高校最後の夏休み初日。義兄が婚約者を連れて帰ってきた。
「こちら、岩倉朋美さん。三年前の春から付き合い始めて、来年三月に結婚することに決めたんだ」
「初めまして、岩倉朋美です。誠さんと結婚したく、ご挨拶に参りました。不束者ではございますが、末永くよろしくお願いします」
ピンと伸びた背筋、リンと澄ました横顔。第一印象は完璧だった。迷いのないハッキリとした声に、私は「負けた」と思った。
「あらまぁ。そんなにかしこまらなくても大丈夫よ。こちらこそ誠をよろしくね」
「誠くん、しっかりした子を捕まえたね。朋美さん、聞いてるかもしれないけど、誠くんは妻の連れ子で僕とは血が繋がってないんだ。でも、本当の息子のように思ってるから、朋美さんも僕のことを第二の父親だと思ってくれて構わないからね」
「はい、ありがとうございます」
私は対面キッチンで麦茶をコップに注ぎながら、四人のやり取りを見ていた。あはは、うふふ、といった笑いがリビングから聞こえる。ガラスコップに入った氷が、麦茶を注いだ瞬間にパキッパキッと音を立てた。それはまるで自分の心のようで、少し切ない。
丸いお盆に四つのコップを乗せて、それぞれの前に配った。まだお客さんだから、という意味も込めて最初に朋美さんの前へ。
「ありがとう」
なんの警戒心もない顔で彼女は私に頭を下げる。私も負けじと無言で微笑み返した。
全員の前にコップを置き終わったとき、父に「詩乃」と呼ばれた。
「ん?」
「ご挨拶」
ですよねー。
誕生日席で正座して、朋美さんを見た。目をキラキラと輝かせた彼女と目が合う。
「……えっと、妹の詩乃です」
「詩乃ちゃん。お兄ちゃんからお話は聞いてます。私のこと、本当の姉のように慕ってくれたらうれしいな」
「はい。私もお姉ちゃん欲しかったのでうれしいです」
「ちょっと、誠、聞いた? 『お姉ちゃん』だって! かわいい!」
「だろ? 詩乃は父さんの連れ子で俺と血は繋がってないけど、本当の兄妹みたいに育ってきたから、俺にとっても大切でかわいい妹なんだ。困ってたら助けてやってな」
「うふふ。わかってる」
目を閉じたくなる二人のやり取りに、私は内頬を軽く嚙んで耐えた。義兄を『誠』と呼ぶ甘い声、他人に対して『かわいい』と言って親しみやすさを表現するあざとさ、ニコニコ笑って両親に気に入られようとする計算高さ。
頭の中で赤色灯が回転し、ブザーが鳴り響く。この女、危険。
ちなみにさきほど朋美さんが『本当の姉のように慕ってくれたらうれしい』という発言に対して『私もお姉ちゃん欲しかったのでうれしい』などと言ったが、五十音をパズルのように組み立てて言っただけで全くもって本心ではない。だから棒読みだったかもしれない。まぁバレてないみたいだから別にいいけど。
義兄と父と朋美さんが談笑し始めた中、義母が私を小さく手招きした。近寄って耳を傾ける。
「これ、朋美さんからの手土産。開けてお皿に入れて持ってきてくれる?」
紙袋を受け取った。有名洋菓子店の名前が印字されている。
口中に鉄の味が広がった。
私は心の中で盛大な舌打ちをして、頷いた。
***
私の本当の母は、私を産んだとともに死亡したらしい。もともと危険な出産だったわけではなく、私が産まれるまでは母子ともに健康だったはずなのに、いざ私が母のお腹から出てきたら大量出血で私を抱くことなくそのまま亡くなった。
出産は命懸けだと聞くけれど、本当にそうだったというわけだ。
私は父の手や祖父母の手で大事に大事に育てられた。母親がいないという生活に疑問を抱く暇がないほど、大切に大切に育てられた。
新しい風が吹いたのは、初潮が始まる小学五年生になったときだった。
「詩乃。お父さん、再婚しようと思うんだ」
今までに見たことのないくらい顔を真っ赤にさせて紹介されたのが、義母となった女性だった。
父が恋愛をしていたなんて知らなかった私は、最初目が点になった。正直父はモサい。ヒョロヒョロで頼りがいなんてないし、研究者じゃないけど、白衣を着ればフラスコを片手に怪しい薬品をニヤニヤしながら混ぜているのがよく似合うような男だ。それなのに一体どこのもの好きがこんな父と再婚なんてしようと思ったのか。ましてや紹介された義母となる女性は、そんな父に不釣り合いなほどきれいな人だったのだ。思わず「正気?」と聞いてしまった。
こっちが訳あり子連れ再婚ならば、あっちも子連れ再婚だった。知らない女性を紹介された挙句、知らない男の人まで紹介された。
「誠です。よろしくね、詩乃ちゃん」
十歳年上の、義兄となる人だった。当時は年上すぎてただ家に大人が増えただけだと思っていたけれど、日常生活を共にするうちに、いつの間にか普通ならば抱かない気持ちを抱いてしまった。
血が繋がらないということは、多分、そういう感情を抱いても仕方のないことなのかもしれない。
想いは募れど年の差はどうやったって埋まらない。義理とはいえ兄妹であるので周りからすれば禁断の恋だ。誰にも言わず、誰にも言えず、ただひたすらに心の中で義兄を想っていた。
「こちら、岩倉朋美さん。三年前の春から付き合い始めて、来年三月に結婚することに決めたんだ」
「初めまして、岩倉朋美です。誠さんと結婚したく、ご挨拶に参りました。不束者ではございますが、末永くよろしくお願いします」
ピンと伸びた背筋、リンと澄ました横顔。第一印象は完璧だった。迷いのないハッキリとした声に、私は「負けた」と思った。
「あらまぁ。そんなにかしこまらなくても大丈夫よ。こちらこそ誠をよろしくね」
「誠くん、しっかりした子を捕まえたね。朋美さん、聞いてるかもしれないけど、誠くんは妻の連れ子で僕とは血が繋がってないんだ。でも、本当の息子のように思ってるから、朋美さんも僕のことを第二の父親だと思ってくれて構わないからね」
「はい、ありがとうございます」
私は対面キッチンで麦茶をコップに注ぎながら、四人のやり取りを見ていた。あはは、うふふ、といった笑いがリビングから聞こえる。ガラスコップに入った氷が、麦茶を注いだ瞬間にパキッパキッと音を立てた。それはまるで自分の心のようで、少し切ない。
丸いお盆に四つのコップを乗せて、それぞれの前に配った。まだお客さんだから、という意味も込めて最初に朋美さんの前へ。
「ありがとう」
なんの警戒心もない顔で彼女は私に頭を下げる。私も負けじと無言で微笑み返した。
全員の前にコップを置き終わったとき、父に「詩乃」と呼ばれた。
「ん?」
「ご挨拶」
ですよねー。
誕生日席で正座して、朋美さんを見た。目をキラキラと輝かせた彼女と目が合う。
「……えっと、妹の詩乃です」
「詩乃ちゃん。お兄ちゃんからお話は聞いてます。私のこと、本当の姉のように慕ってくれたらうれしいな」
「はい。私もお姉ちゃん欲しかったのでうれしいです」
「ちょっと、誠、聞いた? 『お姉ちゃん』だって! かわいい!」
「だろ? 詩乃は父さんの連れ子で俺と血は繋がってないけど、本当の兄妹みたいに育ってきたから、俺にとっても大切でかわいい妹なんだ。困ってたら助けてやってな」
「うふふ。わかってる」
目を閉じたくなる二人のやり取りに、私は内頬を軽く嚙んで耐えた。義兄を『誠』と呼ぶ甘い声、他人に対して『かわいい』と言って親しみやすさを表現するあざとさ、ニコニコ笑って両親に気に入られようとする計算高さ。
頭の中で赤色灯が回転し、ブザーが鳴り響く。この女、危険。
ちなみにさきほど朋美さんが『本当の姉のように慕ってくれたらうれしい』という発言に対して『私もお姉ちゃん欲しかったのでうれしい』などと言ったが、五十音をパズルのように組み立てて言っただけで全くもって本心ではない。だから棒読みだったかもしれない。まぁバレてないみたいだから別にいいけど。
義兄と父と朋美さんが談笑し始めた中、義母が私を小さく手招きした。近寄って耳を傾ける。
「これ、朋美さんからの手土産。開けてお皿に入れて持ってきてくれる?」
紙袋を受け取った。有名洋菓子店の名前が印字されている。
口中に鉄の味が広がった。
私は心の中で盛大な舌打ちをして、頷いた。
***
私の本当の母は、私を産んだとともに死亡したらしい。もともと危険な出産だったわけではなく、私が産まれるまでは母子ともに健康だったはずなのに、いざ私が母のお腹から出てきたら大量出血で私を抱くことなくそのまま亡くなった。
出産は命懸けだと聞くけれど、本当にそうだったというわけだ。
私は父の手や祖父母の手で大事に大事に育てられた。母親がいないという生活に疑問を抱く暇がないほど、大切に大切に育てられた。
新しい風が吹いたのは、初潮が始まる小学五年生になったときだった。
「詩乃。お父さん、再婚しようと思うんだ」
今までに見たことのないくらい顔を真っ赤にさせて紹介されたのが、義母となった女性だった。
父が恋愛をしていたなんて知らなかった私は、最初目が点になった。正直父はモサい。ヒョロヒョロで頼りがいなんてないし、研究者じゃないけど、白衣を着ればフラスコを片手に怪しい薬品をニヤニヤしながら混ぜているのがよく似合うような男だ。それなのに一体どこのもの好きがこんな父と再婚なんてしようと思ったのか。ましてや紹介された義母となる女性は、そんな父に不釣り合いなほどきれいな人だったのだ。思わず「正気?」と聞いてしまった。
こっちが訳あり子連れ再婚ならば、あっちも子連れ再婚だった。知らない女性を紹介された挙句、知らない男の人まで紹介された。
「誠です。よろしくね、詩乃ちゃん」
十歳年上の、義兄となる人だった。当時は年上すぎてただ家に大人が増えただけだと思っていたけれど、日常生活を共にするうちに、いつの間にか普通ならば抱かない気持ちを抱いてしまった。
血が繋がらないということは、多分、そういう感情を抱いても仕方のないことなのかもしれない。
想いは募れど年の差はどうやったって埋まらない。義理とはいえ兄妹であるので周りからすれば禁断の恋だ。誰にも言わず、誰にも言えず、ただひたすらに心の中で義兄を想っていた。