうだな……北極星は皆が彷徨う暗闇の中の一筋の光、希望の星だ」

「でもって北斗七星は北極星の位置を教えてくれる相棒みたいですよね? ついでに流れ星も見えるかな~島田くん」

「そんな簡単に見えるもんじゃねえ」

 その声の主は同じく起きてきた坂本くん・平井くん・島田くんだった。

「さすが坂本くんはロマンチストだね~平井くんと島田くんは流れ星、見たことあるの?」

「二人ともないんです〜もし見られたら願い事言えば叶うんですよね?」

「俺あるで? 昔、小っさい時に」

「えっいいな~もし見られたら僕、由香里さんとずっと一緒にいられますようにってお願いしようと思って……」

「あれっ? 今の流れ星じゃね? お前の後ろに……」

「えっほんと? じゃあ僕の願い叶うかな?」

「すごい……僕も初めて見たよ~平井くんの願い、叶うといいね」

「全く……一目惚れしてからお前、浮ついてばかりだぞ」

「いいや、一目惚れなんて簡単なものじゃないよ……僕は由香里さんに会った瞬間、運命を感じたんだ! もし要務になれなかったら駆け落ちしたい位にね」

「おいおい、脱走なんてしたら軍法会議にかけられて銃殺やで?」

「冗談です~」

「でも平井の気持ちは分からんでもないな……俺は家族や恋人が守れるのなら喜んで命を捧げるよ」

「またまた坂本くんは、いつもカッコいいんだから~」

 その後僕達は就寝し、何度目かの朝を迎えたが……とうとう配属先が発表される日になった。

 土浦航空隊で基礎教程を終えた14期飛行予備学生の中で操縦専修に選ばれたものは中間練習機教程へと進み、出水・矢田部・第2美保・博多・鹿島・北浦・詫間航空隊へと分かれてそれぞれ移動になるが……
 どんな確率の奇跡か、平井くん以外の四人揃って土浦から一番近い鹿島航空隊への配属となった。

 僕はヒロと一緒な事に安堵し、「お前ら、ここまで来ると腐れ縁だな」と島田くんが迷惑そうながらも少し照れていたのが嬉しかった。

 そして、最後にもう一つ奇跡が起きた。
 名前が呼ばれていなかった平井くんが土浦海軍予科練航空隊の心理適性部へ配属され、心理検査を担当することになったのだ。
 大学で心理学を学んでいたため、足りない要員の補填で入れられたらしい。
 そこでは飛行士を操縦と整備とに分ける心理テストを行ったり、操縦訓練の模型機で行うパイロットの適性判断テストをするそうで……
 平井くんは星に願った通り、土浦にいられることになった。

 土浦での最後の上陸の日、僕達は沢山の学生らとともに指定食堂にお世話になった挨拶に行った。

「今日も美味かったで~ごちそうさん」

 いつもの挨拶の後にヒロが代表で鹿島に移ることを伝えると……由香里ちゃんはポロポロ泣き出してしまった。

「そんな……篠田さんと離れるなんて寂しいです……6月になったらホタルが沢山見られるから、みんなで一緒に見に行きたかったのに……でも鹿島なら近いほうだし、きっとまた会いに来て下さいね? 約束ですよ?」

「分かった約束じゃ、今までおおきにな~あと和男……今まで手紙を届けてくれて本当にありがとう……お前今度誕生日やし、お礼に何か欲しいものないか?」

「ん~ないよ? だって『欲しがりません、勝つまでは』だもんね!」

 その健気な姿は浩くんを想起させた。

「よっしゃ、欲しがらんかった代わりに今度会う時にタダでええもん持ってくるわ~楽しみにしとけ」

 帰り際、坂本くんは爽やかな笑顔で締めの挨拶をした。

「トミさん、本当にお世話になりました! 由香里ちゃんもありがとう! 和男くんも元気でな! 大きくなったら、うちの大学入れよ~面白い事になるから」

 そう言いながら同じく慶應大出身の学生達と顔を見合わせて笑う坂本くんの謎の言葉が気になったが……
 平井くんが由香里ちゃんのヒロと話す時の態度が自分の時と差があるのを気にして落ち込んでいるのを慰めるのに手一杯で、それどころじゃなかった。

「今まで、本当にありがとうございました!」

 僕達は5月25日に退隊後は、それぞれの道に配属される。
 土浦と鹿島は車で一時間以上かかる場所なので、五人揃って余暇を過ごすことは中々難しいかもと思うとなんだか寂しかった。

「いい事考えた! 五人で人差し指と中指の2本を円になってくっつけると星の形になるよ?」

 僕達は別れる最後の日……お花見の桜の時のように円になって、星を作った。

 みんないい笑顔で……これからどんな暗闇の時代になっても五人で作った「希望の星」は、いつまでも道標になる気がしたんだ。
 5月25日に土浦での基礎教程を修了し、僕とヒロと坂本くんと島田くんは同日付で鹿島海軍航空隊に配属されたが……
 卒業式では一人残る平井くんが「寂しい」と最後まで号泣していた。

「みんな元気でね……島田くん……君は僕の事忘れてたかもしれないけど、僕は離れている間もずっと友達だと思ってたよ? だからみんな離れててもずっと仲間だからね! 絶対またみんなで一緒に食堂に行こうね? ホタルも一緒に見ようね?」

「うるせぇ……分かったから泣くな」

「そういうお前もやで?」

「そういうヒロもだよ?」

「貴様達は俺の一生の仲間だ! 五人合わせて同期の桜でもあり、一人一人が同期の星だ!」

「坂本くん~!」

 司令官からの祝辞と送別の言葉に対して最後の別れの敬礼をすると……

「第14期予備学生卒業退隊、総員見送りの位置につけ!」

 隊門の前までの隊内通路の両側に分隊長、文官教官、分隊士、教員、練習生達が整列し……
 通路の真ん中を挙手の礼で行進する僕達14期卒業生に何度も「頑張れよ」と声援を送りながら沿道で見送ってくれた。
 隊門に卒業生の全員が到着して回れ右をすると、「帽振れー」の号令で互いに脱いだ帽子を頭上に高々と上げて振り合った。

 告別の行進を終えて鹿島航空隊行きのバスに乗り込む前、わざわざバスまで見送ってくれた班長の目に光るものを見た時は、厳しいながらも育てあげてくれた分隊長、分隊士そして教員達の思いに僕達は涙が止まらなくなり……
 平井くんや班は違えど共に励まし合った戦友や、班長達の姿が見えなくなるまで、僕達は何度も手を振り続けて土浦を後にした。

 鹿島海軍航空隊は土浦から車で一時間位の霞ヶ浦湖畔近くの場所にあり……隊門から延びた舗装された道路の両側に二並びの兵舎がある、敷地面積的には土浦より小さめの航空隊だった。

 通称「赤トンボ」と呼ばれた九三式中間練習機、二式水上戦闘機や彗星などの実戦機が配備され……隊門に入った瞬間から実戦の凄まじさが身に沁みて感じられた。

 まず飛行服、飛行靴、飛行帽、メガネ、ライフジャケットそして飛行カバンが支給されたが……
 飛行場から爆音で飛び立った機が綺麗な編隊飛行で真上を通ったり、棄身の急行下で水上に浮かんだ標的を銃撃するその様子をみて、自分も飛べるか不安で堪らなかった。

 中間練習機の教程で使用される九三式中間練習機……通称「赤トンボ」での飛行訓練は、土浦の時よりも更に厳しいものだった。
 教官、教員が同乗して宙返り・緩横転・背面飛行等の特殊飛行や、編隊飛行を行い……
 その後単独飛行でこれらを行うが、4ヵ月後にはその教育を終了して実用機教育教程に移るために適性や能力に応じて所属が決まる。

 毎日本当に厳しい訓練だったが、気の進まない僕でも初飛行の時は自分が空を飛んでいる事が嬉しくて興奮した。
 地面からフワリと浮かんで空中に高く舞い上った瞬間……初めて飛行機搭乗員になった事を実感した。

 中でもヒロは大興奮で「やっぱりすごいわ~どこまでも飛んで行ける気がしたわ」と夜も眠れない様子だった。

 そんな生活に慣れ始めた6月の初めての上陸の日……

「よし! 土浦に行くで~」

 ヒロが突然、呑気な声で言い出した。

「え、どうやって? 歩いて往復するには時間が間に合わないし、他に交通手段がなさそうだけど……」

「俺にいい考えがあるんじゃ~土浦に向かう軍の車に、こっそり乗り込めばええんじゃ~」

「そ、そんなことして大丈夫なの?」

 僕が心配していた通り、僕達は車に乗り込む瞬間に案の定上官に見つかり……「恥を知れ! 軍の車に忍び込むとは、お前達はそれでも帝国海軍軍人か!」 と一喝された。
 それから「今からお前達に、今後このような事のないよう気合を入れてやる!」と今までで一番激しい鉄拳が飛び……

 おまけに「当分の間、お前達の上陸は禁止する!」と外出禁止の罰直まで言い渡され、平井くんと五人で食堂に行く約束も、由香里ちゃん達の案内でホタルを見に行く約束も叶わなくなってしまった。

「あ~あ、ホタルはまた来年かな」

 僕は思わずボヤいてしまったが……僕達は基地内で掃除をしながら、丁度四人なので歌詞が4番まである、練習機と同じ『赤とんぼ』の歌を坂本くん・ヒロ・島田くん・僕の順に交代で歌った。
 
「夕やけ小やけの赤とんぼ~負われて見たのはいつの日か~」

「山の畑の桑の実を~小篭に摘んだはまぼろしか~」

「十五で姉やは嫁に行き~お里のたよりも絶えはてた~」

「夕やけ小やけの赤とんぼ~? とまっているよ竿の先~?」

「ブァッハッハッハ~最後の最後に赤とんぼ、どっか行ってもうた感じやな~」

「だから一人ずつ歌うのは嫌だったんだよ~」

 僕達は、歌が下手な僕の歌で大笑いした。
 坂本くん達にも音痴なのがバレて恥ずかしかったけど……みんなが笑顔になれるなら、僕は歌が下手でよかったなと思えた。
 笑っている間は、今後どんなつらい訓練があっても耐えられる気がした。

 僕達が海軍の航空隊訓練に励んでいた頃……
 1944年6月16日には大型爆撃機B-29による初めての空襲が北九州であり、八幡市などで270名以上が犠牲となってしまった。
 陸軍造兵廠の工場にも爆弾が落ち……防空壕が埋まるなどで70~80名の方が亡くなったが、そのうちの約半分は学徒動員で働いていた女子学生を含む女子挺身(ていしん)隊だったそうだ。

 6月19日から6月20日にかけては壊滅的な敗北を喫したマリアナ沖海戦があり……
 海軍の航空搭乗員戦死445名、艦乗組員戦死と失踪で3000名以上が犠牲となってしまった。
 日本側は空母3隻と油槽船2隻が沈没、損傷6隻……基地航空部隊も合わせて470機以上の飛行機と搭乗員を失い、西太平洋の制海権と制空権は完全にアメリカの手に渡ってマリアナが基地になり、日本全土への空襲が始まった。

 7月にはサイパン島が陥落……
 上陸した米軍と激しい戦闘を続けていた守備隊は7月7日に玉砕し、日本軍の95%であった4万1200人が戦死……
 兵と一緒に行動をしていたため殺されたり、集団自決などで亡くなった在留邦人の民間人は1万2000人……
 中には島の北端の崖から身を投げて自殺する者もいたという。
 そしてサイパンが基地になった事により、日本本土のほとんどがB-29の攻撃範囲になり……
 多くの被害を出す地獄のような空襲の日々が、とうとう始まってしまった。
 鹿島での指導は厳しいもので、毎日のように鉄拳という名のムチが飛んできた。

 ヒロが叩かれた所を擦りながら「そういえば、ム~チをふりふりって歌詞の歌あったよな」というので「それ知り合いが作った歌だよ?」と言うと、ヒロと島田くんに「またまた~」と笑われた。

 坂本くんは夢中で本を読んでいて……

「坂本くん? 何の本、読んでるの?」

「ああ、詩集だよ『誰も知らないある歌』っていう……恋人の涼子に貰ったんだ」

「恋人、涼子さんていうんだね! 写真とかないの?」

「あるよ、いつも胸ポケットに入ってる……ほら」

「わ~キレイな人……」

 それから僕達は他愛もない話をして二人とも江戸川散歩先生が好きな事が判明し、益々意気投合した。

「なあ、もしかしたらなんだけど平井って…………いいや、何でもない」

 坂本くんの謎の言葉が気になったが、いつの間にか遠くに移動していたヒロ達に呼ばれてそれ以上聞けなかった。

 島田くんとヒロは気が合うようで、何かコソコソと二人で内緒話をして笑い合っていた。

 僕達が海軍で訓練をしていた頃、陸軍では最も過酷で無謀な戦いと呼ばれた「インパール作戦」が1944年の3月から強引に進められていた。

 イギリス領インド帝国北東部の都市であるインパール攻略を目指した作戦だが、険しい山々を越えなければいけないなど補給に不安があり……
 当初から無謀な作戦であると反対意見が多かったにもかかわらず、反対した者を更迭するなど軍司令官の強引な意見によって十分な準備もないまま作戦は進められた。

 案の定、前線への補給が続かず……
 7月になってようやく作戦中止が決まったが、激しい銃撃戦による戦闘や食料不足などにより、インド国内だけで3万人に上る日本兵が亡くなってしまった。
 食料補給を無視した結果として日本軍で共食いが起こるなど最悪な状況に陥り……
 撤退路には飢えとマラリアや赤痢などの病で倒れて亡くなった者が多く、日本兵の遺体が散らばる退路は「白骨街道」と呼ばれたそうだ。

 そんな大変な事になっていることを知らずに「純子ちゃんに会いたいな」と思っていた夏真っ盛りの頃……
 純子ちゃんから僕達宛てに学童疎開についての相談の手紙が来た。

 鹿島に移動になった事は、最後に土浦の食堂に行った時に頼んだ手紙に書いたので純子ちゃんから手紙が来たのだが……
 以降の手紙の返事は軍事郵便で出すしかなかった。

 幸い検閲は土浦ほど厳しくなく……どうやら8月から浩くんが学童疎開で、ある学院に行くそうで「離れたくない」と泣いているとのことだった。
 驚いたことに偶然その学院が昔からの知り合いが先生をしている所だったので、安心するよう伝えた所……「無事向かった」との返事が来てよかった。

 1944年8月23日には「学徒勤労令・女子挺身勤労令」が公布され、純子ちゃん達女子学徒を含む中学生以上の学生は、男女ともに工場等に動員されて学校機能は事実上停止状態となった。

 あっという間に時が過ぎて中間練習機教程を卒業する時期になり、9月28日付けで移動となる実用機教程の配属先が発表されたが……
 ヒロと僕は同じ茨城県の百里原(ひゃくりはら)海軍航空隊の配属になったが、坂本くんと島田くんは大分県の宇佐海軍航空隊の配属になり、別々になってしまった。

 動揺している僕に気付いて何も言わずに肩を組んでくれる坂本くんと、平気そうな振りをしているけれど、どこか寂しそうな島田くんとヒロの四人で最終的に肩を組み……みんなで『蛍の光』の1番を歌った。

「蛍の光、窓の雪~(ふみ)よむ月日、重ねつつ~いつしか年も、すぎの戸を~あけてぞ今朝は、別れゆく~」

 歌いながら号泣している僕とヒロの横で坂本くんは静かに微笑んで、島田くんは固く目を瞑っていて……最後まで二人らしいなと思った。

「本当は4番まで歌いたいとこやけど、3番は九州と東北で遠く離れていてもっちゅう歌詞やから泣いて最後まで歌われへんわ……『蛍の光』はやっぱええ歌やな~」

「元々はスコットランド民謡で再会を祝う歌らしいよ? あと新年を祝う時とかも歌うみたい」

「不思議な話だな……遠く離れた国の歌が、俺達の思い出の歌になるなんて……もしかしたら音楽でなら世界中が繋がれるのかもしれないな」

「坂本……お前中学の時からカッコつけ過ぎなんだよ」

「でも素敵だよ……いつか世界中の人が同じ歌を仲良く歌える日が来るのかな?」

「源次は純粋じゃのう~俺は寂しゅうて寂しゅうて明日からが心配じゃ」

「いつかまた会える日が来るさ! 平井とした食堂に行く約束やホタルを見る約束もあるだろ? 配置換えでまた会えるかもしれんし、戦争が終わればまた駅伝が再開できるかもしれん……その時は篠田、またお前と戦うのを楽しみにしているぞ!」

「おうよ!」

 僕達は固い握手を交わして、それぞれの隊に旅立った。
 約1ヶ月後に「特攻」という命をかけた体当たり攻撃が始まり、自分達もその運命の渦に巻き込まれていくとも知らずに……
 百里原(ひゃくりはら)海軍航空隊の所属になったヒロと僕は、他の同期と共に汽車に乗って常陸小川駅で降りた。
 駅には航空隊からトラックが迎えに来ていて……飛行場は思ったより遠かった。
 実用機教程での訓練は益々厳しくて、教員は古参のベテラン搭乗員が多かった。

 霞ケ浦上空での「編隊飛行訓練」や、大洗崎沖での「雷撃訓練」が開始されたが……最初は単機で行う発射運動から始めて離陸して高度をとりながら飛行し、鹿島灘に向かってから色々な訓練をした。

 ヒロは「やっぱ実戦機は練習機と違ってすごいわ~襲撃運動訓練の『発射よーい、 テー!』はカッコええよな」と大興奮だった。

 百里原航空隊では、薄暮定着・夜間定着・夜間編隊飛行などの「夜間飛行訓練」が重視されていたが……
 夜間の雷撃訓練は安全を考慮して実施されなかった。
 
 「彗星」の急降下訓練を終えたある日……10月1日から桜花訓練隊として開隊されていた第七二一海軍航空隊の機体「桜花」を見かけた。

 「桜花」は設計当初から特攻兵器として開発された、大型爆弾に操縦席と翼をつけたような白い機体のロケット機で……
 母機である一式陸上攻撃機の胴体の下に吊るされて戦場に運ばれ、乗員は発射前に胴体から乗り移る。
 敵の目標上空で切り離されると、単座の操縦士がロケットを噴射してそのまま敵艦に突入するとのことだった。

 開発段階では「マル大」と呼ばれていたが、投下試験の成功後「桜花」と命名されたそうで……
 その名前を初めて聞いた時、五人で見た桜色の空が思い浮かんで何とも言えない気持ちになった。

 その後、編成中の七二一航空隊は「神雷部隊」として神ノ池基地へ移動し、本格的な実戦訓練が開始されたそうだが……
 捨て身の体当たり攻撃をしなければいけない程、酷い戦況になっている事に絶望した。

 10月10日には沖縄を含む南西諸島で大規模な空襲があり、600人以上が死亡……
 「那覇空襲」とも呼ばれるほど被害が酷かった那覇市の市街地は90%近くが焼失してしまった。

 沖縄は8月22日にも「対馬丸事件」という悲劇が起きていた。
 本土への疎開児童を含んだ約1800人を乗せた貨物船「対馬丸」がアメリカの潜水艦による攻撃で沈没したのだ。
 犠牲者1484人のうち800人近くが子どもで、疎開児童の9割以上が亡くなり……
 舟倉にいた子供達は看板に出ることもできないまま深い海へ沈んでしまった。

 一時は浮き具の奪い合いもあったが、なんとか子供を救出するために船員や先生など大人達が尽力し、自分の救命胴衣を譲った兵士もいたという……
 生き残った者は忍び寄るサメの恐怖や飢えや喉の乾きに苦しみながら、漁船などに助けられるまで何日も漂流することになってしまった。

 というのも護衛艦は対馬丸が攻撃された後、他の2隻の疎開船とともに海域から離脱……
 無事目的地まで着いたが、その背景には9ヶ月前に疎開者を乗せた湖南丸が同じく潜水艦に撃沈され、救助に留まった護衛艦も撃沈されたことも影響していた。

 10月20日から25日にかけては「史上最大の海戦」と称された「レイテ沖海戦」があった。
 日本軍は「おとり作戦」などで奮闘するも、一部艦隊に「謎の反転」があるなど足並みが乱れ、情報も混乱・錯綜……
 不沈艦と言われていた主力戦艦「武蔵」をはじめとする戦艦など20隻以上が沈没し、航空母艦が全滅して戦死者は約7500人にのぼり、連合艦隊は事実上壊滅した。

 そして「レイテ沖海戦」は、捨て身の体当たり攻撃「特攻」で敵艦に突撃する「神風特別攻撃隊」が初めて組織的に出撃した戦いでもあった。
 参加したその中の一人に深く関わりがある人物がいたなんて、僕達は思いもしなかったんだ……
 訓練に励んでいた10月末のある日、ヒロだけが飛曹長に呼ばれた。
 部屋から出てきたヒロの様子が明らかにおかしいので問い詰めると……

「明希子おばさんとこの(ただし)がな……あ、高知に住んどる従兄弟なんやけどって住んどったか……アハハ」

「正くんて、宮本正くん?」

「戦死したんやて……10月25日にな。フィリピン方面で爆弾積んだ零戦で体当たり攻撃して……特別攻撃隊の一員として戦死した~ちゅう公電があったとのことやったわ」

「えっ?」
 
 10月25日……それは日本の海軍最初の特攻隊となる 「神風(しんぷう)特別攻撃隊」が初めて敵艦に突入した、最初の特攻の日だった。
 「神風特別攻撃隊」は「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」の4隊が編成され、この4隊から漏れた者達は別途「菊水隊」などへ編入された。
 レイテ上陸を阻止すべく、250キログラムの爆弾を積んで搭乗機ごと敵艦船に突っ込むという計画だった。

 特攻は名目上命令ではなく志願制で、特攻隊に参加する意志を問う希望の紙に名前を書いたり、「志願する者は一歩前へ」との言葉に皆が前に出て自分から志願したとされているが……
 実際は志願しなければ非国民という空気が醸し出されて「志願させられていた」という表現が近いかもしれない。

 指揮官に指名されたのは「敷島隊」の隊長でもある霞ケ浦海軍航空隊で教官を務めていたエリートの大尉で……
 出撃前に「僕のような優秀なパイロットを殺すなんて日本もおしまいだ……僕はお国のためじゃない……妻を護るために行くんだ」と漏らしていたそうだ。

 特攻の発案者でなく最初は反対するも特攻を命じる立場となった、第一航空艦隊司令長官は「特攻の父」と呼ばれ……
 最初に出撃する「敷島隊」への訓示で「日本はまさに危機である……私は一億国民に代わってこの犠牲をお願いし、皆の成功を祈っている……しっかり頼む!」と話している間に顔面蒼白で小刻みに震えていて……
 涙ぐみながら隊員達一人一人の顔を目に焼き付けるように見回し、訓示の後は全員と握手をしたそうだ。

 「大和隊」には飛行予備学生出身者が多く、同じ大学出身の者もいた。
 一人親を残してきた者、結婚したばかりの者、子供が生まれたばかりの者……
 残される者を想って書いたそれぞれの遺書には、家族や友人・恋人の幸せを願う言葉が溢れていた。
 皆お国のためにと書きながらも、大切な人達を守りたい一心で……二度と戻れない空に旅立った。

 ヒロは最初の特攻の戦死者が自分の従兄弟であり高知出身の若者だという事がショックで、食事も喉が通らない様子だった。

 正確な最初の特攻……というと公式ではないが、日本で最初に亡くなられた特攻隊員は皆に慕われていた「大和隊」の隊長で……
 ピアノが好きで、出撃前日に基地の士官室のピアノでベートーベンの『月光』を演奏し、基地に響いたその静かなるも想いが込められた切ない音色に大勢が涙を流したという。

 レイテ決戦で「神風特別攻撃隊」が初めて出撃したのは10月21日だが、悪天候もあって全ての隊が引き返して帰還する中、「大和隊」の隊長だけは引き返すことなくレイテ湾に突入し散華されたそうだ。

 同じ頃、陸軍の航空隊でも陸軍最初の特別攻撃隊である「万朶(ばんだ)隊」や浜松の「富嶽(ふがく)隊」が編成され11月に出撃したが……
 「万朶隊」は百里原から車で30分位の所にある鉾田陸軍飛行学校の教官・ベテラン搭乗員などで構成されていて、僕達と同じ鹿島灘の景色を見ながら厳しい飛行訓練に励んだ方達が旅立たれたのだと思うと余計に苦しかった。

 志願を募る方法も「志願する者は一歩前へ」から「志願しない者は一歩前へ」などというやり方がまかり通るようになり……志願した覚えがないのに、いつの間にか特攻隊に指名されるまでになった。

 11月8日には、空だけでなく海の特攻である人間魚雷「回天」が初めて出撃していた。
 山口県の大津島の基地から初出撃した部隊「菊水隊」の中には、開発に取り組んだ中尉もいたという。

 「回天」は特攻用に改造された魚雷で、潜水艦の甲板に搭載されて敵地まで運ばれる。
 全長約15メートル、胴体直径1メートルの暗い空間にイスに座る形で乗組員が操縦し、脱出装置はなく……先端部分に装備された約1.5トンの炸薬とともに敵艦に突っ込む。
 体当たりに失敗しても回収されることはなく、見た目通りまるで棺桶だった。

 同じ11月8日……僕達の誕生日の真ん中であるその日に届いた慰問袋には、僕達宛の手紙と誕生日祝いの飛行マフラーが入っていた。

 出撃する際に首に巻くマフラーは、負傷時に止血したり応急処置にも使うため通常は白だが、純子ちゃんが送ってくれたマフラーはキレイな紫色をしていて……
 ヒロが駅伝で掛けた襷の色でもある「江戸紫」で、立教の校歌にもあるように武蔵野で自生していた紫草で染めたとのことだった。
 絹などの燃えにくい素材で作らなければいけないが、貴重な素材なのでどうしたのだろうと思ったら、わざわざ静子おばさんの花嫁衣装から切り取って作ってくれたようだった。

 純子ちゃんが送ってくれたヒロとお揃いの紫のマフラーに、僕は嬉しくて涙が出そうになったが……

 ヒロは「これ巻いて正の(かたき)とったる!」と今まで見たことがない憎悪に満ち溢れた表情で……
 人が変わっていく瞬間を、初めて見た気がした。
 1944年11月24日……陥落したマリアナ諸島の基地からB-29爆撃機による東京への本格的な空襲が始まった。
 111機のB-29により北多摩郡武蔵野町の飛行機製作所や江戸川区、杉並区などが爆撃されて224人が亡くなった。
 純子ちゃんがマフラーを染めるために摘んでくれた紫草が生えていた武蔵野の地が焼け野原になったのかと思うと、何とも言えない気持ちになった。

 以後も航空機工場などを第一目標とする精密爆撃が行われたが、その爆撃ができない時には東京の市街地を無差別に爆撃……
 東京は11月24日を境に、122回もの空襲を受ける日々が始まってしまった。

 海軍や陸軍の軍部はレイテ海戦での特攻の成果に固執し、戦局打開の切り札として次々に特攻隊を編成して出撃させていた。
 米軍はレーダーを駆使して防空体制を築き、突入前に撃墜される機が続出していたのにも関わらず……特攻の規模を拡大していった。
 特攻隊員のほとんどが20歳前後の若者で、空襲に来た戦闘機への体当たり攻撃も行われたが……訓練中の者に声がかかる事はなかった。
 戦果は国内で大々的に報じられ、連日のように特攻隊員の顔写真を新聞に載せて華々しくたたえ、国民の戦意を高揚させた。

 12月25日……僕達は実戦機訓練を全て終え、大日本帝国海軍から海軍少尉を拝命した。
 正月休みの帰省が許され、少尉に昇格した記念に二人で正装で撮った写真をお土産に、僕達は久し振りに家に帰った。
 本当は播磨屋の方にすぐ行きたかったが……正月明けに行く事にした。

「母さん、ただいま!」

「おかえり、源次……ずいぶん立派になって……」

 久し振りに会った母は痩せていて……海軍から貰った支給品を見せると嬉しそうに微笑んでいた。
 そして、ずっと連絡がなくて心配していた父から手紙が来た事を教えてくれた。
 どうやら12月から戦艦大和に乗艦する事になったから年末に帰れないが、「大和ホテル」と揶揄されるほど居住性はすこぶる良好なので心配するな……とのことだった。

 久し振りの母さんのご飯は涙が出る程美味しくて、お風呂はまるで天国で、久し振りの実家の布団は太陽の匂いがした。
 僕が全ての久し振りに喜ぶと、母さんは「大げさだねぇ」と笑ったが……
 訓練が終わり今後はいつ特攻隊に編成されるか分からないため、これが最後になるのではないかという絶望に似た不安が込み上げてきて、布団の中でこっそり泣いた。
 
 年が明けた1945年1月初旬、僕は久し振りの播磨屋にドキドキしながら向かった。

「皆さん、お久し振りです!」

「源次さん! ずっと会いたかった!」

 純子ちゃんは僕に抱きつく勢いで駆け寄ってきたが、思いとどまって僕の服を掴みながらポロポロ泣いていて……思わず抱き締めて貰い泣きしそうになった。
 
「お~源次来たか~明けましておめでとさん」

「久し振り~源兄ちゃん!」

 年末年始なので浩くんも帰っていて……静子おばさんも「みんな揃ってよかった」と嬉しそうに迎えてくれて、食料事情が厳しい状況ながらも1階の居間で色々とご馳走してくれた。

 ヒロと僕が訓練中にあった色々な出来事を話すと、みんな目を輝かせながら聞き入ってくれて時には大笑いしてくれた。
 僕は久し振りに純子ちゃんの笑顔が見られて、天にも昇る気持ちだった。

「そういえば浩くん、疎開先はどうだった?」

「先生が優しくて色んな歌教えてくれて、みんなで歌って楽しかったよ~源兄ちゃんは先生の知り合いなの?」

「そうだよ。正確にはうちの母さんの親友の息子さんで……元々御茶ノ水らへんに住んでたんだけど、関東大震災の時に避難してきたのを母さんが助けて一時期一緒に住んでたんだ」

「へ~そうなんだ~」

「今はうちの近くの地域に住んでるんだけど、助けてもらったお礼とかで元々いた土地に建てたアパートにタダで下宿させてもらえて色々助かったよ」

「成る程~長年の謎が解けたわ、だから無償やったんか」

「そうだ浩くん! ハイこれ、遅くなったけど誕生日のお祝い……父さんから戦艦大和に乗るって手紙が来て写真が入ってたから絵を書いたんだ」

「大和の絵? わ~すごいや、ありがとう!」

 浩くんは絵を両手で持ちながら飛び上がって喜んだ。

「それと純子ちゃんにもコレ……少し早いけど誕生日おめでとう! 紫のスカーフ本当にありがとね、作ってくれて本当に嬉しかった……この絵は一緒に撮った写真を見て描いたんだ」

 僕はドキドキしながら純子ちゃんに似顔絵を渡した。

「ありがとう源次さん! わ~素敵……でも私、こんなにキレイじゃない」

「いや純子ちゃんはキレイだよ……毎日写真を見て本当にキ……って何言ってんだ僕っ」

 思わず口に出てしまった言葉に、二人で赤面した。

「ハイハイお二人さん仲のよろしいこっちゃ~こっちまで恥ずかしなるわ……源次に先越されてもうたけど俺は帰る前に渡すな」

「そ、そういえば最近東京にも空襲が来るようになったけど、ここら辺は大丈夫だった? 空襲警報が鳴ったら危ないからすぐに逃げるんだよ?」

「大丈夫、大丈夫! この下に立派な防空壕を掘ったから! そうだそうだ、久し振りに源次さんのお部屋大掃除しなきゃじゃない? この後すぐ行きましょ」

 防空壕の場所に不安を覚えつつも話題が変わり、押し切られる形で久し振りに帰ったアパートは蜘蛛の巣だらけのひどい状態だったが……いつかの大掃除の時みたいに純子ちゃんがあっという間にキレイにしてくれた。

 一緒に神田明神に初詣に行ったり、お正月らしい遊びをして楽しく過ごしているうちに、あっという間に百里原に戻らなければいけない日になった。

「そ、そういえば純子ちゃんて今年で女学校卒業だよね?」

「そうなの。3月10日が卒業式だから、また会えたらいいんだけど……」

「会いたい! 何とか都合つけて絶対会いにくるよ」

「おうよ、純子の袴姿見るまでは死んでも死にきれんからな~」

「変な冗談やめてよ〜絶対……絶対また会いにきてね? 約束よ?」

「うん、約束!」

「ほいじゃあ、まあ元気でな! ハイこれ、誕生日祝いのカンザシや。卒業式の袴に似合う思て、それと……」

「それと?」

「何でもない」

「変な光ちゃん~」

「それじゃ行ってきます」

「ほな行ってくるわ」

「行ってらっしゃい……必ず帰ってきてね」

 僕達は卒業式に会う約束をした後、見送りに来てくれた純子ちゃん達に敬礼をして別れた。
 まさかその日が東京にとって地獄のような日になるなんて……
 思いもよらなかったんだ。
 1945年1月6日……米軍がフィリピンの首都マニラ奪還のためにルソン島に上陸し、多くの戦車戦を含む激しい陸戦になった。
 日本軍は戦力を「尚武」「振武」「建武」の3集団にわけて防衛態勢に入り、艦砲の砲弾が届かない山岳での持久戦などジャングルの中で「補給なき永久抗戦」を命じられ、飢えや伝染病で餓死者が続出して2月に日本軍守備隊は全滅……
 戦いは終戦まで続いたが、尚武集団9万7000人、振武集団9万2000人、建武集団2万8000人の戦死者を出した。
 
 当時首都のマニラ市内には約70万人の市民が残っており、陸軍司令官は米軍の提案同様に無血開城ならぬ無防備都市宣言をすることを検討していたが、大本営はマニラの放棄には同意せず……
 2月3日にはフィリピン奪回を目指す米軍がマニラに突入し、日本軍は建物に立てこもるなどして1ヵ月に渡り抗戦……
 米軍の砲撃などを受け、マニラ市街戦での日本軍側の死者は約1万2000人に及んだ。

 日本軍の敵は米軍だけではなく……フィリピンゲリラによる日本人狩りで多くの戦友や一般の邦人を殺害された報復として、日本軍は「ゲリラ討伐」とフィリピン人の虐殺を行うようになってしまった。

 小銃で撃ってくる女性、手榴弾を投げる子供……思わぬ攻撃に、やらなかったらやられる……人影が見えたら一般市民だろうが兵隊だろうが先に攻撃しないと撃たれる……という恐怖が先行し、追い詰められた日本軍は益々狂っていった。

 そしてゲリラと一般市民の見分けがつかないからと「外人は全て敵」とみなし、地下に避難していた小さい子供や女性を含む無抵抗な人たちも銃や放火などで惨殺……大勢の女性達をホテルに監禁して暴行……
 日本兵が女性を連れて行こうとするのを止めようとした日本兵もいたが、極限状態の中で自分本位で理性が崩壊したかのような行動をとる者が横行し、本当に酷い戦争犯罪や残虐行為が繰り返された。

 結局、マニラでの日本軍による虐殺とアメリカ軍の砲撃により巻き込まれた一般市民の犠牲者は10万人を超え、市街地中心部は廃墟と化してしまった。

 そんな大変な事になっていたのを知らなかった僕達は、百里原海軍航空隊に戻った後にすぐ特攻隊の編成があった訳でもなく、変わらぬ日常を送っていた。
 しかし2月初旬にヒロ宛ての軍事郵便が届き……それを見た途端、ヒロは青ざめてしゃがみ込んだ。

「大変や……高知の実家、焼けて無くなってもうた……」

「えっ?」

「1月19日にB-29が来て、神田地区の吉野に焼夷弾落としたんやて……クソッ、今まで空襲がなかったから大丈夫やと思うとったのに……」

「え、そこって今は明希子おばさんが住んでるって言ってなかった?」

「せや、実家におって空襲で家は焼けてもうたけど、下の弟も怪我無く生き残って市内の帯屋町商店街の方に移ったらしいんやけど……」

「そうか……何とか大丈夫そうでよかったね」

「ほんまよかったわ……正に続いて明希子おばさんまで死んでもうたらどないしよ思うたわ……ただ……数少ない親父とお袋の思い出の品、全部焼けてもうたんやなって……まあ、しゃあないけどな~アハハハハ」

 乾いた笑い声で話すヒロの横顔は、独りぼっちの少年のように寂しそうな目をしていて……思わずこちらが泣きそうになった。

「ヒロ、無理して笑わないでいいよ」

「実はうちの親父とお袋な…………俺が小さい時に自転車屋やってたんやけど、注文受けた自転車を車で運んどる途中に事故で川に落ちてお袋死んでもうて……親父はどこまで流されたのか分からんくて行方不明になってん……」

「えっ?」

 そう話すヒロは、初めて見る泣き笑いの表情をしていて……
 今まで明るく振る舞っていたのは寂しさの裏返しだったんじゃないかということが、やっと分かった気がした。
 2月16日……その日は朝から嫌な予感がしていた。
 たまたまラジオがついていたが、突然の放送に僕は言葉を失った。

「茨城県警戒警報、茨城県警戒警報発令……空母より多数の敵機襲来、房総半島に侵入し攻撃報告多数あり……敵は関東全域の軍用基地に向かっている模様……間もなく茨城に来るものと思われます」

「え? 今、茨城って……ここに来るんか?」

「総員集まれ! 敵機襲来に備える!」

 僕達は隊員総出で、軍用機を敵の空襲から守るために造られた格納庫である「掩体壕(えんたいごう)」に移す手伝いをさせられていたが……

ウゥゥーーーーウゥゥ
ウゥゥーーーーウゥゥ

「大変じゃ……音が短いから空襲警報じゃ」

「急いで逃げよう!」

ババババッ、ババババババババッ

 僕達は急いで掩体壕の奥に隠れたが、グラマン戦闘機による攻撃は想像していたよりも遥かにすごい衝撃で……
 機銃掃射や爆撃が終わるのを只ひたすら声をひそめて待つしかなかった。

 1945年2月16日の空襲……それは「ジャンボリー作戦」と呼ばれた、空母から発進した艦上機である陸上用爆撃機による本土空襲だった。

 その航空攻撃作戦の目的は、間もなく上陸予定の硫黄島(いおうとう)の戦いの援護及び日本軍航空戦力の減殺……
 標的は関東の日本軍航空基地及び航空機工場で、各所が相当の被害を受け、迎撃戦闘に出動した練度の高いパイロットの多くが戦死した。
 百里原飛行場もグラマン戦闘機の攻撃で爆撃され、隊舎が炎上し焼失してしまった。

 僕達は間一髪助かったが、もし簡素な防空壕に逃げ込んでいたら死んでいただろうと思うと、僕は震えが止まらなかった。

 2月19日には米軍が硫黄島に上陸……
 硫黄島の飛行場を占領して日本本土爆撃を進めたい米軍と、一日でも長く死守して本土侵攻を阻止したい日本軍が激突した「硫黄島の戦い」は、36日間の壮絶な地上戦になった。

 日本軍守備隊の最高指揮官である陸軍中将は、米軍の上陸に備えて地下壕を網の目のように張り巡らせて全島を要塞化し、待ち伏せのゲリラ戦や持久戦に持ち込む戦略をとった。

 中将はその人柄から部下の信頼も厚く、自分宛に送られた貴重な食糧の全てを部下に分け与えたり、玉砕覚悟のバンザイ突撃を禁止するなど人命を大切にする指揮官で統率力もあり……米軍は中将率いる日本軍の決死の抵抗に苦戦した。

 ただ硫黄島は至るところで硫黄ガスや最高50℃の地熱が噴き出る劣悪な環境で……
 地下水も飲むことができず、雨水を貯める貯水槽が必須だったが空爆により貯水槽の多くが破壊され……兵たちは硫黄の混じった有害な水を飲まざるを得ないため、赤痢などによる病死者が増えてしまった。

 米軍は火炎放射戦車など圧倒的な火力を投入して制圧……
 死者や負傷者で埋め尽くされた地下壕では壮絶な持久戦になり、必死の抵抗を続ける日本軍は最後の攻撃を仕掛けるが玉砕……中将を含め多くの者が自決した。
 本土への大規模な空襲を一日でも長く防ぐために命をかけて防衛の盾となって下さった硫黄島の日本軍守備隊のうち2万人以上が戦死し、生還者は約1000人だけだったという……

 一方海軍では、硫黄島攻防戦に備えて香取飛行場に移動した第六〇一海軍航空隊、通称「六〇一空」が神風特別攻撃隊「第二御盾隊」を編成して硫黄島方面に出撃……2月21日に特攻機が護衛空母を撃沈、空母を撃破していた。

 その後、海軍は2月末に全軍をあげて特攻隊編成を転換し、練習・教育航空隊は全廃……その教官・教員は任務を解かれると同時に特攻出撃命令を受けた。

 3月に入り百里原飛行場に進出した六〇一空は、再建作業に着手……防空主体の編制に変更するなどで人員が増えたので、僕達は休暇がもらえて純子ちゃんの卒業式に出られることになった。

 そして迎えた3月9日……

「純子~約束通り帰ってきたで~」

「明日は卒業おめで……え、純子ちゃん? 髪が……」

 いつもキレイに編み込まれて肩に垂れていた純子ちゃんの三つ編みはなくなり……髪がショートボブ位の短さになっていた。

「おかえりなさい、約束守ってくれて嬉しい。でも驚いたでしょ?」

「その髪……どうしたの?」

「2週間位前に神田地区に酷い空襲があって……うちは大丈夫だったんだけど、出先で防空頭巾から出ていた髪に火が燃え移ってしまって……」

「えっ大丈夫? 火傷しなかった?」

「大丈夫、すぐに叩いて消えたから……でも長い髪は危ないから切りなさいって、こんなに短くなったのは初めてで……やっぱり変でしょう?」

「変じゃないよ! 短いのもカワイイよ、なあヒロ?」

「ほんまやで、よう似合うてる」

「光ちゃんごめんなさい……カンザシ、卒業式の日につけるの楽しみにしてたのに……させなくなっちゃった……」

「そんなん気にせんでええ! それより無事で、ほんまによかったわ」

 1945年2月25日の空襲では、172機のB29が東京下町の市街地に大量の焼夷弾を投下……空襲の被害は甚大で、早朝からの積雪の影響もあって消火活動は困難を極めたそうだ。
 特に神田区の被害は大きく、家屋約1万戸が被災し195人が亡くなってしまった。

「ほんと、この間の大晦日の日にも空襲があったけど……被害が少なかったから油断してたわ」

「えっ? 大晦日にも!? なんで言ってくれなかったの?」

「せっかくの年明けでめでたい時やし、言わへん方がええと思うてんなぁ? 本郷の方が危なかったんやけど、お前んとこのアパート無事でほんまによかったわ」

 あの時掃除しに行くと言ってくれたのにはそんな理由もあったのか……と思うと同時に、大変な状況の後にあのご馳走を用意してくれたのかと思うと感謝の気持ちでいっぱいになった。

「明日は卒業式の後にすぐ戻らんといけんから今日は前祝いじゃ! ホレこれ……純子のためにとっておいた軍粮精、もろたの全部お前にやるわ」

「光ちゃん、ありがとう!」

「ずる~い! 僕も、僕も~」

「浩くんも帰ってきてたんだね! じゃあ浩くんの分の軍粮精は僕があげるよ」

「わ~い、源兄ちゃんありがとう~キャラメルなんて久し振りだよ」

 奥から出てきた静子おばさんは「二人とも久し振り、色々ありがとね」と微笑んでいた。

 実は2月25日の空襲の目標地域は燃えやすい住宅密集地で……これから起こる下町大空襲に対する焼夷弾爆撃の実験的な空襲でもあったことに、僕達は全く気付いていなかった。
 3月9日の夜は、夜間の空襲に備えて減光した灯火管制の中、ささやかながら純子ちゃんの卒業式の前祝いをした。

「二人に会えて本当に嬉しい! 茨城の方は空襲、大丈夫だったの?」

「それが百里原も空襲で兵舎が燃えて大変だったんじゃ~」

「そうなの!? 二人とも無事で本当によかった……兵舎がやられたんじゃあ当分出撃はなさそうでよかったわ」

「そ、そうだね……」

 僕達は曖昧な返事をする事しかできなかった。
 百里原海軍航空隊は具体的な編成の話はまだないが、3月末から特攻の菊水作戦に参加する事が決まっていたから……

 僕はせめてもと純子ちゃんに卒業祝いを用意していたが、明日の卒業式の後に渡そうと思っていた。
 ヒロは終始、上機嫌で……僕と肩を組んで、よさこい節を歌いだした。

「土佐の高知の~はりまや橋で~坊さんカンザシ~買うを見た~よさこい~よさこい~」

 その時僕は、ヒロが純子ちゃんにカンザシを渡した事と、鹿島にいた頃に坂本くんに聞いた話を思い出した。
 よさこい節は江戸時代にあった、お馬という娘と20歳年上の純信という僧との悲恋物語が元で、カンザシを贈る行為には婚約指輪を贈るのと同じで「あなたを一生守ります」という意味がある事を……

 僕は明日、もしかしたら最後になるかもしれないからと卒業式の後に自分の想いを打ち明けようと思っていたが……ヒロの本気の想いに気付いて告白するのをやめた。

「それにしても1ヶ月位前に空襲があるって予告のビラが空から落ちてきたけど……この間の位ので済んで本当によかったわ」

「えっ、予告のビラ?」

 空襲予告ビラとは全国各地で上空から米軍機が散布したもので……表には避難するよう警告文が書いてあり、裏に攻撃対象都市が記載されたものもあった。
 初めて散布されたのは1945年2月17日……
 関東から東海地方までの広範囲で、落ちてきたビラを恐る恐る拾った人が多くいたそうだ。

 政府は空襲予告を広く伝えて避難を促すのではなく、逆に国民に不安や動揺が広がって都市部から大勢逃げ出したり戦争批判の世論が高まることを恐れた。
 憲兵司令部は火消しに走り……「敵の宣伝を流布してはならない」「発見したら直ちに憲兵隊や警察に届け出よ」「一枚たりとも国土に存在させぬように」と発表して新聞各紙にも掲載……
 ビラは警察官も動員して総出で即回収し、隠し持っている者は非国民扱いでスパイの疑いをかけて厳しく罰した。

 戦争末期の空襲予告ビラには「都市にある軍事施設を……戦争を長引かせるために使う兵器を米空軍は全部破壊します……アメリカは罪のない人達を傷つけたくはありません……アメリカの敵はあなた方ではありません。あなた方を戦争に引っ張り込んでいる軍部こそ敵です……アメリカの考えている平和というのはただ軍部の圧迫からあなた方を解放することです。そうすればもっとよい新日本が出来上がるんです。戦争を止めるような新指導者を樹てて平和を恢復したらどうですか……裏に書いてある都市から避難して下さい」と書かれていたそうだ。

「実は2月25日の空襲の時に慌てて逃げようとしたら憲兵さんに『逃げるな、火を消せ』と怒られてしまって……臆病者よね、今はみんなが戦わなきゃいけない時なのに……」

「そんな……」

 僕は純子ちゃんが実は消火活動に参加している途中で髪が燃えたのだという話を静子おばさんから聞いて、避難よりも危険な場所に留まる事を強いる政府に強い憤りを感じた。

「僕、バケツリレーの消火訓練で褒められたんだよ~ホイサッ、ホイサッ、ね~早いでしょ?」

 浩くんは久し振りの家族団欒が楽しかったようで、はしゃぎ回っていたが……

 「防空法」の改正後、政府は「焼夷弾は簡単に消せる」と砂袋や手製の火叩きなど身近な道具で消火する方法を紹介し、「空襲から決して逃げず、焼夷弾を消火することが国民の義務」として消火訓練を盛んに行い、防空壕は床下を掘って設置することが原則とされた。
 それは爆弾が投下されたら迅速に飛び出して防空活動に従事できるようにするためで……名称も退避所ではなく消火出動拠点として「待避所」に改められた。

 しかし焼夷弾は発火装置と燃焼剤が一体となっており……投下されると数10メートル四方へ火焔とゲル化したガソリンなどの油脂が噴出され、一瞬で猛烈な炎が家屋を包んで近づくのも危険な程の火力で……紹介された方法で到底消火できるものではなかった。
 帝国大学の教授が、中国で押収した米軍製の焼夷弾の燃焼実験を行ったところ「焼夷弾を消すことは不可能」という結論を得たにも関わらず、政府は科学者の警告を無視し「空襲は怖くないから逃げる必要はない。逃げずに火を消せ」と宣伝していた。

 夜もふける頃、明日は早いので僕は播磨屋に泊まる事を提案された。
 浩くんは、はしゃぎ疲れて1階の居間で寝てしまい……静子おばさんも隣で寝るとのことで勧められた風呂に入りにいった。

 しかし、着替えの一部を2階に忘れた事に気付き、寝ている浩くん達を起こさないよう静かに階段を上がると……ヒロと純子ちゃんの声が聞こえてきた。

「……純子……ずっと言われへんかったけど…………俺はお前が好きや!」

「えっ、光ちゃん?」

「実はな、これが最後かもしれへんのや……せやから戻る前に言わなあかん思て」

「そんな……そんな事言わずに必ず帰ってきて」

「帰ってきたくてものう……3月末から特攻作戦に参加するから、無理かもしれへんのや」

「嫌! 嫌よ、そんなの……約束したじゃない!」

「せやな、約束したな……でもこの国を守るために、お前を守るために、行かなあかんのや…………最後に、おまんを抱き締めてもええか?」

「うん……いいよ……」

「ほんまは、おまんのそばにずっとおりたい……このまま、おまんと一つになりたい……」

「……………………いいよ……」

「…………やっぱやめや……お前、泣いとるし」

「ック、泣いてない!」

「泣いてるやろ……目、見れば分かる」

「ち、違……」

「すまんな、変な事言うて……忘れてくれ」

 僕は動揺している自分の気持ちを必死に押し殺し、1階に降りてきたヒロに今まさに風呂から出てきたようなフリをした。

「すまん源次……やっぱ今日、源次の所に泊めてもらえへんか? 久し振りに二人で飲み明かそうや……っちゅうても、ほぼ水やけどな」

 僕達は泣きながら寝てしまった純子ちゃんや1階で寝ている静子おばさん達が心配しないように置き手紙を書き、もう遅い時間なので二人で歩いてアパートに向かった。
 その途中、なぜだか分からないが僕はとても嫌な予感がしていた。

「なあ、ヒロ……空襲、本当に大丈夫かな? 予告の空襲が2月だけの事ならいいんだけど、明日の3月10日が陸軍記念日だから気になって……」

「ビラの予告か? まあ、大丈夫やろ」

 出来るだけ純子ちゃんの話題にならないよう気を使いながら歩いていると……

ウゥゥーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーウゥゥ

「長いから警戒警報だ……急いで戻らなきゃ!」

 僕達は大分先まで歩いていたが、播磨屋に戻るため急いで走った……が暫くして警戒警報が解除された。

「なんじゃ~おどかしよって」

 一瞬本当に焦ったが、空襲が来なくて本当によかったと安堵し再びアパートに向かった。
 到着する頃には二人とも疲れていて、一息ついて「やっぱり明日の卒業式に備えて眠ろう」と布団を広げていた時だった……
 ラジオから突然、東部軍管区情報が鳴り響いた。

「ブーッブーッ、関東地区、関東地区、空襲警報発令、東部軍司令部より関東地区に空襲警報が発令されました……房総半島沖合に多数のB-29を発見……」

ゴォォォォォォォォォォ

「なんじゃあ、ありゃあ!!」

 僕達が遠くの空に見たのは、今まで誰も見たことがないであろう一面に広がる多数のB-29の不気味な姿だった。