柚月は話し始めた。
「うちの家庭ね、前から複雑だったの」
柚月は静かに言った。
「なんで?」
「私の元の父…野々田和彦は、サイテーな男だった」
…なんでそんなことが、淡々と言えるんだろう。
「趣味のギャンブルのせいでうちは借金まみれ。おまけにいい年して浮気もしてた」
「ひどい父親だね」
「ほんとだよ。それに、私とお母さんには愛情なんてなかった。お母さんはお父さんに愛想が尽きて、離婚届を置いて出て行った。お父さんは私を置いて新しい彼女の元へ逃げた。今は私、叔母さんのとこに住んでるの」
私はお母さんに出て行かれた私とお父さんを想像して胸が痛んだ。
「お母さんが出てって、悲しくなかったの?」
「別に。あの人もあの人で、借金があるって言うのに私の生活費はガン無視してホストにお金を注ぎ込んでた。だから私は食べるものがなくて生活できなくなった」
「お父さんは?なんにもしてくれなかったの?」
「あの男、お母さんがいなくなっては生きていけなかった。だからお父さんも、家を出て行ったのよ。その時あの男、なんで言ったと思う?」
「なんて言ったの?」
「『お父さんはお前と縁を切る。出来が悪い娘には用がない』って言い捨てたの」
私は思わず言った。
「サイテー!自分の娘に対してなに言ってんの!」
「ね!そう思うでしょ?だから私、私のことを嫌っていうぐらい溺愛してくる親戚の叔母さん…まだ二十代なんだけどね。その人のとこで住んでる」
私は柚月にそんな過去があったなんてもちろん知らなかった。
そもそも、知れるほどの関係ではなかった。
私はふと気になっていたことを尋ねた。
「そういえば、〝ユキ〟って名前は本名だったの?」
「うん、本名だったよ、昔は」
「…昔は?」
「そう。私は叔母さんの名字、〝花夜〟と、私の昔の名前〝野々田友季〟の〝ユ〟と〝キ〟の間に〝ズ〟をつけた〝柚月〟って名前を叔母さんが付けてくれた。だから今は、花夜柚月」
私は二つの名前を重ねてみた。
ユキ、ユヅキ。
ほんとだ。名前が似てる。
私はギュッと胸が締め付けられた。
こんな過去があること、もっと早く知っていたら…
…あんなひどいこと、言わなかったのに。
私は卑怯にも過去を話してくれなかった柚月を少しだけ恨んでしまった。
…その時だった。
「友季、元父親に向かってその口はなんだ」
冷たい、1ミリの愛も感じない声が聞こえた。
醜い、しわがれた男の声だった。
「和彦……っ」
柚月は低く、唸るような声で言った。
野々田和彦。
柚月の、元父親。
私は背後に立つ男を見つめた。
年は、四十代ぐらいだろうか。パリッとしたスーツ姿の男は、いかにもサラリーマンという感じだった。
「はあ、友季。お前はいつまで経ってもだらしない服装だ。そんな格好して恥ずかしくないのか」
「あんたになにがわかるの?もう親でもないサイテージジイが。キモいんだけど」
柚月が棘のある声で言い返した。
「ふん、相変わらず出来の悪い娘だ。そんな娘を育てた覚えはない」
「私、あんたに育てられたなんて思ってないから。1ミリも」
「そうか。じゃあ、お前は誰に育てられたんだ?」
「誰にも育てられてない。音葉叔母さんのとこに行くまで、自分でやりくりしてきた」
「ふん、そんなわけがない。友季のような出来の悪い娘は一人で生きていけるわけがない」
和彦さんはそう鼻で笑った。
「あんたが思ってるより私は強いから。それに、〝友季〟って名前はもう私の名前じゃないの。今は〝柚月〟なの。あんたなんかが付けた名前が汚らわしくて仕方なかったから」
私はだんだん、柚月を応援したくなった。
柚月はああ言いながら、足が少し震えている。
柚月は最悪な家庭の中で強く生き抜いてきたんだ。
和彦さんにも呆れてきた。自分から縁を切ると言っておきながら、今更『父親の権力』を見せつけている。
それに、柚月は『出来の悪い娘』なんかじゃない!出来が悪いのは和彦さんの方だ!
私は声にならない声で叫んだ。
「そうか、まあいい。お前に会いにきたのはわざわざ話すためじゃあない」
「なによ?さっさと言いなさいよ、あんたなんかと話してるだけで虫唾が走るんだから」
「実はだな…彼女と別れたんだ」
和彦さんは深刻そうに告げた。
「だからなに?まあ別れるでしょうね。あんたクズだから」
「クズとはなんだ。まあいい、聞いてくれ」
さっきまで柚月を散々侮辱してたくせに。なんて図々しい男なんだ。
「それでだな、新しい彼女を作ったんだ。その女…七海というんだが、そいつが子供が欲しいと言い出したんだ。でも、赤ん坊は嫌だと」
和彦さんの今の彼女…七海さんは相当わがままな人みたいだ。
「ふーん、それが、私になんの関係があんの?」
柚月は迷惑そうに言った。
「お前を、もう一度俺の子供…いや、〝養子〟になってもらう」
私は息を呑んだ。
「は?なに言ってんの?」
「もう一度言う。お前を俺の養子にする」
柚月は馬鹿にしたように笑って言った。
「なるわけないじゃん。あんたみたいなクズの養子になんて。馬鹿なの?」
「いいだろう。もしもお前が断るなら、俺がお前の秘密をバラしてやる」
「なによ、秘密って」
和彦は堪えきれないと言った感じで意地悪く笑い出した。
「それは…お前が自分の母親…良子を殺そうとしたことだよ!」
…え?
私は意味がわからなくてポカンとしていた。
一方、柚月は顔を真っ青にしている。
「わっ、私、そんなこと…」
「いいのか?それでも」
和彦は勝ち誇ったような笑みをこぼした。
…その瞬間、私の中で虫唾が走った。
気持ち悪い。
目の前にいる大人が、ひどく卑怯で醜く思えた。
私は言葉にならない気持ちの悪さを声にして叫んだ。
「…気持ち悪いっ!」
「「え?」」
和彦さんと柚月の声が重なる。
「気持ち悪いよっ!いい歳した大人が汚い手を使うのが!どうせそんなのでっち上げた嘘なんでしょっ⁈あんたなんか気持ち悪い大人が柚月に構わないで!消えて!」
私は大きく息を吐き出した。
そして、柚月の手を取ると走り出した。
「うちの家庭ね、前から複雑だったの」
柚月は静かに言った。
「なんで?」
「私の元の父…野々田和彦は、サイテーな男だった」
…なんでそんなことが、淡々と言えるんだろう。
「趣味のギャンブルのせいでうちは借金まみれ。おまけにいい年して浮気もしてた」
「ひどい父親だね」
「ほんとだよ。それに、私とお母さんには愛情なんてなかった。お母さんはお父さんに愛想が尽きて、離婚届を置いて出て行った。お父さんは私を置いて新しい彼女の元へ逃げた。今は私、叔母さんのとこに住んでるの」
私はお母さんに出て行かれた私とお父さんを想像して胸が痛んだ。
「お母さんが出てって、悲しくなかったの?」
「別に。あの人もあの人で、借金があるって言うのに私の生活費はガン無視してホストにお金を注ぎ込んでた。だから私は食べるものがなくて生活できなくなった」
「お父さんは?なんにもしてくれなかったの?」
「あの男、お母さんがいなくなっては生きていけなかった。だからお父さんも、家を出て行ったのよ。その時あの男、なんで言ったと思う?」
「なんて言ったの?」
「『お父さんはお前と縁を切る。出来が悪い娘には用がない』って言い捨てたの」
私は思わず言った。
「サイテー!自分の娘に対してなに言ってんの!」
「ね!そう思うでしょ?だから私、私のことを嫌っていうぐらい溺愛してくる親戚の叔母さん…まだ二十代なんだけどね。その人のとこで住んでる」
私は柚月にそんな過去があったなんてもちろん知らなかった。
そもそも、知れるほどの関係ではなかった。
私はふと気になっていたことを尋ねた。
「そういえば、〝ユキ〟って名前は本名だったの?」
「うん、本名だったよ、昔は」
「…昔は?」
「そう。私は叔母さんの名字、〝花夜〟と、私の昔の名前〝野々田友季〟の〝ユ〟と〝キ〟の間に〝ズ〟をつけた〝柚月〟って名前を叔母さんが付けてくれた。だから今は、花夜柚月」
私は二つの名前を重ねてみた。
ユキ、ユヅキ。
ほんとだ。名前が似てる。
私はギュッと胸が締め付けられた。
こんな過去があること、もっと早く知っていたら…
…あんなひどいこと、言わなかったのに。
私は卑怯にも過去を話してくれなかった柚月を少しだけ恨んでしまった。
…その時だった。
「友季、元父親に向かってその口はなんだ」
冷たい、1ミリの愛も感じない声が聞こえた。
醜い、しわがれた男の声だった。
「和彦……っ」
柚月は低く、唸るような声で言った。
野々田和彦。
柚月の、元父親。
私は背後に立つ男を見つめた。
年は、四十代ぐらいだろうか。パリッとしたスーツ姿の男は、いかにもサラリーマンという感じだった。
「はあ、友季。お前はいつまで経ってもだらしない服装だ。そんな格好して恥ずかしくないのか」
「あんたになにがわかるの?もう親でもないサイテージジイが。キモいんだけど」
柚月が棘のある声で言い返した。
「ふん、相変わらず出来の悪い娘だ。そんな娘を育てた覚えはない」
「私、あんたに育てられたなんて思ってないから。1ミリも」
「そうか。じゃあ、お前は誰に育てられたんだ?」
「誰にも育てられてない。音葉叔母さんのとこに行くまで、自分でやりくりしてきた」
「ふん、そんなわけがない。友季のような出来の悪い娘は一人で生きていけるわけがない」
和彦さんはそう鼻で笑った。
「あんたが思ってるより私は強いから。それに、〝友季〟って名前はもう私の名前じゃないの。今は〝柚月〟なの。あんたなんかが付けた名前が汚らわしくて仕方なかったから」
私はだんだん、柚月を応援したくなった。
柚月はああ言いながら、足が少し震えている。
柚月は最悪な家庭の中で強く生き抜いてきたんだ。
和彦さんにも呆れてきた。自分から縁を切ると言っておきながら、今更『父親の権力』を見せつけている。
それに、柚月は『出来の悪い娘』なんかじゃない!出来が悪いのは和彦さんの方だ!
私は声にならない声で叫んだ。
「そうか、まあいい。お前に会いにきたのはわざわざ話すためじゃあない」
「なによ?さっさと言いなさいよ、あんたなんかと話してるだけで虫唾が走るんだから」
「実はだな…彼女と別れたんだ」
和彦さんは深刻そうに告げた。
「だからなに?まあ別れるでしょうね。あんたクズだから」
「クズとはなんだ。まあいい、聞いてくれ」
さっきまで柚月を散々侮辱してたくせに。なんて図々しい男なんだ。
「それでだな、新しい彼女を作ったんだ。その女…七海というんだが、そいつが子供が欲しいと言い出したんだ。でも、赤ん坊は嫌だと」
和彦さんの今の彼女…七海さんは相当わがままな人みたいだ。
「ふーん、それが、私になんの関係があんの?」
柚月は迷惑そうに言った。
「お前を、もう一度俺の子供…いや、〝養子〟になってもらう」
私は息を呑んだ。
「は?なに言ってんの?」
「もう一度言う。お前を俺の養子にする」
柚月は馬鹿にしたように笑って言った。
「なるわけないじゃん。あんたみたいなクズの養子になんて。馬鹿なの?」
「いいだろう。もしもお前が断るなら、俺がお前の秘密をバラしてやる」
「なによ、秘密って」
和彦は堪えきれないと言った感じで意地悪く笑い出した。
「それは…お前が自分の母親…良子を殺そうとしたことだよ!」
…え?
私は意味がわからなくてポカンとしていた。
一方、柚月は顔を真っ青にしている。
「わっ、私、そんなこと…」
「いいのか?それでも」
和彦は勝ち誇ったような笑みをこぼした。
…その瞬間、私の中で虫唾が走った。
気持ち悪い。
目の前にいる大人が、ひどく卑怯で醜く思えた。
私は言葉にならない気持ちの悪さを声にして叫んだ。
「…気持ち悪いっ!」
「「え?」」
和彦さんと柚月の声が重なる。
「気持ち悪いよっ!いい歳した大人が汚い手を使うのが!どうせそんなのでっち上げた嘘なんでしょっ⁈あんたなんか気持ち悪い大人が柚月に構わないで!消えて!」
私は大きく息を吐き出した。
そして、柚月の手を取ると走り出した。