図書室の一番端の席に座ると、鞄から使い古した参考書を取り出した。細かい書き込みや、付箋が事細かく貼ってあって、当時の私がどれだけ使い込んでいたのかがよくわかる。
 しかし、形だけでもとノートを広げてみたけれど、まったく進まない。
 大学はもう受かっているし、今さらとも思うけど、もし私がこの先もここで生きていくのなら、勉強しておいて損なことはない。
 ただ、どうしても問題が頭に入ってこない。学生の勉強がこんなに大変だったと感じてしまうこともあるだろうか、何より、ここに来る途中で気付いてしまった事実が頭から離れなかった。
「……裕って、呼んでたな」
 記憶がじわじわと蘇ってくる。
 川瀬と呼ばれたあの子は、裕と同じバスケ部のマネージャーだ。見た目はチャラいけど芯がある子で、曲がったことが嫌いなタイプ。クラスの中心、盛り上げ上手なムービーメーカー的存在だ。
 私とは接点が全くないが、裕から話は聞いたことがあったけど、二人が一緒にいるところを見るのは初めてだった。
 同じチームメイトだし、特にバスケ部はクラスが違っていても仲が良いから、名前で呼び合うのも不思議じゃない。
 でもあんなにべったりしなくてもいいんじゃない!? ……なんて、ひとりで憤慨している私は、どんな立場でものを言っているんだろう。
 なんだかどっと疲れてしまって、ノートに顔を伏せる。
「嫌だなぁ」
 裕の隣に誰かが並んで歩いている。たったそれだけの光景を見るだけで、胸のあたりがもやもやして気持ち悪い。
 こんな感情、消えてしまえばいいのに。
「何が嫌だって?」
「――っ!?」
 途端、頭の上から声がした。思わず飛び起きると、廊下で別れたはずの裕がそこにいた。
「……なんで?」
「は? 悪いかよ?」
「いやだって、川瀬さんは?」
「用事終わってさっさと帰った」
 特に許可を取ることもなく――取る必要はどこにもないんだけど――、私の隣の席に座ると、鞄から参考書を取り出しながら裕が続けた。
「自由登校だからって、校則違反でピアス空けたのがばれたらしい。それで面談受けに来たんだと。自業自得だな」
「へ、へぇ……」
 そういえばこの学校、制服を着崩すのは許容範囲内だったけど、派手な髪色に染めたり、ピアスはダメだったな。進学と就職どちらにせよ、服装はすぐに直せても、髪色やピアスホールはすぐ元には戻せない。少し考えればわかることだけど、学生の内なら「もう一回」が利くから、簡単に踏み外してしまう。川瀬さんもそのひとりだ。
 いつにも増して毒舌な裕が「自業自得」とまで言い切ってしまうのだから、たいそう呆れているのだろう。
「でも教室に行ったんだよね? 他の人もいたでしょ?」
「いたけど、めっちゃうるさかったから出てきた。やっぱり図書室は静かだな」
「ああ……」
「それに、美織がいればわからないところ聞けるだろ。よろしく」
 そう言って参考書を広げると黙々と問題を解き始めていく裕。
 確かに自由登校で浮かれているクラスメイトはいるだろうけど、裕と同じように来週に入試が控えているクラスメイトは数名いたはずだ。むしろ彼らと一緒に勉強したほうができるのでは?
 そう尋ねようとしたところで、先程彼が私に問いかけた言葉が浮かんだ。
 ――俺も一緒にいい?
「……あ」
 思わず声が零れるも、邪な憶測はすぐに振り払う。
 私も高校生に戻ってから浮かれているのかもしれない。
「どうした?」
 私の気の抜けた声は当然裕にも届いていたようで、私は「なんでもない」と首を横に振った。