「最近疲れてない?」
「大丈夫?」
 教室に入って自分の席につくなり声がかかる。クラスメイトの芽以(めい)珠里(じゅり)だ。
「大丈夫!」私は精一杯の笑顔をつくる。「疲れているように見えた?」
 顔がひきつっているのかな。気をつけないと。
「今朝も朝練つきあったのでしょ?」
「ずっと毎日よね?」
「朝早いのは苦にならないから」私は答えた。 
 元お嬢様学校だった私の学校は部活動が盛んだ。運動部もたくさんある。しかし何分(なにぶん)にもその数が多すぎてひとつひとつの部の部員は少ない。中には大会に出るのにぎりぎりの人数の部も多い。
 そういう時、応援団の下部組織「助っ人団」が役に立つ。運動部に助っ人を派遣する団体だ。私はそこに属していた。
 このところバスケットとフットサルの朝練につきあっている。大会に出る際には私も選手として試合に出ることになるかもしれない。
 私は運動の才に恵まれた。小学校時代は男の子に混じって運動場を駆け回った。私のようなスポーツ万能少女は運動部にとっては貴重な戦力なのだ。
 そして私は社交性があって、通りすがりの誰にでも挨拶できる人間で、かつルックスも学年で五指に数えられるくらい良かったから、学年の「顔」になっていた。
 そんな私が、ちょっとでも顔を曇らせていたら周囲が心配するのも無理はないのかもしれない。
 しかし私の顔がいつもと違い明るくないのは朝練が続いて疲れているからではない。プライベートでひと悶着あったからだ。そんなことを仲の良いクラスメイトに言えるはずもない。
 学校での私は、何の悩みもない、明るく快活なスポーツ万能美少女だった。そういう風に少し()っているのだ。私にだって演技はできる。
 しかしお(なか)()いたな。朝食はろくに食べられなかった。早弁(はやべん)しようかな。
 そう思って私は気づいた。
 お弁当を忘れた。いや、ひと悶着で持てなかったのだ。
 お昼は学食か。しかし今、ひもじい。
「何か、おやつ持ってない?」私は訊いてしまっていた。
「さすがにないわ」
「もう授業も始まるし」
「英語、誰が当たるんだっけ?」
「げ、私かも……」私は慌てた。
 予習すら忘れてしまっている。いや、昨日の段階では覚えていたのだが。
「もう最低だわ」私は机に突っ伏した。泣きたい。
 友人たちが私の背中をさする。こんな私にみんな優しい。
「何が最低だって?」
 その声に私はびくっとした。空耳ではない。
 顔を上げると、今朝大喧嘩した相手、双子の兄(りょう)が私のところへ歩んでくるところだった。
 友人たちが揃って目をキラキラさせる。
 学年で一、二を争う美貌の持ち主は私のクラスでも羨望の的だ。
 その遼が私の教室に来ることは滅多にない。
「ほら、忘れ物」
 遼が差し出した手に弁当箱の包みがあった。
「それから……今日の宿題と予習」
 目の前に突き付けられたレポート用紙には私のやるべき課題がしっかりと仕上げられていた。
 私はぱっと明るい顔になって、それを受け取ろうとして止まった。
 父が海外勤務となり、母もついていった。私と遼は新しいマンションで二人暮らしを始め、一か月が経とうとしていた。
 家事は分担するつもりだったが、私は学校の活動で朝早く夜遅く、全く時間がとれない。その上私には家事の才能がなかった。料理が全くできないのだ。
 一方、本ばかり読んでコミュ障の遼は家に籠っていることが多い。そして料理に目覚めたのかネットでいろいろレシピを見て新しい料理に挑戦するような男だった。
 まさに専業主夫。学年で十位以内の頭脳明晰で、謎めいた美貌の持ち主が私の執事をしているとは誰が思うだろう。
「何だ、いらないのか?」
 受け取ろうとして止まる私を見て、遼は差し出したものを引っ込めようとした。
()るわよ!」
 私はお弁当もレポートも奪い取った。
 それを見て遼はフッと笑う。
「まあ、何だな……今朝は俺も悪かった。些細なことで言い合うなんて兄妹(きょうだい)の間ではよくあることだ」
 何を大人ぶっているのよ! それが気に入らないのよ!
「あ、もう時間だな。じゃあな」
 遼は背中を向けて右手を振った。
 私はその背中に向かって「ありがとう……」と小さな声で言った。
 そしてもう一つ、言いたくて言えなかったひとことを心の中で言った。
 これからもよろしく。