「あ、お義父さん。もう一杯いかれます?」
「ああ、すまないね、朋美さん。じゃあお願いしようかな」
「親父、飲みすぎてない? そんなに飲んで大丈夫?」
「ああ、ヘーキヘーキ。朋美さんがよく気がついてくれるから、気分良くなっちゃって」
「そうなのよ。朋美さんってば気配りも上手でよく周りを見てるのよね。率先してやってくれるから本当に助かる。新居が決まるまでと言わず、もういっそ同居してほしいくらいよ」
「えへへ……ありがとうございます」
朋美さんが来てからの夕飯時は、会話が横行していた。そもそもみんな揃って食べていなかったのに、いつの間にかみんなひとつのテーブルに集まって和気あいあいとしている。
「…………」
その会話の横行に、私は入っていけない。入ろうとも思わないんだけど、黙っていても咎められることはない。もはやいない人、みたいになっているのかもしれない。
「朋美はさ、ボーっと立ってるってことができないんだよな。朋美が働くお店で出会ったんだけどさ、そのときも困ってるお客さんには声をかけて、逆に話しかけられたくなさそうなお客さんは遠くから見てるだけっていう感じで対応を変えててさ。すごいなって思ったんだよ」
「えへへ……性分なの。直せって言われても直んないよ」
「あらー。直す必要なんてないじゃない。素敵な性分、私は大好きよ」
「ありがとうございます」
もちろん会話は耳に入ってきている。義母の普段より少し高い声も、父のめったに見せない陽気な声も、義兄の照れた声も、朋美さんの愛想のいい声も。その声の集団の中に、私は入れない。というか、入らない。私がなにか発すれば、場の空気が変わりそうだから、黙って箸をすすめるのみ。
「詩乃ちゃん。今日の肉じゃが、どう? 私が作ったんだけど……」
さすが周りに気を配れる人だ。私がハブられていると思ってか、話しかけてきた。義兄も私を見ているので、私は穏やかに微笑んで見せた。
「すごくおいしい。じゃがいもにも味が染みてるし、ホッとする味」
「そっか。よかったー。山本家と岩倉家のブレンド肉じゃがなの。やっぱりおいしいものを掛け合わせるとおいしいよね」
料理も上手なんて、誠は幸せ者ねー、なんて義母が言っている。私はその声を、遠くの方で聞いていた。
今、朋美さんはなんて言った? 肉じゃががブレンド? うちとどこだって? 岩倉? 岩倉って、あの岩倉?
『岩倉春樹は、山本詩乃さんのことが、一年のときから好きです』
「山本家、本当に温かくて大好きです」
柔和な笑みでみんなに笑いかける近い将来の、山本家の嫁が、私のことを好きだと言うやつの、姉?
「…………」
味の染みたじゃがいもは、箸を入れると簡単に割れた。
***
「岩倉くんって、本当に私のこと、好きなの?」
翌日、今度は私が彼のことを待って、空いた教室に誘導した。「話がある」と切り出したときは嬉々として付いてきた彼だったが、質問した途端、眉根をこれでもかというほど寄せてみせた。
「うっそ心外。俺、本当に山本さんのことが好きだよ。なんで疑われなきゃいけないの?」
「山本朋美」
「えっ?」
「あなたのお姉さんよね」
「……そう、だけど」
朋美さんの名前を出すと山本くんはわかりやすくうろたえた。私は続ける。
「お姉さん結婚するよね? 相手、誰だか知ってるよね?」
「…………」
「黙ってるってことは肯定してるのと同じだよ? 相手は山本誠。私の義兄。あなた、それ知ってて私に近づいたんじゃないの?」
「…………」
山本くんは肯定も否定もせず、下を向いて黙っていた。
大方、私と同じように彼も朋美さんに恋をしているのだろう。きっと血が繋がっていない姉弟で、結婚するから家を出るということで、結婚相手のことを調べたら私に行きついた。そして私を好きだと嘘の告白をし、あわよくば私と結婚して朋美さんとの接点を持とうと──
「確かに姉貴の結婚相手が山本さんのお義兄さんだってこと、知ってたよ。なにか勘違いしてるようだから先に言っておくけど、俺と姉さんは正真正銘、血の繋がった姉弟だから、そこのところ間違えないで」
ほらやっぱり。山本くんは朋美さんと血の繋がった──
「……え?」
「だから、同じ両親から生まれた、混じり気のない姉弟です」
私の推理が、音を立てて崩れていった。同じ境遇に置かれている同志だと思ったのに、大ハズレだったらしい。え、ちょっと恥ずかしい。
「嘘はついて……」
「ないよ。姉貴のことは、血の繋がった姉弟として、好き。それ以上でも以下でもない。アンダースタン?」
「……はい」
穴があったら入りたい。それくらいには恥ずかしい勘違いを披露してしまった。じゃあ岩倉くんは、純粋に私のことを──
「そもそも俺は、一年のときから山本さんが好きなんだ。そりゃ最初のとっかかりとしては姉貴の交際相手の妹が山本さんってことを知って気になり始めたけど、きっかけなんてそんなもんじゃん? 様子をうかがってるうちに山本さん、すごい闇を抱えてそうな雰囲気でさ。いろんなものに疑心暗鬼そうで、世の中そんなに怖くないよって、教えたくなったんだ」
岩倉くんは濁りのない色をしていて、きれいだった。あまりにも真っすぐ見てくるもんだから、ほだされそうになる。ダメだダメだ。私が好きなのは、義兄だけ。
「姉貴、山本さんの家で迷惑かけてない?」
「……うん。料理も気配りも完璧で、両親には好かれてる」
「山本さんはやっぱり好きじゃない?」
「……そりゃ好きな人の婚約者だし。憎しみしかないけど……」
「けど?」
「いい人なのは、認める。すっごく悔しいけど」
「あはは。ありがとう」
岩倉くんを褒めたわけではないのに、どうしてお礼を言われなくちゃいけないんだろう。私はまだ、義兄の結婚相手だとは認めてないのに。
窓際に寄って外を見る。葉のついていない桜並木は、服を着ていないみたいで寒そうだ。それなのにどうしてか私の心はじんわりと温かくなっていく気がして、風邪でも引いたかなと思った。
「ああ、すまないね、朋美さん。じゃあお願いしようかな」
「親父、飲みすぎてない? そんなに飲んで大丈夫?」
「ああ、ヘーキヘーキ。朋美さんがよく気がついてくれるから、気分良くなっちゃって」
「そうなのよ。朋美さんってば気配りも上手でよく周りを見てるのよね。率先してやってくれるから本当に助かる。新居が決まるまでと言わず、もういっそ同居してほしいくらいよ」
「えへへ……ありがとうございます」
朋美さんが来てからの夕飯時は、会話が横行していた。そもそもみんな揃って食べていなかったのに、いつの間にかみんなひとつのテーブルに集まって和気あいあいとしている。
「…………」
その会話の横行に、私は入っていけない。入ろうとも思わないんだけど、黙っていても咎められることはない。もはやいない人、みたいになっているのかもしれない。
「朋美はさ、ボーっと立ってるってことができないんだよな。朋美が働くお店で出会ったんだけどさ、そのときも困ってるお客さんには声をかけて、逆に話しかけられたくなさそうなお客さんは遠くから見てるだけっていう感じで対応を変えててさ。すごいなって思ったんだよ」
「えへへ……性分なの。直せって言われても直んないよ」
「あらー。直す必要なんてないじゃない。素敵な性分、私は大好きよ」
「ありがとうございます」
もちろん会話は耳に入ってきている。義母の普段より少し高い声も、父のめったに見せない陽気な声も、義兄の照れた声も、朋美さんの愛想のいい声も。その声の集団の中に、私は入れない。というか、入らない。私がなにか発すれば、場の空気が変わりそうだから、黙って箸をすすめるのみ。
「詩乃ちゃん。今日の肉じゃが、どう? 私が作ったんだけど……」
さすが周りに気を配れる人だ。私がハブられていると思ってか、話しかけてきた。義兄も私を見ているので、私は穏やかに微笑んで見せた。
「すごくおいしい。じゃがいもにも味が染みてるし、ホッとする味」
「そっか。よかったー。山本家と岩倉家のブレンド肉じゃがなの。やっぱりおいしいものを掛け合わせるとおいしいよね」
料理も上手なんて、誠は幸せ者ねー、なんて義母が言っている。私はその声を、遠くの方で聞いていた。
今、朋美さんはなんて言った? 肉じゃががブレンド? うちとどこだって? 岩倉? 岩倉って、あの岩倉?
『岩倉春樹は、山本詩乃さんのことが、一年のときから好きです』
「山本家、本当に温かくて大好きです」
柔和な笑みでみんなに笑いかける近い将来の、山本家の嫁が、私のことを好きだと言うやつの、姉?
「…………」
味の染みたじゃがいもは、箸を入れると簡単に割れた。
***
「岩倉くんって、本当に私のこと、好きなの?」
翌日、今度は私が彼のことを待って、空いた教室に誘導した。「話がある」と切り出したときは嬉々として付いてきた彼だったが、質問した途端、眉根をこれでもかというほど寄せてみせた。
「うっそ心外。俺、本当に山本さんのことが好きだよ。なんで疑われなきゃいけないの?」
「山本朋美」
「えっ?」
「あなたのお姉さんよね」
「……そう、だけど」
朋美さんの名前を出すと山本くんはわかりやすくうろたえた。私は続ける。
「お姉さん結婚するよね? 相手、誰だか知ってるよね?」
「…………」
「黙ってるってことは肯定してるのと同じだよ? 相手は山本誠。私の義兄。あなた、それ知ってて私に近づいたんじゃないの?」
「…………」
山本くんは肯定も否定もせず、下を向いて黙っていた。
大方、私と同じように彼も朋美さんに恋をしているのだろう。きっと血が繋がっていない姉弟で、結婚するから家を出るということで、結婚相手のことを調べたら私に行きついた。そして私を好きだと嘘の告白をし、あわよくば私と結婚して朋美さんとの接点を持とうと──
「確かに姉貴の結婚相手が山本さんのお義兄さんだってこと、知ってたよ。なにか勘違いしてるようだから先に言っておくけど、俺と姉さんは正真正銘、血の繋がった姉弟だから、そこのところ間違えないで」
ほらやっぱり。山本くんは朋美さんと血の繋がった──
「……え?」
「だから、同じ両親から生まれた、混じり気のない姉弟です」
私の推理が、音を立てて崩れていった。同じ境遇に置かれている同志だと思ったのに、大ハズレだったらしい。え、ちょっと恥ずかしい。
「嘘はついて……」
「ないよ。姉貴のことは、血の繋がった姉弟として、好き。それ以上でも以下でもない。アンダースタン?」
「……はい」
穴があったら入りたい。それくらいには恥ずかしい勘違いを披露してしまった。じゃあ岩倉くんは、純粋に私のことを──
「そもそも俺は、一年のときから山本さんが好きなんだ。そりゃ最初のとっかかりとしては姉貴の交際相手の妹が山本さんってことを知って気になり始めたけど、きっかけなんてそんなもんじゃん? 様子をうかがってるうちに山本さん、すごい闇を抱えてそうな雰囲気でさ。いろんなものに疑心暗鬼そうで、世の中そんなに怖くないよって、教えたくなったんだ」
岩倉くんは濁りのない色をしていて、きれいだった。あまりにも真っすぐ見てくるもんだから、ほだされそうになる。ダメだダメだ。私が好きなのは、義兄だけ。
「姉貴、山本さんの家で迷惑かけてない?」
「……うん。料理も気配りも完璧で、両親には好かれてる」
「山本さんはやっぱり好きじゃない?」
「……そりゃ好きな人の婚約者だし。憎しみしかないけど……」
「けど?」
「いい人なのは、認める。すっごく悔しいけど」
「あはは。ありがとう」
岩倉くんを褒めたわけではないのに、どうしてお礼を言われなくちゃいけないんだろう。私はまだ、義兄の結婚相手だとは認めてないのに。
窓際に寄って外を見る。葉のついていない桜並木は、服を着ていないみたいで寒そうだ。それなのにどうしてか私の心はじんわりと温かくなっていく気がして、風邪でも引いたかなと思った。