フェイク・サウリア

 鏡が見られなくなった。
 そこに映るものが、人間なのか化け物なのか分からない。それを自分自身と認識することはあまりにも恐ろしい。
 これは私への罰なのだ。
 私のようなものは、本来生きていて良い道理はないのだ。


【第1話 ドール】


 3年前の都市降下作戦において、私の失態がもたらした被害は、それはそれは甚大だったそうだ。
 拘束された私の身柄の解放を求めるクラーク大尉(たいい)と、殺処分を求める軍上層部との長い長い議論の末、私は3年間の拘禁(こうきん)の末、独房からの解放を許されたのである。

「医師に診せなくて良かったのか。独房内で何度も自殺を図ったと聞いたが」
 兵舎の個室に着くなり、直々に案内してくれた大尉は今更なことを訊ねてきた。
「怪我はもう完治してますから心配無用ですよ。私の体は人間と違い、特別頑丈なんです。それにこんな化け物を間近で見たら、軍医が昏倒してしまうでしょうね」
 私は体を少し屈め、自分より頭三つ分も背の低い大尉に目線を合わせた。
 当然大尉は、間近に迫った私の顔面に息を呑む。
 ーー怯えてる。
 長年の友人のそんな反応はショックだが、仕方がない。私自身3年前に初めて自分の顔を鏡で確認した時、ショックで気が違ってしまうかと思ったほどだ。
「指令があるまで自室で待機いたします。アーネスト・クラーク大尉」
 グロテスクな見た目と不快な臭気と聞くに耐えない不気味な声に、顔を背けたくなるはずなのに、大尉は変わらず私の目を見続けている。
 いや、逆か。私の目玉に集中して他の要素に気を取られないようにしているのか。
「ああ、待機を命じる。研究チームにお前専用のフェイスシールドを作らせた。後日部屋に届けさせる」
「フェイスシールド? ありがとうございます。こんな顔で基地内をうろついたら皆を怖がらせてしまう」
 アハハと笑って見せると、大尉はあからさまに怪訝な目をした。
「お前はこの3年で変わったな。ド…」
 反射的に私は、彼の言葉の先を封じる。
「『ドール』。それが私の名です」
「……そうだったな。では指令を待て。ドール軍曹」
「Sir, Yes, Sir.」

 個室はとても簡素だったが、不衛生極まりない独房に比べたら充分すぎる設備だ。窓はなく、ベッドと小さなデスクと、シャワー、洗面台が備え付けられている。
 洗面台に設置された鏡に果敢にも近づく。自分の顔だというのに嫌悪感が迫り上がってくるのは妙な感覚だ。
 鏡に映っていたのは、爬虫類のようなグロテスクな化け物だった。
 オオトカゲに似た巨大な頭部は、表面に微細な凹凸と棘が並んでおり、全体的に黒いタールのような粘り気を帯びている。生臭さと発酵臭の混合的なにおいは、未だに慣れない悪臭だ。呼吸は鼻と口から行えるが、鼻では吸入できる酸素量が足りず、口を半開きにして息を吸うから、シューシューと生々しい音が漏れている。ぎょろぎょろと縦横無尽に動く目玉も、今は鏡の中の化け物の姿に視線を注いでいる。
 こいつは生きているのだ。
 2mを越える大柄な体格。XXLサイズの軍服を窮屈そうに着ている姿は、トカゲ型の獣人が生意気にも軍人の真似事をしている漫画のようで滑稽だった。
 これが私の姿。「ドール」…それが私の名だ。失態の代償と言うべき、自然の摂理に反した虚ろな肉体があるだけ。
「………醜いなァ」
 嘆息するほどの酷い姿。この先に待つ運命を考えるとさらに気が重い。
 フェイスシールドの支給は純粋にありがたい。この顔を誰かに見られずに済む。
 ーー今、私の全細胞の何%がサウリア因子(いんし)に侵されているのだろう。
 いずれ大尉から指令が下るだろう。そうすれば私は自部隊を指揮し『奴ら』を殲滅しに行かなければならない。
 『サウリア』を。
 今の私と同じ、醜い爬虫類のような姿をした地球外生命体(エイリアン)を、殺戮しなければならないのだ。

 ***

 西暦2XXX年。
 後に「コロニー」と呼ばれる直径20kmにおよぶ巨大な球体が、主要都市の中心部に不時着した。
 鳥の卵を思わせる乳白色の外見に反して、この飛来物には砲弾も爆撃も効かず、一切の損傷を与えることができなかった。地球に存在しない特殊な物質で覆われていたからだ。

 コロニー不時着から約1年後、その本当の役割が判明した時、人類は突如存亡の危機に立たされることとなる。
 コロニーは「卵」だったのだ。その内部では1年の時間をかけて何千何万という生命体が構築され、時期が訪れると上部に穴が出現する。そして無数の侵略型生命体(エイリアン)がコロニー外へと排出される。
 エイリアンの多くは、人間と同程度の全長だ。その外皮はタールを浴びたように黒く粘り気を帯びており、造形はオオトカゲ型の爬虫類を思わせるものが基本形だ。
 獲物を引き裂くために発達した牙と湾曲した爪の材質は、鋼鉄よりも高い硬度を持っていた。

 奴らが好む獲物。それは()しくも、地球人の肉である。
 エイリアン達はコロニーから排出されるなり、まるで本能に刷り込まれているかのように人間を探し求め、捕食するのだ。他の野生動物には目もくれず人間だけに固執した。
 専門の研究チームが組織され、エイリアンの細胞を解析した結果、彼らの正体は約6,600万年前に絶滅したとされる恐竜(サウリア)の進化種であることが判明した。
 6,600万年前、既に地球には知的生命体の干渉があった。絶滅の危機に瀕していた恐竜(サウリア)の一部は宇宙へ持ち出され、長い時間の中で進化を繰り返し、再び母なる地球に帰ってきたのだ。先住生物を淘汰し、自分達の本来の縄張りを取り戻すために。
 研究者達は満場一致で、このエイリアンを「サウリア」と呼称した。

 私ことドール軍曹は、心は人間でありながら肉体はサウリアそのものである。
 違いは軍服の有無と、人の言葉を話すか否かだけ。
 サウリアの皮を被った紛い物。そんな皮肉を込め、私のような罹患者は「フェイク・サウリア」と呼ばれる。
 なぜこのような残念な姿になってしまったかと訊かれれば「3年前の任務中に大きな失態をやらかし、サウリアの因子(ウイルス)に感染したから」と説明するのが簡潔であろう。詳しく話すまでもない。
 本来なら独房監禁の末、殺処分が妥当であるところ、大尉の温情によってこうして現場に返り咲いている。彼は命の恩人だ。

 大尉の命令により、私には復帰後初めての任務が与えられた。前線特殊部隊に配属予定の、新兵の指導だそうだ。
「大尉。私の顔面をご覧になりましたよね?」
 訓練場へ向かう途中で思わず問いただしてしまった。
「隠せるようフェイスシールドを支給しただろう」
 今私の頭には、頭部全体を覆い隠す特殊合金製のフェイスシールドが装着されている。そのおかげでトカゲ顔も生臭さも漏れ出ていない。一見キャラ付けの濃い覆面レスラーのようだ。
「お言葉ですが、この外見は新兵には刺激が強すぎるかと…」
「お前の腕を見込んで指導教官に任命した。俺の決定に異論があるか?」
「いえ、そんなつもりは…」
 異論大有りだ。これから自分が闘う未知のエイリアンと同じ姿の化け物が教官だなんて、新兵にはトラウマ物だろう。
「お前が指導する新兵は一名だ」
「え? たった一人?」
「入隊時のあまりの素行不良から、集団訓練の適性無しと判断された。奴をマンツーマンで指導し、10ヶ月後のコロニー排出期までに厚生させろ」
 たった一人の問題児。マンツーマン指導。それを請け負うのは醜いフェイク・サウリア罹患者。耳を疑う要素が乱立している。
「そんなに輪を乱すなら、なぜ除隊させないのです?」
「奴に犯罪歴があればな。だが以前は厚生施設にいた。入隊時の実技試験の成績も問題ない。正式な配属までは指導対象だろう」
「…人手不足だから戦力になりそうな人材は温存したいと。厚生施設上がりということは未成年ですか?」
 大尉は肯定の代わりに、持っていたタブレットを寄越してきた。
 表示されている資料には、これから私の指導対象となる新兵のパーソナルデータと来歴がある。年齢はまだ17歳か。
 私が目を引かれたのは、その新兵の顔写真だ。
「……大尉。本当に私が指導するんですか?」
「命令だ。遂行しろ」
「………Yes, Sir.」
 訓練場のドアの向こうからは、早くも何かを殴打する音が漏れ聞こえている。

 ***

 コンクリート造りの訓練場の中央で、若き新兵は私に背を向け、一心不乱にスパーリングに打ち込んでいた。グローブも防具もないが。
 小柄だ。170cmもない。やや長めの銀鳩(ダヴ)の羽毛のような柔らかな髪が、動きに合わせて揺れている。随分と長い時間打ち込んでいるようだが、息が切れている様子もない。
「初めまして、ガブリエル」
 名を呼んでみた。しかしスパーリングをやめる気配がないので、近づいて腕を掴んで止めた。
 自主トレ大いに感心、と褒めたいところだが、私は指導教官として新兵の問題行動を止めなくては。

「汚ねぇな。離せよデカブツ野郎」

 小柄な外見に反して、ひどい暴言が彼の口から飛び出した。こちらに目もくれないで。
「私は君の指導教官だ。よろしく」
「…うるせぇ。耳障りだから喋んな」
 私のサウリア特有の声音が不快なのだろう。シールド越しでくぐもって一層不気味だろうし。気持ちは分かる。
「ガブリエル、教えてくれ。なぜ同じ部隊の兵士を虫の息になるまで殴っているのか」
 ガブリエルがスパーリング相手にしているのは、サンドバッグではなかった。生きた人間、それも同じ部隊に配属予定の新兵だ。ガブリエルよりも遥かに大柄な男を、顔面が葡萄のような凹凸になるまで殴り続けていた。
「関係あんのか、テメェに」
「あるとも。指導教官だと言ったろう。君の行動を理解する必要がある」
「じゃあ、この顔でお察しだろ」
 そう言うと、ガブリエルは背けていた顔をこちらに向ける。
 全身が粟立つ錯覚をした。
 顔写真とは比べ物にならない。私が今まで生きてきた中で最上の『美』が目の前にあった。
 生物学上は男性のはず。だが、その儚げで官能的な顔立ちは妙齢の女のようで、年端も行かぬ無垢な少女のようでもある。日に焼けない肌も、吸い寄せられそうな神秘的な紺碧の瞳も、彼自身の名を体現しているようではないか。

 ーーなんて美しいんだろう。

 ーー私とは大違いだ。

 フェイスシールドがあって助かった。
 化け物の(ねた)みに引き攣った顔なんて見せたくはない。
「馬鹿のために教えてやるよ。こいつ昨晩(ゆうべ)、俺の部屋に忍び込んでオカマ掘ろうとしやがった。だから望み通り遊んでやってる」
 言い切ると、彼は封じられた拳の代わりに、鋭い蹴りをサンドバッグへお見舞いした。
 彼の耳を疑うような告白に思わず納得してしまった私は、酷い教官だろうか。
 元犯罪者だらけの寄せ集めの部隊の中で、ガブリエルの容姿は垂涎もののはずだ。このサンドバッグ男は人間的理性を保てなかったと見える。自業自得か。
「なるほど。君の暴行は正当防衛として認められるだろうね」
 だが、私は彼の腕を離さない。
「おい、汚ねぇっつってんだよ。離せよ糞野郎」
 口汚い暴言を浴びせられても、私は彼を離さなかった。
「無闇に暴行を加えてはいけない。…その気になれば、君はいとも簡単に人を殺せる。君にはその力があるのだから」
 フェイク・サウリアの肉体は、人間に比べて遥かに強靭で怪力だ。戦車に轢かれても骨に(ひび)も入らない。拳で軽く小突くだけで人間の頭部を破壊できる。
 今、私はガブリエルの腕を握る手に力を込めている。人間なら既に粉砕しているはずの彼の細腕は、今なお形を保っている。これが証拠だ。
「ガブリエル。君もフェイク・サウリア罹患者だそうだね。だから君の指導教官として、私以上の適任はいないのさ」
 彼は瞬時に言葉の意味を悟った。有害な毒虫を見るような冷たい目でこちらを睨む。
 私は期待に応えたくなって、フェイスシールドを脱ぎ去った。
 とたんに周囲に漂う異臭。ぐじゅぐじゅとグロテスクな黒い顔を、美しい天使の顔に近づけた。さっきまで不遜な態度を取っていた少年兵が予想外の生き物を前に固まってしまう姿はなんとも滑稽だ。
 追い討ちに、私はノイズ染みた濁声(だみごえ)を発してやる。
「私はドール。よろしく、ガブリエル」
 世界で最も醜い私が、世界で最も美しい存在を導かねばならない。同じ因子に感染したはずなのに、私と違い、寸分変わらぬ美しさを保つ存在が目の前にいる。
 嫌でも、美しさへの羨望と嫉妬を抱いてしまう。
 ーー全く、大尉はなんて残酷な命令を下してくれたのだ。

 ***

 フェイク・サウリア罹患者ながら人間の姿形を保っているガブリエルは、理性的で驚異的な身体能力を誇る一個大隊並みの活躍を期待されていた。
 しかし、彼の精神はまだ幼い。劣悪な少年期を過ごしたことで他人への警戒心が強い。私のような化け物の言葉など聞く耳を持たない。そんな調子だから初めの1ヶ月、私はまともに彼を指導できなかった。

「…大尉、私は心が折れそうです。言って聞かせても駄目。懲罰房に閉じ込めても駄目。私への不信感が募るばかりで逆効果ですよ」
 さっきも訓練を逃げ出したガブリエルは「死ねゲテモノ野郎」との暴言を吐き捨てた。
 ここまで手応えのない毎日が続くと辟易してしまう。
 何度目かも分からない大尉の呼び出しに、私は毎回苦虫を噛み潰したような顔で挑む。フェイスシールドがあって本当に助かった。
「ドール。ここは軍だ。体罰を与えても構わない。お前の役目を全うすることを考えろ」
 大尉の命令は毎回同じ。心を鬼にせよと望んでいるのだ。あの子を殴りつけてでも。
「……それは気が進まないんですよね」
「コロニーの排出期まで9ヶ月を切っている。子どもの我が儘に付き合っている暇はない。あの新兵を素手で制することができるのはお前だけなんだぞ」
 ーー私が同じフェイク・サウリアだから。はい、はい。
 大尉は明らかに苛立っていた。これ以上手間取っていたら、先に私のほうが折檻を受けそうだ。
「…それでも体罰を与えたら、あの子が嫌っている人間達と同じになってしまう。それだけはできませんよ」

 私の懇願とほぼ同時に大尉の鋭い拳が飛ぶ。フェイスシールドの顎を打たれ、ぐじゅぐじゅの脳味噌が大きく揺らぐ。強靭なサウリアの体でも、とっさに首に力を込めなかったら、今の一撃で意識を手放していただろう。シールドに触れると金属面が大きく凹んでいた。
「さすが対サウリア戦のエキスパート。我々の肉体構造をよくご存知だ。……非常に痛いです」
「ドール。これは人類の命を守る戦争だ。適切な処置を知らなければ兵は死ぬ。9ヶ月後あの新兵の小僧が戦場に引き摺り出されたところで、無駄に喰われるだけだ」
「………」
 他の隊員は大尉のことを冷血漢と呼ぶ。
「…分かりました大尉。次は少々、過激な手段を講じます」
 けれど、彼は誤解されやすいだけだ。誰よりも感情を押し殺し、合理性に従って皆の命を守るために、時には自らヒール役を買って出る。それが私の知るアーネスト・クラークという男だ。
 頭の痺れが取れたことを確認し、私はある場所へ向かう。訓練場ではなく、ガブリエルが篭って久しい自室へと。

 ***

 軍の研究チームは日夜、サウリアに有効な武器や罹患者用の治療薬を開発している。サウリアの息の根を止めるほどの毒物はまだ研究段階だが、それに準ずる薬品は作例がある。
 その一つが「K-V1」。サウリアの分厚い皮膚も通る特注の注射器で、皮下組織に直接注入するタイプの毒薬だ。
 私も拘禁期間中、実験協力と称して強制的に注入されたことがあるが、まあ強力だ。全身の骨に影響が出てしばらくは麻痺が引かない。
 刑務所出身の兵士の中には手癖が悪い者も多く、研究室から持ち出したK-V1を利用したがる狡猾な者もいる。
 そんな連中の餌食になったのが、可哀想に、美しきガブリエルだ。
「意地を張らずヘルプコールを出せば良かったのに」
 素行の悪い兵士間では、今回のような痛ましい事件がたびたび起こる。
 ある新兵3名が盗んだK-V1を、3人掛かりで取り押さえたガブリエルへと注射した。毒が神経と骨に作用し、全身が麻痺した無抵抗な彼へ暴行を加えようとしたところで、オンラインの監視モニターでタイミングを測っていた私が部屋に乗り込み、今に至る。
 服を剥がれベッドに横たわるガブリエルに、私はフェイスシールド顔を近づける。
 こんな状況でも、彼はお得意の減らず口をやめない。
「…あ、…つら、…おれら、ころしっ……」
「呂律が回っていないよ」
 ただの強がりだとバレてるのに。
 ーーようし、一矢報いてやろう。
 おもむろにフェイスシールドを外す。蒸された悪臭を漂わせながら、私は床に転がる瀕死の犯人の一人に口を近づけた。犯行を止めるため少々手荒にしたが、大丈夫。人間が死ぬほどの力は加えていないはず。
 薄く開けた私の口の中には、人間の肉を割くために進化した歯が並ぶ。
「君達、賭け事は好きかい?」
 それを見せつけながら私は低い唸り声を漏らす。
「私と賭けをしようか。私が何かの間違いで君の柔肌に食らいついてしまった時、果たして君は『人間』を保っていられるのか。罹患者が全員生き残れるわけじゃあない。大抵は死ぬか、化け物に意識を飲まれて軍に処分されるか」
 最悪の想像をした犯人は、可哀想に。折れてしまった両脚をもぞもぞ動かして逃げようとするばかりだ。
「それが嫌なら、もう私の教え子をいじめないでくれるね?」
 犯人の口から蚊の鳴くような悲鳴が漏れたことを確認する。
 これでいい。化け物の脅しはよく効くんだ。

 身動きの取れないガブリエルの体を運ぶ際、彼は嫌そうにこちらを睨んでいたけれど、もう私への悪態はつかなかった。
 悪態をつく元気も無くなってしまった彼の体は、とても軽くて壊れそうだ。

 ***

 未遂事件から2週間。治療の甲斐あり、すっかり麻痺の取れたガブリエルは、人が変わったように素直になった。
「おいゲテモノ。チンタラすんな。殺すぞ」
 口調は相変わらずだが。それでも、私の組んだトレーニングメニューはきっちりとこなすようになったのだから進歩だ。元々賢く要領の良い彼は、私が教える対サウリア戦の技術を余す所なく吸収していく。そのモチベーションは「私への恩義」…ではなさそうだな。
「目的? 決まってんだろ。俺は『糞サウリア』と『糞不細工』がこの世で一番嫌いなんだよ」
 目が潰れるほどの美貌が勿体無い。なんて言葉遣いだ。
「それは遠回しに、いつか私を殺すと宣言しているのかい?」
「気づくのおせぇんだよ。ゲテモノ野郎」
 殺意が原動力になるのなら、多少は目を瞑ろう。
 それにこの2週間で、私達の関係は大きく進歩している。上官と部下。その垣根を保ったまま、彼は私の指示をよく聞いてくれる。
「今日はここまでにしよう。頑張ったね、ガブ」
 愛称を呼ぶことも、頭を触ることも許してくれている。その後は必ず「触んな、キモい」と手を振り払われるのが通例だが。
「コロニーの排出期まであと8ヶ月。この退屈な訓練もそれまでの辛抱だよ」
「………」
 排出された大量のエイリアン・サウリアとの戦闘で、どれだけの兵士が生き残れるか分からない。
 ーーせめて、この子だけでも。
 そう贔屓してしまう私は、きっと悪い上官だ。
 私の動揺が伝わってしまったのか、ガブは珍しく、いつまでも私に頭を触らせていた。

 ***

 心境の変化は恐ろしい。コロニー排出期が近づくにつれ、私は感じたことのない恐怖を抱くようになっていた。
 ガブリエルと出会い、いつしか(せい)への執着が芽生え始めていたことに気づいた時、私は自分自身を恥じた。
 ーー私などが生を望んで良いはずがない。

 排出期の2ヶ月前。
 私は年に一度の検診のため、ガブとの訓練を取りやめた。それが悪い意味で伝わってしまったのだろう。彼は鬼の形相で研究室に乗り込んできた。
「ふざけんな糞教官! テメェから強要してきたくせに勝手にサボってんじゃねぇ!」
「申し訳ありませんドール軍曹。止めたのですが…」「この通り手も足も出ない有り様で…」
 突撃してきたガブの腰の辺りには2人の研究員がしがみついている。2人がかりでも、フェイク・サウリアの強靭な体は食い止められなかったらしい。暴行を加えていないだけ大きな成長だ。
 私は培養液に浸かったまま、どこか心地よい感覚に浸っていた。真っ黒な外皮がぐずぐずに溶けている姿を見て、ガブは大きな目をさらに大きくして驚いた。きっと私が死にかけていると思ったのだろう。
「ガブ。私の体は恐竜(サウリア)と同じだ。これは脱皮。心配要らない」
 そう言って私は生理現象に身を任せる。ぐずぐずと崩れ落ちていく黒い生皮の中から現れたのは、人間の女の真っ白な肌だった。
 染み一つない肌と、長い長い滑らかな黒髪。罹患時と寸分変わらない人間の姿を、私は年に一度の脱皮の瞬間だけ取り戻すことができる。
 ガブは何も言えない様子で、信じられないものを見た顔で固まっている。そんな姿が可笑しくて、私は笑ってしまう。
「……お前、女だったのか?」
()はそうだ」
「治ったのか…?」
「いいや、一晩だけだ。明日になれば新しい真皮が作られ、見慣れたゲテモノ野郎に戻るよ」
 見れば、研究員達が悲しげな目で私を見ている。そうか、彼らもかつての私の姿を知っていたのだっけ。
「君達。すまないけどガブと二人きりにしてくれないか? 話したいことがあるんだ」
 静かな培養槽のガラス越しに、私はガブを呼び寄せた。彼は今なお呆然と私の裸体を眺めている。
 この姿を見られるのは、弱い心の中をそのまま曝け出しているようで落ち着かない。
「ガブリエル。お別れだ」
「…は…?」
 かつて私は独房の中で、たった一人で脱皮を経るごとに、サウリアの意識が強まっていくのを感じていた。
 本能に刷り込まれた「故郷(ちきゅう)に帰りたい」という強い思い。大切な仲間達を殺された敵のはずなのに、サウリアの孤独や悲しみが細胞レベルで私に訴えてくるのだ。
 6,600万年前の隕石落下とその後の自然災害を免れた恐竜(サウリア)達は、ずっと夢見ていたのだろう。いつか地球に還れる日を。
「地球のため、人類のためサウリアと闘わなければならないのに、サウリアの意識に侵食されていく自分が恐ろしいんだ。だから2ヶ月後の降下作戦で、私は死ぬことにするよ」
 ーー大切な君に牙を剥いてしまう前に。
 感情を抑え込んで口にしたはずなのに、人間の体は制御が難しい。微かに震えてしまった声色が、ガブにはお見通しだった。
「あんたの心は人間だろ。心まで化け物に売るな」
 ガラスに付いた私の手に、彼は外から自分の手を重ねる。子どもだと思っていたガブリエルの手の平は、大人の私と同じくらい大きかった。
 決意が揺らいでしまう。
「…どういう心境の変化だ、ガブリエル。今日の君は優しいね」
 この子は自分以外の全ての生き物を憎んでいる。そう思っていたのに。
「この世は糞野郎だらけだ。腐ったこの世界で俺が背中を預けられるのは、まだマシな腐り方をしたあんたしかいねぇんだよ。だから…」
 そこまで言って、彼は何かを堪えるように俯いてしまった。言葉の先を想像すると、無性にこの子の頭を撫でてやりたくなる。
 我々を隔てる分厚いガラスに阻まれて、それは叶わない願いだ。
「ガブ。我が儘を聞いてくれるかい」
「………」
「今晩だけ、ここにいてほしい。私の人間の姿を、君には覚えていてほしいんだ」
「………」
 ガブリエルは返事の代わりに、黙ってその場に座り込んだ。
 ガラスの向こうの小さな体を見下ろしながら、私は溢れ出した感情をそのまま言葉にする。
「この時間が永遠に続いてほしい」
 恥知らずな発言だ。私は過去に大切な人を殺した人でなしなのに。それでも言わずにはいられなかった。
 ガブは返事をしなかった。ただ黙って座り込んで、私の言葉に耳を傾けていた。
 ああ。神よ。私は取り返しのつかない過ちを犯しました。
 もし私の姿が見えているならお願いです。私に、醜く愚かな私にどうか罰をお与えください。


【第2話 ドロレス】


 ーー寒い。死んでるようだ。
 自分の生々しい息遣い以外、何の音も聞こえない。天井にひとつきりの青白い照明が、前方の鏡壁に反射した私の姿をぼんやりと照らす。
 この窓のない部屋に横たわり、どれだけの時間が流れただろう。空腹感も限界を超えると不思議と苦しみは和らぐ。肌が、喉の奥が、水を失った荒地のように割れていくのに。
 壁や床に何度も頭を打ちつけても、私はまだ生きている。武器も衣服も押収され、凶器になると判断された爪もすべて剥がされた後。
 だから死ねない。死なないのだ。この醜い体は。
 私の処遇なんてどうでもいい。誰でもいい。私は死ぬべきだ。死ななければならない。誰でもいい。私に早く罰を下してくれるのなら。

「ドロレス」

 名を呼ばれた。前方に目をやると、いつの間にか鏡壁の一部の出入扉が開放され、外界の光を遮る男の姿が見えた。
 彼には見覚えがある。私と『ラフ』と同じ軍服姿。胸には真新しい階級章。私を憐れむように見下ろすあの目は、間違いない。
「アーネスト。君が私を殺してくれるのか?」
 我が同期であり戦友でもある、アーネスト・クラークだった。現階級は大尉か。
 ーー出世したんだな。
 私ドロレスと、戦友ラフとともに、新兵の頃から幾度も戦場を駆った大切な仲間。
 アーネストのすぐ後ろには、護衛らしき屈強な兵士が二人控えている。しかし彼らは室内の惨状を見たとたん、顔から血の気を引かせ、迫り上がってきたものを堪えながら退室した。
 アーネストだけは物悲しい眼差しを変えることなく私の姿を見下ろしている。
「ドロレス。都市降下作戦の件の、お前の処遇がようやく決した。俺はお前の上官として裁定(さいてい)を告げに来たのだ」
「待ってたよ。ずっと。もう覚悟はできているんだ。私はいつ死ねる?」
「………酷い姿だな。最優先事項はお前の生死の確認。生きていてくれたのは、正直喜ばしいことか分からない」
「…アーネスト。あれから何日経った? ラフはどうなった?」
 アーネストはついに耐えきれなくなり、私から目を逸らした。
「…昔話をしないか。お前と、ラフと、俺。三人で士官学校を出て、栄誉ある軍人として始まった、あの懐かしい日々の思い出を」
 今の私に思い出話は酷だ。
 ーーだが、それも良いか。
 死を望んでいても、二度と戻らない過去だと分かっていてもなぜ人は、人生で最も愛おしい瞬間に焦がれてしまうのか。
 私はアーネストにならい目を瞑る。瞼の裏には今も、ラフの純粋な微笑みが生きている。

 ***

 西暦2XXX年。
 後に「コロニー」と呼ばれる直径20kmにおよぶ巨大な球体が、主要都市の中心部に不時着した。
 鳥の卵を思わせる乳白色の外見に反して、この飛来物には砲弾も爆撃も効かず、一切の損傷を与えることができなかった。地球に存在しない特殊な物質で覆われていたからだ。

 コロニー不時着から約1年後、その本当の役割が判明した時、人類は突如存亡の危機に立たされることとなる。
 コロニーは「卵」だったのだ。その内部では1年の時間をかけて何千何万という生命体が構築され、時期が訪れると上部に穴が出現する。そして無数の侵略型生命体(エイリアン)がコロニー外へと排出される。
 エイリアンの多くは、人間と同程度の全長だ。その外皮はタールを浴びたように黒く粘り気を帯びており、造形はオオトカゲ型の爬虫類を思わせるものが基本形だ。
 獲物を引き裂くために発達した牙と湾曲した爪の材質は、鋼鉄よりも高い硬度を持っていた。

 奴らが好む獲物。それは()しくも、地球人の肉である。
 エイリアン達はコロニーから排出されるなり、まるで本能に刷り込まれているかのように人間を探し求め、捕食するのだ。他の野生動物には目もくれず人間だけに固執した。
 専門の研究チームが組織され、エイリアンの細胞を解析した結果、彼らの正体は約6,600万年前に絶滅したとされる恐竜(サウリア)の進化種であることが判明した。
 6,600万年前、既に地球には知的生命体の干渉があった。絶滅の危機に瀕していた恐竜(サウリア)の一部は宇宙へ持ち出され、長い時間の中で進化を繰り返し、再び母なる地球に帰ってきたのだ。先住生物を淘汰し、自分達の本来の縄張りを取り戻すために。
 研究者達は満場一致で、このエイリアンを「サウリア」と呼称した。

 私がサウリア掃討作戦の特殊分隊に、唯一の女性隊員として配属されたのは24歳の頃だ。
 入隊時にファミリーネームも故郷も家族も捨てた私には「ドロレス」という名だけが残った。

「おい、ここはいつから人形(ドール)ハウスになったんだ?」
 軍に志願する者全員が、自分のように平和を願う者ばかりではない。
 中には、軍の慢性的な人手不足のために、腕力を買われて服役を免除された元囚人もいた。未知のエイリアン相手の特殊分隊なら特に、命の価値が軽く見積もられた。
 そんな輩には、女の私は物珍しいのだろう。上官の目の届かない所で、私はそんな男達に絡まれることが多かった。
人形(ドール)? 私の名と掛けたのか。猿にしてはなかなか人間の知恵真似が上手いな」
 皮肉を込めて言い返せば、奴らはお約束のように激昂し危害を加えてきた。
 しかし基礎のなってない元犯罪者が、士官学校上がりの人間に敵うはずがない。いつものように女の細腕を絡めて男の剛腕の関節を折ってやればいい。
 この時も正当防衛を実行しようとした。だがこういうタイミングで、決まって喧嘩を仲裁する者が現れるのだ。

「ハイ、そこまで! ドロレスも君らも、出撃前に無用な喧嘩はよしなって!」

 軍人らしからぬ抜けた雰囲気を纏う青年が割り込んできた。
 そのヘラヘラとした顔はよく覚えている。士官学校時代から幾度となく私に接触を図ってきた男だ。
「腰抜けは下がってろ。その平和ボケたツラからズタズタにしてやってもいいんだぜ」
 元囚人が凄む。ヘラヘラ男はわざとらしく肩をすくめた。
「困るなぁ、親から貰った体だから大事にしたいんだ! あ、その刺青は別だ! よく似合ってる」
 元囚人の首に大きく彫られた刺青を指差し陽気に言う。
 そうしてヘラヘラ男は、問答無用で私の体を引き剥がすと、尻尾を巻いて元囚人らの前から逃亡してしまった。
「おい、ラファエル。何を勝手に……」
「ドロレス、君はもう少し愛想を覚えたほうがいいな! 媚びる必要はないが、処世術としては大事だぜ」
 暴力沙汰を嫌う彼の名は、ラファエル。親しい者には「ラフ」という愛称で呼ばせている。配属されて間もない部隊の中で、彼を愛称で呼ぶ者は少ない。
 私は苛立ちを隠すことなく彼に当たる。この頃の私は感情が昂りやすく、喧嘩をふっかけてきた相手に倍返しを見舞うことが常だった。
「ラフ。止める必要はなかった。奴らには一度お灸を据えてやらんと分からない」
「それが駄目って言ってるんだ。ああいう手合いを下手に刺激したら、作戦中に銃を向けられるかもしれないぜ」
「その時は、私が誤射を装って奴らを撃ち殺すだけだ。問題ない」
「問題大有りだ! 俺は自分の同期に無意味な人殺しをさせたくない!」
 ラフは私の同期であり、年齢も同じ24歳だ。熾烈な対サウリア戦訓練をともに乗り越えた仲。
 戦闘の才能と逞しい体格に恵まれていながら、彼はどこまでも平和主義者で、その点は私とは相容れない。
「ラフ。お前はなぜ私の問題に割り入ってくるんだ?」
 ついに舌打ちが出てしまった。
「ドロレス、君は美人だからな」
「………は?」
 嫌悪を感じ、思わず彼を睨んでしまう。
 私は(いち)軍人として、命を懸けるために戦場に立つ。そこに男女の区別を持ち込んだことはない。
「モデル顔負けの長身も、凛とした顔立ちも、そのベルベットのような黒髪も男を惹きつけてやまないのさ。良い意味でも悪い意味でもだ。そんな人が男達に混じって従軍するなんてトラブルが起こるに決まってる」
 その言葉の先を聞きたくなかった。『だから軍人なんて辞めろ』。そう言われると思ったからだ。
 今まで幾人もの人間に言われてきたこと。『美しい女なのだから、むざむざ戦場へ死にに行くことはない』『家庭を築き幸せになる未来だってある』…私がこれまで築いてきた信念やキャリアなど、他人にとっては「美女」以上の説得力にはならない。私の気持ちなど当たり前のようにその勘定には含まれない。
「お前には分からんだろうよ。私がどんな思いで、化け物達と殺し合う道を選んだのか」
 美しいから何だ? 女であることは問題か? 私は強い。模擬戦では何百何千というサウリアを殺してきた。美しい顔に傷の一つもついていないのは、それほど私の戦闘技術が優れている証拠。それが最たる証明じゃないか。
 ーーこんな不毛なやり取りはうんざりだ。
「この顔が気に入らないなら、分かった」
 思い立ち、装備していたナイフを取り出す。意図を察したラフの顔が青ざめる。
 そして私は迷うことなく、ナイフの切先を自身の『美しい顔』に突き立てようとした。
「ドロレス!!」
 ナイフが肌を突く寸前、ラフの大きな手の平が間に割り入った。厚いグローブを突き破り、彼の素肌にナイフが吸い込まれる鈍い音がした。
「!?」
 驚き、反射的に手を止めることができたおかげで、ナイフが彼の手までを貫通することはなかったが、それでも。
「イッ……つぅ……」
「…ば、馬鹿か! ラフ、お前何のつもりだ!?」
 小さく呻くラフに向かって、私はあらん限りの大声で怒鳴りつけた。
 鮮血が止めどなくあふれ出す。その予期せぬ光景に、私は不覚にも動揺したのだ。
「…へへ、出撃前に不要な怪我をすることはないだろ。まして顔になんてさ。絶対後悔する」
「だからといって、お前のほうが負傷してどうするんだ!」
 ラフは手をだらりと下ろし、いつものヘラヘラ顔を浮かべる。
「自分を大事にしなよ、ドロレス。喧嘩を買うくらいなら、俺と一緒にヘラヘラ躱わそうぜ。君は俺の希望なんだ」
 希望。その言葉が私に向けられたものだと理解した時、心臓が飛び出そうなほど大きく脈打った。
「君が君らしくいられる場所を作るために俺は闘ってる。いつかサウリアをこの地球上から残らず排除する。そうすれば軍人じゃないそのままの『ドロレス』でいられるだろ」
「…ラ、ラフには、関係ないだろう。以前お前は言った。サウリアに殺された家族の(かたき)を討ちたいと」
「最初はそうだったけど。でも今はそればかりじゃないのさ。ドロレス、君との日々を1日でも長く保つために、俺は闘ってるようなもんなんだ」
 負傷した左手を背中に隠して、空いている右手で私の頬に触れる。
 知らない。私の知るラフは、私にこんな目を向けたりしなかった。こんな、自分の命よりも尊いものを見つけたような、多幸に満ちた目を。
 怖い。だがそれ以上にラフを拒絶できなかった。彼に触れられることが、彼の目に触れることが心地良いと、私の心は確かに訴えている。
「…意味が分からない。馬鹿だろう、お前、大馬鹿すぎる。ただの面食い野郎だ」
「ああ、大馬鹿だね。大馬鹿で面食いだから、性根が綺麗な軍人さんに惚れちまうんだ。そのために体も命も張れちゃうのさ」
 ラフの清々しいほどの物言いに、私は反論する気力を無くした。
 ただ、彼の献身による左手の負傷には少しばかり責任を感じる。
「…作戦中、私はお前の左側に立つ。いいか、死にたくなければ何があっても私から離れるな」
 ーー何が何でもお前を生きて帰還させる。
 そう強く決意した。

「ラフ、ドロレス。何をしてる。すぐ配置に付け」
 姿の見えない我々を捜しに来てくれたのは、同じ部隊の歩兵アーネストだった。士官学校時代から、我々三人は馴染みの仲だ。二人いれば心強い。三人が揃えば、敵はない。
「すまない、アーネスト。すぐ行く」
「睦言を交わしてる暇はないぞ、化け物が俺達を待っているんだからな」
 アーネストが冗談を言うのは珍しいことだった。
 睦言…あながち間違っていない。きっと私はあの時自覚したのだ。ラフが私を特別視するのと同じように、私もまたラフのことを替えの利かない存在と考えていたことを。
 本当に馬鹿げてる。軍に『女』を持ち込むことを嫌っていたはずなのに。

 ***

 サウリア掃討作戦は結果、人類の勝利に終わった。コロニーを中心とする半径約30km圏内のサウリアはすべて駆逐され、戦死者数も歴戦中もっとも少ない。
 アーネストも、ラフも、私も。多少の負傷はあるものの、誰一人欠けることなく基地へ帰還できたことは奇跡だ。ラフに至っては、左手の負傷というハンデを負った状態で200体以上のサウリアを仕留めていた。普段はヘラヘラしているが、やはり彼の戦闘技術には脱帽する。強靭なサウリアの体の僅かな綻びや弱点を上手く突き、確実に殺す。苦しみを長引かせることなく。
 戦法一つとっても、そこにはラフの心優しさが反映されているように感じられた。

「いよいよ半年後に迫ったな。コロニー排出期」
 ラフの個室で、私達三人は束の間の祝杯を上げていた。
 今回の掃討作戦は言わば、前回コロニーから排出された際、初戦で殺し損ねたサウリアの残党狩り。コロニーは年に一度の排出期を経るごとに、年々強力なサウリアを生み出す。年数が経つほど人類は不利になっていく。
「ラフ、ドロレス。通達があった。俺達三人が、半年後のコロニー排出期の初動部隊に選ばれた」
 それを聞いた時、ラフは一瞬顔を強張らせた。
「コロニー襲来から間もなく3年だ。サウリアも年々強力になっている。これ以上戦争を長引かせるわけにはいかない。次回の排出期が決戦になると心得ろ」
 アーネストは言った。初動部隊としての我々の任務は、排出期にコロニーの表面に出現する穴に、上空から輸送機で接近。その穴付近に降下し、直接核爆弾を投げ入れる。
「核…それは有効なのか?」
「研究チームの解析では有効だ。コロニーの外殻は強固だが、内部構造は恐らく脆い。サウリア共々コロニー全体を破壊できる可能性が高い」
 発達した肉体を持つエイリアンでも、核は克服できなかったのか。
「私達は生け贄か」
 強力なサウリアやコロニーさえ破壊できる核爆弾だ。輸送機の速度では、爆発圏外へ無事に逃げ切ることは難しい。
「俺達はそれだけ買われているんだ。必ず任務をやり遂げると。その実力と責任感がある。例えこの作戦で三人が死んだとしても、必ずサウリアとの戦争に終止符が打てる。俺はそう考えているが二人はどうだ?」
 アーネストの意見に私は賛成だ。死が怖くないわけじゃない。だが…二人が一緒なら耐えられると思えた。
「ラフ。お前は?」
 ラフは珍しく重苦しい顔を崩さない。
「俺は…嬉しいよ。この作戦が成功すれば、もう誰もサウリアに殺されない。俺のような寂しい子どもがいなくなる。嬉しいことじゃないか」
 ふっと、彼の表情が和らいだ。
「でも…君達っていう素晴らしい戦友を亡くすのは悲しいな」
 他に方法はなかったのか。いや、もうこれしか無いのだろう。私達の命の使い道が決まったのだ。決して無駄ではない使い道が。
「ラフ。俺達は最期まで一緒だ」
「悲しみも痛みもすべて、私達三人で分け合おう」
 ラフは後押しの言葉を待っていたのだろう。いつものヘラヘラとした笑顔がようやく蘇ったのを確認すると、私まで安堵できるのだ。
「ああ、そうだな。やり切ろう。三人で」

 ***

 半年後のコロニー排出期。ついに都市降下作戦が決行された。
 アーネスト、ラフ、私の三人は輸送機に乗りコロニー上部へ接近。
 コロニーに開いた穴は直径約30m。ダム穴のように深く続く暗闇の中に熱源反応はなく、サウリアが排出される気配はまだなかった。
「俺が爆弾を投下する。ドロレスとアーネストは周囲の警戒を頼む」
 ラフの背を守るように立ち、周囲に耳をそばだてる。
 ーー静かすぎる。
 前回の排出期では、穴の出現と同時に無数のサウリアが発生したと聞いていたが。
「ラフ。何が異常があればすぐに教えてくれ」
 が、返事がない。不審に思いラフの方を振り返る。
 見間違いだろうか。ラフの防疫服の腹部に大きな風穴が空いているように見えた。
「え?」
 何が起こったのか理解できず、ラフと私の口から同時に同じ呟きが漏れる。その静謐を破ったのはアーネストの鋭い叫び声だった。

「サウリアが出現した!! 光学迷彩だ!! 奴ら姿を消している!!!」

 ラフの腹部から飛び散ったおびただしい血と体液が、たった今自分を貪った()()なサウリアに降りかかり、そのグロテスクな輪郭を浮き立たせる。
 私は反射的に銃を構え、サウリアの弱点目掛け連射した。
 二、三発ではおさまらず、即死したサウリアの死骸へ装填弾が尽きるまで撃ち続けた。
「死ね、死ね、死ねっ!!」
 自分のどこから出てくるのか分からない口汚い罵倒を、弾丸に乗せて浴びせかけた。
「ドロレス出過ぎだ! 『奴ら』を刺激するな!!」
 アーネストの警告も虚しく、必要以上の大量の出血とともに、サウリアの死骸は穴の中へと落ちていく。その大量の血液が、新たな『不可視のサウリアの群れ』が穴から這い上がってくることを知らせていた。
 仲間の死骸の強烈な臭いが、コロニー内に潜んでいた何百、何千、何万というサウリア達を目覚めさせてしまった。
「……あぁ………」
 私が、冷静さを欠いたせいで。

「敵の数が多すぎる! 今爆弾を投下してもコロニー深部へ届かない! 作戦中止! 帰還する!」
 アーネストの叫びが、やけに遠くに聞こえる気がした。
「だが、ラ、ラフが…」
「あの状態では長くはもたない。仮に生きていたとしても、あいつは既に…」
 ーー置き去りにして逃げる気か? 冗談じゃない。
 私は夢中でアーネストを押し除け、血溜まりの中に倒れるラフへ駆け寄った。すぐ逃げなければエイリアンに襲われる危機だとしても、知ったことではない。彼の指先が微かに動いた気がする。ラフはまだ生きているんだ。
「ラフ! ラフ! 起きてくれ! 一緒に還ろう!」
 呼吸の確認をするため、私は彼の防護マスクを剥ぎ取る。口から下は血で真っ赤に染まり、顔から血の気は失せていた。
 一刻も早く輸送機へ乗せるため、瀕死の彼を抱え上げた時だ。
 ラフが勢いよく頭を起こし、私の腕へ噛みついてきた。
「!!」
 防疫服を容易く貫通する強靭な歯。彼の片側の顔が徐々に、タールのような黒い物質に変異していく。
 ーー感染している。
 一瞬呼吸の方法を忘れる。ラフを突き飛ばすことも、まして殺すこともできず、牙が届かぬようその場に押さえつけるしかない。
「ラフ、そんな、嘘だろう…」
 噛まれた箇所が熱を持っている。徐々に強まる痛みに蝕まれながら私の意識は、急速に醜く変異していくラフに注がれていた。

 ーー研究チームが言っていた。『フェイク・サウリア』…。サウリアに噛まれた人間は、サウリアと同じ姿に変異する。
 ーーフェイク・サウリアに、特効薬はない。
 ーーそして、私も……。

「分かったよ、ラフ。一人は怖いな。一緒に死んでやる…」
 銃口を私自身の頭部へ持っていく。意識が完全に乗っ取られる前に脳幹を破壊すればフェイク・サウリア化せずに済むと聞いた。
 今ならまだ人間のまま死ねる。ラフと一緒に。

 ところがどうしたことか。ラフの未変異の左手が、私の銃を弱々しく握っていた。
「……ドロ、レス……ヤメロ………」
 彼のぶるぶる震える手が、銃口を彼自身の未変異側の頭部へと導いた。
 ラフの顔の半分。まだ飲み込まれていない彼の顔が、苦し紛れにヘラッと笑ったように見えた。
「キミハ、イキロ……オレタチ、ノ、ミライ……タメ」
 ーー私達の未来のため。

 私は引き金を引いた。銃弾はラフの柔らかな頭部を簡単に吹き飛ばした。
 サウリア因子が完全に脳を侵食する前に、彼の望み通り人間として終わらせたのだ。
 物言わず横たわるラフの体。穴から這い上がってくる無数のサウリア達。
 呆然と動かない私の腕を、アーネストが背後から強く引いた。
「数がどんどん増えてる。俺達だけでも退避するぞ!」

 引きずられるように輸送機に乗り込んだ。その直後、私の体が燃えるような熱を持った。
 たまらず防護マスクを脱ぐと、内部が異様な粘液で真っ黒に染まっている。変異が、始まっていた。
 ーー早く、早く自害しなくては。
 しかし、あまりの痛みで思うように身動きが取れない。同乗している隊員らは手に持つ銃の存在も忘れ動揺するばかり。中には「早く誰か殺せ!」と叫ぶ者もいる。
 ただ一人、アーネストだけは違った。
「クソ!」
 彼らしくない悪態とともに、輸送機内に設置されている急冷カプセルを展開。その中に、私の体を無理矢理押し込めた。
 サウリアのサンプル採取用に死骸一体分が入れられるカプセルだが、生きた感染者を収容した前例はない。
「…ドロレス。飲まれるな。お前は必ず俺が連れて帰る。ラフのためにも」
 冷たいカバー越しのアーネストの言葉を最後に、私の意識は混濁し、朦朧とし、やがてぷつりと途切れた。

 ***

 次に目が覚めたのは、処刑監房と呼ばれる独房の中だった。
 この部屋の造りが金属製なのは、熱伝導率を高めるためだ。不都合な囚人や捕らえたエイリアンを生きたまま焼き殺せる、実に合理的な収容施設であると…この基地に派遣された当初そう案内された。まさか自分が体験するなんて。
 前方の鏡壁に映し出された自分の姿を見た時、想像を絶する絶望に襲われた。

 ーーサウリアだ。

 真っ黒な爬虫類じみた顔。微細な凹凸に覆われた歪な体。鼻が曲がりそうな臭気と、聞くに耐えない声音。それなのに意識は人間のドロレスのものである。姿だけが醜く気味の悪いサウリアへと変貌していた。
 ラフに噛まれて、感染した。

 ーー作戦はどうなった? サウリアは? …ラフは?
「……そうだ。ラフは、私が殺した……」
 それだけは事実だ。引き金を引いた感触は確かに指に残っている。それを望んだのがラフ自身だったとしても、実行したのは間違いなく…。
 自分が信じていたものがひっくり返ったよう。すべての現実から逃れたくて、私はそれから独房内で何度も自殺を試みる。

 ***

 長い時間を経て、アーネストは大尉という階級を得て私に面会してくれた。
 アーネストは私が収容されてから3年間の出来事を教えてくれた。
 都市降下作戦が失敗に終わったこと。ラフの遺体がサウリアに食い尽くされたこと。私に『部隊員の殺害』と『抗命』の罪が科されたこと。

「ドロレス。お前のお腹の子も、サウリア因子に侵されて消滅していた…」

 感じていた。確かに芽生えていたはずの命の気配が跡形もなく消えていたことを。妊娠をラフには告げなかったが、彼は薄々気づいていたんだろう。
 だから最期に言った。『俺達の未来』と。

「ドロレス。お前にはまだやるべきことがある。ラフが生かしてくれた命だ。我々に力を貸してほしい」

 ーー死んでしまいたい。
 でも、駄目だ。ラフが言った。「君は生きろ」と。その優しい呪いが、今の私をしぶとく生き続けさせているのかもしれない。
 醜くも強靭なサウリアの肉体は、私に自殺を許さなかった。まるでラフの(のろ)いがそのまま形を持ったかのよう。
 ーーこれは、私ではない。

「アーネスト。私は抜け殻だ。この醜い借り物の体には、魂も希望も思い出も、何も宿らない。空っぽなんだ。……好きに使ってくれ。私の死に場所は、君が決めてくれ」

 その日、私は最後に残った「ドロレス」という女をも捨てたのだ。
 いつか自分が見下していた隊員に言われた言葉を思い出す。
 『人形(ドール)』。
 皮肉なことに、その通りになってしまうなんて。こんな醜い下手物(げてもの)の姿に成り果てるだなんて。
 これは、私への罰の始まりなのだ。
 俺が最も嫌いなもの。
 不細工な(つら)。無能な奴。気色悪いエイリアン。俺の()姿()を執拗に見る人間。どいつもこいつも。
 そして…ーー。


【第3話 ガブリエル】


 後に「コロニー」と呼ばれる直径約20kmの巨大な球体が、主要都市の中心部に不時着したのが、西暦2XXX年のこと。
 全体を乳白色の殻に包まれたコロニーには、軍隊のどれだけの量の砲弾と爆薬をもってしても、傷一つ付けることができなかった。人間どもが無能だったことに加え、コロニーを覆う地球外の特殊な材質自体が、あらゆる兵器に耐えうる硬度を持っていたらしい。

 コロニー飛来から約1年後、その本当の意味が判明した時、食物連鎖の頂点気取りだった人間達はついに天敵を得た。
 コロニーは「卵」だった。その内部では1年の時間をかけて何千何万という生命体が構築され、時期が訪れると、上部に空いた穴から無数の侵略型生命体(エイリアン)がコロニーの外へ排出される。
 エイリアンどもは人間を真似たような二足歩行と体格を持ち、皮膚は臭く汚い黒い粘液に覆われている。オオトカゲ的な爬虫類の姿が大半だが、毎年多種多様な気色悪い新種が生まれているそうだ。
 
 奴らが好む獲物。それは当然、地球人の肉。
 エイリアンはコロニーから排出されると、本能的に人間を探し求め、喰らいつく。地球上の美味そうな野生動物には一切興味を示さず、ただ馬鹿な人間だけに固執した。
 どんな金属よりも硬い奴らの爪と牙は、柔らかい人肉を一瞬で断つためだけに進化したのだと、俺は思う。
 軍の専門の研究チームが細胞を解析した結果、エイリアンどもの正体は、約6,600万年前に絶滅した恐竜(サウリア)の進化種だった。
 6,600万年前、最初の知的生命体が地球に降り、絶滅寸前の恐竜(サウリア)を何匹か宇宙へ持ち出した。現代に至るまで不自然な掛け合わせによる進化を続け、今の時代になってとうとう懐かしの地球に帰ってきたらしい。
 新天地に住むには、原住民は邪魔だ。俺達人類をぶっ殺すまで、エイリアンどもはコロニーから毎年沸き続けるだろう。自分達の本来の縄張りを取り戻すために。
 研究者どもは満場一致で、このエイリアンを「サウリア」と呼んだ。

 奴らは恐竜の成れの果てのような不細工な姿で地を這い、人間を襲い、喰い殺す。言語を操る能もないくせに、人間の形をしたものは大人だろうが子どもだろうが見境なく殺す。
 その人間に、幼いガキがいることなんか考えもせず、奴らは日々地表を侵食していくーーー。

 ***

「居眠りかい、ガブリエル」
 斜め上のほうから気色悪い濁声(だみごえ)が降ってきた。ああ、うぜぇ。指導教官の野郎だ。
「寝てねぇよ。考え事してただけだ」
「君が考え事? 珍しいね。悩むより先に暴力に任せるタイプだと思っていた」
「はぁ? 殺すぞ」
 精一杯声を低くして威嚇する。
 教官は特殊合金製のフェイスシールドで顔を覆い隠している。表情なんぞ分からんが、俺がいくら凄んでもこいつはビビったりしない。それどころか相変わらずの濁声で笑いやがった。
「笑ってんじゃねぇ。不細工のゲテモノのくせに」
「そうだね。私は不細工でゲテモノだ。対する君はそんなに美しいのだから、たまには乱暴な言葉遣いをやめて、綺麗な言葉を選ぶといいよ」
 教官の説教とも煽りとも取れる言葉に、思わず反撃しそうになる。それをグッと堪えて、俺は元のように輸送機の座席に深く座り直した。
 教官もまた、俺の隣の座席に腰掛ける。無駄にでかい図体のせいで2席分を占領しやがった。その肩には、俺の装備品より数倍でかい銃器が掛けられている。

 俺達特殊分隊は、エイリアン・サウリアの殲滅へ向かっている。
 年に一度のコロニー排出期。無数の新種サウリアが地球上へ放たれるXデー。その最も危険な好機に、無防備なコロニーに対して一斉攻撃をかける。
 上部に出現する穴から湧いて出るサウリアを殺しまくり、穴の中へ核爆弾を突っ込んでオワリ。
 何年か前にも同じ作戦が行われたが、当時の部隊員は無様にも失敗したらしい。よっぽどの無能だったんだろう。
 大丈夫。俺は強い。あんな気色悪い化け物どもにむざむざと()られたりしない。
 ーーなのになぜ、俺は気が立ってるんだ。

「おい」
 何となく隣の教官を呼んでみた。
「なんだい、ガブリエル」
「………」
 呼んだはいいが、言うことを考えてなかった。黙りこくっていると、奴は妙に納得した声を出す。
「落ち着かないんだね。私もさ。あと2時間もすればこの輸送機は『コロニー』上空へ到達する。我々の任務がもうすぐ始まる。緊張して当然だ」
「そうじゃねぇ」
「おや、そうなのかい」
 そういえば、俺はこの10ヶ月間このデカブツと行動をともにする中で、ずっと疑問に思うことがあった。
「あんたの『見返り』を聞いてない」
「何のこと?」
「出世の得点にもならねぇ俺の指導をした見返りだよ」
 不覚にも命を救われたこともあった。
 俺はお行儀よく感謝の言葉を述べるタイプじゃない。これまでも、腐った大人どもに求められるのはもっと『物理的』な行為だったし。
 だが今のところ、この教官には何もくれてやってないことを思い出した。
「今回の作戦であんたは死ぬ。ならその前に冥土の土産でも包んでやるよ」
 輸送機には他の隊員も乗っている。もし行為を求められたとしても、俺は応じるつもりでいた。
 左右対称の整った紺碧の目で、じっと教官の目の辺りを見つめる。
「何もいらないよ。君を守り指導することも私の任務だ」
 期待に反してあまりにあっさりと断られ、拍子抜けする。と同時に、腹の中に妙に湧き上がるものを感じる。
「んな偽善、反吐が出るわ。見返りを求められたほうがまだ信じられる。人間どもはどいつもこいつも現金で恥知らずだ」
 思わず声を荒げると、下を向いていたはずの隊員達が一斉にこっちを見やがった。ゲテモノと美男子の喧嘩はさぞ見ものだろうが、見せ物じゃねぇんだよ。
 教官はしばらく考え込んでいたが、やがて折れたようにこう提案してきた。
「では、私のことを『ドール』と。名で呼んでほしい。ゲテモノや化け物呼びは、実は傷つくんだ」
「ゲテモノをゲテモノと呼んで何が悪いんだよ」
 実際、奴のフェイスシールドの中の素顔を見たことがある。この世のものとは思えない不細工さに鳥肌が止まらなかった。
 その素顔を知ってなお、俺がここまで下手(したて)に出てやってるのに、欲がねぇのかこいつは。
「お願いだ。ガブリエル」
 背中の辺りがぞくぞくする。また気色悪さで鳥肌が立っているに違いない。
 同時に、俺が名を呼んでやった場合の、こいつの喜ぶ反応を予想した。

「……………ドール」

 結果は、予想通り。
 奴はフェイスシールドの下で、気持ち悪く小さく笑いやがった。
 俺もさっきから鳥肌が止まらない。…勿論気色悪さで、だ。

 ***

 サウリアが地球に出現するずっと前から、俺の世界は汚くて腐り切っていた。
 都市部から離れた最底辺のスラム街。世界のどこにでもあるような、浮浪者と娼婦と犯罪者がごった煮られた塵溜(ごみた)めで、俺は生まれた。
 母親は娼婦。父親は知らない。
 その日その日を生きるのも運任せ。親譲りの天使のような美貌に引き寄せられた、好事家な大人どもに良いようにされる、糞のような幼少期。
 喧嘩と盗みに明け暮れ、厚生施設にぶち込まれた少年期。

 その頃、世間はサウリアの話題一色だった。
 美味そうな人間なんぞ一人もいないスラム街にも、軍の攻撃を掻い潜ったサウリアが落ち延び、何十人何百人と喰い殺していった。
 俺がいた町外れの厚生施設も襲撃され、職員や他のガキどもも餌食に。その惨状を前にして、俺には怖いとか死にたくないとかの感情はなく、ただ『汚ねぇ』としか感じなかった。閉鎖空間を利用してロクでもない『見返り』を求めてきた院長も、俺の容姿に嫉妬したガキどもも皆、一緒くたになっていた。
 そんなモン見せられたところで、俺が抱く感情は「不細工だなぁ」でおしまいだ。

 現場に溜まってたサウリアに襲われ、噛み付かれた時、反射的に強い拒絶反応があったことを覚えてる。
 ガキの体には到底見合わない怪力を発揮し、気付けば噛んできたサウリアを逆に半殺しにしていた。
 その時だ。俺がサウリア因子に感染し、サウリアどもと同じ身体能力を手に入れたのは。本来なら人間の細胞を侵食するはずのサウリア因子は、俺自身の免疫寛容の影響で都合の良い力だけを授けた。醜い化け物の姿には変異せず、キレイな人間の肉体と意識を保ったまま。
 紛い物の恐竜…『フェイク・サウリア』と。俺のような罹患者をそう呼ぶらしい。

 人類最強の肉体と、人類で恐らく最も美しい容姿を持つ俺は、誰がどう見ても完璧な存在だろう。
 白い陶器のような肌。銀鳩(ダヴ)の羽毛のような柔らかな髪。高尚で近寄りがたい存在として、周りの無能どもの目には映るはずだ。
 都合が良い。俺は元から人間が嫌いなんだ。どいつもこいつも俺に構うな。触るな。近寄るな。俺を見るな。全部、全部、全部嫌いだ。

 ーーだが結局、こんな化け物になり果てた『俺自身』が、俺は一番嫌いなんだ。

 ***

 輸送機は作戦通り、コロニーの上部へと俺達を運んだ。
 直径約30mの穴に爆弾を投下するのは、俺とドールの役目。他の隊員は湧いて出るサウリアを始末し、俺達の援護に務める。
 輸送機からコロニー表面へ降下する際、ドールは思い出したようにこう言った。
「ガブリエル。君に伝えておかなければいけないことがあるんだ」
「今かよ。後にしろ」
「いいや、そうはいかない」
 その言葉が合図だった。
 ドールは突然俺の首根っこを引っ掴み、そのまま輸送機内に設置されている大型の急冷カプセルへと、俺の体を押し込んだ。
「!?」
 サウリアを生きたまま氷漬けにできる、サンプル採取用の設備。サウリアと同じ体質の俺にも、この装置は正常に働くことをドールは知っていた。
「何すんだ、ゲテモノ!」
 体温が急激に奪われる。閉じられたカプセル越しに、憎たらしい奴の濁声が聞こえる。
「今までありがとう。君の命を守ることが、私の最後の役目なんだよ」

 ーーなんだ、それ。
 声を荒げたくても喉が開かない。体の内側も凍り始めてるみたいだ。
 冷え切った脳味噌は、珍しく正常な思考を生み出す。
 そうか。ドールは最初からそのつもりだったのか。この作戦で俺達が生き残る確率が極めて低いことを知っていたんだ。仮にサウリアを皆殺しにして生き延びても、輸送機の速度ではどんなに急いでも核爆弾の衝撃から逃げ切れない。
 それならいっそ、死ぬのは自分だけでいいと。

「………ふ、ざ……」
 腹の中に激しい怒りが湧き立つのを感じた。
 俺は凍りついた手足を筋力で無理矢理動かし、ぴったり閉じたカプセルの蓋をこじ開けにかかる。
 あのゲテモノは誤算をした。このカプセルは、抵抗できないよう半殺しにした瀕死のサウリアの収容を想定されたもの。俺のような五体満足の健康優良児が大人しく寝てるはずがないだろ。
 訓練でも出したことのない渾身の力を四肢に集中させる。ほんのわずかに外界の光が差し込んだことを確認すると、俺は装備していた小型銃を抜き、蓋のセンサー部分目掛けて発砲した。
 何発か撃った弾は運良くセンサーに当たり、その格納機能を完全に停止させた。
「……ハァッ! クソ!」
 外へ転がり出る。輸送機の中には、既に隊員やドールの姿はなかった。
 輸送機の外…それも遥か下方からは、銃撃戦の音が聞こえる。遅かった。
「あのゲテモノ絶対ぶっ殺す!!」

 ***

 コロニー表面は地獄絵図だ。
 ただの人間の兵士達はことごとくサウリアに殺され、山ほどの雑多な死体の中にただ一人、銃で応戦し続けるドール教官の姿があるばかり。
 よく目を凝らせば、体液を引っ被った透明な物体が動き回ってる。
 光学迷彩だ。
 サウリアの中には何世代か前に、カメレオンのように体色を周囲の景色に同化させる能力を持つ種類が確認されている。
 厄介だ。そんなのが混じってたら、ただの人間兵では絶対仕留められない。
 ーーだから俺達が配属されたんじゃねぇのかよ。
 怒りを抑えつけながら、俺は輸送機から飛び降りた。50メートル以上の高さから落ちても、フェイク・サウリアの体には(ひび)ひとつ入らない。
 戦場に降りた瞬間、血と腐臭と生臭さとが混じり合ったカオスな臭いが肺を直撃した。姿を消していようが関係ない。奴らからは隠しきれない腐臭が駄々漏れてる。人間の数倍嗅覚が敏感な俺なら、サウリアどもの臭いの一筋も逃さない。
 今まさにドールの背後から襲い掛かろうとするサウリアを、間一髪俺の銃弾が撃ち殺した。
「ガブリエル! なぜ来た…!?」
 音に気づいたドールが、本気で驚いた声を上げた。
 あぁむかつく。今ここで殴り倒してやりたいが、堪えるしかない。
「あんな中古品、糞の役にも立たなかったわ。帰ったら新品申請しとけ」
 穴の底から続々と排出されるサウリアども。だが、事前報告より数が少ない。
 ーー作戦はまだ終わってない。
 穴の中に核爆弾をぶち込み、コロニーと糞サウリアをまとめてぶっ壊す。そうすりゃ俺達の勝ちなんだ。
「……なぜ来たんだ…あの中にいれば安全だったのに」
 銃を撃つ手を、サウリアを殺す手を止めることなく、ドールは弱々しく言った。
「前に言っただろうが。この糞な世界であんたが一番マシなんだ。あんたがいない世界に興味がなくなっただけだよ」
 出撃の2ヶ月前、こいつに言った言葉だ。
 あの頃から俺の決意は変わっていないことを、こいつは分かっているんだろうか。
「きっと醜い死に様になるよ。サウリアも我々も、血肉も瓦礫も一緒くたになって、誰が誰だか分からないほど」
「都合良いじゃねぇか。もう置いて行かれる心配がなくなる」
 どう抗ったって死亡ルート直結なら、たった一人はごめんだ。ドールのような奴でも隣にいないと、人生は糞つまらない。
 二人がかりで、サウリアの(たか)りの中に死骸の道を作っていった。ドールの手にある爆弾を、穴の底へ落とすために。
「………ガブリエル。最後まで頼りにならない教官で、すまなかったね」
 ようやく穴の淵まで辿り着いた時、ドールの声にもう泣きそうな雰囲気はなかった。ただ遠い思い出を懐かしむような哀愁だけがある。
「…あの時と同じだ。私はまた大切な仲間を死なせてしまう。ろくでもない人でなしだね」
「罪を繰り返すのは『人間』の証拠だ。だから俺も、地獄の底まであんたを道連れにする。これで相子(あいこ)だろ」
 ドールが「そうだね」と呟いた。それは何か新しい気づきを得たようなニュアンスで。
「私はね、人形(ドール)のはずだったんだ。中身はとうに抜け落ちたと思ってたのに、まだ人の心があったんだ。私は死ぬために闘うんじゃなく、誰かを生かすために闘えた。それに今やっと気づけた。ガブのおかげだ」
 穴の中は暗く底も見えない。地獄を前にして、ドールは穏やかに言った。

「ありがとう、ガブ。君を愛しているよ」

 その言葉を聞いた時、なぜだかすごく腑に落ちた感覚があった。まるでこの言葉を聞くために、この17年間地獄の人生ゲームをプレイし続けてきたような。『嫌いなもの』で埋め尽くされていた俺の頭の中が初めて、淡く色づいたような。
 とても心地良い感覚だった。
「………そうかよ」
 だから自然と顔がにやけてしまう。ドールもきっと、あの冷たい仮面の下で、同じようなにやけ顔をしているに違いない。
 不思議だ。胸が高鳴って仕方ない。隣にこいつがいる。そう思うだけで。

 爆弾は穴の奥底へ投下された。
 穴から今なお湧き続けるサウリアの中へ、爆弾は緩やかに落ちていき、やがて俺達は眩い光に包まれた。

〈了〉

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