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「クシュンッ!」
秋も半ばとなり、半袖では過ごしにくいほど寒さが肌に染みる。
私は予備校近くの壁に背中を預けながら、誠が来るのを静かに待っていた。
結局、あの後戻ることはできなかった。誰かに見られている中で誠と会うのは憚られたのだ。変なプライドが邪魔して素直になれないのが嫌だった。だから大事な話は2人きりでしようと思った。
荷物は受講室に置いてきたままだ。今日は手ぶらで帰って明日取りに行くことに決めた。 幸いスマホは持ってきていたので、閉校時間まで予備校専用のアプリにログインして英単語テストやリスニングテストを受講した。
スマホで受講していると右上に掲載されたデジタル時計が閉校時間を告げる。
しばらくすると続々と生徒たちが校舎から出てきた。私は気づかれないように角の方で身を縮ませる。みんな友達と喋ったり、イヤホンやヘッドホンで音楽を聞いたりしているため私の存在に気づくことなく素通りしていった。
良くも悪くも、人は私が思っている以上に私のことに興味がないのだ。
チューターは片付けや見回りなどがあるので、出て来るまでにはまだまだ時間がかかるだろう。私は誠が来るまでの間、どのように彼に接しようかと頭を働かせた。
「香恋……」
その時は案外早く訪れた。
ボソッと私の名前を呼ぶ聴き慣れた声。儚い小さな声にも関わらず、私の耳には確かに彼が私の名前を呼ぶのが聞こえた。一種のカクテルパーティ効果というやつだ。
「よっす」
体に力を入れて立ち上がる。長時間しゃがんでいたからか足が微かに痺れていた。
誠は私を見たきり動かない。代わりに私が誠へと歩んでいった。
「それ……」
ふと彼の脇に目を向けると見慣れたバッグが目に映る。私の鞄だ。
「本当は帰りに香恋の家に届けようと思ったんだけど」
誠は私の視線に気づくとバッグを肩から外し、私へと差し出した。受け取り、中を確認すると外に出していた参考書等が綺麗に並べられている。その中には面談の際に使用した成績表があった。
「ありがとう。それから……酷いこと言ってごめん」
自然と謝ることができた。馬鹿みたいに溢れ出した激情が今はすっかりと寝静まっている。きっと誠の優しさに触れることができたからだろう。
誠はハッとした表情で私の顔を覗く。謝ったことに対して心底驚いている様子だ。
「一時の感情の起伏で誠をたくさん傷つけたと思う。本当にごめんなさい」
気にすることなく言葉を続け、深々と頭を下げた。
「ふっ、はははっ。まさか香恋が謝るなんて。珍しいね」
緊張が解れたかのように誠は息を吐いた。顔を上げると彼の表情が和らいでいるのが見えた。目元が垂れ、いつもの誠の笑みが伺える。
「私だって、自分が悪いと思った時くらいは謝るよ。成績が落ちて焦ったとはいえ、罵詈雑言を口走ったのはいけなかったと後悔したから」
「確かにかなりショックだったな。でも、香恋の気持ちを考えれば仕方ないことだと思った。それでも流石に『恋人にならなければ良かった』は効いたけどね」
「本当にごめんなさい。あんなこと言うつもりはなかったの。誠と恋人になって良かったことはたくさんある。ただ……」
私はそこで口を噤んだ。
「成績開示のこと?」
誠は私が言おうとしたことを促すように心に押し留めた言葉を口にする。
「よく分かったね」
「それくらいしかないと思ってね。香恋があんな重い言葉を口にするってことはきっと何かを見て考えてしまったんだろうと思って」
「夏の初めに志望校の成績開示が届いたんだ。私の点数は、ホームページに掲載されていた去年の合格最低点と誤差だった。だから誠がもし私と同じ大学を志望しなかったら合格できたんじゃないかって思ったんだ。本当に最低な人間だよね。自分の不甲斐なさを人のせいにしてさ」
「そんなことないよ。予備校での香恋の様子を見ていれば必死さは嫌でも伝わってくる。そんなところに俺みたいな剽軽物がやってきて、合格したら怒るのも無理はないよ」
「誠……なんかその言い方ムカつく」
「ええー。せっかくフォローしたのに!」
「はははっ。うそうそ。一緒に帰ろうか? 誠は自転車だったっけ?」
「いや、歩き」
互いの気持ちが晴れたことで私たちは一緒の帰路を歩んでいく。
この時間は酒につぶれた人たちの姿がちらほら見える。イルミネーションはまだ点灯していないが、点灯に向けて着々と準備が進められていた。
「ねえ、誠。ありがとうね」
「いきなりどうしたの?」
「いや、実はお手洗いで盗み聞きしちゃってさ。学校休学してるんだってね」
「あぁ……うん。まさかそんなところでバレちゃうなんてね」
「他の生徒に話すからいけないんだよ。それに海外旅行の話も」
「えっ! そんなことまで漏れてたの。やっぱり、話すんじゃなかったなー」
「噂はすぐに広まるから気をつけないとダメだよ。でも、私としては嬉しい限りだよ。本当にありがとう。私さ、誠のためにも絶対に合格する」
「うん。期待してる。香恋ならできるさ。合格ギリギリってことはいつもの調子でいけば絶対にできるよ」
誠はそう言って私に向けて拳を作る。
私は改めて彼に誓いを立てるように彼の握った拳に自分の拳を合わせた。
「クシュンッ!」
秋も半ばとなり、半袖では過ごしにくいほど寒さが肌に染みる。
私は予備校近くの壁に背中を預けながら、誠が来るのを静かに待っていた。
結局、あの後戻ることはできなかった。誰かに見られている中で誠と会うのは憚られたのだ。変なプライドが邪魔して素直になれないのが嫌だった。だから大事な話は2人きりでしようと思った。
荷物は受講室に置いてきたままだ。今日は手ぶらで帰って明日取りに行くことに決めた。 幸いスマホは持ってきていたので、閉校時間まで予備校専用のアプリにログインして英単語テストやリスニングテストを受講した。
スマホで受講していると右上に掲載されたデジタル時計が閉校時間を告げる。
しばらくすると続々と生徒たちが校舎から出てきた。私は気づかれないように角の方で身を縮ませる。みんな友達と喋ったり、イヤホンやヘッドホンで音楽を聞いたりしているため私の存在に気づくことなく素通りしていった。
良くも悪くも、人は私が思っている以上に私のことに興味がないのだ。
チューターは片付けや見回りなどがあるので、出て来るまでにはまだまだ時間がかかるだろう。私は誠が来るまでの間、どのように彼に接しようかと頭を働かせた。
「香恋……」
その時は案外早く訪れた。
ボソッと私の名前を呼ぶ聴き慣れた声。儚い小さな声にも関わらず、私の耳には確かに彼が私の名前を呼ぶのが聞こえた。一種のカクテルパーティ効果というやつだ。
「よっす」
体に力を入れて立ち上がる。長時間しゃがんでいたからか足が微かに痺れていた。
誠は私を見たきり動かない。代わりに私が誠へと歩んでいった。
「それ……」
ふと彼の脇に目を向けると見慣れたバッグが目に映る。私の鞄だ。
「本当は帰りに香恋の家に届けようと思ったんだけど」
誠は私の視線に気づくとバッグを肩から外し、私へと差し出した。受け取り、中を確認すると外に出していた参考書等が綺麗に並べられている。その中には面談の際に使用した成績表があった。
「ありがとう。それから……酷いこと言ってごめん」
自然と謝ることができた。馬鹿みたいに溢れ出した激情が今はすっかりと寝静まっている。きっと誠の優しさに触れることができたからだろう。
誠はハッとした表情で私の顔を覗く。謝ったことに対して心底驚いている様子だ。
「一時の感情の起伏で誠をたくさん傷つけたと思う。本当にごめんなさい」
気にすることなく言葉を続け、深々と頭を下げた。
「ふっ、はははっ。まさか香恋が謝るなんて。珍しいね」
緊張が解れたかのように誠は息を吐いた。顔を上げると彼の表情が和らいでいるのが見えた。目元が垂れ、いつもの誠の笑みが伺える。
「私だって、自分が悪いと思った時くらいは謝るよ。成績が落ちて焦ったとはいえ、罵詈雑言を口走ったのはいけなかったと後悔したから」
「確かにかなりショックだったな。でも、香恋の気持ちを考えれば仕方ないことだと思った。それでも流石に『恋人にならなければ良かった』は効いたけどね」
「本当にごめんなさい。あんなこと言うつもりはなかったの。誠と恋人になって良かったことはたくさんある。ただ……」
私はそこで口を噤んだ。
「成績開示のこと?」
誠は私が言おうとしたことを促すように心に押し留めた言葉を口にする。
「よく分かったね」
「それくらいしかないと思ってね。香恋があんな重い言葉を口にするってことはきっと何かを見て考えてしまったんだろうと思って」
「夏の初めに志望校の成績開示が届いたんだ。私の点数は、ホームページに掲載されていた去年の合格最低点と誤差だった。だから誠がもし私と同じ大学を志望しなかったら合格できたんじゃないかって思ったんだ。本当に最低な人間だよね。自分の不甲斐なさを人のせいにしてさ」
「そんなことないよ。予備校での香恋の様子を見ていれば必死さは嫌でも伝わってくる。そんなところに俺みたいな剽軽物がやってきて、合格したら怒るのも無理はないよ」
「誠……なんかその言い方ムカつく」
「ええー。せっかくフォローしたのに!」
「はははっ。うそうそ。一緒に帰ろうか? 誠は自転車だったっけ?」
「いや、歩き」
互いの気持ちが晴れたことで私たちは一緒の帰路を歩んでいく。
この時間は酒につぶれた人たちの姿がちらほら見える。イルミネーションはまだ点灯していないが、点灯に向けて着々と準備が進められていた。
「ねえ、誠。ありがとうね」
「いきなりどうしたの?」
「いや、実はお手洗いで盗み聞きしちゃってさ。学校休学してるんだってね」
「あぁ……うん。まさかそんなところでバレちゃうなんてね」
「他の生徒に話すからいけないんだよ。それに海外旅行の話も」
「えっ! そんなことまで漏れてたの。やっぱり、話すんじゃなかったなー」
「噂はすぐに広まるから気をつけないとダメだよ。でも、私としては嬉しい限りだよ。本当にありがとう。私さ、誠のためにも絶対に合格する」
「うん。期待してる。香恋ならできるさ。合格ギリギリってことはいつもの調子でいけば絶対にできるよ」
誠はそう言って私に向けて拳を作る。
私は改めて彼に誓いを立てるように彼の握った拳に自分の拳を合わせた。