♪コンコンコン――。
 部屋にノック音が響く。聖花は姿勢を正して部屋の出入り口扉に向き直り、白姫はスッと立ち上がって視線を扉に移す。


「時間です」
 ヴァイオリンのⅮ戦からA線のような柔らかな色香と共に、どこか熱を感じる声音が二人の耳に届く。
「な~んだ。パパか」
 白姫はその声の主が自身の父である智白だと気がつき、期待損だとばかりに、また背もたれのついたアンティーク調の椅子に座り直す。
 聖花も聖花で、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「入ってもよろしいですか?」
「どうぞ」
 聖花が智白の声に応える。
 白姫はつまらなそうに、人差し指で自身の毛先をクルクル巻いて遊んでいる。


 カチャ。
 ふわふわと柔らかなパーマをかけている甘栗色の髪型。シャープなフェイスライン。目尻などに皺があるものの、白に負けず劣らずな美顔にヘーゼル色の瞳を持つ長身の男性が、ドアノブ音と共に姿を現す。
「ま~た変な変装してる」
 白姫は自身の父である智白をからかうように言った。
「貴方も変装していたでしょう」
 四年前に聖花の護衛を兼ね、西条春香として高校に潜入していたことを諭すように、智白は溜息交じりに言った。
「それが白様のご要望だったからね。中々似合っていたでしょ?」
 西条春香は、聖花が通っていた百合泉乃中高等学園に転校してきた生徒であり、聖花の一つ後輩にあたる。
 その姿は、まつ毛にかかるギリギリの前髪の内巻きミディアムヘアーに小柄で色白の肌。ビー玉のように丸い瞳。透明感のある肌。やや充血した白目が少し気になる瞳は、ブラウンの色味が強い黒目――というように、白姫本来の姿とは全く異なっていた。


「そうですね。中々の変装具合だったんじゃないんですか」
「そうでしょうそうでしょう。クラスメイトや聖花達から一年以上ものあいだ、本当の姿を知られなかったんだもの」
「知られたら一大事ですよ」
「まぁね。でもその時は、パパ達が守ってくれるんでしょう?」
「頼り過ぎるのは良くありませんよ。全校生徒の記憶操作は手間がかかるんです」
「……あの~」
 完全に蚊帳の外となってしまっていた聖花は、恐る恐る声をあげる。
「嗚呼、失礼」
 智白は目的を思い出したとばかりに声を上げ、軽い咳ばらいを一つ溢し、聖花に歩み寄る。
「いえ」
 聖花は問題がないことを、小さく首を左右に振って示した。
「三年振りに外の世界に出ますが、調子はいかがですか?」
「元気もりもりです」
 聖花は顔の前で両手でガッツポーズを作り、調子の良さをアピールした。
「それはよかったです。それにしても……相変わらずの語彙力なさですね」
「そちらも、相変わらずの辛口ですね」
「そちらは、反抗的になってしまいましたね。遅れてやってきた反抗期ですか?」
「まさか」
 聖花は小さく首を竦め、くすくすと笑顔を見せる。

 この三年間、聖花の保護者代わりとして多くのコミュニケーションを取ってきた智白だ。二人の関係性は以前より友好的となり、智白に対する聖花の緊張感は和らいでいた。と言っても、敬語や標準語は変わっていないが。
 白との関係性や距離感に至っては、相も変わらない。当たり前だ。聖花と白は三年前の二十××年 四月 七日以降、一度も顔を合わせていないのだから。


「まぁ、元気ならそれで結構。白様よりこれを――」
 智白はそう言って、スーツの内ポケットから例の白狐ストラップを聖花に差し出す。丁度女性の片手に納まるちびキャラ風な作りをしていた。
「うわぁ。懐かしい……」
 聖花は小さな歓声を上げながら、白狐ストラップを両手でそっと包み込むように受け取った。
 耳と尻尾の先が赤く彩られ、尻尾はモフモフと太く、麿は麻は~。とでも言いだしそうな眉毛。まん丸い瞳と、ほんのり桃色に色づいた頬がなんとも愛くるしい。
 素材は縮緬で出来ており、中には綿かなにか柔らかいモノが入っているのか、触り心地のよいモフモフさが安心感を与えてくれるぬいぐるみ白狐ストラップは、ただ可愛いだけでない。
 依頼者の身が危ぶまれた場合のみ、恭稲白の姿に変化して、依頼者を守ってくれると言う心強いアイテムだ。
「……やっぱり、私が外に出ることは危険なんですね」
「そんなに心配なさらなくとも大丈夫です。特に今日においては、なんの問題もないでしょう。こちらのアイテムも万が一に備えてのものです。用心棒代わりにでも思っておきなさい」
 先程までのご機嫌な雰囲気から一転して、がくりと両肩を落として不安げにする聖花を励ますように、そう言葉をかける智白の声は何処か優しい。
「そうそう。なんてたって私がついているからね。私の戦闘能力、パパより強いんだから」
 白姫は得意げに胸を張り、ふふっふと笑う。
「戦闘能力だけでは、どうにもならないこともあるかと思いますけどね」
「だからパパが行くんでしょ? 保護者兼護衛として」
「よく分かっているじゃありませんか」
 智白はわざとらしく目を見開いて見せる。
「やなかんじ~。ところで、白様はご一緒しないの?」
「しませんよ」
「まぁ、そりゃそうよね。一応、お仕事のお時間だし」
「一応とはなんですか、一応とは」
 智白は娘の言い草を咎めるように睨む。
「あぁ~。せっかく白様と夜のデートが出来ると思ったのになぁ」
 そんな父の咎めや睨みなどなんとも思っていなそうな白姫は、どこか子供ぽい口調でそう言って口を尖らせる。白への愛は子まで受け継がれているようだ。
「そんなことあるわけがないでしょう。寝言は眠ってから言いなさい」
「昔はよく遊んでくれていたじゃない」
「そんな大昔のことを持ち出さないで下さい」
「良いじゃない別に。ほんの一〇七〇年前のことじゃない」
 白姫の言葉に聖花は思わずぎょっとする。
「どこがほんの前のことなんですか」
 智白は首を竦め、目の前で驚く聖花には、「貴方も貴方で、何故そんなに驚く必要があるのですか。前にお伝えしたはずですけど……もう忘れてしまったんですか?」と、呆れ口調で言う。
「ぉ、覚えていますよ。あんな衝撃的な話を、そんな簡単に忘れらるわけないじゃないですか」
 聖花はそう食い気味で答え、智白から色々なことを教えてもらった時の記憶を脳内で思い起させる。

――私達の年齢ですが、人間年齢×三六年と計算して下さい。私であれば、五十三×三十六で千九百八歳となります。白様であれば、二十八×三十六で一〇〇八歳となります。

――私達は百歳を超えたあたりから年々妖力が増し、出来ることが増えてゆきます。ただし、全ての妖子の戦闘力が上がるわけではありません。個が持つ能力が開花されていくというイメージです。妖力が強ければ強い者にほど、右腕となる妖子が傍にいることが多いです。また、妖弧は千歳になると天狐というものなり、莫大な妖力を得ます。それにより、私達はずっと人間として生活することが可能になります。

――半妖弧は見た目年齢×十八歳となります。半妖弧は元より人間の姿で産まれ、一生人間の姿で過ごすことが出来ます。その代わり、妖子としての力は乏しいです。
 人間として並外れた身体能力か学の力に特化した力を持つか、なんらかの才能に恵まれています。人間の世界で言う“天才”や“神童”と言われる方々に多く見受けられているようです。ただ違うのは瞳の色。
 人間世界に紛れている半妖狐達は、その瞳を隠し生活をしています。そうしなければ、人間世界に馴染めないからです。

 そう智白から教えられたのは、今から三年前のこと。
 聖花は他にも、半妖弧狩りのことも教えられていた。

 本当の自分のことについては何も知らずに暮らしていた聖花の世界と、本当の自分が何者であるかを知った聖花の世界とでは、ずいぶんと様変わりしてしまった。
 聖花はもうどんなに願っても、何も知らずに笑って平穏に暮らしていた日々や、何も知らずにいた時の自分には戻れない。一度でも知恵を入れてしまえば、ソレを知らなかった自分は消える。だからこそ、自身に取り入れる知恵を軽視してはならないのだろう。


「覚えていたようで何よりです。今後は更なる知恵を入れ込むことになるでしょうから、脳内記憶の容量を上げ、情報処理を的確に行なって頂きたいものです」
「他にはどんな知恵を?」
「それは、また追々。では、私は先に行って待っていますので。また後ほど」
 智白はそう言うだけ言うと、二人に背を向け部屋を後にした。
 聖花は困り眉で小さな息を吐く。
「面倒臭いパパでごめんね。今伝えないということは、タイミングが来ていないってことだと思うから、あまり気にしないでいて」
 白姫はそう言いながら聖花に歩み寄る。
「面倒な方とは思ってへんよ」
 聖花は首を左右に振って否定する。
「そう? ならいいけど……。大体パパって口悪いし、毒舌だし、面倒だし、白様命だし、いつも白様を独り占めしているし、厳しいし、堅物だし、人間界の素敵な物達に目もくれ――ぁ」
「!」
 苦笑いを浮かべながら耳を傾けている聖花に気づいた白姫は、小さく声を上げる。
「聖花。今なんか失礼なこと思っていたでしょ?」
「いや……まぁ。ちょっと――」
 白姫も父に負けず劣らずな散々な物言いだと感じた聖花であるが、そっと言葉を呑み込む。
「きよか~。言葉は飲み込むための飲料じゃなくて、人とコミュニケーションを取る溜めのものだよ。もっと思ったことを口にしてくれたらいいのに。愛莉先輩相手みたいにさ。こぉ~さ、リズムとテンポを大切にさ~あ。愛の漫才を繰り広げましょうよ」
「……私、別に愛莉と漫才していた覚えはあらへんけど?」
「そうなの?」
 白姫は意外そうにきょとんとする。
「うん」
「な、なるほど。あれは自然漫才がなされていたのね。関西のコミュニケーションは奥深いわ」
 白姫は左拳を口元に当てながら、ブツブツと勝手な解釈を始める。
「いや、うちは別に漫才していたつもりもあらへんけど。そう見えていた一旦は、愛莉の個性が光っていただけやと思う。うち一人だけやったら、誰も笑かさられへんと思うねん」
「愛莉先輩は色々別角だったと思うけど、聖花は人を笑顔に出来ていると思う。少なくとも、私は聖花と一緒にいられて、毎日話せて、笑顔になれているよ」
 そう言って聖花に微笑む白姫は、掌の指先を二時の方角に向けながら突き出し、何かを握るように七時の方向に掌を下ろす。その瞬間、いつの間にか白姫の手中に例の薙刀が握られていた。
 白姫にとって薙刀は相棒だ。武器にもなるし盾にもなる。
「ありがとう、白姫。私も白姫のおかげで、毎日笑顔になれているし、寂しくあらへんよ」
「少しでも聖花の笑顔の元になれているならよかった。聖花、手を」
 と微笑む白姫は、薙刀を持っていない右手の平を聖花に見せる。
「はい」
 聖花は差し出された手の平にそっと自身の左手を乗せた。
 白姫は聖花の手を握ったまま、薙刀で宙に円を描く。
「汝、我が望みの地へと送り届けたし」
 白姫がそう唱えた瞬間、二人は光の柱に包まれ、その場から姿を消した。