月日はあっという間に過ぎ、気づけば高校三年生の夏が終わろうとしていた。
あれから彼女は、放課後になるとほぼ毎日音楽室に来た。最初は、聴かれていると思うと緊張していたが、今ではすっかり慣れてしまった。今では彼女が居ないと演奏意欲が失せるくらい彼女に影響されてしまっている。ある日、ピアノに興味を持ったのか、彼女に「ピアノの弾き方を教えて欲しい」と頼まれた。その日から僕は彼女にピアノを教えるようになった。やはり彼女は器用で、彼女の演奏能力は著しく成長した。最近では、僕の提案で連弾をするようになっていた。今まで誰かとピアノを弾いたことが無かったので、新鮮な気分だった。今日も僕は彼女とピアノを弾いている。
「紫朗くん、毎日私にピアノを教えてくれてありがとう。紫朗くんのおかげでピアノを弾くのがこんなに楽しいことだって気づけた。紫朗くん、音楽の先生に向いてるんじゃない?」
「いやいや、そんなことないですよ。急に改まって、どうしたんですか?」
そう言った途端、彼女の表情が少し暗くなった。何か失言をしてしまっただろうか。
「少し、時間を貰っていいかな?話したいことがあるの」
彼女の顔つきが、見たこともないくらい真剣で、その話を聞くのが怖くなった。しかし、この話を聞かなければ後悔する気がした。
「分かりました」
緊張した空気の中、彼女はとある秘密を僕に告げた。
「私、病気で、あと二年しか生きられないんだ」
「え...?」
突然のことで、僕の頭の中は真っ白になった。
「私が入学式の日に遅刻したの、覚えてる?」
そういえば、彼女は入学式という大事な日に遅刻していた。
「あの日の登校中、突然胸が苦しくなって、倒れたんだ。近くに居た人が救急車を呼んでくれたおかげで一命を取り留めることができた。だけど、検査の結果、心臓が悪い事がわかったんだ。それに、余命があと五年しか残っていないことも」
「そんな...」
まだ高校生までしか生きていないのに、余命宣告を受けるなんて。僕には想像がつかない気持ちが彼女を苦しめただろう。
「それから生きる希望をだんだん見失っていったんだ。毎日があっという間に過ぎていくことに恐怖を覚えて、精神的に参っちゃいそうだった。そんな時に廊下を歩いていたら、音楽室からピアノの音色が聞こえてきたの。気になって覗いてみたら、そこに紫朗くんが居た。その時、音楽室いっぱいに紫朗くんの奏でる世界が広がっていて、言葉に表せない感動を味わったんだ。あぁ、この人の世界をもっと聴いていたいって思った。それから放課後は紫朗くんの演奏をこっそり聴きに行くようになった」
「え、つまり、あの時音楽準備室に居たのは...」
「ごめんね。実は、忘れ物を取りに行っていたわけじゃなかったんだ。最初から紫朗くんの演奏を聴くために隠れていたの」
まさかの真実に、僕は動揺を隠せなかった。
「それからは紫朗くんの知っている通り。定期検診の時は行けないから、毎日は無理だったけど、できる限り音楽室に通った。放課後に紫朗くんと過ごす時間は、私にとって唯一の生きる希望だから。その希望があるから、今日も、明日も、明後日も、覚悟をもって懸命に生きていられる。だから、感謝の気持ちを伝えたくなって、今日伝えた。その時に、紫朗くんに全て話してしまいたいと思ったんだ。こんな話しちゃってごめんね」
「そんなに僕との時間を大切にしていたなんて想像もしていなかったです。藤野さんの生きる希望になれて良かったです。実は、僕も藤野さんに感謝しているんです。僕は、藤野さんにピアノを褒められて、とても嬉しかったんです。あの日から、貴女に喜んでいただけるような演奏をしたいと思うようになり、夢中でピアノを練習しました。そのおかげでピアノがさらに楽しくなり、高校生活を、いえ、人生を彩ってくれました。本当にありがとうございます」
僕が感謝を伝えると、彼女は戸惑ったような、それでいて照れくさそうな表情をしていた。それにつられて僕も照れてしまう。気を紛らわそうと頭をフル回転させていると、あることを思いついた。
「藤野さん、卒業式の日にタイムカプセルを埋めませんか?」
「タイムカプセル?」
「はい。お互いに手紙を書いて十年後に読むんです」
「十年後...」
彼女は戸惑っている。分かっている。彼女が十年後生きている可能性はないことを。分かっているんだ。でも、受け入れられない。だから、この提案をしたのだ。
「いいえ、生きています。藤野さんは、十年後も、二十年後も、ずっと、元気に生きています。根拠はありません。でも、生きています。なので、タイムカプセルを埋めましょう」
「...分かった」
彼女は困ったように笑っている。彼女も分かっている。そんな未来はこないことを。でも、今は、来ると信じて前を向くしかないんだ。
そして迎えた卒業式の日。僕たちが最初に出会った桜の木の下に、タイムカプセルを埋めた。また十年後にここで再会することを約束して。
あれから彼女は、放課後になるとほぼ毎日音楽室に来た。最初は、聴かれていると思うと緊張していたが、今ではすっかり慣れてしまった。今では彼女が居ないと演奏意欲が失せるくらい彼女に影響されてしまっている。ある日、ピアノに興味を持ったのか、彼女に「ピアノの弾き方を教えて欲しい」と頼まれた。その日から僕は彼女にピアノを教えるようになった。やはり彼女は器用で、彼女の演奏能力は著しく成長した。最近では、僕の提案で連弾をするようになっていた。今まで誰かとピアノを弾いたことが無かったので、新鮮な気分だった。今日も僕は彼女とピアノを弾いている。
「紫朗くん、毎日私にピアノを教えてくれてありがとう。紫朗くんのおかげでピアノを弾くのがこんなに楽しいことだって気づけた。紫朗くん、音楽の先生に向いてるんじゃない?」
「いやいや、そんなことないですよ。急に改まって、どうしたんですか?」
そう言った途端、彼女の表情が少し暗くなった。何か失言をしてしまっただろうか。
「少し、時間を貰っていいかな?話したいことがあるの」
彼女の顔つきが、見たこともないくらい真剣で、その話を聞くのが怖くなった。しかし、この話を聞かなければ後悔する気がした。
「分かりました」
緊張した空気の中、彼女はとある秘密を僕に告げた。
「私、病気で、あと二年しか生きられないんだ」
「え...?」
突然のことで、僕の頭の中は真っ白になった。
「私が入学式の日に遅刻したの、覚えてる?」
そういえば、彼女は入学式という大事な日に遅刻していた。
「あの日の登校中、突然胸が苦しくなって、倒れたんだ。近くに居た人が救急車を呼んでくれたおかげで一命を取り留めることができた。だけど、検査の結果、心臓が悪い事がわかったんだ。それに、余命があと五年しか残っていないことも」
「そんな...」
まだ高校生までしか生きていないのに、余命宣告を受けるなんて。僕には想像がつかない気持ちが彼女を苦しめただろう。
「それから生きる希望をだんだん見失っていったんだ。毎日があっという間に過ぎていくことに恐怖を覚えて、精神的に参っちゃいそうだった。そんな時に廊下を歩いていたら、音楽室からピアノの音色が聞こえてきたの。気になって覗いてみたら、そこに紫朗くんが居た。その時、音楽室いっぱいに紫朗くんの奏でる世界が広がっていて、言葉に表せない感動を味わったんだ。あぁ、この人の世界をもっと聴いていたいって思った。それから放課後は紫朗くんの演奏をこっそり聴きに行くようになった」
「え、つまり、あの時音楽準備室に居たのは...」
「ごめんね。実は、忘れ物を取りに行っていたわけじゃなかったんだ。最初から紫朗くんの演奏を聴くために隠れていたの」
まさかの真実に、僕は動揺を隠せなかった。
「それからは紫朗くんの知っている通り。定期検診の時は行けないから、毎日は無理だったけど、できる限り音楽室に通った。放課後に紫朗くんと過ごす時間は、私にとって唯一の生きる希望だから。その希望があるから、今日も、明日も、明後日も、覚悟をもって懸命に生きていられる。だから、感謝の気持ちを伝えたくなって、今日伝えた。その時に、紫朗くんに全て話してしまいたいと思ったんだ。こんな話しちゃってごめんね」
「そんなに僕との時間を大切にしていたなんて想像もしていなかったです。藤野さんの生きる希望になれて良かったです。実は、僕も藤野さんに感謝しているんです。僕は、藤野さんにピアノを褒められて、とても嬉しかったんです。あの日から、貴女に喜んでいただけるような演奏をしたいと思うようになり、夢中でピアノを練習しました。そのおかげでピアノがさらに楽しくなり、高校生活を、いえ、人生を彩ってくれました。本当にありがとうございます」
僕が感謝を伝えると、彼女は戸惑ったような、それでいて照れくさそうな表情をしていた。それにつられて僕も照れてしまう。気を紛らわそうと頭をフル回転させていると、あることを思いついた。
「藤野さん、卒業式の日にタイムカプセルを埋めませんか?」
「タイムカプセル?」
「はい。お互いに手紙を書いて十年後に読むんです」
「十年後...」
彼女は戸惑っている。分かっている。彼女が十年後生きている可能性はないことを。分かっているんだ。でも、受け入れられない。だから、この提案をしたのだ。
「いいえ、生きています。藤野さんは、十年後も、二十年後も、ずっと、元気に生きています。根拠はありません。でも、生きています。なので、タイムカプセルを埋めましょう」
「...分かった」
彼女は困ったように笑っている。彼女も分かっている。そんな未来はこないことを。でも、今は、来ると信じて前を向くしかないんだ。
そして迎えた卒業式の日。僕たちが最初に出会った桜の木の下に、タイムカプセルを埋めた。また十年後にここで再会することを約束して。