私はモヤモヤした気持ちのままベットを転がっていた。
 なんとなく学校に行きたくなかった私は、お母さんに「お腹が痛い」と嘘をついて学校を休むことにした。
 柚月のことが頭をよぎる。
 私は柚月との関係を振り切ったけど、柚月は〝学年で2番目の美少女〟という立場である。その立場で私へのいじめを強力化することができるかもしれない。
 ズキン、頭が痛む。
 明日のことを考えると気が重い。
 私はむず痒くなって気分転換に散歩に行くことにした。
 自転車で。誰もいない、海沿いの坂道を下りに。
 私は自転車を走らせながら、胸いっぱいに潮の匂いを吸い込んだ。
 私はふと思い、自転車を止める。
 …誰かと海に来たことが、ここ最近あっただろうか。
 懐かしい海。
 ここにはいい思い出と嫌な思い出があった。
 
 私は昔、引っ込み思案な性格だった。
 誰とも話さず、常に相手と一定の距離を保っていた。
 そんな私に、ユキちゃんは声をかけてくれた。
 ユキちゃんは、黄色のワンピースがとっても似合う、おさげの女の子だった。
 でもユキちゃんは、私にユキちゃんがユキちゃんであることしか教えてくれなかった。
 ユキ、という名前も本名かは分からない。
 名字も、年齢も、住所も、通っている小学校も、両親の名前も。
 そんな不思議なユキちゃんと出会ったのが、この海だった。
 私たちは放課後になるとここに集まり、砂浜でお城を作り、貝殻を集めてアクセサリーを作り、たまに海を泳いだ。
 そんな、大親友と呼べる中だった。
 それが、私のここの海での、いい思い出。

 嫌な思い出は、ユキちゃんと私の関係に終止符を打つ出来事だった。
 その日、私は学校の友達にこんな噂を聞いた。
ーーーー『ユキっていう女の子、危ない子らしいよーーーー』
 私は聞いた。
『なに?どんな子?』
『なんかね、黄色いワンピース着てて、二つ結びなんだって。その子ね、ほら、この間の空き巣事件があったじゃない?その時に犯人を捕まえたのが、ユキなんだって。ユキが、警察署まで犯人を引きずって行ったんだって。危ないよね〜』
 私はどきりとした。
 ユキちゃんが…?嘘。きっとただの噂だよね…?
 けど、私はお母さんに言われた一言に、奈落の底に突き落とされた気持ちになった。
『ゆいちゃん、ユキちゃんって知ってる?』
『うん、知ってるけど…』
『その子と、遊んだことがある?』
 嫌な予感がした。
『うん、いっぱい遊んでる…よ?』
 私はお母さんの眉をキュッと寄せた怖い顔を見て、声が小さくなった。
『ほんと?その子、危ない子なんだって。もう、その子と遊ぶのはやめた方がいいわよ』
『え…でも、ユキちゃんはそんな子じゃ…』
 私が言うと、お母さんは大きなため息をついて言った。
『ダメよ。いい?お母さんはいつもね、ゆいちゃんのためを思って言ってるのよ。だから、そんなふうにお母さんやお父さんに口答えするような真似はしないで。わかったなら、素直にもうユキちゃんとは遊ばない…って、ちょっとゆいちゃん⁈』
 私はお母さんの声に背を向けて家を飛び出した。
 私がいつもの砂浜に行くと、ユキちゃんは一人で砂浜に視線を落としていた。
『なにしてんの?』
『あ!ゆいちゃん来た!見てみて!ゆいちゃんと私の絵を描いたの!』
 ユキちゃんはそう言って砂浜を指差した。
 そこには、おさげの女の子と、ボブヘアの女の子が笑顔で手を繋いでいる絵が描かれていた。
『ず〜っと友達!大好きだよ、ゆいちゃん!』
 こんな文字を添えて。
 私は嬉しくてたまらなくなった。
 ユキちゃんが、私のために描いてくれた…
 私はユキちゃんの手を握ろうとした。
 けど。
ーーーー『その子と遊ぶのはやめた方がいいわよ』ーーーー
 お母さんの声が蘇った。
 …そんなはずない。ユキちゃんが、危ない子なわけない。
 でも、こんなに優しい笑顔の裏に、悪い子の顔があるとしたら…
 考えたらゾッとした。
 もしかしたら、裏切られているのかもしれない。
 そうだとしたら、今すぐ縁を切らなくてはいけない。
『…らない』
 私はつぶやいた。
 ユキちゃんはなにも言わずに首を傾げた。
『いらないよ、こんなの!もう私、ユキちゃんと友達やめる!』
 私は走って家に帰った。
 私の頬には、冷たい雫が伝っていた。
 これが、嫌な思い出。

 …気づけば、砂浜にいた。
 さらさらとした砂の感触が、あの頃の思い出を蘇らせた。
 ユキちゃんとは、あれから一度も会っていない。
 後で聞けば、ユキちゃんは引っ越して行ったそうだ。
 だから、ユキちゃんがどうしてるかなんて、私には知る由もないのだ。
 ザザーン、ザザーン。
 私にはユキちゃんの匂いがした…気がした。
 まあ、気のせいだよね。
 …私、馬鹿だなあ。どんなにユキちゃんに言ってしまったことに後悔したって、罪悪感に苛まれたって、ユキちゃんはもう、戻ってこないのに。
 自嘲気味な笑みが溢れた。
 思えば昨日、柚月にもそんなことを言った。
 私はなんで愚かな人間なんだろう。同じ過ちを何回も起こしてしまう。
 自分の利益だけを考えて行動していた。
 こんな卑怯者じゃ、ユキちゃんがここに現れたって、嘲笑われるだけだろう。
 でもやっぱり、後ろを振り向けばユキちゃんの笑顔がありそうで。
 慌てて謝ったら、「なんだっけ?覚えてないから大丈夫!」とカラッと笑ってくれそうで。
「ユキちゃん…」
 私は情けない声をこぼした。
 その時だった。

「ゆいちゃん」

 …私を呼ぶ、元気な声。
「…ユキちゃん?」
 私は驚いて振り返った。
「そうだよ、結夏。」
 今度は、優しく微笑んで。
 私は呆然とした。
「柚月…?」
 私は目の前の人物をユキちゃんに重ねた。
 昔のおさげはツインテールになり、パッチリ二重はそのまま。当たり前だけど身長はと伸び、スタイルがいい。
 ユキちゃんと、柚月。
 柚月が、ユキちゃん。
 私の止めようのない混じりいった感情が、一粒の涙がこぼれた。
 伝えたい言葉は数えきれないほどあるのに、口から漏れたのは一言だけだった。
「どうして…」
 ユキちゃん…柚月は大きくうなづいた。