病室のドアを開くと、晶子おばさんが担当医師に寄り添われていた。すでにぐしゃぐしゃの顔でも笑っているのは、最後まで笑顔でいたかったからだろう。
「美織ちゃん……」
「おばさん、裕は……?」
 切らした息を整えながら問うと、晶子おばさんは私を彼の前に連れられた。
 五年前よりも大人びた顔つきに白い肌。虚ろな目がこちらに向けられる。口が小さく動くか、声は発していないようだ。
 ただ一つ違うのは、私の目の前にいるのは今、必死に生きようとしている裕だ。
「裕、来るのが遅くなってごめん」
「…………」
 裕は私を見るなり、小さく首を傾げた。きっと彼の記憶に私はいない。忘れられてしまっていても構わないと、少しでも聞き取れるように屈んで裕に近付く。
「私、椎野美織って言います。裕の幼馴染。五年ぶりだね」
 聞き取れているのかわからないけど、できるだけはっきりと、ゆっくり発する。
「高校のとき、ずっと避けてしまってごめん。裕が病気のことで悩んでいたの、気付けなくてごめん。……いなくなったとき、見つけてあげられなくてごめん……っ!」
 今の君はもう覚えていないかもしれない。これは私のエゴであり我儘で、君に押し付ける形になってしまうけど、どうか届いてほしい。
 すると、裕は震える右手をゆっくりと伸ばして、私の顔にかかった髪をはらうと目を細めた。
「み、おり」
「……え?」
 裕の手が赤いスタッドピアスをなぞると、小さく微笑んだ。
「思った通り……よく、似合う」
 うっすらと笑みを浮かべた裕を見て、頭の中に映像が流れ込んできた。ピアスホールを空けたあの夜の公園で、裕が言った同じ言葉。
 そして、今の彼には同じピアスが左耳についている。

 ――いつか、明日が来ない日を迎えても、俺は最期の一瞬まで生きるよ。また美織に会うために。

 裕は忘れていなかった。五年間、姿をくらましている間でも忘れずにいてくれた。
 そしてずっと、待っていてくれたんだ。私がここに来ることを、最期の一瞬まで。
「うん……裕がくれたの、すごく気に入っているよ」
「よかった……俺も病気のことを、言い出せなくて……ごめん。言ったら、また離れてしまうかなって……こわかった、から」
「裕……」
「でも、戻ってこられて、よかった。最期にまた……美織に会えた」
 途切れながらの言葉に、私はただ首を横に振るだけだった。泣いちゃダメだと思うたびに、涙をこぼさないように震える右手を両手でしっかり握ると、弱いながらも握り返してくれる。
「裕、待っていてくれて、ありがとう……っ!」
 ああ、本当にこれでお別れなんだ。
 死なないでとか、もっと生きて欲しいとか。言いたいことはたくさんあるんだけど、私ができるのは彼を見送ることだけというのも、十分わかっている。
 だからその分、私は最後まで笑っていよう。
 君が安心して眠れるように。私が明日も生きていくために。
 裕は察したのか、小さく息を吐いて目を細める。心なしか、笑っているように見えた。
「また……会おう、な」
「うん……っ、またね。裕」

 その日、安斎裕は静かに息を引き取った。
 この世に未練なんてないと言いたげに清々しくて、優しい顔だった。