結局家に居づらくて、翌日も学校に来た。教室に上がる前に、また花壇を眺める。
……寒いのにどうして咲く花があるんだろ。温かくなるまで寝てればいいのに。
「山本さん」
後ろからまたしても声をかけられ振り向くと、昨日私に告白してきた岩倉くんだった。
「岩倉くん……」
「山本さんいるかなーって思って来たら、やっぱりいた」
人懐こそうな笑みを向けられて、思わず眉根が中央に寄る。岩倉くんのことは全然知らないけど、私の勘が『コイツ危険』と知らせていた。
一歩ずつ近づいてくる岩倉くんに、一歩ずつ後退していたが、すぐ花壇のレンガに足が当たって下がれなくなった。
「私になにか用……?」
「昨日逃げられちゃったけど、僕の想いは変わらないから、卒業するまで何度でも伝えようと思ってさ」
ジリジリと近づいてくる岩倉くん。でも彼は手を伸ばせば届く距離で止まった。その瞳は昨日と同じように薄い色素で真っすぐ私を見ている。脇目も振らない瞳というのは、きっとこんな強さを持っているのだろう。私には、到底真似できない。
「僕は山本さんのことが──」
「私、好きな人がいるの」
「えっ……」
岩倉くんの瞳が、小さく揺れた。畳みかけるなら、今しかない。
「ずっと、好きなの。小学五年生のときから、ずっと。他の人なんか目に入らないほど、ずっとその人のことだけを想ってきたの。だから、岩倉くんが私に入り込む余地なんて──」
「言ってないの?」
「……え?」
「ずっと同じ人を想い続けてて、『好き』って言ってないの? 自分の気持ち、その人に伝えたことあるの?」
「……いや、ない……けど」
「なんで言わないの? 自信ないから? それとも関係を壊したくないから?」
「…………」
諦めさせるために言ったのに、岩倉くんはグイグイ聞いてきた。それはただの好奇心ではなく、私のことを知ろうと深く聞いてきているような雰囲気だった。
困ったな。こんなはずじゃなかったのに。
「あー……ここじゃなんだね。うーんと……どこか空いた教室に行こうか」
岩倉くんはくるりと校舎の方へ身体を向けた。
向き合っていて縛られていた紐が解けたから、とっとと逃げ出せばよかったのに、逃げる場所にも行きたくない。家には義母がいる。朋美さんは今日は仕事だ。義母のことは嫌いなわけではないけれど、二人きりになるのには少しだけ抵抗がある。
「山本さん?」
振り返った岩倉くんと目が合う。害のなさそうな、純粋な目。
「……うん」
私は彼の背中を負った。
***
「そっか。山本さんのところはちょっと複雑な家庭だったんだね」
誰もいなかったのは三年三組の教室のみで、私と岩倉くんはグラウンド側の後ろの席で話をしていた。前に岩倉くん、その後ろに私。
暖房をつけたので室内は暖かい。二人とも上着やマフラーを脱いで、隣の席に置いた。
家の事情をこうやって話して、自分の好きな人のことまで打ち明けたのは初めてだった。友人にも言えなかった私の恋心だったのに、私のことを好きだという人には結構するりと言葉が出てきた。
目の前にいる人が人懐こいからか、それとももう卒業だからと私が割り切っているからか。
「だから、私は岩倉くんの想いに応えることができない」
多分、一番は、彼に私のことを諦めてほしいからこんなことを打ち明けているんだと思う。私には義兄しか見えていませんよ。あなたの入り込む余地なんて一ミクロンもありませんよ。
岩倉くんは「そっかぁ」と両手を上にして背伸びをした。
「お互い不毛な恋愛してるんだねぇ」
発言とは裏腹に、やけに間延びした感想だった。
「えっと……岩倉くんは、その……私を諦めるというのは……」
「え? するわけないじゃん。だって、こう言ったら悪いけど、山本さんの恋は玉砕したも当然でしょ? 結婚相手がいるわけだし。だったら、俺の恋の方はまだチャンスあるってことだよね? 諦める理由、なくない?」
怖いくらいに正論だった。山本さんの恋は玉砕したも当然。わかってはいたけれど、第三者から言われたら槍を投げ込まれたみたいにウッとくる。あぁ、これが傷つくということか。
「私の恋は、もともと叶うわけない、しちゃダメな恋なの。だから、この恋心は墓場まで持っていく予定。よって、岩倉くんの恋も玉砕しています」
「……死ぬまで義理の兄を想い続けるってこと?」
「そういうこと」
私は大真面目だった。義兄を想う気持ちなら、誰にも負けない。婚約者の朋美さんにすら負けていない自信がある。それくらいには、義兄を愛していた。
岩倉くんは急に立ち上がった。
「嫌だ。それだと山本さんは一生苦しむことになる。好きな人がつらいのは、つらい。好きな人には幸せになってもらいたいので、俺が山本さんを幸せにしたいと思います!」
息を荒げ、岩倉くんは黒板へ向かった。チョークを手に取り、カッカッと筆圧の強そうな音を立ててなにかを書いていく。
山、本、さ、ん、好、き……って赤のチョーク!
「ちょっと、そんな力強く書いたら消えにくいじゃん!」
慌てて彼の隣に行って黒板消しで擦る。あああ、ゴシゴシ両手で消さないとうっすら残る!
「消しても無駄だよ。何度だって上書きするから」
「わかった。岩倉くんの気持ちはよーくわかったから、もうやめよ? ね?」
「俺、レタリング得意なんだ」
「ちょっと、影を付けるな!」
書かれては消し、書かれては消し、を繰り返す。うっすらと残ったチョークの跡は、いくら擦ってもそう簡単には消えそうにない。それはまるで私の恋心のようで、ちょっとだけ涙が出た。
……寒いのにどうして咲く花があるんだろ。温かくなるまで寝てればいいのに。
「山本さん」
後ろからまたしても声をかけられ振り向くと、昨日私に告白してきた岩倉くんだった。
「岩倉くん……」
「山本さんいるかなーって思って来たら、やっぱりいた」
人懐こそうな笑みを向けられて、思わず眉根が中央に寄る。岩倉くんのことは全然知らないけど、私の勘が『コイツ危険』と知らせていた。
一歩ずつ近づいてくる岩倉くんに、一歩ずつ後退していたが、すぐ花壇のレンガに足が当たって下がれなくなった。
「私になにか用……?」
「昨日逃げられちゃったけど、僕の想いは変わらないから、卒業するまで何度でも伝えようと思ってさ」
ジリジリと近づいてくる岩倉くん。でも彼は手を伸ばせば届く距離で止まった。その瞳は昨日と同じように薄い色素で真っすぐ私を見ている。脇目も振らない瞳というのは、きっとこんな強さを持っているのだろう。私には、到底真似できない。
「僕は山本さんのことが──」
「私、好きな人がいるの」
「えっ……」
岩倉くんの瞳が、小さく揺れた。畳みかけるなら、今しかない。
「ずっと、好きなの。小学五年生のときから、ずっと。他の人なんか目に入らないほど、ずっとその人のことだけを想ってきたの。だから、岩倉くんが私に入り込む余地なんて──」
「言ってないの?」
「……え?」
「ずっと同じ人を想い続けてて、『好き』って言ってないの? 自分の気持ち、その人に伝えたことあるの?」
「……いや、ない……けど」
「なんで言わないの? 自信ないから? それとも関係を壊したくないから?」
「…………」
諦めさせるために言ったのに、岩倉くんはグイグイ聞いてきた。それはただの好奇心ではなく、私のことを知ろうと深く聞いてきているような雰囲気だった。
困ったな。こんなはずじゃなかったのに。
「あー……ここじゃなんだね。うーんと……どこか空いた教室に行こうか」
岩倉くんはくるりと校舎の方へ身体を向けた。
向き合っていて縛られていた紐が解けたから、とっとと逃げ出せばよかったのに、逃げる場所にも行きたくない。家には義母がいる。朋美さんは今日は仕事だ。義母のことは嫌いなわけではないけれど、二人きりになるのには少しだけ抵抗がある。
「山本さん?」
振り返った岩倉くんと目が合う。害のなさそうな、純粋な目。
「……うん」
私は彼の背中を負った。
***
「そっか。山本さんのところはちょっと複雑な家庭だったんだね」
誰もいなかったのは三年三組の教室のみで、私と岩倉くんはグラウンド側の後ろの席で話をしていた。前に岩倉くん、その後ろに私。
暖房をつけたので室内は暖かい。二人とも上着やマフラーを脱いで、隣の席に置いた。
家の事情をこうやって話して、自分の好きな人のことまで打ち明けたのは初めてだった。友人にも言えなかった私の恋心だったのに、私のことを好きだという人には結構するりと言葉が出てきた。
目の前にいる人が人懐こいからか、それとももう卒業だからと私が割り切っているからか。
「だから、私は岩倉くんの想いに応えることができない」
多分、一番は、彼に私のことを諦めてほしいからこんなことを打ち明けているんだと思う。私には義兄しか見えていませんよ。あなたの入り込む余地なんて一ミクロンもありませんよ。
岩倉くんは「そっかぁ」と両手を上にして背伸びをした。
「お互い不毛な恋愛してるんだねぇ」
発言とは裏腹に、やけに間延びした感想だった。
「えっと……岩倉くんは、その……私を諦めるというのは……」
「え? するわけないじゃん。だって、こう言ったら悪いけど、山本さんの恋は玉砕したも当然でしょ? 結婚相手がいるわけだし。だったら、俺の恋の方はまだチャンスあるってことだよね? 諦める理由、なくない?」
怖いくらいに正論だった。山本さんの恋は玉砕したも当然。わかってはいたけれど、第三者から言われたら槍を投げ込まれたみたいにウッとくる。あぁ、これが傷つくということか。
「私の恋は、もともと叶うわけない、しちゃダメな恋なの。だから、この恋心は墓場まで持っていく予定。よって、岩倉くんの恋も玉砕しています」
「……死ぬまで義理の兄を想い続けるってこと?」
「そういうこと」
私は大真面目だった。義兄を想う気持ちなら、誰にも負けない。婚約者の朋美さんにすら負けていない自信がある。それくらいには、義兄を愛していた。
岩倉くんは急に立ち上がった。
「嫌だ。それだと山本さんは一生苦しむことになる。好きな人がつらいのは、つらい。好きな人には幸せになってもらいたいので、俺が山本さんを幸せにしたいと思います!」
息を荒げ、岩倉くんは黒板へ向かった。チョークを手に取り、カッカッと筆圧の強そうな音を立ててなにかを書いていく。
山、本、さ、ん、好、き……って赤のチョーク!
「ちょっと、そんな力強く書いたら消えにくいじゃん!」
慌てて彼の隣に行って黒板消しで擦る。あああ、ゴシゴシ両手で消さないとうっすら残る!
「消しても無駄だよ。何度だって上書きするから」
「わかった。岩倉くんの気持ちはよーくわかったから、もうやめよ? ね?」
「俺、レタリング得意なんだ」
「ちょっと、影を付けるな!」
書かれては消し、書かれては消し、を繰り返す。うっすらと残ったチョークの跡は、いくら擦ってもそう簡単には消えそうにない。それはまるで私の恋心のようで、ちょっとだけ涙が出た。