受講室を出たものの行き場がなかったため、私はトイレの個室へと籠もった。
 便座へと腰をかけ、乱れた感情を深呼吸で落ち着かせる。「私はなんてことを言ってしまったのだろう」と冷静になっていくにつれて後悔し始める。

 自分の不甲斐なさを誠のせいにして、挙げ句の果てには『恋人にならなければ良かった』と言ってしまった。もし、私が誠にそんなことを言われたら、立ち直れないくらいショックを受けていたことだろう。それを彼に言ってしまうなんて、私は愚かな人間だ。

『成績の不安』と『誠との関係性の不安』が同時に押し寄せてくる。
 ただでさえ大きな負の感情が、その強大さをさらに肥大させて押し寄せてくる。関係を拗らせている場合じゃないのに、自分の行いで自分の首を締めてしまうとは情けない。

 本当に私という人間はつくづく馬鹿だ。頑固すぎるが故になにもかも失ってしまう。いっそのことこの個室に閉じ込められてもう2度と外へ出られないようになってしまえば良い。そうなれば、私も他の人たちもみんなハッピーだろう。

 こんな人手なしの私に存在価値はない。

「さっきの凄かったね。受講室全体が凍りついてたよ」

 トイレのドアが開く音と一緒に女子生徒の声が聞こえてくる。
 個室に入る様子はなく、おそらく小休憩のつもりで身だしなみを整えにきたのだろう。

「受講室を出る前に悠凪先生の様子を見たんだけどさ、取り繕っているように見えて相当取り乱してたね。そりゃ、自分の彼女にあんなこと言われたら凹むよね」

 誠が吹聴したのか私たちの関係は他の生徒たちにも知れ渡っているようだ。私に対する誠の親しい話し方とか、私が座っているテーブルの席に誠が腰掛けたことから、私たちの関係について質問されたんだろう。「地獄の受験生活の唯一の癒し」と言っている人もいるくらい誠は女性人気が高いのだ。
 
「可愛そうだよね。せっかく彼女のために大学を休学したのにね」

 彼女たちが話す内容に耳を疑った。
 自分の存在を消すように息を潜め、話に耳を傾ける。

「ついてないよね。一緒にキャンパスライフを送りたいから、休学して足並み揃えようとしたのに、その前に関係が崩れるなんて」
「彼女思いの良い先生だよね。それにさ、彼女が行きたかった海外旅行に合格記念として行かせるために今はお金貯めているんでしょ。最高じゃん」
「あと格好しいしね」
「まったくだよ。あれにはもったいない男よね。もし、これで別れたら私がもらっちゃお」
「むりむり、やめときな」

 再びドアの開く音が聞こえて彼女たちの声が遠ざかっていく。小休憩を終えて勉強に戻ったみたいだ。私はしばし呼吸するのを忘れており、おでこに手を当てながら大きく息を吸った。

 まさか誠がそんなことをしていたなんて。でも、よくよく考えてみれば辻褄が合う。
 平日にも関わらず開校時間から居たことや夏休みはただただバイトすると言っていたこと。あれはすべて私を海外旅行に連れていくためだったのか。

 誠の思いに気づかないまま、彼を罵倒してしまった。私は本当に救いようのない女だ。
 何度も何度も両手で顔面を叩く。愚かな自分とおさらばして、目の前にある問題に目を向けよう。ここで真面目にならなくてどうする。

 先ほど大きく息を吸ったように、今度は大きく息を吐く。
「よしっ!」と気合いを入れるために小さく呟く。スマホを手に取って時間を確認。人がいないことを音で確認してからトイレを後にした。