♪
スポットライトは舞台の中央にある。だから、舞台脇に半分隠されるように置かれているグランドピアノの演者に光が当たることはない。今から弾くのはあくまでも劇の「BGM」に過ぎなくて、観客はシンデレラを見に来ているに過ぎない。そう言い聞かせて、必要以上に緊張しないようにする。
そう、分かっている。分かってはいても、この体育館の中に、これから沙耶の演奏するピアノの音が鳴り響くのだと考えると――手が震えないはずがなかった。
物語の内容はすでに、中盤にさしかかっている。シンデレラに魔法が掛けられて、段ボールで出来た力作のカボチャの馬車が踊り出す。演者が舞台袖にはけて、暗転したら、その次が晩餐会のシーンだ。
沙耶のピアノの弾き始めに合わせて、暗転が明けることになっている。
あの字の下手な手紙に返信するすべを、沙耶は持っていなかった。先輩からの手紙を手渡ししてくれた田中先生に、返信の方法がないか聞いてみたけれど、申し訳なさそうに生徒の個人情報は教えられないと言われただけだった。一応先輩に直接メッセージも送ってみたけれど、既読はつかず、当然返信もなかった。
身体が弱いと言っていたのは、本当だった。田中先生も先輩のことをやけに心配していたし、重たいものは持たなくていいと身体を気遣っている様子だった。高校生のくせに、あまり文字を書いたことがないなんておかしな話だ。あんなに人懐っこい人なのに、どうして友達が少ないのか、たしかに不思議に思ったはずなのに。
――なんにも、気が付かなかった。
どんな思いで、沙耶の練習に付き合ってくれていたんだろう。ピアノの練習なんかより、先輩と話すべきことがあったんじゃないだろうか。伝えるべきことがあったんじゃないだろうか。でも、今は何も届かない。
思い返せば、沙耶と先輩の間には、いつでもピアノがあった。だから、今は目の前のピアノにしっかり向き合いたい。それが、牧野先輩が教えてくれた一番大切なことだから。
先輩が――この世界の、どこにいたとしても。
舞台が、暗転した。三秒だけ数えてから、始まりの音に指を置く。音がぽろんと零れる。一つ目の音に導かれて、二つ目、三つ目、フレーズの塊が、躍り出る。メロディが体育館の中に広がっていく。と同時に、暗転が明けて劇が再開する。
スポットライトの下に、シンデレラが姿を現した。王子様との台詞のやりとりが始まって、二人が手を取り合う。沙耶の演奏する曲に合わせて、笑い合いながら踊り出す。響く音の美しさに、沙耶は満足していた。
――牧野先輩の演奏に、一歩でも近づくことは出来ただろうか。
先輩が桜色だと言ってくれた沙耶の音色で、あの真っ赤で情熱的な演奏に、少しでもいいから近づきたい。その一心で、ピアノを弾く。音を繋ぎ、メロディを色付ける。
やがて、曲の盛り上がりがやってくる。フレーズの波をいくつも超えて、最高潮に達した時、舞台袖から十二時のベルが鳴った。
――ここで、終わりだ。
シンデレラが駆けていく。晩餐会のBGMは、ここまでだ。沙耶はシンデレラの背中を見送るように、ゆっくりと演奏を終えた。
曲が終わっても、拍手がもらえるわけじゃない。沙耶は劇の邪魔をしないように、暗闇の中ゆっくりと立ち上がった。演奏が終わっても、劇は続いている。むしろ、ここからが一番良いシーンだった。王子が、ガラスの靴を抱えながら、シンデレラの名前を呼んでいる。
上手くいってよかった。反対側の舞台袖で、小さくガッツポーズして笑ってくれたクラスメイトに笑顔を返しながら、沙耶は客席に戻るため踵を返した――の、だけれど。
どうして、演奏中に気が付かなかったんだろう。夢にまで見た、絶対にいて欲しかったはずの人が、微笑みながら立っている。沙耶にとっての光。
そこにいたのは、牧野先輩だった。
