「お、おい。ばか! 危ないから出てくんなって! 下がれ!!」

 栗丘は慌てて駆け寄ろうとしたが、それよりも早く、周囲の空気が変わった。

 息の詰まるような重い霊気。
 直後、地響きとともに視界が揺れ始める。
 微弱な振動が辺り一帯に広がり、栗丘たちは思わず足を止めて周囲を見渡した。

 あやかしの気配が、先ほどよりも一層濃くなっている。

「まさか……」

 マツリカは呟きながら、すぐ隣にある『何もない空間』を見つめた。
 そこにあやかしはいない。
 けれど、明らかにその気配がする。

 鼻がもげそうなほど濃いニオイを放つ『それ』は、今にも(ひら)かれようとしていた。

「危ない、マツリカさん!!」

 絢永が叫ぶ。
 しかしマツリカはまるで聞こえていないかのように、その場から動かなかった。

 彼女の目の前で、『それ』は開いた。

 あちらの世界へと繋がる門。
 漆黒の闇を抱えたそれは、見る見るうちに巨大化していく。

 オオオォ……と猛獣の雄叫びのようなものが空気を震わせる。

 やがて十七階建ての本部庁舎とほぼ変わらない大きさにまで膨れ上がったそれの奥から、ぬっと五つの黒い塊がせり出てきた。
 細長い、柱のようなもの。
 一つ一つが何メートルにも及ぶそれは、まるで巨大な指先のようにも見える。

 ——例の巨大なあやかしが門を通れるのは、せいぜい指先程度。

 栗丘の脳裏で、御影の言葉が蘇る。

 目の前に現れたそれは、間違いなく(くだん)のあやかしだった。

「逃げろ、マツリカ!!」

 喉が破れそうなほどの大声で叫ぶが、マツリカの耳には届かなかった。
 彼女はぽかんと口を開けたまま、迫り来る漆黒の指先を見つめている。

「……迎えに来てくれたの? あたしを」

 やがて彼女が口にしたのは、そんな言葉だった。

 このままではまずい、と栗丘と絢永は再び駆け出す。
 そうして一箇所に集まった三人の体を、巨大な黒い指先が包み込む。

 銃を構えた二人は同時に発砲したが、呪符も、トドメの弾も一切効いている様子はない。
 そのまま視界を真っ黒に塗りつぶされた三人は、全身が門の方角へと引っ張られるのを感じながら、唐突にやってきた強い眠気に抗えず、あえなく意識を手放した。



          ◯



 それから、どれほどの時間が経っただろうか。
 ゆらゆらと、揺り籠のような優しい感覚に包まれながら、栗丘は目を覚ました。

 あたたかな光の差す窓辺。
 見覚えのある部屋の中で、誰かの体温をそばに感じる。

「みつきは大きくなったら、一体どんな人になるんだろうね?」

 聞き覚えのある声が、頭の上から降ってくる。
 見上げると、やわらかな微笑みをたたえた女性がこちらを見下ろしていた。

(……母さん?)

 母だった。
 彼女は二十年前と変わらぬ姿で、栗丘の幼い体を膝に乗せて語りかけてくる。