その日、私はなるべく彼のことを考えずに過ごすことにした。
 帰り道、私は最後にもう一度、と君のことを考える。
 優しくて、照れ屋で、でも情熱的な君。
 吉野椿。
 聞いたことがある。確か学年一可愛くて人気な子だ。
 ああ、こんな恋、しなければよかった。
 こんなに君のこと、好きになっちゃったのは私だ。
 気づけばよかった。
 あの時、君は愛の歌を歌っていた。
 それは決して、私に向けてではなかった。
 それは、紛れもなく椿さんへ向けてたんだ。
 ああ、忘れたい。
 でも、君の声が、匂いが、いつまでも私の記憶の中に強く香って離れない。
 でも、いつまでも想い続けるのは君にも椿さんにも失礼だ。
 忘れよう、忘れよう。
 そう、心の中で唱えた。
 その時。
「あははは!やっぱそうだよね〜」
 近くから、聞き覚えのある声が聞こえた。
 大好きだった声。
 だから、反射的に体が動いてしまった。
 声のした方に走ると、そこは横断歩道だった。
 仲良く手を繋いでいる男女ーーーー多分ゆーくんと椿さんだろうーーーーが横断歩道を歩いていた。
 ああ、好きだ。
 もう一度、なくしたはずの恋が私の中で蘇っていた、その瞬間。
「はっ……!」
 二人がちょうど横断歩道を真ん中まで歩いた時、歩行者信号が点滅し始めた。
 …このままいけば、もう少しすれば歩行者信号が赤になる。
 最悪の事態を想像して、足が震えた。
 なのに、何も知らない二人は、一緒にスマホを覗き込んでいる。
 運が悪いことに、ちょうど大きなトラックが近づいてきた。
 早く渡らないと、二人は……
 咄嗟に、足が動いた。
 私の体は横断歩道に飛び込んで、二人の身体を囲うような体勢になった。
 歩行者信号が赤に変わる。
 トラックは目の前だ。
 どうか、二人の命が助かってほしい。
 私は祈りながら二人を庇った。
「乙葉さん…」
 ゆーくんが困惑したような顔をしていた。
 次の瞬間。
「あ……っ!」
 私の身体が、宙に弾け飛ぶ。
 トラックが止まり、その隙に二人が向こう岸に逃げた。
 私の身体が、アスファルトの地面に転がる。
 痛みはない。
 でも、最後に心に滲んだのは、やっぱり君への『好き』という気持ちだった。